とあるモブは知っている


俺はモブである。普通の家庭に生まれ、普通の学歴を持ち、しかしそこそこの成績をもってとある大学に入学した。特に苦労する授業も無ければ、人間関係で困ったことも無い。そんな割りかし順調な日々を送っている俺であったが、やはり顔は普通であるため彼女ができないのが唯一の難点だろうか。
だが、そんな俺にも一つ密かな自慢がある。それは、同じ理学部の同期であるあの豪炎寺修也と友人であることだ。少年サッカーにおいて世界で活躍し、高校でも全国区を勝ち抜いていたエースストライカー。昨今人気となっているサッカーは彼なしには語れないと言えるほど。そんな奴と俺は不思議なことに結構気が合った。その理由は、そもそも豪炎寺はモテるから、女子は喧しいし男子は僻む。しかし俺は別に「すごいなぁ」と感心するばかりで、別に豪炎寺の優秀さが腹立ったりはしないのだ。モテんのはちょっと腹立つけども。

「顔が良い男に生まれたかった…」
「別にお前悪くないだろ」
「そうかね」

シレッと俺の自虐を否定してくれるが、それでもやはり俺は豪炎寺に敵うとは思っていない。しかし奴には奴の、俺には俺の得意分野があって、その面に関して豪炎寺は俺を頼ってくれることもあるから、俺のプライドは保たれているとも言える。心の狭い人間で済まんな。
そしてそんな俺たちは、ゼミ選びでも特に別れることなく同じゼミに入った。先輩女子は突然のイケメン後輩に浮き足立ち、先輩男子はその優秀さに歯噛みした。しかしそんなアプローチも僻みも歯牙にかけない豪炎寺の淡々とした態度に、一ヶ月もすれば浮ついた空気は収まったものだった。

「そういえば今度、ゼミの新歓あるけどお前参加する?」
「…」
「露骨に嫌がってんなぁ」

そして月日は経ち、俺たちは無事に二年になった。そうなれば当然後輩が入ってくるし、新しいゼミ生も増える。今年はやや女子の比率が多いらしいという代表の虚な目を見ながら、豪炎寺をめぐる女子の争いが起きるのだろうなぁという予感が頭をよぎったものである。

「でも先輩が豪炎寺は強制参加だって言ってたぞ」
「…チッ」
「舌打ち。いや、でも仕方ねぇよ。今年の女子は明らかにお前目当てだし」

真面目な活動を行うわがゼミであるし、毎年女子よりも男子の比率の方が多いため、結構大変な思いをしそうなものだが、彼女たちは居心地の悪さよりもイケメンを選んだらしい。それが無駄なことであると知っているのは、そのうちの何人ほどであるのだろうか。

「お前には彼女が居るのになぁ」
「あぁ…」

そう、こいつには彼女がいる。はちゃめちゃに可愛い彼女だ。それは大学入学前からの付き合いなのだが、それを知らなかった去年のゼミの歓迎会のとき、こいつは樹液か何かか?というくらい同期から先輩まで女子を集めていた。羨ましいとは思ってない。

『お前さぁ、あんだけ女の子に迫られて嬉しくないわけ?』
『…恋人がいるんだ。むしろ迷惑に近いな』

王子様フェイスで吐き捨てるように言いやがったんだもんコイツ。俺がやっかみ半分、揶揄い半分で投げかけた質問に対してだぞ?必死で豪炎寺の隣の席争いしてた女の子たちが哀れになったね、俺は。
そしてそんなコイツは噂の彼女ちゃんとやらにゾッコンだ。相手は同じ大学の文学部にいる円堂薫さん。豪炎寺とは中学からの付き合いであるらしく、高校時代はやはり豪炎寺と同じようにサッカープレイヤーとして世界選抜に選ばれたこともある。顔も可愛いし、成績も良いし、おまけに性格も明るく優しい。しかも何と双子の兄があの円堂守だ。今はプロチームでプレーしている伝説のゴールキーパーの妹。スペックにおいてまさに死角なしであり、豪炎寺とは割り込む隙もない相思相愛ときた。勝ち目なんて無いのである。現在もお互いの家を行き来するほどに仲睦まじいらしく、頑なとして見せてもらえないが携帯の待ち受けも彼女ちゃんらしい。…いや、彼女ちゃんがどんな子かは知っている。一度豪炎寺のやつにしつこく紹介しろと迫って三人で飲みに行ったことがあるからな。

『はじめまして、円堂薫です』

めっちゃ良い子だった。あのモテ男がデロデロに惚れる理由が分かるくらい良い子だった。そりゃそうだよな、あんな子がすぐ側にいたら他の女の子なんて目に入らねぇよ。豪炎寺のやつも、俺が彼女ちゃんに惚れないか心配になったのか終始俺を見る顔が般若だったわ。彼女ちゃんを見るときだけは砂糖ましましデロ甘フェイスだったけどな。お前その顔他の女の子に見せたら死人出るぞ。彼女ちゃんはあれを真正面から食らってよく平気だな。
しかし安心しろよ豪炎寺、たしかに彼女ちゃんは良い子だが俺の好みじゃない。

『安心しろ豪炎寺、俺の好みは年下貧乳だ!』
『お前との付き合いを考え直す必要性が出てきたな』

すっげぇゴミを見るような目で見られた。なんで?今俺、今世紀史上最大の気遣いを発揮したはずなんですけども。しかし後から聞いたら豪炎寺のやつには、目に入れても痛くないほどに可愛がっている年の離れた妹がいるらしい。なるほど、そりゃ考え直したくもなるわな。

「まぁ、いつも通り男子勢でお前を囲むからさ」
「悪いな…」
「今度コーヒー奢れよ」

そんな二人を俺はお似合いだと思っているし、友人として幸せになってほしいとも思っているから、実はこいつらのために少々協力してやるのは、案外吝かではなかったりするのであった。





ところで馬鹿野郎という言葉には「野郎」という二文字が組み込まれている。この「野郎」はそもそも「男」という意味であるため実際の意味は「馬鹿な男」というものになるのだが、これをぜひ女にも当て嵌められる世の中になって欲しいと切実に思う。
なんでこんなことを急に言い始めたかって?まさにその馬鹿女が豪炎寺の地雷も地雷の真上を踏み抜いて行ったからだよ察しろ。

「…悪い、よく聞こえなかったんだが」
「え〜?だから、あんな彼女さんなんて豪炎寺先輩に相応しくないですよ!」

前言撤回。こいつは馬鹿じゃなくて阿呆だ。明らかに今こいつは理性ギリギリのところで逃げ道を与えてやったというのに、酒の席で頭をアルコールに侵されでもしたのかこのアンポンタン。豪炎寺の目からなけなしのハイライトが消えたじゃねぇか。
そして前も言ったが豪炎寺は彼女ちゃんのことを溺愛しているくらいめちゃくちゃ好きだ。友人の俺に牽制かけにくるくらいはゾッコンだ。たった一度の邂逅で、そんな豪炎寺の彼女ちゃんに対するクソデカ感情を遺憾なく読み取った俺だからこそ分かる現在の修羅場。やらかしたのはゼミの新顔阿呆女。年下だが貧乳じゃないので俺の好みでは無い。

『豪炎寺先輩って、彼女さんがいるって本当ですか?』
『…あぁ』
『私知ってますよ。文学部の円堂先輩ですよね』

豪炎寺はそもそも女の子に無駄に囲まれるのが嫌いだ。もし彼女ちゃん以外から好意を向けられても、決して期待を持たせないようにバッサリとした態度を貫いている。しかし大学生というものはなんとも大人なもので、別に付き合えなくとも一夜限りの関係でも良いとぬかすやつは山ほどいるのである。もちろん彼女ちゃん一筋な豪炎寺がそんな誘いに乗るはずも無いのだが、それでもそんな誘いを投げかけられることでさえ奴は不快らしかった。
そして今回、目の前に座っていた別の男がトイレに立った瞬間を狙われた。図々しくもなんか洒落た色したカクテルを片手に豪炎寺の目の前に座りやがった女、それがこの阿呆女である。

『…あぁ、そうだが』
『美人さんだって一年の間では評判なんですよ!しっかりもので、サッカーもすごいとか?』
『まぁな』
『でも、円堂先輩男癖が悪いって噂なんですよねぇ』
『…は?』

ここで第一の勘違い。今の豪炎寺の「は?」は「お前何言ってんだ正気か?」の「は?」である。しかしこの阿呆女、何を思ったか「嘘だろ、そうだったのか…?」という驚愕の「は?」と解釈したのである。俺だけは分かった。
そしてそんな解釈とともに調子に乗った阿呆女の主張は終わらない。

『よく他の大学の男の子とご飯食べに行ってるらしいですし、教授にも色目使ってるらしいですよ?…私も前に見たんですけどぉ、ふわふわした感じの優しそうな男の子と抱き合ってたんです、円堂先輩』

それはアカンやろ…と流石に俺と思ったものの、後に豪炎寺に聞いたところ奴曰く、「そいつは友人だしごく一部の例外」らしい。彼女ちゃんのことを母親のように慕っているのだとか。土産にもらったという北海道銘菓をお裾分けしながら語る奴は何かを諦めたような遠い目をしていた。こいつもこいつで大分苦労しているらしい。ちなみにその噂の間男疑惑の男は、豪炎寺のことも親の如く慕っているそうだ。家族じゃんって言ったらしょっぱい顔をされた。
まぁ、そんな心配そうな口振りで並べた彼女ちゃんへの悪意がつらつらと並べ立てられるのを聞きながら、俺は豪炎寺が少しずつ据わった目をし出すのを横目で確認した。こいつはヤバイ。前に彼女ちゃんを邪な目で見た男を見つめてたときよりヤバイ目をしている。…しかしあの阿呆女は気づかなかった。むしろ自分の思惑が上手くいっているとでも思っているのかベラベラと調子良さげに話しまくり、そして。

『あんな彼女さんなんて豪炎寺先輩に相応しくないですよ!』

その後のあの一言である。そして再び繰り返されたその一言に、豪炎寺が間髪入れずにジョッキを卓上に叩きつけた瞬間、俺は奴が完全にキレてしまったことを瞬時に察知した。やべぇ、ちびりそう。
今や部屋は完全に沈黙している。そりゃそうだろう。いつもクールだがあまり怒らないようなタイプの豪炎寺のガチギレ状態だ。ゼミの代表が俺に目で「何があった?」と問いかけてくるため、俺は黙って横目で阿呆女を見た。それだけで全てを理解したトップは空を仰いで十字を切った。アーメン。いや諦めるのが早いぞオイ。

「…お前が何を考えてあいつを悪く言うのかは知らないが、心の底から不愉快だ。何も知らないくせに俺の見た目だけ見て寄ってくる奴にもほとほと嫌気がさす」
「ご、豪炎寺先輩…?」

これでも抑えている方なのだろう。ジョッキを握る拳に血管浮かんでるし、相当な力で握り込んでいるのに違いない。割れないといいな、それ。
そしてとうとうこの場にいることですら嫌になったらしい豪炎寺は、万札を卓上に叩きつけて立ち上がった。静まり返った部屋に響いたバシリという音に、何人かが肩を震わせる。俺は黙って枝豆を食べた。

「先に帰らせてもらう」
「お前何で帰んの、電車もう無いだろ」
「あいつの家に泊めてもらう」
「それなら良いんだけどよ」

あいつ、というのが彼女ちゃんだと理解したらしい阿呆女が何か焦ったように豪炎寺を引き止めようとその腕に触れようとする。しかし触れる直前、まるで視界に入れることすら嫌だとでも言いたげに阿呆女を睨みつけながら豪炎寺は憎々しげに吐き捨てた。

「触るな。…俺はお前のように誰かを貶めるような発言しか出来ない人間が死ぬほど嫌いなんだ」

正しく言えば彼女ちゃんを悪くいう人間が死ぬほど嫌いなんですよね。俺知ってる。だが俺は空気を読んで黙っておくことにした。賢い。
そのまま不機嫌そうな顔で店を出て行った豪炎寺が姿を消した後少しずつ部屋の空気は元に戻っていったのだけれど、阿呆女は魂が抜けたように呆然と座り込んでいた。そりゃ、狙ってた憧れの先輩にあれだけ手酷くあしらわれたらショックも受けるわな。だが、あいつは好意とともに誠意を見せてくれる女の子にはきちんと誠意で返す。今回は悪意塗れだったからそれ相応の対応をした。それだけだ。

「…忘れ物してやがる」

ふと、あいつの座っていた席にハンカチがポツリと置き去りにされているのが目に入って立ち上がる。まだ店を出て五分も経っていないから、今から走れば追いつくだろう。仕方がない。
他の奴らに断って店を出て辺りを見渡せば、豪炎寺はコンビニの前で何やら電話をかけていた。相手は彼女ちゃんだろうか。会話に入る前に声をかけるべきかと躊躇っていれば、どうやら電話はすぐに繋がったらしい。

「あぁ、今店を出た。何か買うものはあるか?…アイス、だな。分かってる、いつものアレだろ」

豪炎寺の目は優しかった。まるで愛おしげなものを見るような目で、ここには居ない彼女ちゃんを見て微笑んでいた。用件はそれだけで、どうやら会話を終わらせてしまうらしい豪炎寺は最後に、くすぐったそうに笑みを浮かべて一言を告げて電話を切る。

「すぐに帰る」

「行く」じゃなくて「帰る」と言っているあたり、もう既に彼らカップルに割り込む隙は無いのだなぁと、密かに略奪の機会を狙っている男女たちを哀れに思う。その反面、幸せそうで何よりだと嬉しくも思った。
何せ俺と豪炎寺はこれでも一応友人で、俺はそのことを誇りに思うくらいには豪炎寺のことが友人として好きだ。そんな奴が幸せなのだというのなら、それはとても喜ばしいことだろう。

「…俺も彼女欲しいなぁ」

そんなことを呟きながら、俺は踵を返して先ほどの店に戻っていく。羨ましいよ、豪炎寺が。あそこまで人を好きになれることなんてそうそう無いことだし、何よりああも相手を信じて言い切れるような恋愛を出来てるだけで何かもうすげぇや。
店に戻るとあの阿呆女は既に帰ってしまっていた。たぶん、あの女が豪炎寺に近づくことはもう二度とあるまい。むしろ近づく勇気があったら讃えようじゃないか。
しかし、席に戻った俺を迎えた隣の同期が、何か言いたげに俺を見ていることに気がついて声をかける。いったい何がどうした?

「…お前さ、何しに外に出たんだっけ」
「え?いや、豪炎寺に忘れ物を…あ」

やっべ、ハンカチ渡し忘れてた。





「何が言いたいのかはよく分からないけど、私が修也くんに相応しいかどうかは修也くんが決めることだよ。少なくとも、修也くんが私を好きで、私が修也くんを好きな以上は別れる可能性は無いね。…というより、その可能性はゼロだから諦めた方が良いと思う」

後日、食堂で食ってかかるように「別れろ」「お前は豪炎寺先輩に相応しく無い」と喚いた阿呆女に対して、あくまで朗らかにあっけらかんとそう言い放った彼女ちゃん。それを聞いた俺は声の無い爆笑と共に机に突っ伏した。お似合いだよ、お前ら。