私は、相も変わらず辻くんを見ている。そのことは今までと変わらない。じっと見つめて、視線に気づかれそうになったらさっと目を逸らす。その繰り返しだ。
「またやってんの?」
「だって……かっこいい……」
「はいはい。そんなに見てるなら話しかけに行けばいいのに」
「無理……」
「まあ、辻くん相手じゃそっか」
笑う友人は知らない。私が密かに辻くんと言葉を交わしていることを。あえて隠しているというわけではなくて、変に報告するようなことでもないな。と思っているからだ。
何よりも私が、好きな人と話した。だとか、目が合った。だとか、そういう話を他人にするのが苦手なのだ。それがたとえ友人であっても。
相談をしていた先輩にだって私からなかなか話すことができない。促されてようやく話すと言った感じなのだ。
……しかし今はそれどころではない。なんせあの、辻くんの意味深発言から早1週間だ。いつ切り捨てられてもいいように心を決めているのだが、準備期間が長いと心が疲弊する。
ふと、携帯が震えてメッセージの受診を告げる。
「どうしたの?」
「んー、先輩からの呼び出し」
「先輩って、犬飼先輩!?」
「声大きいから!」
昼休みも中頃を過ぎたあたりだ。教室内の人数はさほど多いものではないが、いらぬ視線の集中を受けてしまいドッと疲れが押し寄せる。
この友人、なぜか私と犬飼先輩の仲を邪推しているらしいのだ。そのたび「ただの後輩の1人だから」と説明しても、聞き入れてもらえる気配がない。どうせパシリだよ。と適当に返して席を立つ。その時、一瞬だけ辻くんと目があったけどすぐに逸らされてしまった。
「どうしたんですか? 急に呼び出して」
「進捗はどうだ?」
「もしかして、そのためだけに呼び出しました?」
教室でもなく、屋上でもなく、普段辻くんと話をしている人影の少ない渡り廊下に呼び出された私は、まさかそれだけのために呼び出されたのかと半眼になる。
それくらいならメッセージでもなんでもよかったのではないか。相変わらず先輩の思考回路はイマイチよくわからない。
「ええと……この間お話しした通りおそらく死刑宣告のための準備期間継続中です」
「やっぱりな」
「やっぱりなって……先輩酷いです。私結構ヒヤヒヤしてるんですけど……」
「悪い悪い」
そんなに心配かねえ。と笑う先輩は、私の肩越しに校舎を見ている。その顔が楽しげに歪んだものだから、何か面白いものでもあるのかと視線をそちらへと向ける。
……いや、正確には向けようとした。
七海。と、呼びかけられて、振り返りかけた私はすぐに先輩の方へと視線を戻す。
「はい。どうしました?」
「そんな不安ならさ、俺で良くない?」
「……なんの話です?」
「だからさ、俺と付き合わない?」
――一瞬の思考停止。しかし、先輩の言葉の意味をじわじわと理解した私は、驚きのあまり「はい?」と声をあげた。
この人は何を言っているのだろうか。あまりに冗談が過ぎるというか、いくら私でもそう、告白紛いのことをされれば勘違いだってしてしまう。だというのに、先輩はそれをいつも通りの声色でやってのけるのだ。
からかわれている。絶対に。
「じょ、冗談はやめてくださいよ」
「冗談じゃない」
「いや、だって先輩……」
私のこと、そういう風に見たことないでしょ。続けた私に先輩は困ったように眉を下げた。えっ? 見たことないでしょ? 私のこと、恋愛対象だなんて思ってないでしょ? なのになんでそんな顔をするのか。
だって……と続けようとした私の言葉を、先輩はやんわりと遮る。
「七海が気づいてなかっただけだろ。俺はずっとおまえのこと好きだったよ」
「え、うそ、だって」
先輩、私がずっと辻くんの話してるの聞いてたじゃないですか。相談乗ってくれたじゃないですか。協力してくれるって言ったじゃないですか。そんな冗談、笑えないですって。
信じられない言葉を否定する言葉ばかりが頭を巡る。こんなの冗談だとしか思えないのに、先輩はいつもの笑顔じゃなくてやたら真剣な顔をしていて、それが更に真実味を持たせる。どうせ本気にしたところで「冗談だよ」なんて返してくるのだろう。そうタカをくくってしまいたいのに、そうさせてくれないのはこの雰囲気だろうか。
口の中がカラカラで、喉なんて今にも張り付いてしまいそうだ。何か言うべきだ。しかし言葉が出てこない。そんな私の内情を察してるのか、先輩は「ん?」と言葉を促す。
「せんぱい……私が辻くんのことすきなの、知ってるじゃないですか」
「そうだね。でもそれ関係なくない?」
「関係ありますよ! だって、だってわたし、辻くんのことしか考えられない……」
「だってさ。言われちゃったねえ」
私じゃない誰かに向けた言葉。私越しに誰かを見ているような視線。振り返ればそこには見知った人が、見知らぬ表情を浮かべて立っていた。
辻くん!? と、思わず声を上げれば、彼はどこか所在無さげに視線を揺らす。立ち聞きするつもりはなかったんだけど……。と言う彼の声が右から左に流れていく。その言葉から、少なくとも私の最後の一言は聞かれていたということを知る。
一体いつから聞かれていたのだろうか。ただでさえ混乱の最中にいた私は、処理範囲を容易に超えたその事実にいっそ泣いてしまいたかった。
「犬飼先輩、どういうつもりですか」
「おお、怖。そんなに睨むなって。いいだろ別に。辻ちゃんには関係ないし」
「っ、それは……そう、ですけど」
「わざわざ走ってきたみたいだけど」
犬飼先輩の言葉でようやく辻くんの様子を確認する。先輩曰く走ってきたとのことだが、その気配が感じられないのは私だけなのだろうか。特に息の乱れも感じられず、そもそも走ってここにやってくるほどの理由も考えられない。
……いや、あえて考えないようにしていた。先輩の言葉、辻くんの態度。それらを鑑みれば、私にとって大変に都合のいい考えへと行き着いてしまう。余計な期待をしたくない。だから考えない。
これで勘違いをして恥をかくのは私なのだ。もう既に恥ずかしい言葉を聞かれてしまっているわけで、下手したら先輩から告白されているところを見られるという更に羞恥心を煽ることが起こっている。
「ま、俺フラれたみたいだし? 邪魔者は退散しますよ。でもな辻ちゃん。お前、どうしたいわけ?」
「俺は、」
「いや、俺に言うなよ」
呆れたように笑って、犬飼先輩は私を見る。そしていつもみたいに笑って私の頭に手を乗せる。すれ違いざまに聞こえてきた「まったく、お前らは手がかかるな」と言う言葉に振り返れば、先輩は後ろ手を振って校舎へと吸い込まれていった。