五月(愚者のパレード)


豪炎寺修也の初恋は、六歳の春に訪れた。
それは昔、まだ母が存命で妹の夕香が生まれていなかった頃の話。家族で訪れたテーマパークの人混みの真ん中で、自分はうっかり父と母の手を離し迷子になってしまったのだ。
周りを見渡しても、人、人、人。
知らない顔ばかりが並ぶその中に一人立ち竦むことしか出来ない自分の静かな絶望を今でも覚えている。
このままずっと両親とは会えないのでは無いか、なんて思わず泣きそうになってしまった。…その時だった。

「ねぇ、きみもまいご?」
「…ぇ」

袖を引かれて振り返れば、そこには自分と同じくらいの年頃の少女が立っていた。迷子になって初めて目線の合う人間と話せたことへの安堵と、知らない少女からの声かけに対する怖気から、自分は思わずどもって尋ね返す。

「…きみも、って…」
「うん、まいごなの。だからねぇ、今からまいごせんたーにいくんだよ」

一緒に行く?と手を差し出されながら首を傾げられ思わず躊躇ったものの、ここで断れば自分は一生この場で一人ぼっちになってしまうのだ、と思い直しその手を握った。自分と同じくらいの手のひらは、子供の体温らしく温かくて、その温もりに安堵する。
やがて少女に手を引かれながら進む先、笑顔で風船を配っているスタッフに対して「まいごです」と正直に告白した自分らは慌てたスタッフによりスムーズに迷子センターへ案内された。聞かれた通り自分の名前を告げて棒付きキャンディーを手渡されてから、パイプ椅子に座ってぼんやりとする。「パパとママもすぐ来るからね」と笑顔で言われたものの、それでも不安でたまらなかった。…視界が歪む。ここまで耐えてきたものが溢れそうになって、そして一粒だけ瞳から滴がこぼれ落ちて。

「ないちゃだめだよ」

ちょいちょい、と袖の端で目元を拭われてクリアになった視界の先には、優しい笑顔をした少女が居た。…泣いてはいけない、というのはやはり自分が「男の子」だからだろうか、だなんて思い俯けば、しかし自分に向けられた少女の声はその表情よりもずっと優しかった。

「ないたらね、もっとかなしくなるから、ないちゃだめなの」
「…そう、なの…?」
「うん、それにないたらね、お母さんたちもかなしくなるんだよ」

…その言葉に、今はここに居ない両親の姿を思い出した。大好きでたまらない、自分にとっては大切な存在。そんな彼らが、自分の涙のせいで悲しい思いをするのは嫌だと思った。

「…でも、なきたくなったら…」
「そのときはね、わらえばいいんだよ」
「わらう」
「にこにこ、ってすればねぇ、みんなもにこにこするの」

…その言葉は、たしかに正しかった。少女が自分の頬を人差し指で突つきながら無邪気に笑うその顔を見て、自分の泣きべそは思わずゆるりと笑みへと変わったのだから。そしてそんな自分の顔を見て、少女はさらに嬉しそうに笑う。

「ほら、かなしくないでしょ!」

…きっとあの笑顔が、幼心に知らない想いを植えつけた。
数年流れて、少しずつ大人になっていくに連れてあれこそがまさしく自分にとっての初恋だったと懐かしく思う。名前は聞いたような気もするけれど、八年の年月は無情にもあの日の記憶を風化させていた。残っていたのは、忘れられない初恋の衝撃。頭がジン、と痺れるような熱に浮かされたあの熱さ。…子供のくせに随分とマセた恋をしたものだ、なんて今は笑えてしまうけれど、あの頃はただただ衝撃でしか無かったのだ。







…そしてこれは完全な余談であるのだが、十四歳になった自分にとって二度目の恋と相成った少女がまさかその初恋の少女と同一人物であったということを豪炎寺が知るのは、もう少し先の未来の話である。