私は一体、あのひとの何なのだろう。
湿度
空は晴れ渡り、心地よい風が流れる。今日は所謂『お出掛け日和』と言われるような日である。
そんな、このお暗い戦国の世の中でも美しい、と言える日に、私は何をやっているのだろう、と疑問に思った。
晴れやかな空気を襖ごしに感じながら、私の気分はジメジメだった。もう何度目かさえわからない溜め息を零す。
「名前?入るよー。」
急に外からおねね様の声がして、開いた襖。そこから眩しい光が部屋の中に差し込んだ。
「やっぱり此処。こんなに晴れてるんだよ。名前も外行って、元気に遊んで来なさいな。」
「おねね様……。ごめんなさい、私、今はそのような気分ではないのです……。」
「……大丈夫?ここのところ、ずっとそうだねえ。悩み事なら聞くよ?」
おねね様はいつも優しい。私のような身分の低い人間でも、こんなに良くしてくれるのだから。私は涙がでそうになる。
「……ありがとうございます。でも、大丈夫です。」
「……そう?何かあったらすぐ言うんだよ?あたしでも、うちの人でも、三成でも、ね。」
――三成様。嗚呼、今一番聞きたくなかった名前を、おねね様は言ってしまった。私は体感温度がかなり下がったのを感じる。
彼女がそれを口にするのは、当然であった。三成様は、私の旦那様なのだから。しかし、今の私の一番の悩み、この澱んだ気分の最大原因は、彼であるのもまた事実。
そんな私の空気を感じたとったのか、おねね様は眉を寄せて言った。
「……もしかして、あの子がなんかしたの?」
「何か、というわけではないのです…。でも…」
私はそこで口篭った。そう、あの方は何も悪くないのだから。
少し前・許婚のころからずっと彼と過ごしてきたけれど、未だに私は三成様とまともに話したことがない気がする。勿論それは、彼が無駄なお喋りを好まないからだ。そんなことは重々承知。
――しかし、重要で必要最低限の話ですらも、短く切られ、その上に無表情の冷たい視線で見られたら――
嫌われているのでは……と疑うのが女心、というものだ。ましてや、それがただの女などではなく、妻であるなら――
そう一通りおねね様に打ち明けると、彼女はどこか納得したような顔をした。
「……はぁ。あの子もしょうもないねぇ。」
人付き合いの悪さは昔っから変わりゃしないね、とおねね様は呟いた。
「……きっと、この私が至らないことばかりで、三成様は――」
此処数日で、何度目かの同じ結論をぽつりと口にして、私は目を伏せた。おねね様がいるという、いつもと違う雰囲気のせいか、今日は一層と悲しみを感じた。涙が出そうになる。
「それはないよ、名前。あの子はただ素直じゃないだけなんだよ。」
「……」
「名前こそ、どうかあの子を見捨てないでやってね?これ、あたしからのお願いね。」
「見捨てるだなんて、そんな……!」
見捨てる、という選択肢は私の中にはあり得なかった。しかし私は何かが心に残った儘、おねね様のお願いを聞き入れた。
晴れやかで、すがすがしかった気温は、日が登ると共に蒸し暑くなってくる。
石田三成は筆を置き、長く伸ばされた髪を手であげながら薄く開かれた襖から外の様子を窺った。
今日は随分と晴れているな、と、彼には珍しくどうでも良いようなことを思いながら、意味もなく溜め息を一つ零した。
すると、窺っていた襖の向こうから何やら物音がした。
「……なんですか、おねね様。」
「あら、よくわかったねえ。」
ひょっこりと顔を覗かせたのは、やはりおねね様であった。彼女は三成の部屋に入るなり、彼を見て大袈裟に溜め息をついた。
「……なんですか、と聞いたのですが。」
「夫婦二人して晴れた日に部屋に籠もってるの。三成、どうせ今日の分の仕事は終わってるんだよね?名前を連れて何処か行ってきなよ。」
「……名前が、部屋に?」
「あの子、最近痩せちゃってねぇ。その上元気もなくなって、何もしようとしないんだよ…。三成、なんか知らないかい?」
「……。」
――知らなかった。
考えてみれば、夫婦となってから名前とは数える程しか話したことがない気がする、と三成は思う。
「……知らないよね。当然だね。あの子はいつも言ってるからね、『私ごときでは、あの方に似合わないのです』『私、きっともう飽きられてしまったのです。』ってね。」
「……」
「あたしは知ってるよ、三成があの子のお父上の所に通って、何度も頼み込んでやっと許婚にこぎつけたこと。……あの子のこと、好きなんだろう?」
「……っ…」
「……そういうの得意じゃないっていうのはわかってるよ。……でもね、女の子は寂しがり屋なんだってこと――忘れないでね。」
おねね様はそれだけ言うと、座っていた三成の頭を子供にするように優しくなでて、部屋から出て行った。
三成は、彼には珍しく少しだけ焦りの表情を浮かべながら、ねねの後を追うように立ち上がり、部屋から足早に立ち去っていった。
襖を開けると目に入ってきたのは、白い布団に横たわる名前の姿であった。
暑くとも爽やかな外の空気とは大違いで、部屋は心なしか冷たく澱んだ雰囲気に満たされていた。
「名前!!」
慌てて声を掛けると、名前はゆっくりと目をあけた。どうやら、寝ていただけのようだった。
「……三、成…さま?」
「名前!!」
「……そんなに慌てて、どう、なさいました…?何か御加減でも…?」
「違う。名前が、――」
そう言うなり、三成は言葉を切り、布団から起き上がって座った名前を抱き寄せた。
――――
「み、三成様…!?いかがなされましたか…!?」
私が呼びかけても三成様は微動だにしない。
嗚呼、遥か昔のいつの日にか、こんな事があったな…
彼の腕に埋もれたまま、私は三成様と出会った当時を懐古した――
私は街に小さな店を構える刀職人の家に生まれた。小さい頃から店を手伝っていたため、店に来る客――主に武士たちと関わる機会が多かったのだ。
ある日、店に随分と気さくなお侍様がやって来た。どうやら、かなりの身分であるらしかったのだが、それを感じさせない物言いで私にも接してくれた。
『おみゃあさんとおんなじくらいの齢のおのこがおるんさ。どうも生きにくいやつなんだがな、直に連れてくるから、仲良くしてやってくれや。』
という言葉通り、暫くの後に店にやって来た彼は、私と歳が近そうな少年を連れてきた。それが、佐吉様――三成様その人だった。
後にそのお侍様は天下人・秀吉となり、小姓であった三成様も出世して偉いお侍様になった。それでも彼らは良くお店にやって来て、何時しか『常連』になっていた。
……当時の私と三成様は、職人の娘と客、という関係でしかなかった。
しかし彼らが初めて店を訪れて何年も経ったある日、それは変わった。
その日、秀吉公と三成様が店に現れた時には、私と父親は口論をしていた。彼らが店に入ってきて、恥ずかしいところを見られてしまった、と、私は思わず外に飛び出してしまった。
『よう、親父。…おみゃあさんらが口喧嘩なんざ珍しい。名前ちゃんはどうしたんさ?』
『……お恥ずかしい所をお見せして申し訳御座いませぬ。実はあいつに、縁談話が来ていましてな、私はあいつに勧めたんですが、あいつは嫁になんざ行かんと、何を言うても聞きませんで…。このままではいきおくれになるというに…』
『……おなごも複雑じゃのう…。のう、三成?』
『……。』
『……三成?』
『……秀吉様…。』
『…ふっ。わかった、よし、行ってこい!!頑張れよ!!』
『……?三成様はどうなされたのです、秀吉様?』
『……だはっ!!…おのこも複雑なんさ。』
―――……‥
『……ふっ、うぐ…ううぅ……』
『……名前!!』
『……みっ、三成、様…!?』
駆けてきた三成様の声を聞いて、木の影で泣いていた私は更に身を小さくした。
『……名前。』
『……三成、様…。お見苦しい、ところ、申し訳、ありませぬ……。うぅっ…』
三成様は、膝を抱えて小さく座る私の横に腰掛けた。そして懐より手拭いを取り出して言った。
『これで顔をふけ。』
そういう彼の表情は、何処かいつもと違っていた。
『……そんな、ご迷惑を……。』
『迷惑などではない。使え。』
『いえ、そういうわけには…』
『くどい。』
三成様は急に私の肩を捕まえ、胸の方に引く。突然のことにたえられずよろめき、三成様の胸に突っ込んだ私の顔を、
彼は手拭いで拭いた。
『……三成、様っ!?』
『なんだ。』
『なんだ、では、ありませぬ…!とんだ、ご無礼、を…!』
『よい。…俺がやったことだ。』
そのまま三成様は私の背に手を回し、頭を私の肩へのせる。
『みつ、なりさ、ま……?』
『………。』
憤ろしい感情、悲しい心など何処へやら、私は自分の状況が理解できず、おろおろとしていた。
『あの……。』
『……。』
暫しの沈黙。小鳥の歌声と私の鼓動だけがいやに近くに聞こえる。
『名前。』
急に耳元で発せられた声に、私の心は大きく跳ねる。
『…は…い。』
『…名前は、…嫁には行かんと、言ったらしいな。何故だ?』
『………私には、恥ずかしながら想い人が、おります、故。叶わぬと分かりきっております、でも、でも、まだ私には…』
『……………諦められぬ、と』
『……はい。』
『……そうか。名前…もし、だ。』
『はい。』
『……もしお前が、その想い人を諦める気になれたなら、――――』
あの日から、私たちは変わったのだ。
――――三成様の言葉によって。
―――…‥
「……三成様?如何なさいました?」
私は三成様の頭をつとめて柔らかくなでて言う。
粗方、おねねさまに私の事情を聞いて急いでやってきた、という感じであろうか。
おねねさまは、きちんと秘密は守ってくださる方なのだが、夫婦やら恋人やらの話になると、それは別。情報を入手するとすぐに相手にそれを伝えてしまう。それに困らされたこともしばしばだけれども、今日はそれに助けられた。
今度、おねねさまにお礼を言わなくてはいけない。
――それに……私はこんなにも愛されているのに。疑ってかかった私は、なんと愚かなのだろう。
「……すまぬ。今まで、俺は…」
いつにもなく弱々しい声は、今にも消えていきそうである。私はそれを励ますように少し声を張る。
「何がすまぬ、ですか。いつもの貴方らしくありませぬ。」
「しかし、――」
「くどい。……ですよ。」
いつかの日、彼にそう言われたのを思い出し、そのまま引用してやった。すると三成様は、あっけにとられたような顔をやっとこちらに向けた。
少しだけ涙目なところが可愛らしい、なんて思ってしまう私はなんだろう。
「……すまぬ、と思うなら、私の我が儘を一つだけ、聞いてくれませんか?」
こんな時くらい、我が儘を言っても、罰は当たらない、と思う。
「――なんだ。」
「暫く、こうしていて、くださいませんか?」
『もし、お前がその想い人を諦める気になれたなら、』
『………はい。』
『……その、縁談相手のところではなくて…………俺の、所に、来ないか?』
『……はい……?』
『……二度も言わせるな…。
もし、だ。もし、想い人を諦める気になれたなら…………俺の、妻に、なれ。』
『……………はい。喜んで…!』
『………………喜んで?』
『信じられないですが……私の叶わぬ想いが、今、叶った、ようですので』
『……そう、なのか。……名前。』
『はい。』
『――好きだ。』
そう。私は心配になんてなる必要はなかったのだ。
「ああ。」
「また近いうち、こうしてくれますか?」
「…毎日でもな。」
三成様の温もりの中で、私は目を閉じた。
end
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