目を合わせただけ。初めて見ただけ。それだというのに惹かれ始める。つまりは一目惚れというものであるのは相違ない。顔だけで好きになったとかそんなことはどうでもよくて、その人を知れば知るほど感情は膨らむのだから結局のところそれはきっかけに過ぎないのだろう。
「先輩、真面目な話なんですけどいいですか?」
「ん? どうした?」
二宮隊の隊室に、2人だけだという事実のおかげでみょうじはいつもよりもわずかに積極的な様子でそう口にする。言葉の通り、表情は真剣そのものである。
しかし宣言した割に言葉が出ないみょうじを犬飼は不思議そうに見る。普段ならばすぐに発言しそうなものなのに、ここまで躊躇われるとなるとそんなに言い辛いことを口にするのかと思わず身構えてしまうほどに、奇妙な沈黙がその場に降りた。
しかしみょうじもなんとか言葉にしたいらしく、口を開いては躊躇いで閉じる。という行為を繰り返していた。そして、ようやくそれを脱することができたようで「あの、ですね……」と小さく言葉を紡ぎ始めた。
「先輩とわたし、付き合ってるんですよね?」
「えっ? ああ、そりゃそうだろ」
むしろお前にそのつもりはなかったのかと言わんばかりの犬飼に、みょうじは肩身の狭さを覚えた。
一応交際関係にあるみょうじと犬飼だが、はたから見ているとただの犬飼ファンでしかないみょうじだ。しかも彼女本人も未だファンの心理を抜けきれておらず、彼と交際しているという事実が未だに信じられない。
これは夢で、何かの間違いではないだろうかと不安に駆られることだってあるほどだ。そんな不安を、彼女はこうしてたまに表に出す。
犬飼のことは好きだ。恋愛感情を持ってそう思っているわけなのだが、自分なんかが彼を好きでいていいのか。という卑屈な考えからどうしても表に出てくるのはファンのそれだ。
だからこうして、つい確かめてしまいたくなる時がある。
「私、犬飼先輩に好きになってもらえるところとかありましたっけ?」
「なに、俺がなまえの好きなところを挙げていって欲しいわけ?」
「やっ、それは遠慮したいです」
羞恥プレイは好きではない。おまけに自虐にも等しい行為だ。犬飼は優しい男だから、無理にでもそれを探して挙げていってくれるのであろうとわかっているからこそ、みょうじは彼の申し出を断る。
そんなみょうじに犬飼は少しだけ眉を下げて「お前な……」と声を落とす。
「まだ疑ってんの」
「だって、夢みたいなんですもん」
先輩と私がお付き合いをしているのが。と続く言葉に犬飼は苦笑を浮かべる。
何がどうなったのか、どんな勇気を出したのか。みょうじの玉砕覚悟の告白は、意外にもあっさりと受け入れられてしまったことに起因する。
2人の接点といえば、氷見亜季くらいだ。みょうじのクラスメイトにして友人。犬飼にとってはチームメイト。そもそもの出会いが、教室でみょうじと氷見が話しているところに犬飼が訪ねてくる……というありがちなものである。
後輩の友人というだけであったはずのみょうじは、あれよあれよという間に関係性という階段を段飛ばしで駆け上った。結果、今の関係なのだがその速さ故に夢なのではないかと思う。
「俺ってそんなに信用ない?」
「信用……というか、純粋に不思議で」
「俺がなまえのことを好きだってのが?」
「そっ、うです、ね……」
改まって言われると羞恥心が先立つのか、みょうじは頬を朱に染めて首を小さく縦に振った。
なんとなく、伝わっていないのは犬飼も予想できていた。付き合ってはいるものの、好意をそのまま口にしても暖簾に腕押しといった様子でどうにも響いた風もない。
それに関しては付き合い始める前からそうだったのだからすでに諦めているのだが。
しかし、改めてこう聞き返されると少し傷つくものなのだな。なんて、犬飼はひっそりと息をつく。自分が軽く見られがちなのは不服ながらも自覚しているので諦めてはいるが、自分の彼女にもそう思われているとなると話は変わってくる。
「やっぱり、ひとつひとつ挙げていこうか」
「えっ?」
「俺がなまえのここが好きだなあって思ってるトコロ」
「いやいりいやいやいやいや! まっ、待ってください」
「先ずはー……」
「せんぱいっ!」
慌てたように突き出されたみょうじの両手は、見事に犬飼の唇を物理的に塞ぐことに成功した。と、同時に、自分のしたことに気がついてさっと色を失ったのはみょうじの顔だ。
混乱に混乱を重ねた彼女は、その手を引くこともできずに固まっている。何を考えているのかわかりやすい百面相を前に、犬飼は押し当てられているみょうじの掌にべろりと舌を這わせる。
「ひゃ……!?」
ぬるりとした感触に文字通り飛び上がったみょうじは、普段以上のスピードで犬飼との距離を置き、舐められた手を自らの胸元に引き寄せる。
片手と犬飼を交互に見つめ、現状をなんとか整理すべく頭をフル回転させているのだろう。何かを言いたげに開閉するその口から、抗議の一つも出てこないところを見ると未だ混乱の最中であることが想像できる。
態とらしく舌なめずりをして、犬飼はにこやかにみょうじを見つめる。
「なまえのそういうところも好きだよ」
初めて目を合わせてから今まででどれだけ好きな箇所の数が更新されてきていると思っているのだろうか。数ヶ月経っても自覚のひとつも持てない彼女のために、今日から容赦なくそれを突きつけていってやろう。
そんな彼の意図など知らぬみょうじは、あまりいい予感がしないままに犬飼にぎこちなく笑みを返す。アハハと漏れた空笑いは、その少し後、再び声にならぬ悲鳴となるのであった。