※「湿度」の後日。……になっているはず。







ある天気の良い日のこと。名前は庭で見つけた花を摘んで生けていた。

この屋敷に妻として迎えられてから一年半経つが、その間、彼女は体調が芳しくなく、庭に出るどころかあまり動きもしなかった。

床に臥した彼女の目には、いつも外の庭の様子が見えていた。当初は何もかも全て閉め切った部屋の中に居たのだが、いつだったか、それでは体に悪い、とねねに言われて以来、晴れている日は戸を開いて庭を眺めることにしたのだ。近くても決して届かない距離に花々が咲いて、そして散って落ち、また風に舞っていく様を眺めているのを、よく夫に『お前まで風に飛んでいきそうだ』と心配されたものだ、と名前は懐古する。

今日はとても調子が良かった。だから名前は、毎日眺めて憧れた庭に下りて花を摘んでみたのだった。

その時、足音がした。――正確には、消そうと努力してはいるのだが消え切れていない足音だが。しばらく聞こえないふりをしていると、その足音はこの部屋の手前で止まった。ここに入るか入るまいか迷っているようだった。誰かはすぐ分かった。つい悪戯心を興した名前は、物音を立てないように立ち上がって戸の手前で一度止まり、そして短く息を吸い込み――


「わっ!」

「っうわ!っな、なんだ名前っ!!」


驚かした。普段は決して見せない、夫のあまりの焦りように可笑しくなり、名前は笑みを零した。


「だって、三成様がなかなか入っていらっしゃらないんですもの。」

「っ、気づいていたのか?」

「とっくに。……お入りになって?」


室内に三成を招き、名前は半分だけ開いてあった戸を全開にした。部屋の中央に腰を下ろした三成の隣に、名前も腰掛ける。


「何故俺だと……?」

「侍女たちは用があればすぐに声をかけるでしょう?貴方の家臣や御客人だとしてもここには一人では来ないはずですし……ね?」

「……そうだな。」


三成は諦めたように小さく微笑み、結ばれていない名前の髪に手を伸ばした。


「今日も大丈夫か?……お前はここのところ、とても調子が良さそうだな。」

「はい。こう綺麗に空が晴れていると、私も楽しくなるのです。」


「そうか。」と応えた三成の言葉を最後に会話はとぎれ、そこにある音は、彼が名前の髪を梳く小さな音と、庭から聞こえる鳥のさえずりだけ。穏やかに時間が流れていく。髪を梳かれるその心地よさに、名前は目を閉じた。

「その花、お前が生けたのか?」


ふいに三成が口を開く。彼の視線は机上の花にあった。


「はい。お庭のお花を少し頂戴しました。」

「そうか。」


再び二人の間には静寂が訪れた。何か話をしようという努力は見られるのだが、自他共に認めるほど言葉足らずの三成には、難しいことである。
一方、名前は名前で、此処を出ることがあまりないために、三成に提供できるほどの面白い話は持ち合わせがない。


「あの、」「名前、」


こうして言葉が重なって気まずくなることもしばしばだ。


「「……」」

「三成様?どうぞ。」

「いや、お前から言え。」

「いえ、どうぞ。」

「いや、名前からで良い。」

「……」

「……」


三成は、ふう、と詰めた息を吐き出した。


「……生けた花、綺麗だな。」

「え、」

「とても、あの庭に咲いていたものと同じには見えぬな。」

「あ、ありがとうございます……」

「今度、俺の部屋にも同じように生けてくれるか?」

「…はい、喜んで…!」


ぱぁっと笑った名前に目が眩んで、三成は性急に名前を抱き寄せた。驚く名前を腕の中に閉じこめる。


「……尤も、お前の方が綺麗だが、な、名前?」

「…さようなお言葉…」


恥ずかしさで言葉を続けられず、名前は三成の肩口に赤くなった顔を押しつけた。その仕草が可愛らしくて、三成は思わず腕の力を強めて名前を更に引き寄せる。


「ところで名前、お前の話は何なのだ?」

「ああ……三成様は、どうして私のところにいらしたのかな、と思いまして。」

「……」


名前がこう聞くのは当然なのだが、三成はどこか寂しさを覚えた。……今までに、用事なしに名前のところを訪ねることが一度も出来なかった己の所為なのであるが……


「三成様?」

「……ああ、そうだったな。秀吉様が、我らを今宵の宴に呼んでくださっているのだ。挨拶などをしたいから日が沈む前には大坂城に入りたい。いいな?」

「はい、わかりました。……お酒、摂りすぎぬよう、お気をつけてくださいね?」

「ああ、わかっている。」


三成としては、名前には自分自身の心配をしてほしかった。ここのところ調子がよいとは言っても、名前は元来体が丈夫ではない。それに、酒に酔った屑どもが名前につかないか心配で気が気でないのだ。


「名前、宴の間、俺の隣を絶対に離れるな。」

「……三成様は心配が過ぎるのではありませぬか?」

「して過ぎることなどないのだよ。兎に角、わかったな?」

「はい。」


名前を娶ってから一年半が過ぎようとしていた。しかし三成が未だ名前と契りを籠まぬのも名前のそれが故であった。万が一にも彼女が子を孕むようなことがあれば、体に大きな負担となってしまう。


「……今日着ていくもの、俺が見繕ってやろう。」

「まあ、そのようなことは三成様には…!」

「俺は今日、桃色の直垂と決めているのだよ。お前も桃色にしろ。」

「……はい。」


ふふ、と小さく笑った名前を余所に、準備だ、と立ち上がった三成は、名前に手を差し出す。その手を訳もわからず取ると、三成は引っ張って名前を軽々と立ち上がらせた。


「お前は軽すぎるな。今日の宴では食えるだけ食ってこい。」

「そんなことはありませんのに。」

「……あまり細くては、……その、」

「……?」

「…し、心配だと言いたいのだ!」

「まぁ、……ありがとうございます。」


手を繋ぎ廊下を歩く二人を、見た者は皆温かい目でそれを見送った。



end

※積分=integral=不可欠の

 




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