6. 十二夜
アカギさんが自宅に泊まりに来た日から一週間程、仕事が忙しくあのバーに寄れずにいた。というのも、妬み嫉みをよく言ってきた上司が異動していって新しい上司が職場に来たからだ。仕事の引き継ぎの関係でバタバタはしたが、これからは快適な社会生活を送っていけそうだ、と久しぶりの定時退社に浮かれながら帰路についた。

……久し振りにあのバーを覗いて帰ろう。



バーを覗いてみるとアカギさんの姿はなかった。仕事ばかりで性欲が溜まっている自覚のあった私はもう少し彼を待つことにした。今日はいつものとは違うお酒を頼んでみよう、と思い立ち、マスターに度数の軽いカクテルを頼んだ。

「どうぞ、キス・ミー・クイックです」
「ありがとう、マスター」

飲んでみるとオレンジの風味とスパイスの効いた爽やかな飲み口だった。それにしても、『キス・ミー・クイック』だなんて、私の心を見透かされているようだ。



そう、今思えばあの出会いの時以来、アカギさんとキスをしていない。勿論、恋人ではないのでする必要もない。多分彼は私に勘違いをさせないためにわざとキスをしないんだろう。まるで『好き合っているわけではない』と暗に言われているようで、私の心に靄がかかった。

なんで好きになっちゃったんだろう。あんな刹那に殉じる人、思っても辛いだけなのに。
ここに来るとどうしてもアカギさんのことを考えてしまうな、と自嘲しながら少しずつカクテルを飲み下す。
カランと店のドアにかかったベルが鳴るたびにそちらを見やっても、違う常連さんの姿ばかりで彼は一向に姿を見せなかった。


……明日も仕事だし、そろそろ帰ろうかな。

マスターにお会計を頼み、一人で店を出た。北風が身体に染みる。帰ったらお風呂に入ってゆっくり温まろう。





 ̄ ̄ ̄
数日ほど関東某所の賭場に通っていた俺はある程度の金を手に入れた。倉田組の一件があってからはある程度稼いだところで身を引くようにしている。命が惜しいわけではないが何かあったときに入院だのなんだの、とどのつまり面倒なのだ。何よりタネがわかった賭博は面白味に欠ける。毎度壺振りが同じだと飽きてきてしまう。
俺はほぼ空の、布団だけが用意された家に帰ることにした。

……ただその前に、あのバーに寄ってみるか。



バーに寄ってみるとよく見かける常連客が店にいたが、名前の姿は見当たらなかった。カウンターの空いている席に適当に座り酒を適当に見繕うようにマスターに頼むと『ケーブルグラム』というカクテルが出てきた。飲んでみると生姜とレモンが効いた甘めのハイボールのような味だった。たまにはこういうのも悪くない。そして、甘い酒が口に広がった途端に彼女の顔が浮かんだ。

煙草を咥え燐寸で火をつける。肺に煙を送り一息つくと、マスターが追加で酒を用意してくれた。いつも頼むウヰスキーのロック。甘いカクテルが拡がった口の中をスモーキーな香りが覆い尽くす。やはりこれが一番煙草に合う。

酒を飲みながら、ふとマスターに声をかけた。

「彼女、今日は来てた?」
「……ええ。今しがた帰られましたよ」
「そう」

すれ違い。こういう日もある。

元々ここで偶々会えたら情事をするという約束だったはずが、つかず離れず、自分から言い寄ってこない女とのこういう駆け引きは中々に面白く、名前との逢瀬を楽しんでいる自分がいた。もう一週間程会っていないか、と煙を吸いながら思案する。

賭場に通っている間、性欲を満たすために適当な女を抱いたが、すでに名前ではないと満たされなくなっていた。彼女の無意識に男を煽る仕草も、喘ぎ声も、達するときの表情も頭にこびりついて離れない。


……こういうのを世間では『惚れてる』なんて言うのかね。


なんにせよ、俺は根無し草だ。惚れた女だろうと、俺の生き方に重荷となるものを背負う気はない。それに、俺の側にいたら名前にも火の粉が降りかかることになる可能性は高い。だったら今の関係が丁度いい。……彼女が離れないように、上手く駆け引きをする必要はあるけど、賭博ではないがそういうのも面白い、とほくそ笑んだ。

残りのウヰスキーをあおるとグラスの中の氷がカランとなった。俺は静かにグラスを置くと、煙草を一気に吸いこんだ。そして会計を済ませる。博奕で得た泡銭を適当にマスターに投げると、こんな大金……とマスターは慌てた様子だった。

「また来るからその時旨い酒でも出してよ。……あと、彼女が来たらその分もそこから出しといて」

そう言って店を出た。
今日は一段と冷え込んでいる。家に帰るまでに凍えてしまいそうだ。何より家には暖房器具すらない。それならば近場の宿にでも泊まるか、と近くの宿を適当に探し、一夜を過ごすことにした。



……次に名前に会えるのは、いつになるかね。


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