えまーじぇんしー!



本日10月31日といえば、世間で大賑わいのハロウィンの日である。もともとの由来は外国で死者が帰って来る日という、日本で言えばお盆のような日であり、間違っても仮装して馬鹿騒ぎをするための日ではないのだがそれはそれ。祭りが大好きな国に生まれた日本人は、そんな事情は知ったことではないと言わんばかりにこの騒ぎに毎年便乗している。ハッピーハロウィン。
そしてそれは、子どもである中学生にも無関係では無いことなので。

「隙だらけだぜ薫!トリックオアトリート!!」
「はい」
「用意済み…だと…!?」

仮装のつもりなのか、お粗末にも百均の猫耳をつけてこちらへ突貫してきた半田くんに、昨日あらかじめ大量に作っておいたクッキーを渡せば愕然とされた。なぜ半田くんは用意していないと思ったのだろう。一昨年のハロウィンで私は嫌というほど恐ろしい思いをしたからね。FFIでバタバタしていた昨年はともかく、今年のハロウィンこそは心穏やかに過ごすと決めたのだ。そのための用意に抜かりは無い。

「しかも美味いのが腹立つ」
「理不尽の極みでは?」

私への突貫が失敗して不満そうな半田くんは、二枚入りのクッキーのうちココアの方を食べて感想を告げてから別の人に突撃しに去っていった。慌ただしい人である。ちなみにもう片方はバタークッキーだ。無難な味は正義。その後も、何度か決まり文句と共にお菓子の催促をしに来る人たちにクッキーを渡し続けること一日。ようやく放課後になったと胸を撫で下ろしていれば、私は突然秋ちゃんと春奈ちゃんに両腕を掴まれて女子更衣室に連行された。女の子には逆らえないのがとても悲しい。

「実は今日一日だけ受験勉強の息抜きとしてハロウィンパーティーをしようってことになったの」
「安心してください!衣装は私が用意しておきましたから!」
「ハロウィンパーティーか…」

それはたしかに少し楽しそうだ。最近は高校受験に向けて勉強ばかりだったし、こういうイベントの時くらいは息抜きしてもバチは当たらないのかもしれないね。今や大所帯となってしまったサッカー部の中でも、特に初期の面々に虎丸くんを合わせた少人数で行うことのこと。ちなみに仮装衣装は、演劇部や夏未ちゃんの伝手まで借りて用意したらしい。

「秋葉名戸中さんにもお借りしたんですよ!」
「帰りますね」
「だめです♡」

私に断る権利は無かった。なんでなんで。あのメイド服の悲劇と羞恥を私は忘れていないのですけれども。目金くんを通じて何故か親交が深まってしまった秋葉名戸中とはそこそこ練習試合を行う仲になってしまっていたし、その度に違うメイド服を用意されて遺憾の意。引退前最後の練習試合後には記念にどうぞと一式プレゼントされてしまった。ノーと言える日本人でありたい人生だったよね。現在は押入れの奥で眠っています。

「大丈夫です!今回は私と秋さんと冬花さんとで薫さんの仮装はばっちりコーデしましたから!」
「安心要素が見つからないな…」

大丈夫とは。私の心は既に大丈夫じゃないし覚悟も決まってないのですが。しかし可愛い後輩と友達からの頼みとあらば断れないのが何とも悲しいところ。あれよこれよと女子更衣室で着替えさせられ、その勢いに押された私が気がついたときには全てが終わっていた。どうやら私のテーマは魔女だったらしい。可愛いミニドレス型のフリフリ衣装を着せられ、いつもは下ろしている髪を三つ編みにされた挙句、最後に帽子を乗せられて更衣室から放逐されてしまった。本当は今すぐ着替えたいものの、肝心の着替えは女子更衣室で預かられてしまっている。これはもう覚悟を決めるしかあるまい。

「第三教室に行けって言ってたけど…」

着替えの最中にふゆっぺがこっそり耳打ちしてくれた情報を頼りに、校舎の端っこにある空き教室を目指す。みんなには内緒で行けとのことだが、いったいそこに何が待っているのだろう。そう思いつつ首を傾げながらたどり着いた第三教室。中を覗くとそこには。

「…薫か?」
「ひえ」

反射的にドアを閉めた。いや、あの、その、なんで修也くんが中に居るの?サッカー部のみんなはハロウィンパーティーのために部室に集まっているはずでは?

「久遠にここへ行けと言われたんだが…」
「ふゆっぺ!!!!!」

まさかの親友の企み。そろそろ泣いてしまうぞ。というか修也くんは閉めたドアを開けようとしないで。めちゃくちゃガタガタ言ってる。ドアが壊れてしまうじゃないか。

「お前が閉めるからだろ」
「見られたくないの!」
「俺は見たいんだが」

本当に本当に本当に修也くんはだんだん遠慮が消えつつあるよね。付き合い始めた当初は自分の欲よりも私の望みを優先してくれていたけれど、名前呼びになってからはわがままが増えたし。いや、別にそれが悪いことでは無いし、普段人前ではクールな修也くんが私にだけは甘えてくれるのはとても嬉しい。しかしそれとこれとは話が別。

「修也くんも仮装してるけど恥ずかしくないの!?見られてもいいの!?」
「お前になら良い」
「もう!!!」

そうなのだ。実は修也くんも現在仮装中だったらしく、頭の上にはちょこんと狼っぽい耳が。そしてお尻の方にはふさふさの尻尾がついていた。一瞬のチラ見だったけれどカッコ良かった。だからこそ開けたくないという理由でもある。あんなの直接見たら、私の中の何かが弾けて死んでしまうじゃないか。
しかし私と修也くんとの筋力には絶望的な差が存在しているので、そんな私の抵抗虚しく一瞬の隙を突かれて開け放たれたドアの隙間から、修也くんの腕によって教室内に引き摺り込まれてしまう。気がつけば修也くんの腕の中にぎっちりと抱え込まれているし、逃げ場はもう完全に失われたのと同じだ。私はとうとう諦めた。

「修也くん離して…」
「あぁ」

意外とすんなり離してくれたものの、手は握ったままだったから逃す気はさらさら無いのだろう。私も教室内じゃ逃げ道が無いため、大人しく修也くんの視線を甘んじて受けることにする。頭のてっぺんから爪先まで、着飾られたこの格好を余すこと無く見られているのかと思うと恥ずかしいにも程があるのだけれど。やがて、一通り眺めるのに満足したのか、修也くんは楽しそうに微笑むと私の頬を指の背で撫でた。

「似合ってる」
「…ありがとう。修也くんもかっこいいよ」
「あぁ」

…まぁ、修也くんに変だと言われなかったからまだ救われる。そう一人で納得しながら、私はお返しと言わんばかりに修也くんの格好を見返した。…どうしよう、普通にカッコいい。衣装も決して華美なものでは無いというのに、そのシンプルさが狼男(推定)のワイルドさと凛々しさを引き立てているのだ。私もそれくらいシンプルな衣装が良かった。これが可愛くないわけではないけれど、着るのにも時間がかかるし。

「この衣装、履いたり付けるものがいっぱいあって大変なんだよ…」
「…付けるもの?」
「うん、パニエとかガーターベルトとか、そんなの」

言葉にされてもいまいち分からなかったらしく、首を傾げている修也くんに、私は一つ一つ指差して説明してみせる。パニエはスカートの下に履いてふんわりさを際立たせるためのもので、ガーターベルトは…。…ちょっと言葉じゃ説明しにくいので、少しだけスカートを引き上げて、腰から靴下を繋いでいる紐を見せた。

「これ」
「…」
「長い靴下とか、ストッキングが落ちないようにするためのものなんだって。私も初めてつけたけど太ももがこそばゆくて仕方なぁっ!?」

突然修也くんから強く抱き締められて悲鳴をあげかけた。いきなりどうしたというんだ。しかし狼狽える私を他所に、修也くんは何故か深いため息を吐き出したかと思うと、半ば恨みがましげな声を滲ませて口を開く。

「お前は無防備過ぎるんだ…」
「無防備」

よく分からないが、私は何かやらかしてしまったらしい。思わず宥めるようにして背中を撫でていれば、少し身を離した修也くんが私の頬を両手で包むように挟んだかと思うと、不意に私の右頬に唇を寄せた。面白いように肩を跳ねさせた私に、修也くんは何度も口付けてくる。頬に、耳元に、首筋に、目蓋に。そして最後に額に唇を落とした修也くんは、顔が真っ赤になっているであろう私と額を合わせて、鼻先を擦り合わせるようにして笑う。しかしその目だけは、どこか据わっているようにも見えて。

「しゅ、修也くん…?」
「トリックオアトリート」
「…えっ」

突然その言葉を出されて、私は思わず固まってしまう。この状況で突然何をと思ったものの、「この状況だからこそ」だということに気がついて、みるみるうちに血の気が引いた。私は今、手ぶらだ。それに肝心のお菓子は昼間の時点でもうみんなに配り終えてある。
でも修也くんにも昼間にあげたじゃないか。…そう訴えたものの「あのときは仮装してなかった」などといけしゃあしゃあとした口振りで論破してくれた。いつの間にか壁際まで追い詰められていた私は、少しだけ楽しそうな修也くんから目を背けることも許されなくて。

「お菓子が無いなら、悪戯しても良いんだろ」

…抵抗する術の無い恋人にこんな形で迫るなど、とんだ狼男も居たものだ。それに私が本当の意味で修也くんを拒絶なんかしないって分かってるくせに。そう恨みがましい目で見据えれば、修也くんは少しだけ愉快そうに笑んで、「だからどうした」などと抜かしてくれた。

「お、横暴だ…!」
「横暴で結構だ」

狼男だからな、と開き直ってくれた豪炎寺くんに私は返す言葉もなく喉の奥で唸るしか無かった。…まぁそれに、それ以上の抗議は、当然ながら捕食者のごとく噛みついてきた修也くんとの口づけの合間に、空気となって消えてしまうことになったのでそもそも反論の余地すら無かったのだが。