神様がいたとしたらきっと俺のことは嫌いなのだろう。他の人間にバレないように気を配りながら、今日も彼女へ視線を送る。そう長い時間見ていたわけでもなければ、何度も何度も見返したわけでもない。なのに彼女は何事かを察したのか、俺の方を見た。
バチリ。なんて、目の合う音が聞こえるような気がするほどにしっかりと会ってしまった目を、慌てて逸らす。それこそ不自然なくらい勢いをつけて。
やってしまったな。と思った時には既に遅く、彼女が眉を下げて机に向かうのを俺は横目で見ていた。
「相川さん、さっきはごめん……」
「私、何かしたのかなって思ったんだよ」
「……いや、なんていうか……ごめん」
もはやその件に関しては謝罪を口にすることしか許されていないような気がした。あの、寒い冬の日から季節は流れ、俺たちは二年生へと進級した。あれ以来、度々教室の中と外で言葉を交わすまでに進展した仲は、進級後も変わらずであった。
……とはいえ、教室が変わり、2人で会う場所は別棟へと向かう渡り廊下へとすり替わった。そもそも別棟には音楽室などの特別教室しか存在せず、かつ三箇所ある中の一番クラスなどから遠い、人通りの少ない(すなわち大変に不便な)渡り廊下だ。
俺が廊下で壁に体重を預け、彼女が外側でしゃがんで壁にもたれかかる。最初は俺が外に行く予定だったのだが、彼女の猛反対もあってかこの、温度変化の小さい場所で時間を過ごすこととなった。
彼女曰く「辻くんは中。絶対に中しか認めない」とのことだ。まあ、自分の体格では隠れようにも収まりきらないのが分かっていたから、正直彼女の言葉はありがたいものだった。
こうして、彼女と他愛もない話をするのにもだいぶ慣れてきた。まだ対面での会話は難しいものの、何かしらの隔たりがあれば何の苦もなく会話ができる。問題はこの壁なのだが。
できることなら彼女の顔が見たいという欲はあるのに、どうしてもそれが難しい。ただ、彼女と2人で過ごすこの時間が心地の良いものであることが唯一の救いだ。願わくば、彼女も同じように思っていてくれると嬉しい。
「辻くんって……」
「あれー? 辻ちゃんじゃん」
「……犬飼先輩」
彼女の言葉を遮ったのは、チームメイトであり一つ年上の犬飼先輩だった。正直なところ空気を読んでご退場願いたかったのだが、なぜか壁越しに話していた相川さんが「犬飼先輩!?」と声を上げた。
かと思えば勢いよく立ち上がってこちらを見るものだから、驚いて数歩後退る。とても失礼なのはわかっているのだが、どうにも本能的にそういう対応しかできないみたいだ。ごめん、相川さん。
犬飼先輩は俺と相川さんを交互に見比べ、面白いものを見つけたと言わんばかりに顔を歪めた。嫌な予感だ。
「えっ? 何この状況。なーんか面白そうな気配がするなあ」
「面白くないです。それでは」
いうなり俺は踵を返す。このままではからかいの窓になることくらい容易に想像がつく。ただ、やけに親しげな2人の関係が気になった。
「なーなー辻ちゃん」
本部の作戦室に着くなり、新しいおもちゃでも見つけたかのような犬飼先輩に絡まれる。何を企んでいるのかわからないが、絶対に碌なことはない。こんなことならブースに篭って個人ランク戦でもやっておけばよかった。
そんな俺の思いを察しているのか、先輩は一層愉快げに顔を歪める。
「まさか辻ちゃんが女子と話してるとは」
「……ひゃみさんとも話してますよ」
「そーじゃねえだろ。ひゃみちゃんはまた別っていうか……なあ?」
知りませんよ。そう切り捨てれば先輩はつまんないと言わんばかりに口を尖らせる。一刻も早くこの質問責めから抜け出さねば、いつかボロが出てしまう。
そう慣れば分かりやすいほどに楽しそうに、この人はいじってくるに違いないのだ。
「そもそも先輩、相川さんと知り合いだったんですね」
「お、気になる?」
「深い意味はないです」
ふーん? と、曰くにこやかな、こちらからすればただのニヤニヤとした意地の悪い笑みでこちらを見る。「俺と七海のこと、気になるか?」なんて言われて、はい。気になりますなど口が裂けても言えないだろう。
そういうんじゃないですから。何1人で妄想して楽しんでるんですか。なんて、バッサリと切り捨てる風を装って、俺はこの話を終わらせるべく言葉を続ける。
「クラスメイトと話すのは何らおかしくないと思いますが」
「普通のやつならな。あ、おーい! ひゃみちゃん!」
ちょうど作戦室へとやってきたひゃみさんに犬飼先輩が絡む。それ、迷惑なんじゃ……なんて思ってる俺をよそに、先輩はさも大ニュースだと言わんばかりにひゃみさんにペラペラと余計なことを吹き込む。
ひゃみさんもひゃみさんで、話を聞いた途端目を輝かせてこちらを見るものだから、その勢いに圧倒されてたじろいでしまうのも無理はない。と思いたい。
辻くんが女子と? なんて嬉しそうにうんうんと話を聞いていた彼女は、まるでとてもめでたいことがあったかのように「お赤飯炊かなきゃ」なんて言い始める。
今更ながらこの隊、おかしいのではないだろうか。
「……そんなにおかしいですか?」
「おかしくはないけど、辻くんが女子と話してるなんてレアじゃない。で、誰?」
「辻ちゃんと同じクラスの相川七海だよ」
「相川さん……ああ!」
俺の記憶が正しければ高校で同じクラスになったことはないはずだ。相川さんは基本目立つのを嫌がっているきらいがあることは一年の頃から見ててわかっているから、彼女が変に目立って名前を知られているという線も薄いだろう。
友人同士という雰囲気もない。ただ、女子の横のつながりはイマイチよくわからないから、もしかしたら共通の友人がいるのかもしれない。
「おー。ひゃみちゃん七海のこと知ってるんだ?」
「はい。共通の友人がいるんです。というか犬飼先輩やけに親しげですね?」
「同中だしな。それにまあ、いろいろあったんだよ」
やけに意味深な口ぶりでこちらを見ながらそういう先輩に無性に腹が立った。何でなのかはわからないが、どうにも苛立ちが募る。
それが何であるのかはわからない。ただ、そんな面白くなさそうな俺の顔を見て犬飼先輩が一層愉快げに笑ったのが更に癇に障った。
この人にだけは詳細を聞きたくない。だがしかし気になる。ならば、いずれ彼女に問いかけるのも手だろう。だから今無理して先輩から聞き出す必要はない。ないのだが、やはり面白くはない。
「そんなむくれるなって」
「むくれてませんよ。目が悪くなったんじゃないですか?」
「あっはっは。辻ちゃんは面白いなあ。やっぱ俺と七海のこと、気になるんじゃん」
「……何でそうなるんですか」
半眼で睨みあげれば先輩は俺の肩に手を置いて「まあ、頑張れや」とニヤニヤ笑う。そんな俺たちの様子を見て、ひゃみさんは微笑ましげな視線を向けている。
その何もかもが面白くなくて、俺はため息をついてやんわりと先輩の手を退けた。
「何をですか」
あくまでも自分は知らぬ存ぜぬを貫き通す。彼女への感情も押し殺す。なんといっても、これは彼女にとって邪魔になるのではないかと思ってしまったから。
この感情は、まだ名前をつけないままがいい。つけてしまったら、多分もう、いっそうのことダメになってしまうから。