いつもの場所でいつも通り2人だけしかいない。ただ、そこにあるのは普段とかけ離れた空気だけだ。
場を占める重苦しい沈黙を、切り裂くための声を上げるべきなのは多分俺なのだろう。
予鈴が聞こえる。今頃慌ただしく教室内に戻ってきた生徒たちが言葉を交わし合い、ざわめきが教室内に充満するのだろう。この場には、全くもって無縁のものである。
ただ立ち尽くすだけで時間を浪費するわけにはいかない。意を決して、俺は声を上げる。言うのだ。言わねばならないのだ。
「相川さん」
「はっ、ハイ……」
「あの……さっきの事、なんだけど……」
「あああああのね、あれね、ほんと迷惑なのはわかってるんだけどね、そもそも言うつもりなくてね、いやそれも悪い意図があってじゃなくて迷惑なのがわかってるからであってね、ただ少しでも長く辻くんと話ができたらいいなあとか思ったりはしてなくてね、ごめん嘘なんだやっぱりちょっとだけそういう気持ちあってね、辻くんが女子苦手なの逆手に取ろうっていう意図はなくてね、ただ……」
「ちょ、ちょっと相川さん落ち着いて」
無言だったのが嘘のように溢れてくる言葉はまさに雨だ。全てを拾い切れるほどの余裕がないのが悔やまれる。ただ、彼女が何故か俺に対して好意を抱いていて、それを迷惑だと思っていることだけはわかった。
そんなはずあるわけがない。いっそこの言葉は夢なのではないかと思うほどに、多分俺は嬉しく思っている。もはや自分のことなのに自分のことではないみたいで、感情が追いついてこない。
「あのさ」
「はい」
「その、あの言葉、本当?」
まず、彼女の言葉が真実なのかを確かめる。とても失礼なことをしているのかもしれないが、にわかには信じがたいのだ。相川さんが、俺のことを好いていてくれていたなんて。
相川さんは何かを言おうとして顔を上げて、口を動かしたけれども声が出てこず、すぐに俯いて首肯した。
見間違いでなければ、今彼女は頷いたのだ。
嬉しいんだと思う。まるで現実味というものを持ち合わせていない目の前の様子に、自分の理解が追いつかない。なんと返すべきか散々悩んで、俺は「そっか」という一言しか搾り出すことができなかった。
違う、そうじゃない。仕切りなおしたい。兎にも角にも自分が落ち着かなくてはいけないから、小さく深呼吸をする。
まずは、正直な気持ちを打ち明けなくては始まらない。
「俺、相川さんに謝らなきゃいけないことがあるんだ」
「……つ、つまり……」
「その……相川さんが『少しでも話ができたら』って言ってくれたけど、あれ、実は俺もそうで……」
迷惑だろうか。なんて思ってはいた。少しでもいい。彼女と話がしたいと思ったのは、初めの頃から今までを通しての感情だ。迷惑がられないか不安だったけど、どうしてもその感情が優っていた。
ゆえに、不純な動機と言われて仕舞えば自分もそうなのだ。まずはそれについての謝罪がしたかった。そして、今から始まるのは懺悔だ。彼女の顔を見ることができない。
羞恥心に染められた胸中は、そのまま顔へと現れる。つまりは、恥ずかしすぎて顔が熱い。火が出るのではないかという程に、熱い。
「俺、実はずっと相川さんのこと見てて……気持ち悪いよね。ごめん」
付け回したりしていたわけではないが、教室内外問わず彼女が視界に入ったのならば自然と目が追ってしまっていた。だからというわけではないが、彼女のことを少しは分かっていると思っている。
誰にでも優しいことはもちろん、ノリが良くて明るくて、密かなファンがいることだって知っていた。言って仕舞えば自分もそれに相当するのだろう。
模範的な生徒とまではいかないけれど、先生方からの信頼も厚くて、ただ少しだけ勉強は苦手で(とは言ってもこの学校に通っている以上、平均より上なことは間違いないが)、走るのは苦手、かと思えば球技は得意。とか、自分でも気持ち悪いくらいだ。
ただ、そんな気持ちの悪い自分のことを棚に上げてこの感情に名前をつけるなら、この一言に集結する。
「相川さんのこと、好きなんだ」
言った。言ってしまった。ついに、この言葉を、彼女に。心臓が煩いほどに鳴り響き、相川さんの足元付近をさまよう視界は相変わらずだ。と思った矢先、彼女の姿がそこに現れる。
思わず、相川さん!? と声を上げてしまった。何故、と思っていたら、視界に入ってきた彼女の目に涙が滲み始めてさらに驚きと焦りがやってくる。
泣くほど嫌だったのだろうか、という不安が顔を出すが、俺は先ほど彼女の口から「すき」の2文字が出ているのを聞いていた。嫌だからではない。と信じたい。
「わたっ、私っ……聞き間違え、してないよね?」
「……うん」
「ゆ、夢かな?」
「現実だって思いたいかな」
「私ね、辻くんのこと、すきなの……」
泣きたいほどに嬉しいのは俺だ。彼女の言葉に、夢のようだと思ったのは俺だ。あの、初めて言葉を交わしたときから、俺の中の"気になる"は変化していたのだ。
だから俺は、そんな彼女にただ、「ありがとう」ということしかできない。
***
俺と相川さんは一応付き合うことになった。一応ってつけるとなかなかに消極的ではあるが、確実に一歩前進した。……とはいえ、教室内ではいつも通りだ。
相川さんはいいんだけど、他の女子と話ができる気はしないし、男子は男子で面倒くさい。
2人でいる時間が確保できるのならばそれでいい。だから、傍目に見たら何も変わらない。それが多分、俺たちらしい形なんだと思う。
問題があるとしたら、犬飼先輩だ。
「よかったなあ、辻ちゃん」
「……犬飼先輩」
「うっわー、イヤそうな顔。俺傷つくわ」
言ってろ。とは言えないので心の中だけで毒づく。どう考えてもこの人相川さんのことを諦めていないし、むしろ振られたことによって元気になった風にすら見える。
厄介だ。ただ、彼女が絡まないところでは今まで通りだから、隊の中で変な空気になることもない。奇妙ではあるが、懸念していた部分が解消されたのでまあ、悪くはないのだろう。
「もう気軽に相川さんに近づくのやめてもらえますか?」
「付き合いだした途端に強気だな」
「言ってもいい関係になったので」
「おーおー、言うねえ。でもまあ、それは了解できないな」
だって七海が俺に懐いてるわけだし。なんて涼しい顔して言うものだから、先輩でなければ拳が出てしまいそうだった。
おまけに「なんだよ辻ちゃん、まだ相川さん呼びなのか?」なんて揶揄ってくるものだからこの人をどうにかするために何ができるか考える羽目になる。
「そろそろあのあとどうしたか教えろよー」
「嫌です」
「うっわー……まあいいわ、七海に聞くから」
「やめて下さい」
携帯を取り出す先輩をなんとか止めて、その場はなんとかやり過ごした。はずだ。しかし先輩の言葉に左右されるのも癪ではあるが、彼の言う通りだ。
いつまでも相川さんと呼び続けるのはどうなのか。ふと、頭の中で「七海さん」と呼ぶ自分を想像してみる。
……恥ずかしすぎて到底無理だ。
いつかきっと、彼女のことを名前で呼ぶ日が来るのだろう。それがそう遠くない未来であることを願いながら、俺は目を閉じる。
少しずつ距離を詰めるのが、多分俺たちのペースだから。