焦がれて、焦がれて、手を伸ばしたその先にあなたを求めることは、何もいけないことではないでしょう?
その人は、誰よりも輝いていて、溌剌として、太陽のようであると思うと同時にまるで付きのようだと思った。
彼が立つと空気が変わる。呼吸を忘れてしまうようなひと時を生み出すその人が、私はとても眩しかった。
「渉。ねえ、渉」
「どうかしましたか?」
「いや、別に」
そう口にすれば彼は少しだけ眉を下げて、それから大げさに声を上げて笑うのだ。その眩さに眩暈を覚えてしまうほどに、彼は輝いているくせに、光に飲まれてそのまま何処かへ行ってしまいそうな危うさを覚えた。
不安になって彼の袖口を掴めば、アメジストのような美しい瞳が私を捉え、パチパチと瞬きを繰り返す。
「ふふ、なあに? その顔」
「いえ、なに。貴女がいつもとは少し様子が違うようなので」
そう言って彼はまた、笑うのだ。
私と彼、日々樹渉はただの知り合いというには距離が近く、友人というには他人行儀で、ましてや恋人になんて逆立ちしたってなりようもない。そんな間柄だった。
夢ノ咲という学園に通う、アイドルである彼と、ごく平凡な受験生たる私。宙に漂う星と惑星ほどの違いがあって、それらと同じくらいの距離があって、だけれどこうして隣を歩く程度には近い。
この関係に名前をつけるなら、一体何になるのだろうか。
「次のライブ、いつなの?」
「さて……我らが皇帝陛下はまだお戻りにならないですし」
「ふふ。渉の学校って本当に浮世離れしてるよね」
私が笑えば、彼も肩をすくめて「ええ、それはもう」と肯定を示す。どの口が言うかと思うほどの口ぶりで、身振りで、そう言った彼もなかなかに変わっている。
話を聞けば聞くほど彼の学校、友人たちは変わっていると思うけれど、それ以上にこの目の前の男が一番、常識にとらわれないように生きている。
いや、正確には……誰よりも常識をわきまえて、重んじていながらもそれを打ち破るような生き方をしている。
そんな渉が、そんな彼だからこそ、私は多分側にいたいと思うのだろう。
彼の求めるものになることはできない、平凡な私はただそれを思うばかりで行動に移すことなど考えもしない。
「なまえ」
「なあに?」
「……いえ」
呼んでみただけですよ。強いて言うならば先ほどの貴女の真似をしたまでです。なんて続けるその横顔に、心臓が少しだけ動きを早める。
だって、とても綺麗だったから。
瞬きするのも忘れて、食い入るように彼の横顔を見ていたら、アメジストが再び私を捉える。透き通った紫色の中に、惚けたような私の顔が映る。
「そんなに見つめられると穴が開いてしまいますよ」
「あ、ごめん」
「いえ……ああ、そうだ。鳩でも出しましょうか?」
「脈絡ないね!? なんでそこで鳩!?」
「いえ、貴女が穴があきそうなほどに私を見ているので、何か手品を所望かと」
そう言って片目を瞑ってみせる彼に、途端に羞恥心を揺り起こされた。そんなに見てないよ! と主張してみるものの、楽しげに喉を鳴らす渉はとぼけたように「そうでしょうか」と口にする。
渉が肩を震わせ、喉を鳴らすたびに、その長い髪が揺れて甘い香りが広がるような錯覚を覚える。
だめだ。いけない。多分彼は気づいているのだろうけれど、コレを表に出した瞬間にこの関係は終了する。
凡俗な私が、彼の隣にいるのは線引きを忘れないからだ。その線を少しでも踏んで仕舞えば、彼はまるで蜃気楼のように姿を消してしまうのだろう。
ああ、なんと悲しい――。
「おや、いけませんね。女性がそう簡単に涙をみせるものではありませんよ」
そう言ってポケットからハンカチを取り出す彼は、すべてわかっているくせに知らないふりをする。
……ああ、終わりだ。
それの訪れを自ら呼び込んでしまった。まるで他人事のように、自らの立ち位置を理解する。だってきっと、彼はこの瞬間に私と言う人間を切り離したのだ。
アイロン掛けされた綺麗な白いハンカチは、彼と同じ甘い香りがする。
「目を、ずっと開いていたから」
「乾いてしまったのですね、かわいそうに」
「光に目を焼かれたのかもしれないね」
「おやおや」
それは一体、なんの比喩でしょう。態とらしく肩をすくめる彼は、いつものように演劇の一節を引用することもない。
彼が好きだから、ほんの少しでも理解をしようと演劇に手を出した。観劇することで彼を少しでも掴んでみたかったから。
彼がいるから、夢ノ咲が主催のライブに足繁く通った。いろんな彼が見たかったから。
彼の声が聞きたいから、彼の出演している演劇を可能な限り観に行った。それ以外の方法を、私は知らなかったから。
「そろそろ、お別れの時間ですね」
「そっか」
「ハンカチは差し上げますよ。願わくば、貴女の涙を吸い込む以外に用途があらんことを」
「酷いな……渉は残酷だ」
「何を今更。それは貴女がよく理解していることじゃありませんか」
「うん、そうだね」
それじゃあ。と、あげた声はやはり涙に濡れていたかもしれない。いつもと同じ言葉を、いつもと同じ響きで口にする彼に、私は覚悟を込めて返事する。
できればコレが、笑顔に見えていればいいんだけれど。
さようなら。言葉とともに身を翻すその後ろ姿に手をのばしかけて、やめる。
そうしたところで意味がないことを知っているから。彼を困らせるだけだし、私が満足できるわけでもない。
好きだった。なぜかは理解できないけれど、ただの平凡な私に声をかけてくれた彼が。まるで違う生き物のような世界に生きる彼が。そして、時々……本当に稀に、子供みたいに笑う彼が。
焦がれて焦がれて手をのばした末に待っていたのがコレだったけれど、私は後悔していない。ということにしていてほしい。
太陽のようで、月のような、手をのばしても決して届かないところにいる日々樹渉という男のことを、私は等身大の男の子として、大好きだった。
願わくば、10年、20年後にもう一度だけ会って、あの時はこんなこともあったね。なんて笑える日が来ることを……祈ることしかできない私は。