きっかけというきっかけはないのかもしれない。強いていうならイケメンは目の保養だと目で追い続けていたことだろうか。ただそれだけなのに、刷り込みのように好意を抱いていったことに自分でも疑問を覚えるほどだ。
確かに彼、辻くんはかっこいい。頭もいいし、運動もできる。ボーダーに所属していて、彼の周りには人が集まる。仲のいい人の前では時々可愛いと思えるような笑みを浮かべる。あ、これはやっぱり好きになってしかるべきなのかもしれない。
ただ、彼に恋をするということは途方も無い苦行に身を委ねるが如しだ。なぜなら、彼は異性が苦手らしい。
「あーあ。そんなんどうしたらいいの」
「また辻くん?」
「んー……」
じっと辻くんを見ていれば、彼は楽しそうにクラスメイトと言葉を交わしている。話しかけて来る友人に返事をしつつ、視線は彼から逸らさない。
ストーカーのような行為であるという自覚はあるのだが、だってあんなにかっこいい人がクラスにいて、どうして見ずに居られるのだろうか。イケメンは眼福である。
と、目の保養に勤しんで居たら、クラス内のヒエラルキートップの白木さんが彼に近づいた。美人でモテる彼女が辻くんを狙っているということは誰の目にも明らかであるし、普通に考えて私に勝ち目はない。というより、そんな美人を押しのけて彼の視界に入れるほどの図太さも、突出した何かも私は持ち得ていないのだ。
とはいえ、事の顛末は気になる。まさに女の子を体現するかのような彼女は、やはり彼の苦手の範疇内のようでそっと逃げるように席を立つ辻くん。あまりに自然な流れで立ち上がるものだから、誰も彼が彼女を避けているとは思わないような動きだ。
……残念ながら私みたいな変な女には気づかれてしまうのだからなんとなく、申し訳ない気持ちになった。
ふと、彼の視線がこちらを向く。……マズイ。
「あ、こっち見た……って七海、なんでうつ伏せてるの」
友人の呆れ声に返事をする余裕などない。目があってはいけない。合わせてはいけない。私は知っている。彼と目を合わせたら、全身に電流が走ったような感覚を覚えるのだ。
……だからいけない。見ているだけで満足できているこの現状を変えたくはない。だって、万に一つ私に勇気が湧いて、彼に声をかけようと思って、近づいた瞬間に避けられでもしたら心が折れてしまう。
勝手に想うだけなら罪には問われないのだから、今のままが私にとってはベストなのだ。欲を抱かぬようにせねば身を滅ぼすのは自明。申し訳ないが、白木さんのように避けられでもしてみたら……それに気づいてしまったら……そう考えると恐ろしい。
「もう行った?」
「え? う、うん」
「っは〜……」
大きくため息をつけば、友人はそんな私のことが理解できないとポツリと漏らした。私だって理解できないのだからそんな目で見ないでほしい。
この感情が恋なのか憧れなのかも分からなくて、自分の感情に振り回されて目が回りそうだ。明確な区別をつけなくてはいけないわけでもなく、つけたところで現状が変わるわけでもないのだから今はこれでいい。私から彼に向ける感情は、この曖昧なものが似つかわしい。
と、いうことを誰に話してもわかってもらえないのはもはやご愛嬌である。
「それにしても、辻くんは確かにかっこいいけど難易度は最大級じゃない?」
「まあ、うん。白木さん見たでしょ? ああも自然に避けられたらもう」
無理だ。だから私はこうして見ているだけでいいし、目があったら逸らされるから(それ以前に不審がられるだろうから)その気配を感じたらすぐに顔を伏せる癖がついてしまった。
でもね、私は知っているのだ。壁越しだったら彼と会話が可能であるということを。
***
一年生の冬の日だったか。掃除当番でゴミ捨てに出た日だったのは間違いがない。ゴミ捨て場は近道するなら窓を乗り越えるという荒技で成し得る場所にあって、しかし残念ながら私にそんなことをする勇気もなければ人並みの羞恥心を持っている故におとなしく室内を回り込んでそこに向かうことになる。
ただ、そこは基本的に人影のないところにあたるので告白スポットにもってこいという非常に厄介な場所で、私は厄介ごとに好かれる体質なのかその厄介に見事に巻き込まれ、ことが済むまで教室の壁に外からもたれかかって座り込んでいた。
寒い。とてつもなく寒い。両手に息をかけて温めようにもあまり意味がなく、虚しいと思いながらもポツリと声を漏らした。
「……寒い」
「そんなところで何してるの」
不意に頭上から降ってきた声に思わず飛び上がりそうになった。声にならない悲鳴は、相手にも伝わったようで「驚かせてごめん」と淡々とした声が返ってきた。
私は「ううん」と言いながらも、ドキドキと煩い心臓を抑えながらひっそりと深呼吸をした。この声の主は知っている。入学した時から密やかに噂になっていたクラスメイトだ。端正な顔立ちをした彼は、女子が苦手だと聞いていたが……。そう思ってちらりと視線を教室に向けるが、こちらを一切見ようとしない綺麗な横顔が見えるだけで本当に彼が声をかけてきたのかと疑うほどであった。
「つ、辻くん? だよね?」
「? そうだけど……」
「ごめんね、急でびっくりしちゃって。いやあ、ゴミ捨てに来たんだけどほら、あそこ……ねえ?」
告白スポットじゃん? なんて軽く言うのをためらわれた私は、言葉を濁して愛想笑いを浮かべる。彼がこちらを見るはずなどない事くらいは理解している。
そもそも、声をかけて来てくれるという奇跡に心底驚いている。クラスメイトの辻くんは、男子とは仲良く話しているのだが女子と言葉を交わすどころか、目を合わせているところも見たことがない。
そんな彼が、今私に対して話しかけている。綺麗な横顔がこちらに向くことはないが、間違いなくそうなのだ。
「ああ……大変だね」
「まあ、暫くしたら終わるだろうし」
ため息をついて、再び壁に体重を預ける。もう頭上からは声は降ってこない。でも、彼が席を立つ気配もない。なんとなく、心地の良い時間に思えて、じんわりと胸が熱くなった。
***
思えばあれがきっかけだったのではないか。思い返せばこっぱずかしい出来事だが、それを機に彼とはいくつか言葉を交わすことがあった。相変わらずお互いの間に何かしらの隔たりはあるものの、会話していることには違いがない。
「……何ニヤニヤしてるの」
「えっ!?」
突然の指摘にふと我に返れば、友人がまたしても呆れたような目をしてこちらを見ている。不審者を見るような目つきはさすがに傷つく。
ニヤニヤしてないよ! と言い返すも、彼女の目は変わらない。むくれながらもいつもの癖で、辻くんの席へと視線を移す。
いつの間に戻ったのか、そこには既に辻くんが座っていて、いつものように友人たちと仲よさげに話している。
そんな彼がこちらを見た。不意打ちだ。完全なる不意打ち。目を逸らす間も無く彼の目が私を捉えた。ような気がした。
途端に恥ずかしくなる私だったが、それよりも先にすごい勢いで目を逸らされてしまい呆気にとられる。
「ええと……今……」
「逸らされたね」
「す、すごい勢いだった……」
噂には聞いていたがここまでとは。突然の不審な行為に話していた彼の友人も不思議そうにこちらを見る。気まずい。とても気まずい。愛想笑いを浮かべれば、何かを察したように彼は笑って辻くんを小突いていた。
いいなあ。あんな風に私も辻くんと話してみたいなあ。なんていう身に余る思いを胸に秘め、私は小さく息を吐いた。