だらしなくも二人がけのソファに横になりながら、その女は紫煙を燻らせていた。
「なあ」
「んー?」
「部屋ん中は禁煙だって言ったろ」
呆れたように、半眼で男が指摘すれば、女は気だるげに「ええ〜?」と声を上げる。
白い煙草を咥えては、代わりに白い煙を吐き出す女をどうしたものかとため息混じりに彼、グリーンは見つめる。
彼女とともに暮らすようになって半年、ほのかに色づき始めた壁や天井はちょっとやそっとの掃除ではもとの輝きを取り戻すことはないのだろう。
文句を言ったこともあるが、グリーンは細かいなあと唇を尖らせたきり、改める様子が見られない。
そもそも、グリーン自体が文句を口にしつつも絶対にやめてほしいと思っているわけではなかった。だからまあ、これは当然の成り行きなのだろう。
「ほら、いいから起き上がってそっち詰めろ」
「いいじゃん立ってなよ〜」
「あのなあ、なまえ――」
「はいはい、わかった。わかったから」
お説教の始まりそうな気配を感じ、なまえはのそりと起き上がって灰皿のある側――つまりは先程まで頭をおいていた側――にズリズリと移動する。
再び煙草に口づけて大きく吸い込み、吐き出す。そうしてからようやく彼女は、まだ半分ほど残っているタバコを灰皿へ押し付け、火をもみ消した。
「もういいのか?」
「ん、もういいや」
言いながらなまえは自分よりも高い位置にあるグリーンの肩へ頭を乗せた。それから、「テレビ」と簡潔に注文だけを口にする。
目の前のテーブルに置かれているリモコンが視界に入っていながら、彼女は動こうともしないのはいつものことで、グリーンは呆れたように彼女の言うとおり、テレビの電源ボタンを押してやった。
途端にバラエティ番組の客席の笑い声が流れる。自分でテレビをつけろといった割に、彼女は特にそれを見るでもなくそっと目を閉じた。
服越しに伝わる心地よい彼の体温と、血液の流れる音、それから、BGMと化した有名お笑い芸人のトークがどこか遠くで聞こえてくる。
「見ないのか?」
「聞いてるの」
「ラジオかよ」
目を閉じていながらも、なまえは彼の表情がまぶたの裏に浮かんでくる。この部屋は禁煙だと言った、その表情で、きっと今にもため息をついてしまいそうなのだろう。
それがなぜだかおかしくなって、彼女はふふふと声を上げてグリグリと彼の肩に額を押し当てる。
「煙草臭い」
「女子にくさいとは何事よ」
「事実だろ」
「フェミニストなグリーンはどこに行ったの」
「なんだそりゃ」
ふ、と笑いながら、彼は右肩に額を押し当てているなまえの頭をそっと撫でる。
ふわふわとした猫毛は、大人しくしているとまるでイーブイをなでているような錯覚を覚える。……実際の彼女は、そんな可愛げのある存在ではないのだが。
先に口にしていたとおり、その髪からはシャンプーに混じったタバコの香りで、どことなくアンバランスさを覚える。
彼女が部屋にやってきてから、タバコのヤニで徐々に色を変えた壁のように、服や髪についてしまった煙草の香りのように、自分も彼女に染まっているな、とグリーンはぼんやりと考える。
「なあ、なまえ」
「なに」
自分がそうであるように、彼女も自分に染まっているのだろうか。なんて、女々しいことを考えてしまったグリーンは、らしくないなと息を吐いた。
そのタイミングで、テレビからドッと笑い声が溢れてくる。録音されたそれが、なぜだか自分に向けられているように思えて釈然としないグリーンは、なんでもないと返すことしかできない。
なまえは何じゃそりゃ。と笑う。くつくつとのどを鳴らしながら、ひたすらに彼の肩から伝わる温度を感じている。
そんな、毒にも薬にもならない日々を彼らは過ごしている。どちらかといえば、だらしないタイプのなまえをグリーンが世話しているような生活だが。
「ねえねえグリーン」
「ん?」
「煙草吸っていい?」
雰囲気をぶち壊すような彼女の言葉に、グリーンももうお手上げだと言わんばかりに「好きにすれば」と返す。
彼女はいそいそと体を起こし、箱から一本のタバコを取り出してオイルライターの蓋をカチャリと開く。
開けた瞬間に漂うオイルの独特の匂いと、煙草を咥える彼女の横顔が今ではもう当たり前になっているのが少しだけ怖い。
ジリジリと紙巻煙草を燃やす火の音が、テレビの音に混じって彼の耳に入ってきた。
そろそろまた、壁や天井のヤニを落とさなきゃなあ。と彼は天井を仰ぎ見る。
「お前も手伝えよ?」
「何を?」
「決まってるだろ。壁と天井の掃除だ」
「決まってないですぅー。……まあ、そろそろ必要か」
天井を見上げるグリーンに習うように、なまえも上を見て、わざとらしく紫煙を彼の視界に入るように吐き出した。
ふう、と吐き出されたそれが、天井を霞ませる。ケラケラと笑う彼女に文句を言うべく、グリーンはなまえを見やった。
声を出すために口を開けば、待っていましたと言わんばかりになまえが笑いながら口づける。煙草を少し離した位置で持って、舌を絡めた深い口づけ。
「あまい」
「苦ぇ」
同時に吐き出されたのは、正反対の言葉だ。眉をしかめるグリーンに満足そうに笑ってから、なまえは再び煙草に口をつける。
「グリーンはあまいね」
なまえがニコニコと、あまりにも嬉しそうに言うものだから、グリーンの口から出るはずだった文句はため息へと変わって吐き出された。
それがやはり嬉しいのか、なまえの唇が描いていた弧が深くなる。その、鮮やかに色づく薄い唇で彼女はそっと愛を囁いた。
穏やかな休日、肩を寄せ合ってソファに腰掛ける二人の間に流れるBGMは、ペラペラと喋るお笑い芸人の声とそれに合わせて流れる録音された笑い声で――。