「あ」
『あ』

また会った。これで6回目かな。ボサボサな髪の毛に眠たそうな目、猫背でダウナーな雰囲気の男の人。服はいつも紫色な気がする。紫色が好きなのかな。

『…こんにちは』
「…こんちは」

そういって目を合わせず首だけで会釈する彼。
歓楽街からちょっと外れたこの周辺は猫が多い。とくにこの路地裏はいっぱい猫が集まるからお気に入り。でも彼のほうが古参のようで、顔見知りのにゃんこが多いみたい。少し悔しい。さっそく彼は近くにいたにゃんこを抱っこして撫ではじめる。

『…………』
「…………」

失敗したかも。声かけちゃったけど会話がない。いや、正確に言うとわたしコミュ障で雑談とかがすんごい苦手。例えば天気の話をしたところで、「今日はいい天気ですね」「そうですね」で終わるのが目に見えてる。だったらもう初めから会話なんてしないほうがいいよねって話。そんで無言でぬくもりと癒しを与えてくれるにゃんこはやっぱり最高だよねって話。

『あ』

わたしが抱えてたにゃんこが腕をすり抜けて彼のほうに行ってしまった。彼は片腕で自分の猫を抱えたまま器用にもう一匹を構いはじめる。なんだろこれ。この恋人を取られた感?恋人いないからよくわかんないけど。

「……ん」

彼は手持ち無沙汰になったわたしを見て、パーカーのポケットからねこじゃらしを取り出し、それを渡してくれた。

『え、あ、ありがとうございます』
「…別にいいよ」

ねこじゃらしを揺らすと一匹のにゃんこが近づいてきて、必死になってそれを追いかける。あ〜かわいいかわいいかわいい。
ふと彼を見ると、優しい目で猫を撫でていて、撫でられてるねこもすごく幸せそうで。その姿から目が離せなくなり、気が付いたらまた声をかけていた。

『ね、猫に懐かれててうらやましいです』
「そうかな…ありがとうございます」
『…好かれるコツとかあるんですか?』
「……コツとかはよくわからないけど…あんまり積極的にはならないほうがいいかも」
『?』
「うまく言えない…猫って人見知りだから…あとわがまま。相手のペースじゃなくて自分のペースで付き合ってくれる人に懐きます」
『あぁ…なるほど』
「え、今の説明でわかったの」
『…なんとなく。確かにわたし、自分の好き好きっていう気持ちが先走ってたかもしれません』
「そう…でもここにいる子たちはみんなきみのこと好きみたいだから大丈夫ですよ」
『ほんとですか!』
「あと猫は大きな声を嫌う」
『ご、ごめんねにゃんこ』

ぽつ、ぽつと。その先も会話が続いて、彼は猫との距離の取り方や猫が嫌う匂い、撫でられて嬉しい場所などを教えてくれた。にゃんこ博士だこの人。これは敵わない。モテて当然だ。

『あ、もうこんな時間…』

気が付いたら辺りは暗くなっていた。冬の日没は早い。

「…もう帰るの」
『ええ、そろそろ』
「そう」
『あ…えと、今日はいろいろお話してくれてありがとうございました』
「……」
『あとねこじゃらしも。お返しします』
「いいよ持ってて。そのへんで取ったやつだし、あげるよ」
『え、じゃあお言葉に甘えて』
「うん…またね」
『っま、また…』

気のせいだろうか。彼が少しさみしそうな顔をしたようにみえたのは。いや、気のせいだろう。わたしはなんだか彼と自分が似ている気がして、話してて安心したし、楽しかったけど、わたしなんかと話をしても彼はつまらなかったに違いないんだ。自惚れてはいけない。でもまたねって言ってくれたのが嬉しくて、体がふわふわした。
彼に背を向けてから名前を聞いていないことに気付いてしまった。気付かなければよかった。聞こうか。今さらじゃないかな?もうこのまま帰ったほうがいいよね?そういう流れだよね?いつものわたしだったら、ここで聞かずに後悔していたと思う。

『…お名前、なんていうんですか』
「…一松。数字の一に松の木の松。きみは?」
『なまえです。』
「なまえ…ふぅん、いい名前だね。」
『あ、ありがとうございます…それじゃ』
「うん、ばいばい」
『…ばいばい』

猫を抱えたまま小さく手を振る彼にわたしも小さく手を振り返して、その場を後にした。路地を抜けて彼から見えない距離に入ると猛スピードでダッシュした。うわああああああなんだいまのなんだいまのなんだいまの!わたし絶対顔赤くなってたコミュ障処女丸だし絶対引かれた恥ずかしいーーーー!!!!感情のままにひとしきり走って落ち着くと、ぜえはあと街中で息を上げるわたしを周囲の人がチラチラと不審そうな目で見てくる。そりゃそうだ。何奇行に走ってんだ自分。視線を落とすと右手に握ったねこじゃらしが目に入った。

『……っ』

はぁ、落ち着け自分。こんなんじゃ猫どころか彼…一松さんにも嫌われるぞ。一度冷静になるとさっきの自分の馬鹿馬鹿しさに辟易するんだ。とぼとぼと帰路につく。
家にかえってねこじゃらしを適当な花瓶につっこんだ。このねこじゃらしが枯れる前には、また会えるといいな、なんて思いながら。


end.