負けた。最後の試合に、負けた。
大学受験を控えた私は、大好きな剣道を今日限りでやめることにした。最後の試合は悔いの残らないようにしようと決めたはずだった。
だが、そう甘くはなかった。何一つとして思ったようにいかなかった。
絶対勝って有終の美を飾るということも、自分の実力すべてを発揮するんだということも、楽しんで試合をするんだということも。
道場の庭の片隅にしゃがみ込んで池を覗きこむ。揺れているのは水面か、それとも私の視界だろうか。大きな錦鯉が優雅に泳いでいく手前の水面に映りこんだ私の表情は、とても見られたものではなかった。
だから、私のすぐ後ろで人が立ち止ったことに気づいても、振り返ることはできなかったのだ。
「まだまだ伸びる余地がある。」
急に降って湧いた男の声がそういった。どういう意味か分からず、私は俯いてしゃがんだままの格好で男の声を聞く。男は私が振り向かないことに気も留めず、更に言葉を続けた。
「現状に満足しない“悔しい”という思いはすなわち、更なる高みを志す思いだ。そしてその思いを感じるということは、高みへとのぼる可能性が大いにあるということだ。」
今悔しさを感じているなら、その思いが無駄にならないうちに次への努力をするんだな、とそれだけを言い捨てた背後の男は、後ろを向いて去っていくようだった。何を勝手な、と怒りと新たな涙がこみ上げた。立ち上がって男に追いすがり、食って掛かる。
「次、なんて、ないんです…!」
「……なんだと?」
振り向いた男は涙を流している私を見て慌てたような表情を見せたが、そんなことに構っている余裕もなく、私は叫ぶ。
「今日で終わりなんです!次なんて無い!勝手なこと言わないで!」
「……何故今日で終わりなどと?」
「こればかりに時間が割けないんです!受験の、ための勉強、しなくちゃ、いけな、…!だ、だから!」
「……」
人の事情も知らないで簡単に言わないで、という言葉は、口から零れ落ちる前に更にあふれた涙に流されていった。足が力を失って、私はその場に再びしゃがみこむ。
「……成せば成る 成さねば成らぬ何事も 成せぬは人の成さぬなりけり…という詩を知っているだろうか」
男は急に口を開く。嗚咽しか発することのできない私は、無言を返すしかない。
「俺はその通りだと思う。しかし、そう上手くは行かないことがあるのも理解している。要は、心持ちの問題だ。」
「……」
「次ならある。次は勉強で全力を尽くす。」
それで悔しさを晴らせばいい、とやわらかい声で言った男は屈みこんで、俯いた私の目の前に手を差し出す。お世辞にも綺麗とは言い難いごつごつとした手を辿って恐る恐る上を見あげると、意志の強そうな瞳と目があった。
「現状に満足しないその姿勢は、誇るべきものだ。応援している。」
力強い光を宿した目を見つめ返して、私は思わず大きく頷き返していた。自分の手を恐る恐る差し出されたそれに重ねると、男は「その意気だ」と表情を和らげる。それまでの厳しい言葉と裏腹に優しいその表情に、私はどうしてか目を逸らせなかった。
* * * * *
あれから四年。希望の大学に進み、その後の進路も決まった今でも、あの男を思い出すことがある。彼のあの言葉のおかげで今の私があるようなものだから。
あの日を境に道場に出入りしなくなった私には、もうあの男を見ることもないだろうし、誰なのかを知るすべもない。けれど、いつか会えたら私は――
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