SSまとめ
■ 最悪は一日にしてならず
「参ったな、」漏れ出た言葉の通り、猛烈に困っていた。手の中にあるのは白い封筒と便箋で、小さな文字でびっしりと綴られた愛の言葉は好意を超えて狂気すら感じてしまう。平常ならば趣味が悪い、と一蹴して燃やしてしまうのだが、かれこれ10日間も続くとなると少しばかり疲弊してしまうのは当然の反応だろう。
自分には以前から付き合っている恋人がいるし、恐らくこの船内においてそれを知らない者はいない。いつの間にか自室に置かれていることを考えれば外部の人間の犯行は難しい、となれば過剰に執着されているか、余程わたしを憎んでいるかのどちらかだ。
「参ったなあ、」
「何がだ?」
次は溜息混じりに吐き出された言葉に応えたのは、正真正銘わたしの恋人であるエースだった。気付かれないように手紙を上着の裾に隠し入れると、「別に、」と一言返す。
彼にこのことを告げてはいなかった。余計な心配を掛けたくないという気持ちは勿論あったが、それよりも、この事実を知った彼を止められる自信が無かったからだ。それだけわたしは彼に愛されている自負があるし、こういう事態において彼が直情的なことも理解していた。
「別にっていう態度じゃねェけどな」
「気のせいだよ。それよりマルコに呼ばれてたんじゃなかったの?」
「さっき終わった」
すり、と甘えるようにわたしの頭に頬を寄せた彼の行動はまるで飼い主に甘える猫のようだ。実際、そんな可愛らしいものではないと身をもって理解はしているが。
「エース、」
「ん」
ここは船内の廊下で、しかも時間も真昼間だ。咎めるように名前を呼べば短い返事と共に伺うように顔を覗き込まれる。獰猛な獣を飼うその瞳がギラリと光ったのを見て、カンカンと頭の中に警笛が鳴り響く。普段は軽快に笑顔を作る表情が怖いほどに静かで、だけどその瞳が彼から目を逸らすことを許さない。この流れはまずい、もう一度否定の意を込め名前を呼ぼうと口を開いたその瞬間、まるで分かっていたとでもいうように口内に荒々しく舌が捩じ込まれた。
「んッ、ふ…えー、す…ッ!」
息もできない溺れるような自分本位で身勝手なキス。いや、これをキスだなんて表現できない。わたしはまさしく"食べられていた"。脳に酸素が回らずくらくらと視界も白く染まり始めた頃、既に力の入らない身体は鍛えられたエースの腕でガッシリと腰と後頭部を力強く抱えられていて、もうどうにでもなってしまえと腕の力を抜いた、その時、ひらりと袖から何かが落ちた。
「…おい、なんか落ちたぞ、」
手放しかけていたほんの少しの理性が勝ったのだろうエースは、荒々しい息もそのままに床に落ちたそれに手を伸ばした。そこでようやく、それが何だったのかを思い出した。
「あ!ちょっと待っ、」
ぼんやりとしていた脳内が焦りにより途端にクリアに広がった。慌てて彼の手に手を伸ばすも既に便箋は開かれた。
「…………は?」
お互いに高揚していた気分は徐々に、だが確実に空気を変え始める。あんなにも欲を閉じ込めていた瞳はほんの数秒でみるみるうちに怒りを灯し始め、表情は恐ろしく険しくなっていく。…やってしまった。
「あー…と、それは…」
弁解の言葉など何も浮かんではこないが、それでも静かに視線を滑らすエースにじわじわと背筋が冷えていく感覚がして言葉にならない単語を発するしかない口を開く。別に浮気をしているわけでもない、なのにどうしてこんなに後ろめたい気持ちになってしまうんだろう。
「や、なんか、気付いたらあったっていうか、なんていうか…うわッ!」
ぼうっと。彼が手にしていたはずの手紙は彼の手のひらから燈った炎によって跡形もなく綺麗に消え去った。俯きがちに立ち止まったままのエースは変わらず無言で、わたしの冷や汗は背中どころか全身から吹き出している。
「あ、あのう…エースさん…?」
今度はわたしが彼を覗き込むように首を傾げれば、タレ目気味の瞳に先程までの獣はいない。その代わりに宿らせた怒気は正直のところ予想通りで、ああ、これはわたしじゃ止められないなと直感で察してしまう。
「誰の女に手を出そうとしたのか分からせてやる」
唸るような低い声でそう呟けば、既に身体の端々から燃え盛る炎を隠しもせずに力強くブーツを踏み鳴らす。この感じからすると犯人が見つかれば間違いなくこの船は無事ではないだろうが、もはやここまで怒りを迸らせたエースを止められる猛者などこの世に数人しかいないだろう。ご愁傷さま。わたしに被害はきませんように。心中で未だ顔も分からない犯人と船の修理をすることになるだろう2番隊の隊員たちに合掌をしていると、通り過ぎざまエースが耳元で何かを呟いた。
「終わったら次は覚悟してろよ」
ぎゅうっと心臓が締め付けられる音がした。トキメキではない。間違いなく恐怖だ。みるみるうちに真っ青になる自分の顔色に気付きつつゆっくりと振り返るもエースの姿は既に廊下の先には見えない。どどどどうしよう。ガッシャーンと遠くの方で何かが壊れる音を聞きながら、わたしは死刑宣告を待つ囚人のように静かに自分の部屋に戻った。