SSまとめ


■ワードパレット
🐊さん(23.ビリキナータ(頬、隙間、落ちる))
街道の、ひとつ中に入った薄暗い道を歩いていると考え事をしていたせいか、目の前にある段差をすこんと一段踏み外した。「う、わわっ」重力のままにごろごろと数段転がり落ちて、何とか受身を取りはしたものの全身に感じる鈍痛と違和感。しっかり頭は守ったが足は挫いてしまったらしい。骨が折れていることはなさそうだが、すぐにでも腫れそうではある。転がり落ちた先の地面に座り込み冷静に自分の身体の不備を確認していると、不意に頭上に影が落ちた。
「おいおい、大丈夫か?嬢ちゃん」
声のした方へと顔を上げると、心配そうな表情を貼り付けたにやけ顔の男がこちらを見下ろしている。しかしその瞳の奥に何かを期待するような色を感じて、思わず眉間に皺が寄ってしまった。
「どうも、平気です」
純粋な善意からとは思えない差し出された彼の手を取らず、ずきりと痛む足首に気が付かない振りをしてその場に立ち上がると、素っ気ない返答に気を悪くしたのか目の前の男はあからさまに顔を顰めた。
「心配してやってるのにその態度か?」
それは心配してくれる人の台詞では無い。飛び出しかけた言葉をごくりと呑み込んで、「すみません、ありがとうございました」と淡々と述べ申し訳程度に会釈をすれば一歩踏み出そうとした、その時だった。
「おい待てよ、」
掴まれた腕にぶわりと全身へ広がる不快感。反射的に飛び出しかけた罵詈雑言を歯を食い縛ることによって抑えつければ、身体のうちに駆け巡った怒りのまま振り向きざまに右ストレートをお見舞いしてやると拳を振りあげる、つもりだったのだが。目の前の男は何をするでもなく情けない悲鳴と共にサラサラと砂に溶けて消えていってしまった。わたしがやったわけではない。そもそもこんな人間離れした芸当なんて出来はしない。だが、こんなことができてしまう人間をわたしは知っていた。
「サー、きてくれたんですか」
「お前のためじゃねェ」
唸るような低音で吐き出された言葉に、思わず笑みが零れる。高級そうな、否、実際凡人では一生手の届かないほど質の良いロングコートを身に付けた如何にも外出用である出で立ちの彼の言葉に決して間違いは無いのだろう。本日の予定としてこの近くのレストランで会食があったはずだ。それでも偶然だといえわたしの姿に気が付き、気紛れかもしれないとはいえ助けてくれたという事実に胸が温まる。
「ありがとうございます」
否定された矢先の感謝の言葉に、目の前の彼は不愉快そうに眉を顰めたが不意に視線が下がり、爬虫類を思わせる瞳が足元へと向けられる。これはもしかすると、足の怪我がバレているのだろうか?反射的に、挫いてしまった右足首を隠すように後ろに退けば更に深まる眉間の皺。彼が踏み出した大きな一歩はわたしと彼の距離を詰めるには十分で、手を伸ばせばすぐにでも触れてしまう距離で立ち止まったかと思えば、指輪がたくさん嵌められた大きなてのひらを伸ばした。
「…サー?」
「………」
何も応えない。さらりと頬をひと撫でされたかと思えば、吐き出される溜息。そして次の瞬間には宙に浮く感覚を味わっていた。
「ぎゃ!」
腹部が圧迫されたことにより蛙が潰れたようなお世辞にも可愛いとは言えない悲鳴に慌てて口を両手で覆う。ぷらぷらと足が揺れる感覚に、ようやくその大きな体躯の小脇に抱えられていることを理解した。
「わ、わたし歩けます!」
「黙ってろ」
悲鳴混じりに上擦った言葉は、彼からの突き放す言葉と盛大な舌打ちを投げつけられそれ以上続けることはできなかった。足を挫いたといっても大した怪我ではない。ゆっくり歩けば言葉の通り自分ひとりで帰れるし、彼の手を煩わせる方がことは重大な気がする。それに何よりこの怪我は自分自身の不注意で起こしたものだ。情けないやら何やらでぎゅっと唇を噛み締めておとなしく彼の動くがままに揺られていると、頭上から独り言のように呟かれた言葉が落ちた。
「あんまり手間を掛けさせるんじゃねェよ」
言葉こそ煩わしそうではあるが、紡がれる声音に混ざった優しさに時間が止まったかのような錯覚を覚えた。それを指摘すればきっと更に不機嫌になるだろうから口には出さないけれど、彼から注がれる分かりにくい不器用な愛情に緩む口元を隠した。