封じられた力を取り戻すために、この国をさすらう少女と青年にそっと加わったのはいつからだろうか。家も名も、捨てたつもりはなくて、ただ外の世界を見てみたかった。それだけだ。
そんな折、出会った少女と青年に拾われた私は少女とその従者の太鼓持ち(とは言っても半分以上揶揄っているようにみえるが)を眺めながら、日々をそれなりに楽しんで生きていた。
「ん……?」
「鷹、でしょうか」
「なんぞ脚にくくりつけておるぞ!」
「書簡ですね。ああ、これは私の実家からのようです」
書簡を運ぶ鷹を見るのは初めてだったのか、楽しそうにしている少女、たいてんきに返しながら、私はそれに目を通す。
一羽の鷹が運んできたのは嬉しい知らせ。それから、一時帰宅の命令にも近い言葉であった。放浪することを許されてはいるが、快くは思われていない身としてはこれを機に家に縛られるのではないかと危惧しながらも、事情が事情だけに一時帰宅をせざるを得ない。
「ええと、すみません。どうやら私ここまでのようでして……もしまた相見えることがありましたらお仲間に加えてくださいまし」
「帰るのか?」
「ええ。潮時でしょうね」
「帰る場所があるのでしたら、その方がいいことの方が多いでしょう」
「嫌じゃー! なまえ、もっとわしとともに旅をするのじゃ!」
「ええっ……と……」
まるで子供のように――とは言っても、らしからぬ言葉を口にすることはあれど実際彼女は童である――たいてんき様が頬を膨らます。
嬉しい言葉ではあるが、どうしようもないことは存在する。それが今であり、彼女の可愛らしい我儘を甘受することのできない状況が今だ。
「たいてんき様、ここでなまえさんを行かせた方が、百鬼夜行の頭領たる鬼の名が広まるのでは?」
「む?」
「そ、そーですよ! 我が家にも恐ろしい鬼がいると代々語り継ぎます故」
「ならば致し方あるまい! なまえよ! この恐ろしい鬼、戴天鬼の名を世に知らしめるのじゃ! カーッカッカッ!」
「拝命いたしました」
なんて、他愛もないやりとりをしてからそれなりの日数が経った。姉にやや子が生まれたという知らせから、案の定実家に拘束されることとなった私は、楽しかった旅を思い返してはため息をついていた。
嫁入り先での家業の手伝いのため、奔走する姉の代わりにやや子の世話をするようになってから、もう随分と時が過ぎたような気がする。
そんな私は、今日も愛らしい姪御を抱きながら、頼まれごとをこなすために市へと足を運んでいた。
「このわしこそが、戴天鬼なるぞ!」
ふと、聞き覚えのある声が、名乗りが、聞こえてきた。声のした方はにわかにざわめきを立てながらも、その中心を遠巻きに眺めていた。
当たり前のように中心に身を置くのは、懐かしさすら覚えるほどの愛らしい少女と、にこにこと何を考えているのかわからない笑みで武装した青年だ。
思わず、私はそこへと足を向けてしまった。もう、その和の中に戻ることは叶わないと知りながらも。
「おや、なまえさん」
「なまえじゃと!?」
しずめきさんが口にした瞬間、たいてんき様も嬉しそうに目を輝かせて私の方を見た。……のはいいのだが、彼女の背丈では人の波に紛れる私が見つけられなかったのだろう。
どこじゃどこじゃと言いながら、必死に自らの周辺を見回している。
私は、心地好さそうに寝息を立てるやや子を抱き直しながら、二人の元へと歩みを進める。最早習慣に近い。彼らとともにあることが、自然なことのようにその中心へと収まった。
「久しいな! なまえ! 息災か?」
「ええ、おかげさまで」
「なまえさんがいなくて、たいてんき様のお守りが大変だったんですよ」
「なんじゃしずめき! そのわしが手のかかる童のような言い草は!」
「いえ、お護りといったのですよ。間違ってもこのしずめき、手のかかるクソガキの子守をしているつもりなどありませぬ」
「ふふん! 当然じゃな!」
相変わらず、しずめきさんの皮肉など通じていないようにたいてんき様は胸を張る。ああ、この二人は相も変わらず、仲が良い。
微笑ましく二人を見ていたら、たいてんき様が声をあげる。
「なんじゃ!? なまえ、やや子ではないか! お前、いつから母となったのじゃ!」
「いえ、この子は――あっ!」
使いの途中であることを思い出し、私はさっと青ざめる。大事な用事であるのだから、こんなところで道草を食っている場合ではない。
走ればまだ間に合う時刻ではあるが……そう思って天を仰ぎ、それから手の中の幼子を見つめる。
気持ちよさそうに寝息を立てる姪御を起こすわけにもいかない。そう、すぐなのだ。目と鼻の先とまでは行かずとも、少し走ればすぐの場所にそこはある。
それから私は、たいてんき様としずめきさんを交互に見る。姪御は寝息を立てているし、背に腹は変えられない。
「しずめきさん」
「はい?」
「しばしこの子をよろしくお願いいたします。おとなしい子ですし、よく眠っております故」
いうなり私は一応信頼の置けるしずめきさんに子を託し、二人に背を向けて駆け出した。
――あの人、本当に子を託して行ってしまった。
既に人の織りなす波へとかき消えてしまったその後ろ姿を見ながら、ため息をつくことしかできない。
なんせ子守など、足元で何事かを口にしているたいてんきだけで手一杯なのだ。
おまけに、久々の再会かと思えばその手に子を抱いているなど、誰が考えるだろう。
しかし、逆算しても計算が合わない。別れてから子を成すにはあまりにも短い時間だった。ならば出会った時、既にその胎に子を宿していたというのか。
仮にそうだとしたら、走ったり跳ねたりしていたあれは……過去を思い返していたら、腕の中の小さくか弱い生き物がわずかに身じろぎをする。精一杯眉間にしわを寄せるそれに、襲い来るであろう悲劇を避けるべく赤子を抱え直せば、僅かに眉間の力が弱まった。ように見えた。
「しずめき! それ、なまえのやや子か?」
「さて、なんの説明もないままに行かれてしまいましたので……」
「わしも見たい! 見たいぞ! なあしずめき!」
能天気にはしゃぐ主に気づかれぬよう、密かにため息をこぼす。この勢いならば「わしも抱きたい!」と言いだしかねない勢いだ。せめて声を落としてくれるのならば、いいのだが。
彼女も彼女だ。普段から子守をしているようなものとはいえ、童と赤子では天と地ほどの差があるだろうに。
なんて考えているのが伝わってしまったのだろうか。腕の中で眠っていたちいさな生き物は、なんの前触れもなくその目を開いた。涙に潤んだ黒目がちな瞳が自分を捉えた。
どれほど時を刻んだ頃だろうか。それが瞼を三度おろし、ぎゃあ、と声を上げるために口を開いた。慌てて再度抱え直せば、それは驚いたように固まる。
ほっと胸をなでおろした瞬間、それはけたたましい泣き声を辺りに響かせることとなった。
「しっ、しずめきっ! な、な、な、なんじゃこの」
「たいてんき様ならば赤子を泣き止ませることなど造作もないのでは!?」
「いやでもわし赤子を見るのはじめて――」
「さすがたいてんき様! はじめてのことでも果敢に挑戦してみせると見える!」
半ば自棄だ。赤子の泣き声の響く中、負けじと声を張り上げてなんとか会話を成立させてみせる。しかし彼女に泣き喚くそれをなんとかするなど到底無理だとわかっているから、なまえが早く戻ることをただただ祈るほかない。
これだから……。
「赤子は苦手なんですよ」
ぽつりと漏らした声は当然のように泣き声でかき消される。それでいい。しかしこの状況は全くもっていいとは言えない。
そこで、ようやく騒ぎを聞きつけたのか、諸悪の根源が戻ってきた。
「しっ、しずめきさんごめんなさい! ありがとう!」
言うなりなまえはそれを受け取り、あやしにかかる。いったいどんな力を使ったのか、赤子はすぐに泣き声を上げるのをやめた。
感心してその様子を見ていたら、彼女は困ったように眉を下げて周囲の人間にまで頭を下げる。
どこからか、見知らぬ女性が「ダメじゃないかい。二人目なら、あんたも慣れておかなきゃ!」と背を叩くが、これは自分の子ではないと声を上げてしまいたくなった。
「なあなまえ、その子、おまえの子か?」
「えっ?」
「やや子がいたからわしと一緒じゃだめになったのか?」
たいてんき様はそう言って眉を下げる。それは、自分が彼女に問いかけたかったことと殆ど同じだ。
珍しくしおらしい少女の姿に、なまえは戸惑ったように私とたいてんき様を交互に見る。それから、彼女を安心させるようににこりと笑みを浮かべた。
「そんなわけないじゃないですか」
器用に膝を折り、彼女はたいてんき様と目線を合わせるようにしてゆっくりと言葉を続ける。
曰く、抱いているのは姉の子で、出産の手伝いやら産後の雑用のために戻ったらしい。それが落ち着いてきたのに拘束が解かれることはなく、雑事を押し付けられる日々だったと。
……彼女の言葉はもう少し歯に衣を着せたものだったが、要約するとこうだ。
「本当は、またお二人と旅に出たいのですが……」
そう漏らした言葉を、私も、たいてんき様も聞き逃しはしなかった。
自分は何をすることもできない。彼女の選択を歪めるほどの行動力も、思い直させるほどの言葉も、何も。
考えようと思えばいくらでも出てくるそれは、多分彼女に届きやしないのだろう。それが、私と言う存在だ。
「ふふん、ならば共にこい。なまえ」
「ですが、私には家がございます。ここを離れるわけには……」
「そんなもの、わしには関係ない! なまえはわしとくるのじゃ!」
「さすがはたいてんき様! なまえさんの事情も聞かず、まるで童の駄々のようで見事な物言い! このしずめき、感服いたします」
「ぐっ……ええい! うるさいうるさい! いいか、なまえ。わしはおまえのそんな顔、見とうないのじゃ! これは命令じゃ!」
いつになく真剣な顔で、彼女は言い切った。共に来るのだと。しかしそれに、心揺らしながらもなまえは「でも」と声をあげる。
それが更にたいてんき様の感情を煽ったのだろう。少女はむくれたように頬を膨らませ、「でももヘチマもあるか!」と叫んだ。
そうして何事かを思いついたのか、たいてんき様は「そうじゃ!」と表情を明るくする。
「今すぐそのやや子を家において来るがよい!」
「えっ」
「なまえは今から、鬼に攫われるのじゃからな!」
「ヨッ! まさか人攫いまでするなど悪逆非道! 鬼の中の鬼!」
「し、しずめきさんまで……」
「いえね、なまえさん。貴女がそのような顔をなさるのであれば、私はたいてんき様を止める理由がありませんよ」
「私、そんなに変な顔をしてましたか?」
それはもう。と、女性にかけるには不適切であろう同意を投げれば、彼女は恥ずかしそうに片手で顔を覆い、「ああ、もう……」と一人声を落とす。
――決まりだ。
「ならばなまえさん、本日丑の刻に」
「えっ、丑の刻……」
「たいてんき様は宿にてお待ちください。このしずめき、やり遂げてみせますとも」
胸を張ってそう言うが、未だ納得のいかぬ様子の主に「大物は自ら動かず下々を手先のようにうごかすと、たいてんき様はそう仰られたいのですね!」と煽りを入れる。こうすれば少女は何も言えず、ただ待つことしかできない。
なまえから家の場所を聞き出し、あとは行動に移すだけだ。
よもや、ほんの少しの間行動を共にした女のためにここまで自分がすることになるとは思いもよらなかった。それほどまでに、彼女は……いや、やめておこう。
今はただ、いかにうまく彼女を"攫う"ことができるかどうかだ。頭の中で作戦を組み上げ、行動に移すために必要なものなどを挙げていく。それらが全て揃わずとも、必ずやり遂げてみせよう。
……なによりも、自分の意思で。
――その夜、町には鬼が現れ一人の女性を拐かしたと大きな騒ぎが起こった。奇しくも月が紅く染まる、満月の夜だった。