1. 序
仕事終わりの夜、必ず寄る場所があった。
そこはネオン輝く銀座の一角、街とは異なり静かな地下にある小さなバー。
いつも座っている出入口と真反対の席に座ると、すっかり顔馴染みとなったバーテンダーのお兄さんにいつもの、と一言だけ声をかけ店内をぐるりと見渡した。これがほぼ毎日の習慣だ。

「……名前」
「今日もいるなんて珍しいですね、アカギさん」

見渡した店内で見つけた一際目立つ白髪の彼は、私に気付くと声をかけてきた。まだ座ったばかりだというのに目敏い。彼の目は今日もギラリとしていた。大方“大博奕”でも打ってきた後なのだろう。

「二日連続で代打ちを頼まれるなんざ、滅多にないんだけどね……。知り合いに頼まれちゃあ俺だって無碍にはできないさ」
「で、それで得た泡銭を必死に消費してるってところ?」
「クククク……そういうこと」

赤木さんはニヤリと笑うと、持っていたグラスに口をつけお酒を煽った。そして空になったグラスを爪で軽く弾きながら追加のお酒を頼み、私の隣の席に座った。
散財したいのなら、こんなバーで酒を飲むんじゃなくキャバレーにでも行ったほうがいいのに。そう、彼がここに来た理由はお金なんかじゃないことは明白だった。

「危ないぜ……女一人で酒を飲みにくるのは」
「そうかもしれないですね」
「また俺みたいなヤツに捕まるよ……」
「……捕まりにきてるんです」

分かっていて言っている。
本当にタチの悪い男。
小さく呟いた私のその言葉をアカギさんが聞き逃すはずはなく、目を細めて口角を上げると肩を寄せるように座り直した。

狡い男だと頭ではわかっている。
私がアカギさんに会いたくてここに通っていることも、誘いを断らないことも、私がアカギさんに対して抱えている気持ちも、全部分かっているくせに。
それでも好きになってしまったのだから仕様がない。彼から見た私は『都合が良くて頭の悪い、誘えばついてくる』女。それでいい。



最初はお互いただの遊び、所謂ワンナイトの関係だった。

上司の嫌味嫉みに疲れ果てた私はその日、無性に酔いたい気分だった。そんな中、このお店を見つけ、受け取ったばかりの安い給金で自分の身の丈には合わない高いお酒を飲んでいた。飲み慣れていないお酒のせいか酔いが回るのが早く、4杯目を飲む頃には少し視界がぐらついていた。

4杯目のお酒を半分ほど飲み下し、さらにグラスに口をつけたその時、私の手を取り制止する人がいた。

「アンタ、もうやめといたほうがいい……」

揺らめく視界のまま声の主の方を見やると辛うじて白髪、声からして男性ということは分かった。刹那、視界だけでなく意識も朦朧とし始めた。



「…………ぅ、……」

意識が戻った私は見知らぬ天井を見上げていた。一先ず上半身を無理矢理起き上がらせると、感じていた頭の痛みが一層強くなった。
ここはどこだろう……と覚醒しきっていない頭のままゆっくりと部屋を見渡すと、白髪の男性が椅子に座り煙草を吸っていた。そして私が起きたことに気が付くとほぼ吸い終わりのそれを灰皿に擦り付けて立ち上がり、私の方に寄ってきた。

「……アンタ、記憶ある?」
「え、ええと」
「バーで酒に酔っ払って意識なくしてたから俺の部屋に運んだんだけど」

朧気な記憶を必死に遡ると、その男性の声は確かに4杯目のお酒を飲んでいるときに制止してくれた人の声と同じだった。

「あの、大変ご迷惑をおかけしました……」

恥ずかしい。見ず知らずの人に助けてもらう必要があるほど外で酔っ払ってしまうなんて。
下を向いて反省していると、頭上から声がかけられる。

「ま、そういうふうに酔いたい時もあるよな。……あの界隈には少ないが変なやつに絡まれる可能性もある。気をつけたほうがいい」

そう言うと箱から煙草を取り出し咥え、燐寸の先を擦り煙草の先端に火を灯した。その一連の所作がなんだか官能的で私は思わずじっと見つめてしまった。その視線に気付いたのかこちらを一瞥した彼は一息煙を肺に送ると、明後日の方向を向きながら吐き出した後、私の目線にまで腰を落とした。

「……アンタさ」
「は、はい……?」
「俺とセックスできる?」
「……?!!」

いきなりの発言で混乱する。二日酔いの頭痛もあり、まともに思考ができていない。

「助けてもらったのでお礼ぐらいは……とは思うんですけど、その…、それはちょっと……」
「それはどうかな……。俺のこと、欲情したような目で見ていたくせに」
「!!」

確かにちょっと色っぽいなとか、思わなくはなかった。けど、流石に話が飛躍し過ぎではないか。とますます混乱していると、急に視界がゼロになり、煙草の香りが近づいた。
気がつくと彼に唇を奪われていた。
驚いて反射的に離れようとしたところ、すかさず彼は私の頭を押さえて唇を食んだ。

「……ン…………ふ、っ……」
「……は……」

何度も何度も角度を変えて唇が当たる。酔いが覚めきらない頭が更に蕩けていくような感覚がした。そうなれば隙が生まれる。その隙を彼は見逃さず、少し開いた唇の間から舌を滑り込ませ、私の舌に絡ませてきた。

「ンぅ?!」

驚いた私はまた反射的に離れようとするが、頭は相変わらず彼の手により固定されていて離れることはできない。
彼の舌がずっと追ってくる。息が上がる。涎が口角からだらしなく垂れる。

ずいぶん長い間口内を蹂躙され、お互い唇が離れる頃には頬が上気してしまっていた。火が着いたばかりの煙草は、すでに灰を落としそうなくらいに燃えていた。私の呼吸に合わせて頭が酷く痛む。

「……アンタ、存外イヤらしいな。クク……今日はこの辺にしとくよ」

楽しそうに肩を揺らすと、彼は立ち上がり椅子の近くに置いてあった小さめのボストンバッグを手に取り、その近くの机を2回、ノックするように音を立てた。
息を整えながら視線を向けると、机の上には札束とルームキーが。

「チェックアウトの時間まであと数時間ある。金はここに置いておく」

それまでこの部屋を好きに使え、ということだろう。
二日酔いを感じていた私としてはとてもありがたかった。

「また明日……同じバーで」

とだけ言い残し、彼は部屋を出ていった。
それが彼との出会いだった。


彼が言い残した言葉に含まれた意味が分からないほど自分が馬鹿な女ならどれだけ良かっただろう。先程の接吻によって目覚めた、自分の中に燻る情欲が、彼を欲していた。そんな自覚がありつつも、行かないという選択肢はなかった。
有り難いことに建前は用意されている。見ず知らずの私を助けてくれたお礼をする、という建前が。



そうして私は、昨夜と同じバーに向かうことにした。


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