消えるものは、いらない

 一年生の秋学期、きっと私がオクタヴィネルの三人に怯えたままで、協力なんて一切しないなんてことなら、この男と魔法解析学を一緒に受けたりすることはなかっただろうし、三年生になった今も隣にいることはなかっただろう。だって、学内で有名な問題児の一人だよ。

「なーに見てんの」
「ピアス」

 微妙に腹が立つことに、彼といえばのトレードマークだったハート柄は顔から消えて、軽いアイメイクだけになった、そんな男が当たり前のように私の隣に座って、プライバシーを知らないくらいに、軽く液晶が割れたスマホを覗き込んでくる。こんなに距離近かったっけ? お互いに、仲が良かった友達とことごとく離れて、同じクラスになってしまったのがわかった瞬間から、彼は私と行動することを決めたらしい。

「あれ、開けてたっけ」
「いや、開けようか迷ってる。……香水変えた?」
「あー、変えた。なんでわかったの?」
「前はもっと安っぽい匂いだったから」
「うわ、なんかはず」

 次から次に出てくるピアスをスクロールしながら、画面だけを目で追って、お互いは目を合わせることなく淡々と会話を続ける。なんだかんだ、頭を使いたくないときはこの熱量が一番楽だ。安っぽい匂いっていうのは、まあ、プチプラだろうなっていう香水のこと。言い方が悪かったかもしれない。今は、雄っぽさの中に甘さが共存していて、女ウケ全振りって感じの香り。一年生のときからクルーウェル先生やヴィルさん、レオナさんの高そうな香りを嗅いでいた私にとっては、高いか高くないかくらいはわかる。私も、最近になって結構良いお値段のものをつけるようになったし。

「で、なんでピアス?」
「んー……イヤリング、痛いし外れるし、かわいいのって大体ピアスじゃない?」
「まあ確かに」
「だから開けようか――って、あれ」

 かわいいイヤリングを検索していたらピアスにもヒットすることは多いし、もちろんイヤリングもかわいいけれど、やはりバリエーションが多いのはピアスの方だ。揺れるやつも、フープのやつも、シンプルだけどかわいいし。軟骨ピアスとか、今は痛くて開けたくないけど、かわいいのはかわいいし。
 でも開けるにも勇気が出ないから、クルーウェル先生あたりに頼もうかと、スマホの画面を暗くしてから初めてトラッポラの方を見ると、彼の耳元がきらりと光った。

「……開けてたっけ?」
「今更かよ。バケーション中になんか……ノリで? 兄貴に開けてもらったんだよね」
「チャラッポラ」
「兄貴の方がチャラッポラだわ」

 進級してからまだ数回しか彼とは会っていないけれど、そうまじまじと見ることもなかったから、ピアスを開けていることに気がついたのはたった今だ。揺れるタイプでもフープのタイプでもなくて、シンプルなボールのものだけれど、光沢はありつつもシルバーではなくて、どちらかといえばネイビー寄り。髪色が明るいから、よく目立つと思う。それにしても、寒色をチョイスするとは。

「かっこよくて見惚れた?」
「うん、かわいい」
「そりゃどーも。で、開けるの?」

 黒い手袋に包まれた指先で、耳朶をさわさわしながら、チェリーレッドを光らせて横目でこちらを見るトラッポラに、うーん、と声を出してから、ペンケースを開けた。ピアスを開けた方がおしゃれの幅は広がるし、落ちる心配とかもあまりしなくて良さそうでいいけれど、何せ開けるのが少し怖い。自分で、なんて到底無理だし、ピアスを開けているカリムさんやジェイド先輩、フロイド先輩はほぼ初日から学外。手際が良さそうなジャミルさんやラギーさんも然りだ。

「怖いんだよね。……やっぱ開けてもらうならクルーウェル先生かな」
「ちょいちょいちょい」
「なに?」
「『なに?』じゃねーわ!」

 クルーウェル先生は未だに私のネイルのお世話もしてくれるし、服装についてもだし、きっとピアッサーを持って行って頼めばすぐに開けてくれるだろうと目論んだ私は、自然とあのふわふわの先生の名前を洩らしてしまっていたのだけれど、トラッポラからストップがかかった。まるで盛大なフリみたいに。朝からうるさいなあ、とじーっとトラッポラの方を見ると、口端をぴくぴく引きつらせながら人差し指を立てては自身の顔に向けた。

「適任、いるくね?」
「どこ?」
「こ・こ!」

 一瞬よぎったけれども。全力で声を張ってそう言うものだけれど、ほんと、今がまだ生徒の数がまばらで良かった。また「エースとナマエうるせぇ〜」と私まで巻き込まれるところだったから。まだ口端を上げながら、わくわくと呆れと怒りを込めたみたいな表情でこちらを見てくるものだから、また「うーん」と唸ってから、一度目を逸らして視線を宙に舞わせると、熟れたさくらんぼの彼をもう一度見た。

「開けてって言ったら?」
「全然やるけど」
「あは、食い気味」

 今度は色々な感情が入り交じった方じゃなくて、口元を堪えきれなかったように緩めながらそう言うものだから、つい私だって堪えきれなくて笑みが洩れる。まあ、そうだね。トラッポラも要領は良いし、セベクやスペードに比べたら適任この上ないと思う。これはスペードが仮にピアスを開けるようなやんちゃくんだったとしても、だ。

「じゃあお願いしよっかな。開けたそうだし」
「開けたそうってなんだよ。いつにする? 今日の放課後は?」
「あー、後半にラウンジ」
「アズール先輩いないのにちゃんとやってんだね」
「今の寮長が頑張って仕切ってくれてるよ」

 私はマジカメのアカウント運営と、日々の売上の報告を任されている。アズール先輩たちはまだ在学中だし、卒業とともにモストロ・ラウンジも持っていくそうだけれど、それまではせめても、と頑張って運営している。赤字になることはなく、もちろん前より商品開発に関しては劣るところがあるけれど、私だっているし、アズール先輩が今まで積み重ねてきてくれたおかげで日々盛況だ。しかし、あの三人とラギーさんがいなくなったのは大きいなあ。

「頑張ってんね。今度オレも行く」
「ありがと。めっちゃ高いの食べさせる」
「ぜってー頼まねえ」
「口に入れたらもう払わなきゃだからね」
「……やな予感するわ」

 トラッポラが私になんだかんだ弱いのは、まあ気づいてる。どうにかすればお金を搾り取れるだろう、なんて、その方法は山ほど浮かんでくるけれど、私だって慈悲の心は持ち合わせているので、流石に他人を慮らないようなことはしない。ふふん、と笑っていると、トラッポラは溜息を小さくついてから、眉を下げて笑った。

「で? じゃあ今日の前半は空いてるってこと?」
「うん。部活もないよ」
「ふぅん。じゃあ今日開けたげよっか? ピアッサー余ってるし」

 それはちょっと、揺れる。開けたい気持ちと、そんなにすぐ? っていう気持ち。実感が湧かないけれど、本当に開けるとなれば、怖いし、痛かったらどうしようって。失敗して変な神経やっちゃって失明、みたいなニュースも見たことあるし。また目をあからさまに下に逸らしてから、恐る恐る彼の方を横目でちら、と見遣ると、机に伏せながら顔だけを上げてこちらをじっと見ていたトラッポラが目を細めた。

「大丈夫。思ったより痛くないし、多分怖くもない」
「失明は?」
「ははっ、普通にやったらしないって。なに、もしかして案外心配性?」
「……そう、かな」

 思っている以上に、私は人間臭いんだと思う。心配性だし、他力本願だし、性格が良くないことも自覚してる。まあ、そういう自分は嫌いじゃないけど。また逸らして、しばらくして戻した視線はしっかりとチェリーレッドに絡みついて、彼は私と違ってずっと私だけを見ていたようで、どこか照れくさい。すると、スっと私の手の甲を撫でられて、肩が小さく跳ねると、また泳いでいた目が合った。

「嫌ならやめる? そもそも強制じゃねーしさ。……どう?」
「……嫌、ではない」

 ちょっと怖いだけ。でも、このまま止まっててもいつまでも開けられないし、どうせなら開けたいし、将来開けるなら早い方がいいじゃん。怖さなんて忘れて、そうやって割り切って、トラッポラに微笑み返すと、私を撫でていた手を退かしては前にぐーっと伸びをした。

「ん。おっけ。じゃあ放課後オレの部屋でいい?」
「え? 駄目」
「なんでだよ! 消毒とか全部オレの部屋なんだけど」

 私が“オレの部屋”にノーを出したのは、いつの日かにフロイド先輩に強く言われた、『部屋で男と密室はダメ!』を頑なに守っているからだ。あれから一度も、男の子と密室にいることはなかった。ムッとした様子でこちらを見るトラッポラに、特に謝る声色でもなく、守っている約束事を連ねた。

「ごめんね。フロイド先輩に、男と密室は駄目って言われてて」
「……あー。そっか。それはまあ、確かに」
「うん、ごめん」
「……オレはさ、ナマエちゃんにそーいうことしそうに見える?」
「まあ」
「うわ」

 トラッポラ的には、『見えない』という答えが欲しかったのだろうけれど、今なんて特にチャラさに拍車がかかって、易々と女の子に手を出すように見えなくはない。前のゴーストの花嫁さん騒動のとき、女の子はもうこりごり〜みたいに言っていたけれど、就職したら結構遊ぶタイプだと思うんだよねえ。今は男子校だからってだけで。しかし、トラッポラが言うのは多分、二年ほど前にサバナクロー寮生に拉致されたときの、あれを思い起こすんじゃないか、というのもあるかと思う。その点は心配ないよ、と謝罪ついでに微笑みかければ、ほっと胸を撫で下ろした。

「あー、でもトラッポラにそういうことされる想像がつかない」
「それはそれで危険じゃね?」
「なんとなく撃退できそう」
「……それ、他の男の前だったらマジで危ないから気をつけろよ」
「ん」

 フロイド先輩に言われて、学外研修に行く直前に「前みたいにマジカルペンを盗られちゃダメだから!」とキツく言われて、バッグの中や服の下、あらゆるところに魔法石を潜ませていたりするから、大抵はユニーク魔法で一発だし、一年生に比べてすべての基礎能力が上がったけれど、万が一、があるからなあ。しっかりそのあたりは、気を引き締めていきたい。

「んじゃ、今日どうするわけ?」
「いいよ、トラッポラの部屋で。何もしないでしょ」
「どうだろうね」
「そのときは叫ぶし魔法使うしクルーウェル先生に何か薬品貰って――」
「あー!! なんもしないって!」

 私が撃退方法をつらつら並べると、冗談めいた発言で呑気に笑っていたトラッポラが慌て出した。実際、もし何かあればそのとき考えるけれど、脅しって大事だしなあ。ついでにリドル先輩のマジカメアカウントをスマホに表示させて、にこっと笑いかければ、トラッポラの喉元がひゅっと音を鳴らした気がした。実際、何もしないと思うし、何よりフロイド先輩たちだっているからなあ。

 ◈◈◈

 ハーツラビュル寮の入り組んだ慣れない迷路を、トラッポラに合わせて歩いていく。それにしたって。

「背伸びた?」
「ちょっとずつって感じ。ナマエちゃんはもう止まったでしょ」
「そりゃもう十八になりますから。なんかトラッポラ、遠くなってる気がして」
「あ、確かにちょっと目線違うわ」

 男の子の成長期は長い。ミドルスクールのとき小さかった子も、久しぶりに会ったら私なんかより随分高くなっていたり、何より怖いのがセベクだった。一年のときから稀に見る大きさだったのに、今や二メートルも夢じゃない。四捨五入したら二メートルくらいありそうなものだった。かくいうトラッポラも、一年のときは「平均だし〜」と言っていたのに、平均以上くらいにはなっていると思う。男女の差は歴然だ。

「でも寮長服着たら、オレもっと高くなるよ」
「ヒールで?」
「そう」
「あは、似合わなそう」
「うるせ」

 トラッポラのあの服、想像できそうで想像できない。白い薔薇や赤い薔薇の咲いた庭を横切っては、いつも通りのスニーカーで芝生の地面を踏みしめる。リドル先輩が小さくて美少年だったのもあり、トラッポラ系の人間があれを着るなんて、ねえ。けれど、目元に赤いアイシャドウ、というあのメイクは似合わなくはないだろう。といっても、ハートのスートがあったときの方が、見慣れてはいる。

「法律、どう?」
「んー、まあ緩めにやってる。リドル先輩も初っ端キツかったけど、後半は首は飛ばさなかったし。基本守るけど別にめちゃくちゃ咎めはしない、くらい?」
「へ〜、もっと破りまくりかと思った」

 リドル先輩のときのルールが厳しいっていうのは当時からよく耳に入ってきていたから、トラッポラが寮長になって天下とでもいうように好き放題しているのかと思えば、そうでもないらしい。まだ日が照っている外から室内に入ると、温度が少し下がったような気がする。

「寮長……リドル先輩がオレに託してくれたのって、好き放題しろってことではないと思うんだよね。あとアレに慣れたってのもあるし、リドル先輩のときになんだかんだ色々教えてもらったし?」
「へえ。……いい子だね」
「でしょ」

 トラッポラも、結構よくやってるらしい。馬術部に入ってきたハーツラビュルの新入生たちも、怯えてはいないけれど、法律がダルいだのなんだのはよく言っていた気がするし、それにどうやら、「首が飛ぶのはオレの方なんで、退学者とかも出さないように気をつけてる」らしい。そう考えると、どの寮よりも大変そうだ。

「ここ上がったらオレの部屋ね」
「はーい」
「一人部屋だからマジ広々使ってるわ」
「私も一人部屋だよ、入学してからずっと……」
「うーわめっちゃいいじゃん」
「私はそっちの方が羨ましかった」

 赤いカーペットの敷かれた階段を一段ずつ上がって、すれ違うハーツラビュル寮生に珍しそうな目で見られながら、溺れることのない廊下を歩く。ハーツラビュル寮、数えるほどしか来たことないけれど、過ごしやすさは上位だろうか。前に来たときに漂ってきた、甘い香りがないのは、きっとトレイさんがいないから。
 間もなく、『エース』のネームプレートがかけられた部屋に到着すると、確かに、隣にある部屋よりはドアの装飾から綺麗な気がした。前は、リドル先輩が使っていたのだと思う。他の寮生たちは、こうして寮長が就任する度に部屋の移動があって大変だ。

「入って。紅茶淹れた方がいい?」
「ううん。すぐ終わるでしょ」
「りょーかい。ソファあるでしょ、座ってて」

 うちのとは違う、天蓋ベッドは夢のようだと思った。着せ替えは自由だけれど、オクタヴィネルで天蓋ベッドを使っている人はいないと思うから。お姫様みたい。背の低いソファに腰かけると、ふわふわのクッションに腰が沈む。落ち着くはずもなく、きょろきょろしていると、バスケットボールやゴール。今や部長にもなっているくらいだし、思いのほかバスケが好きみたいだ。それから、アロマか、柔軟剤か、少し甘めの、けれど清涼感のある香りが漂った。

「ナマエちゃんって男の部屋入るの初めて?」
「なんか聞き方やらしい。初めてだけど」
「……ふーん」

 壁際に立てかけられたチェストで、私に背を向けながらせっせと何かの用意をしてくれている。ちら、と手元が見えると、コットンやら消毒液やらだったので、本当に開けてくれるんだ、とわくわくと緊張が入り交じった。
 すると、そのときは案外あっさりと来るもので、ピアッサーを二つ手に持ったトラッポラがこちらに近づいてきていた。

「緊張する?」
「うん」
「大丈夫だって。多分さ、『痛い』より『これだけ?』って感じになると思うわ」

 私が遠慮なくソファのど真ん中にどんと座っていると、ちょっと詰めて、と言ってから、私の左に座った。さっきまで高さの違った目線が合ったから、トラッポラの脚の方が長いことに腹を立てる。それからちょいちょい、とジェスチャーで耳元をくるくるしたから、その意図を汲み取っては髪を耳にかけた。すると、トラッポラの、人肌の温かさを感じる方の指先が、耳朶にそっと触れた。

「どのへんがいい?」
「わかんない」
「そ。じゃあオレと同じとこにするけど」
「うん」

 どこがいいとか、わからないし。他人にいい感じのところに開けてもらうのが一番でしょ、なんて思って、トラッポラに任せるように頷くと、「おっけ」と小さく言っては、外気とは違うひんやりとした感触が耳元に当たる。耳朶を数回、ちょん、ちょん、とされると、消毒だということに気がついて、次の瞬間それはなくなった。ああ、いよいよか、と目をぎゅっと瞑ると、息まじりの笑い声が聞こえた。それに対して、咄嗟に目を開ける。

「いや、マジ……ビビりすぎ。どうする? オレのこと掴んどく?」
「うるさいな。……掴んどく」
「はいはい」

 小馬鹿にしてくるようなトラッポラを睨みながらも、そりゃ、体の一部に穴が開くんだから怖くもなるでしょ、と考える。それから、トラッポラに言われた通り、彼のジャケットの裾をきゅっと握ると、一瞬驚いたような顔を見せたから、私の素直さに驚いたのだと思う。皺にならないくらいに握って、目を軽く瞑って待っていると、革のような、けれどざらついた質感が耳の縁を這ったと思えば、大きな音が耳元で鳴って、思わず強く目を瞑った。なんというか、バチン!! って感じの音。

「はい、左開いた」
「えっ」
「ははっ。ね、思ったより、でしょ?」
「うん。……うん?」

 確かに痛みはあった。あったけど、一瞬だし、擦りむいたときの方が余程痛い。鈍痛、に近い? わかんないけど、本当に開いたのか疑わしくて、トラッポラがついさっきまで触れていた耳朶を、私も左手でそっと触れると、無機質な冷たさが指先にあった。それを確かめるように、その金属の周りをくるくるなぞって、本当に、開いてる。

「……血、出てない?」
「多分大丈夫。右も開けるからちょっと詰めて」
「ありがと」
「いーえ」

 今度は左に詰めて、さっきまでトラッポラが座っていたから、まだそこには温もりがあった。言われる前に髪を耳にかけると、また冷たいものが当たって、もう、怖くないかも。目を開けたままで様子を窺うと、トラッポラと目が合って、熟した果実が光っては、また細められた。

「ちょっとこっち向いて……そう」
「あ、やっぱりまだ掴んでていい?」
「……ん。ていうかさ、ナマエちゃん」

 ピアッサーの位置を揃えながら、初めて会ったときよりどこか落ち着きを感じさせる低い声が耳元で心地よく響く。なんか、柄じゃないのに。トラッポラの声とか手が、心地良いなんて。なに、という意味を込めてトラッポラの目を見れば、その目はこちらを見ることなく、あくまで位置を合わせることに集中しているそうだった。それから、あまりにも淡々と、当たり前だけれど次の言葉が紡がれる。

「彼氏、作んねーの」

 えっ。私がそう言うと同時に、また大きな音が耳元で鳴って、また思わず目をぎゅっと閉じた。右耳も、あっさり開いてしまったらしくて、トラッポラが確かめるように私の耳朶をふにふにしながら、ピアスがついているのを見た。

「はいできた。鏡見る?」
「えっと、お願い」

 ついさっきの話題なんて打ち消すように、けろっとした態度で手鏡を差し出してくるものだから、私もついけろっとそれを受け取っては両耳を確認すると、光沢のある、見覚えのあるネイビーが耳元についていて、触れてみればしっかりと耳の裏まで貫通しているようだった。

「……開いてる」
「はは、そーね。最初のうちは回しといて。あとそれ、ファーストピアスだからちょい太め。まあ三ヶ月くらいはつけて安定させろってさ」
「なかなか好きなのつけれないね」
「まあそれは仕方ないね。優しいから、抜けがけせずにオレもナマエちゃんと同じタイミングで外すわ」
「ふふ、ありがと」

 見たことあると思えば、トラッポラの耳についているのと同じだ。そっか、バケーション中に開けたから、まだトラッポラも開けたてほやほやなのか。耳元で鈍く光るそれが、シンプルなのにやたらとかわいく見えて、おお、と感嘆の声を洩らしながら、耳朶を触っては鏡で確認する。……あれ、これ今気づいたけど。

「お揃い」
「……待って言わないで。うわやだ、匂わせみたい」
「いいじゃん、匂わせたら」
「……はぁ?」

 いやいや、おかしいんじゃないの。なに匂わせって。まるで付き合ってる男女みたいに。はぁ? という言葉通り、口を小さく開けては眉をひそめて、彼の方をじーっと見ていると、どこか真剣な顔をしていたトラッポラは、にや、という笑顔を映した。ああ、こういうやつだったわ、トラッポラ。冗談だって気づけなかった私が未熟だった。

「なに、本気にした?」
「うるさいし腹立つ。てか、さっきの質問。あれ何?」

 トラッポラごときに本気で捉えてしまうなんて、どこかおかしいのかもしれない。きっと、そうだ。新しい環境に置かれて、疲れているんだと思う。はぁ、と目頭を押さえては溜息をついてから、ピアスを開ける直前のあの言葉を頭の中で反芻させる。彼氏作らないの? か。いきなり嫌なこと聞くなあ、と思って、トラッポラを見ると、彼はへらりと笑ってから、ソファにもたれた。

「だってさ、男子校唯一の女子で……言うなれば必然的にモテるじゃん」
「まあ。……でも不思議と告白されたことないの、知ってるでしょ」
「ナマエちゃん好きなやつはいっぱいいるけどね。……まあ、ナマエちゃん周りのガードが硬いのがあるか」
「トラッポラもその一人だけど」
「そう?」

 告白されたら考えるし、普通に歳頃だしで付き合ったりもするかもしれない。しかし何せ、トラッポラの言う通り、去年度まではフロイド先輩やらがいて、彼らが学外に出ても、なんだかんだトラッポラとかセベクとかが周りにいるせいで、声をかけづらい感が出ている気がする。普通に話せるのは話せるし、トラッポラの言う通り、「この人私のこと好きだな〜」なんて思っても、告白まではしてこないし。

「……告白されたら、付き合うと思うよ」
「……そいつのこと好きじゃなくても?」
「両想いってハードル高いじゃん。嫌悪感とかないなら、付き合うと思うけど」
「……ふーん」

 両想いなんて、奇跡中の奇跡だ。大体は、恋愛に本気で興味がなかったり、その相手のことが嫌いじゃないなら付き合うものだと思うけれど。まあ、ナイトレイブンカレッジに入ってから一度も交際していない私の価値観が、もしかしたらおかしいのかもしれない。自分から聞いたのに興味なさそうに、というより面白くなさそうに相槌を打ったトラッポラは、視線を下に落として指先を擦り合わせていたかと思いきや、私の耳元と私の顔に視線を往復させて、表情を一変させた。つまらなそうから、楽しそうに。

「なに」
「いや? ピアス開いて良かったねーって思って」
「絶対嘘。でもありがと、もう帰るね」
「どういたしまして。鏡まで送るわ」

 絶対に、そんな笑顔ではなかった。もう少し黒い部分があったような気がするし、もちろんそれくらいは見抜けないわけがないけれど、深くは詮索せずに、ピアスが開いた喜びだけを感じておこう。どうせなら今日は皆に見せびらかそう、と髪は耳にかけたままで、何度か耳朶に触れて、ピアスがついているのを確認すると、ソファから立ち上がる。ふふ、と笑って、まだ座ったままのトラッポラの方を向くと、それから、一秒未満。トラッポラの骨ばった私より大きな手が、私の手の甲に被せるようにパッと掴んで、今度は数秒間だった。

「……え、なに」
「……あ。いや、ごめん。マジで、ごめん。なんでもない」
「……そっか」

 私の手より、冷たかった。偶然か、離す直前にぎゅ、と強く握られた気がする。離れた私の手が宙を彷徨うと、トラッポラは黒い方の手で頭を掻いた。本当に、なんだったんだろう。少しだけど、心臓が、喉元かがドクンと鳴った気がする。すると彼はバツが悪そうに私から目を逸らして、ゆっくりソファから立ち上がると、小さく溜息をついてから困ったように笑った。

「……やっぱやることあったからさ、見送るのここでいい?」
「寮長仕事?」
「そんな感じ。ごめん」
「いいよ、頑張って」
「そっちもね。迷子にならないように帰れよ」

 寮長だし、なんだろう。次のお茶会の準備とかかな。まだ週始めだけれど、ハーツラビュル寮長はやっぱり大変そうだね、と笑えば、愛想笑いを返してくれた。トラッポラがドアを開けると、やっぱり女ウケがすごそうな香水の匂い。私だって、どちらかといえばもちろん好きな匂いだし。ハーツラビュル寮、迷子になるよねえ。なんとか頑張る、と言いながら、ドアの枠に手を添えるトラッポラに手を振ると、にこにこ笑いながら振り返してくれた。そこからは、背を向けずに階段を一段ずつ着実に下りる。
 それにしたって、今日は、私もトラッポラも、少し変だったような気がする。まあ、お互いに新しい環境下でこうなっているのだろう。けれど、耳元に残る感触が私の気分を上げてくれるから、細かいことは考えない! という方針で、軽やかなステップを踏んでいった。
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