先輩がいなくなって、いつもの場所でいつも通り2人きりなのにそこにあるのはいつも通りとかけ離れた空気だ。重苦しい沈黙を破るほどの勇気が私にはない。冷静に考えれば考えるほど、あの発言を聞かれていたのが恥ずかしすぎる。
辻くんが好き。その言葉に偽りはないが、だからこそ迷惑なのではないかと不安になる。そもそも彼に近づいたのが下心ありきだったのだから言い訳のしようがない。
予鈴が聞こえてきても私たちは動けずにその場に立ち尽くしていた。
「相川さん」
「はっ、ハイ……」
「あの……さっきの事、なんだけど……」
「あああああのね、あれね、ほんと迷惑なのはわかってるんだけどね、そもそも言うつもりなくてね、いやそれも悪い意図があってじゃなくて迷惑なのがわかってるからであってね、ただ少しでも長く辻くんと話ができたらいいなあとか思ったりはしてなくてね、ごめん嘘なんだやっぱりちょっとだけそういう気持ちあってね、辻くんが女子苦手なの逆手に取ろうっていう意図はなくてね、ただ……」
「ちょ、ちょっと相川さん」
落ち着いて。と、落ち着き払った辻くんの声で、今自分が何事かを口にしたと気づいた。多分、いや、相当まずいことを口走った気がする。
冷静になれるとは思っていないが、このままでいていいはずがない。深呼吸を繰り返せば、少しだけマシになった気がする。絶対に気のせいだけど。
辻くんの目を見るのが怖くて視線は彼の胸のあたりを彷徨う。自分の目線よりも少し下、ほぼ変化のないそこを見ていれば、少しだけ気が紛れるような気がした。
「あのさ」
「はい」
「その、あの言葉、本当?」
ど、どれのことだろう。なんてとぼけることは残念ながらできない。今しがた口走った言葉も、先ほど先輩に返した言葉も、つまりは辻くんへの告白でしかないのだ。
口からこぼれ出た言葉を思い返せば恥ずかしくなるが、事実である。本当だ。だって、もうずっと私は辻くんのことが好きなのだ。声を出すのが困難で、私はただ首を縦に振ることしかできない。こんなところで嘘をついたところで仕方がないのだ。
辻くんは今どんな顔をしているのだろうか。迷惑そうだったら到底立ち直れる気がしない。嫌われたって仕方がないのだ。彼が苦手なものを克服するといいながら、その実は下心にまみれていたのだ。
仕方がないとはいえ、それをすんなりと受け入れられるほど私は気持ちに整理をつけきれていない。
「そっか」
ふう、と彼が息をつくのが聴こえる。心臓が痛い。胃が痛い。ギリギリと締め付けるような痛みが胃を襲い、運動をした直後なんか比でもないほどに心臓が早鐘を打つ。
ぎゅっと目を瞑って、自分がこの世界から消えてしまえればいいのにと願う。今、この瞬間に消えてしまえたらどんなにいいだろう。
「俺、相川さんに謝らなきゃいけないことがあるんだ」
「……つ、つまり……」
告白のお返事はごめんなさい。ということでいいのだろうか。震える声はその先を紡ぎ出してはくれなかった。全身から力が抜けていくような感覚。
わかってた。わかりきっていた。少しだけ、身の程知らずな期待をしてしまっただけなのだ。
「その……相川さんが『少しでも話ができたら』って言ってくれたけど、あれ、実は俺もそうで……」
降ってきた言葉が予想外で、処理をするのに数秒時間を要した。辻くんも、私と話がしたいと思っていたのだろうか。いいや待て、私。ここで過度な期待と勘違いをすれば、後で痛い目見るのは私だ。
ただ、予想していたものと違う言葉は私の目線を上げるのに十分だった。反射的に彼の顔を見れば、ほんのりと色づくどころか耳、首筋まで真っ赤に染めた辻くんがそこにはいた。
本当に待って。お願いします。そんな反応されたら勘違いに拍車をかける。辻くんがまるで私のことを好きみたいな風に受け取ってしまう。
「俺、実はずっと相川さんのこと見てて……」
気持ち悪いよね。ごめんね。と眉を下げる辻くんに、私はなんと返せばいいのかわからなくなる。勘違いではないのかもしれない。これは言葉通りに受け取ってもいいのかもしれない。
辻くんの言葉を気持ち悪いと言えるはずもない。私なんてもっと酷いことをしているのだ。どれだけ見てきたと思っている。
「相川さんのこと、好きなんだ」
好きの2文字が彼の声で鼓膜を揺らした時、まるで鈍器で頭を殴られたかのような衝撃を覚える。殺傷能力の高いその言葉は強制的に私の中に染み込んで全身の力を奪う。
へたり。その場に座り込んだ私に辻くんは慌てたように私を呼ぶ。相川さん!? という響きすら心地よくて、知れず涙が溢れ始める。
夢のような出来事だ。頬をつねればその真意がわかるのだろうけど、夢ならば覚めないでいてほしい。夢を夢だと認識しないままでいさせてほしい。
「わたっ、私っ……聞き間違え、してないよね?」
「……うん」
「ゆ、夢かな?」
「現実だって思いたいかな」
「私ね、辻くんのこと、すきなの……」
あの、初めて彼の声が私に向けられた時からずっと。ずっと好きだって言えるほど長くはないかも知れないけど、それでもやっぱり彼のことが好きなのだ。
***
それから私たちは付き合うことになったのだけど、教室での関係はまるで変わらない。そもそもそういうのは公言するものではないと思うししたとしても周りの女子の目が怖い。
変わったことといえば前よりも少しだけ距離が近くなって、一緒にいる時間が増えた程度だ。それでも十分に幸せなのだから恋人同士という肩書きは強い。
「まあ、よかったじゃん」
「はい。先輩のおかげです」
犬飼先輩も今まで通り話しかけてくる。やはりあれは私からあの言葉を引き出すための演技だったのではないか。いや、そうに違いない。
私のためにあそこまでしてくれる先輩はやっぱりすごく面倒見がいい。あれがなければ今頃辻くんとは付き合えていないのだ。
「でも、あんな嘘つかなくても……」
「ん?」
「えっ? あれ、嘘ですよね?」
「さあなあ」
意地悪く笑う先輩の顔は楽しげだ。揶揄われている。私の反応を楽しんでいる。悔しくてぐぬぬと声を上げれば先輩は愉快そうに声を上げて笑った。
余談ではあるがあの日私は泣いてしまったせいでそのまま教室に戻るわけにも行かず、ひとまず辻くんに保健室まで送ってもらった。辻くんは先に戻ったけれど、おかげで夢だったのではないかという思いが広がった。
……休み時間に友人が様子を見にきてくれて彼女にだけ事の顛末を話すことになり、彼女の肯定のおかげでこれが現実なのだと思えるようになったのだ。
「何してるんですか」
「あ、辻ちゃん」
いつもの場所には犬飼先輩もちょいちょい顔を出すようになった。私は別にいいんだけど、辻くんは先輩を見るたび少しだけ嫌そうな顔をする。
今日は先輩の方が先に来てて、2人で話してたら半眼で間に割って入って来た。
「嫉妬深い男は嫌われるよ」
「いや、辻くん嫌うとかないです」
「惚気かー」
あっはっは。と笑う犬飼先輩と、こちらを見て小さく微笑む辻くん。あ、やっぱこの人イケメンだ。
何はともあれ、今日も私たちの日常は変わることなく続いていくのだ。