04

 欲が出る。だって、好きな人と話が出来るんだ。私なんかと思いながらも、やっぱりお付き合いがしたいわけだ。辻くんの声は落ち着く。辻くんのといる空間は少しドキドキするけれども心地がいい。辻くんと、もっと一緒にいたい。わがままだというのはわかっているけどそんな想いを止められない。
 辻くんと顔を合わせて話すようになった。最初のうちはまあ酷いものだったけど、次第に自然に話せるようになった。ただ、やっぱり他の女子はダメらしい。だから話をするときには、人目を忍んでこっそりとが定着しつつあった。
 実のところ、これはこれで少し楽しい。2人だけの秘密(正確には、犬飼先輩も知っているので3人である)を持つのはどうしてだかワクワクしてしまう。
「辻くん、もう普通に話せるのにね」
「……相川さんだからね」
「前もそれ言ってたよね。慣れたら平気って」
「それが結構大変なんだよ」
 困ったように眉を下げる彼が少しだけ可愛くて、「ふうん」と返事をしながらも笑ってしまう。辻くんはそんな私を不思議そうな顔で見ている。
 しかしこの辻くんの言葉は慣れたから大丈夫だという意味なはずなのに、ついつい私だからの方に重点を置いてしまう。自意識過剰にもほどがあるのだが、本当にそうだったらいいのにな、なんて思ってしまう。
 彼の言う「相川さんだから」を録音して永遠に繰り返していきたい。好きな人に名前を呼んでもらえるだけでほんのりと幸せになれるのだ。
「……それに、相川さんだったから――」
「えっ?」
 ボソリと呟かれた言葉が聞き取れなくて聞き返してしまう。今何を言ったのだろうか。なんでもないよと返されても気になってしまう。
 しかしここで聞き返すのもまた勇気がいるのだ。あまり鬱陶しくして嫌われたくはない。たぶん今は良くも悪くも"嫌われてはいない"のラインだろう。せっかくこうして話すようになったのに、鬱陶しいと嫌気がさして距離を置かれるのだけはごめんだ。
 私はいつもそうやって境界線を探りながら恐る恐る足を進める。足元は地面なんかじゃなくて薄氷で、身動き一つで冷たい水の中……なんてことになるのは避けて通りたい。
「……あのさ、前も聞いたんだけど」
「うん?」
「犬飼先輩と仲、いいの?」
「うん? うん。中学の頃にやらかしちゃって……」
 あれは今思い返しても恥ずかしいから、いっそ忘れてしまいたいのだけど。
 中学の時、先輩の後ろ姿を従兄弟と間違えて「はる兄」と呼んでしまったのが始まりだ。3つ年上の彼はそもそも同じ学校に通っているはずなどないのに、本当に今思えば恥ずかしすぎて埋まりたい。
 ……あの頃ももちろんそうだったが。またこれが犬飼先輩も名前が「澄晴」だから違和感もなく振り返るわけで、がっつり知らない人と目があった3年前の私は泣き出さなかったことを褒めてやりたいほどに驚いた。
 まあ、それからは事あるごとに話をするし、何かと助けてもらって今に至るわけだ。今なんて恋愛相談に乗ってもらう始末だから恐ろしい。
 この、私のこっぱずかしいエピソードを語ることはためらわれ、「やらかした」の一言でお茶を濁すのがいつもの私だ。何と言っても犬飼先輩はモテるから、女子のやっかみが怖いのだ。
「どうしたの?」
「……いや、なんかすごく仲がいいみたいだから」
「そうかな? 普通じゃない?」
「犬飼先輩、相川さんの話ばっかりしてるしね」
 それは初耳だ。私の今までの恥ずかしいエピソードを並べているのではないかという不安と、わざわざ私の名前を刷り込もうとしてくれてるのではという期待と、割合で言えば8対2だ。
 へ、変なこと言われてない? と恐る恐る聞けば、彼は首を振ってそれを否定する。……大丈夫らしい。大丈夫だということにしておく。真実を知るのは少し、怖い。
 ここでまた、都合よく物事を考える私が「嫉妬してるんじゃない?」と囁きかける。反対側から、物事を悪い方向に考えてしまう私が「お前みたいなのがあの先輩と仲良いのは謎しか残らないからでしょ」と毒を吐く。
 まあ、常識的に考えればあのモテモテな先輩が私の相手をすることなどなく、それは目の前の辻くんとて同じだ。つまり自意識過剰の妄想に過ぎない。
「手のかかる後輩だからなあ」
「相川さん、しっかりしてるのに?」
「してないしてない! 先輩とか、辻くんにだっていっぱい迷惑かけちゃってると思うし」
 言えば彼は驚いたように少し目を見開いて、苦い笑みを浮かべる。それはこっちのセリフだよ。と眉を下げた。
 こんなに可愛らしい辻くんが見れる数少ない女子のうちの1人になれてよかった。不謹慎ではあるもののしみじみとそう思う。今ではただ見ているだけだったのに、不思議な話だ。
 相川さん。と、耳障りの良い声が鼓膜を揺らす。淡く色づいた頬が、柔らかな声が、彼の優しさが、今この瞬間だけは私のものだ。私だけのものだ。
 あの日勇気を出して本当に良かった。
「俺、相川さんに言いたいことがあるんだ」
「どうしたの? 改まっちゃって」
「……いや、うん。また今度、ね」
「? うん。また今度。楽しみにしてもいい内容?」
「……わからない」
 わからないんだ!? 思わず声に出せば、辻くんは「ごめんね」と笑う。これは何か不満があるのではないか。
 話すようになってから急に馴れ馴れしくし過ぎた? ……いや、クラスメイトとしての距離感は保っているつもりだ。なんなら他の男子相手の方が気安く話している気すらする。
 今まで話した内容が実は辻くんの地雷をぶち抜くようなものだった? ……非常にありえそうで困る。
 それとも……と、考え始めると止まらなくなる程度には心当たりがあり過ぎて困る。しかも悪い方にだ。
 いつくるかもわからないその日を、胃が縮むような思いで待つことしか私にはできないのであった。