「なあ辻ちゃん。そろそろ気づいてると思うんだけどさ」
「……何ですか急に」
先輩と2人でやることになってしまった防衛任務。何となく気まずさを覚えながら、俺は話しかけてくる先輩に渋々言葉を返した。
今は正直それどころではない。相川さんに意味ありげな言葉を告げてしまった以上、想いを告げて彼女を解放してやらねばならないのだ。そのために覚悟を決めるつもりが、気づいたら時間ばかりが過ぎ去っていた。
そんな俺に、犬飼先輩はサラリとなんてことない言葉を投げかけるように死刑宣告にも似た言葉を投げつけた。
「俺さ、七海のこと好きなんだわ」
「そ、そうですか」
「おっ、動揺してる?」
「何で俺が……」
あくまでもシラを切り通そうとする俺を、先輩はただ見ている。全てを見透かすような目に居心地の悪さを感じてしまうのはなぜだろうか。
……なぜも何もないだろう。先輩は相川さんのことが好きだ。その事実を言葉にされてしまえば、同じ想いを抱いていて、かつ勇気を出せない自分に自己嫌悪を抱き、先輩の口にしたものから逃げ出したくもなる。
逃げたところで何が変わるわけでもないだろう。そう思ったところに、先輩は追い討ちをかけるが如く言葉を紡ぐ。
「……まあ、辻ちゃんがそういう感じなのはわかるし応援はしてやりたい。でも……手加減する気もないんだよな」
いつもならば笑っていうであろうその言葉を形こそ笑みではあったが、笑っていると形容することのできないほどの真剣な目で先輩は俺に宣言する。
俺、七海に告白するから。その言葉はまるで俺を奈落の底に突き落とすかのようなものだ。先輩が相川さんに告白する。その言葉だけで焦りがどんどん膨れ上がっていく。
相川さんは少なからず先輩のことを好意的に見ているはずだ。そんなところに告白など、どう転ぶのかわからない。自分が彼女の気持ちを知らない以上、どうしたらいいのかわからなくなる。
犬飼先輩はモテる。こんな俺なんかより、先輩の方がいいのかもしれない。そう思ってしまうほどに差があるのは理解している。ただ、それを甘受できるかどうかは別だ。
呆然と立ち尽くす俺を置いて、先輩はさっさと教室へと向かう。俺は、どうしたらいいのだろうか。
***
「先輩って、犬飼先輩!?」
「声大きいから!」
昼休みも中頃を過ぎたあたりだ。突然飛び込んできた声に心臓が跳ねる。今朝、まさにその犬飼先輩と話をしていた。聞こえてきたのは相川さんと中神さんの声だ。教室内の人気はさほど多いものではないが、響いた声に皆が視線を注いだ。とはいえ、そのなかの1人が俺なわけだが。
二、三言葉を交わしたかと思えば、相川さんが席を立った。不意に交わった視線に気まずさが勝り、勢いをつけて視線を外した。不自然であろうがなかろうが、今の彼女と目を合わせていられる気などしなかった。
彼女が席を立ってからというもの、どうにも落ち着かない。このタイミングでわざわざ彼女を呼び出すとなると、完全に告白という流れに思考が直結してしまう。
犬飼先輩が、相川さんに……。そこまで考えていても立ってもいられず、俺も後を追うように席を立つ。
「どうした?」
「ん、いや……」
友人の問いかけにもろくに返事をせず、頭は既に犬飼先輩と相川さんのことで埋め尽くされていく。
このまま、みすみす奪い去られるところを眺めているなどできるはずもない。どこだ。一体どこに彼女を呼び出した。
廊下を走るなんて、初めてに近いことだった。相川さんと初めて言葉を交わした人影のほぼない焼却炉を探し、校舎内に戻って屋上へ駆け上がり、ふと、いつもの場所を思い出した。犬飼先輩も存在を知るあの場所。
そう気づいた瞬間に、足はそちらへと向かって駆け出していた。生身の体が煩わしい。トリオン体ならば、もっと早くその場にたどり着くことができるというのに。
走って走って、途中先生に注意を受けたような気もするがそれを振り切って走る。目的の場所が近づいて、ようやく減速し、立ち止まる。息を整えるように深呼吸をしてみたけれど、心音だけは落ち着けることができない。意を決して、その廊下へと踏み出す。
予想していた通り、そこには相川さんと犬飼先輩が2人だけで話をしている。
「そんなに心配かねえ」
笑いながら、犬飼先輩がこちらを見た。楽しそうに、愉しそうに、俺を見てから先輩は相川さんの名前を呼ぶ。
どうしました? そう問いかける相川さんに、先輩はゆっくりと目を細める。
「そんな不安ならさ、俺で良くない?」
「……なんの話です?」
「だからさ、俺と付き合わない?」
いざ聞くと、頭に血が上ってしまいそうな言葉だ。目の前で、意中の女子に知人が告白する。そんな場面、まさか自分が立ち会うことになるとは思ってもみなかった。
手足の指の先までが、一気に冷たくなっていくような感覚。これを止める権利も、邪魔する権利も俺にはない。だというのに、何故自分は今こんなところにいるのだろうか。
しかしながら相川さんは先輩の言葉をからかいだと判断したらしく「冗談はやめてくださいよ」と口にする。ああ、その表情が見えていないからこそ、不安になる。彼女は今、嬉しそうにしているのだろうか。……いや、声から察するに困惑している。はずだ。
「冗談じゃない」
「いや、だって先輩……私のこと、そういう風に見たことないでしょ」
犬飼先輩は、彼女の言葉に困ったように眉を下げる。俺は知っている。今朝、正に聞かされたからというだけではない。言葉の端々から感じ取れた先輩の想い。
足が棒になってしまったように動かない。わずかな身じろぎすらも許されないその空気で、俺はただ、見ていることしかできない。
一体何の苦行だ。
せめてもの救いは、彼女の困惑がここまで伝わってくるというだけだ。即決で自分の失恋が確定されなかった。……されなかったからこそ、苦行なのかもしれない。
俺はこの2人に、犬飼先輩に、登場を許されるまでただ見ていることしかできない。
先ほどまで走っていたからではない。やけに空気が薄く、息苦しい。こんなものを見せて、先輩はどうしたいのだろうか。
「七海が気づいてなかっただけだろ。俺はずっとおまえのこと好きだったよ」
「え、うそ、だって」
「ん?」
「せんぱい……私が辻くんのことすきなの、知ってるじゃないですか」
ガン。とハンマーで頭を殴られたかのような感覚。相川さんの言葉があまりにも衝撃的で、思わず声が出かけたのを必死で飲み込んだ。
相川さんが、俺のことを。もしかして、同じ気持ちでいたのだろうか。それとも、これは聞き間違いか何かか。
「そうだね。でもそれ関係なくない?」
「関係ありますよ! だって、だってわたし、辻くんのことしか考えられない……」
「だってさ。言われちゃったねえ」
犬飼先輩が、俺を見る。刺すような視線がまた、居心地の悪さを生み出していく。そもそも、この場にいること自体場違いなのだから居心地の悪さは初めから抱いていた。ただ、この瞬間にそれが増幅したというだけで。
相川さんがこちらを振り向き、目を見開く。みるみるうちに変わっていく表情を見ていることができずに視線が泳いだ。
こんな、盗み聞きをしたいわけではなかったのだ。
「立ち聞きするつもりはなかったんだけど……」
口をついて出たのは、言い訳に近い言葉だった。そういうつもりできたわけではない。ならば何故? と問われれば、返す言葉が見つからない。
何といっても、犬飼先輩に呼び出された相川さんを追いかけたのは俺だ。先輩がどんな話をするかなど予想できていた。ならばそれは、何のために。
「犬飼先輩、どういうつもりですか」
「おお、怖。そんなに睨むなって。いいだろ別に。辻ちゃんには関係ないし」
「っ、それは……そう、ですけど」
「わざわざ走ってきたみたいだけど」
そうさせたのは貴方でしょう。なんて返せるほど、俺は平然としていられるわけでも、余裕がなさすぎるわけでもなかった。余裕があるわけではない。ただ、冷静さを欠いてそう返せるだけの勢いはなかった。
ただ、この気まずさの中でどう立ち振る舞えばいいのかわからなくて、立ち尽くすことしかできない。
息が苦しい。心臓が痛い。
「ま、俺フラれたみたいだし? 邪魔者は退散しますよ。でもな辻ちゃん。お前、どうしたいわけ?」
言葉が突き刺さる。俺はどうしたいのか。
こんな、先輩が告白するのだとわかっていながらも相川さんの後を追いかけて、その場に遭遇して所在を無くして。
そんなもの、わかっていた。自分には無縁のものだと見ないように目を逸らし続けてきただけだ。いざ直面してしまえば、簡単なものなのだ。
「俺は、」
「いや、俺に言うなよ」
俺は相川さんに。
俺の言葉を呆れたように笑って切った犬飼先輩は、慈愛すらも感じる視線でみょうじさんを見る。混乱している相川さんの頭にぽん、と手を乗せて何事かを囁いている。その光景を見ると、ギュッと胃が痛みを主張する。
先輩がこちらにくる。正確には、教室に戻るためにこの廊下を通り抜けようとしている。彼女に後ろ手を振っているその表情は、やはり真剣めいたものでこの場の空気が犬飼先輩に支配される。
彼は何も言わない。ただ俺を見て、追い抜いて、教室へと戻っていく。残された俺は、彼女の目を見ることができない。しかし、絶対に彼女に言わなければならないその言葉を口にするため、一歩前へと踏み出した。