◾︎男と特効薬




新世界にあるその冬島は暗澹とした雲で覆われていた。ポーラータングの船窓から見えた今にも落っこちそうな灰色の空は、否が応でも故郷を思い出させる。

上陸した時からテンションはみるみる急降下し、おれは真っ先に船番を申し出た。こんな広い海に出たというのに、わざわざ故郷と似た雰囲気の島に足を踏み入れたくなかった。
気遣わしげなペンギンの声掛けを交わして甲板から皆を見送って、後は周囲の気配を気にしつつ船の見回り。それだけで、この日は終わるはずだった。


「リバーーーー!!ちょーでけえクラブあった!そこ行くから、顔貸せ!!」
「お前がいたら百人力だから!!」
「……ああ!?」

早いとこ寝てしまおうとベッドに上がった瞬間、勢いよく船員室に入ってきたシャチとペンギンに両腕を掴まれた。二人が船に戻ってきたことに気づいた時、嫌な予感がしてとっとと寝たフリ決め込もうと思ったのに。

顔貸せ、とはその字の表す通り、要はナンパの釣り餌になれということだ。こいつらそうやって引っ掛けた女に結局フラれ続けてんの、覚えてねえのか?心の底から溜息をついて拘束から抜け出そうと身を捩る。

「ぜってー無理。やだ。おれァ寝る」
「そこをなんとかあ!!」
「頼むよリバー様ああ!!」
「最終的に逃げられんのがオチだろ。無駄なことは──」
「キャプテンの好みの茶葉教えてやるから!!!」
「……ローの?」

ぴた、と動きを止めてペンギンを見下ろすと、にやりと笑みを浮かべて誇らしげに胸を張っていた。

「お前最近キャプテンにコーヒー淹れてやったりしてるだろ?案外紅茶もいけるって知ってたか?」
「北の海のとある茶葉がお好みなんだ……どうだ、美味しい紅茶淹れてキャプテンに喜んでほしくねェか?」
「分かった、行く」
「ヒュー、そう来ると思ってたぜ!!」
「お前がキャプテン大好きで良かったー!」

熟考する訳もなく、即決。喜んでほしいに決まってる。悔しいとか何も無い。あいつの名前を出されちまったらさ。


2人は大喜びでおれの肩に手を回し、ポーラータング号を早足で飛び出した。されるがままになりながら見上げた島の夜空は、星一つ見えない曇り空だ。やっぱり故郷に似ていて嫌になる。

曇り空に反比例するかのように、街は色とりどりの明かりで眩しい程だった。ペンギンとシャチに引きずられて一際明るい装飾で彩られた店のドアを開ける。

途端、纏わりつく熱気と騒音。薄暗い店内はギラギラとしたライトで照らされ、真ん中のステージでは男と女が入り乱れて踊っている。ただでさえ気だるかった身体が輪をかけてだるくなる。

騒音を振り払うように前髪をかきあげ人混みの中へ入ると、周りにいた幾人かがざわめくのが聞こえてきた。

「早速見つかってんなリバー」
「いやー目立つの嫌いなのに悪ィな」

全く悪びれもせず、兄貴分達はへらへらと肩に手を回してきた。しかしまあ、おれのこの顔でも2人になら面白半分で頼られるのは悪くない、とは思う。天竜人に値踏みされるよりもよっぽど。

「……なァ、そういやローは?まさかここにはいねェよな?」
「いやいるけど?この島飯屋少なくて、しゃーなしキャプテンも一緒に入ったんだ。ほらあそこ見ろよ、店の女の子半分くらい持ってかれてるぜ」

ペンギンが指さした先には、ベポの影に隠れるようにして壁際に佇むローと、それに群がる派手な服を着た女達がいた。折れそうに細い何本かの手が、おれを救ったローの綺麗な腕に回される。

胃の底から湧き上がるように虚しさが襲ってきて、その光景から目を逸らした。

「……おい目当てはどこだよ。とっとと済ませよーぜ」
「おう、あのカウンターらへんに超美人がいてさ…」

2人に連れられ、件の超美人とやらの元へ向かった。冬島だというのに細い腕を惜しげも無く晒した女の美しさは、おれには全くピンと来ない。無骨な刺青の彫られた最も美しい手を、知ってしまっているから。

何人かで連れ立っていたその集団に「ちょっと話さねえ?」と声をかければ、彼女らはまんまと色めきたって此方に興味を示した。

「やだお兄さん、超綺麗なんだけど!」
「睫毛ながーい、ねえナンパ?」
「うん、そんな感じ?なァそうだよな?」

酒そっちのけで身を乗り出してくる女を躱して、代わりに2人を差し出す。そしてペンギンとシャチの面白おかしい海の冒険譚に女達が盛り上がりだしたのを横目に、おれはとっとと輪を抜け出した。

煌めくライトと、煩わしい音楽。それで、店内の反対側には未だ女たちに囲まれるローの姿。

「……疲れた……」

こんな気分になる権利が無いことを、もう何度も自分に言い聞かせている。全てから目を逸らして、ライトの届かない暗がりの壁にもたれてしゃがみ込んだ。

俯いて靴の先をぼんやり眺める。フロアのはしゃぎ声は、まるでこの薄暗い島の空気を吹き飛ばそうとから回っているように聞こえた。

「気分、悪くなった?」

不意に、隣から低い声がした。鬱屈とした気分で顔を上げれば短い金髪の男が水を差し出しながら横にしゃがみこんでいた。上等そうなジャケットが店の安っぽいライトのせいで浮いているように見える。拳一つも空いていない距離感に目を走らせつつ、その水は有難く受け取ることにした。

「ただの人混み酔い。水どーも」

男の視線を無視しつつグラスを仰げば冷たい水が喉に流れ込んだ。すぐに空になったグラスを男が甲斐甲斐しく回収していく。はあ、と吐いた息は思いのほか深く重苦しかった。

「店に入った時からつまんなそうだったよね、君……女の子引っ掛けても全然嬉しくなさそうだったし」

全部見てたわけ、とか無駄なことは言わないでおいた。自分の胸が更に沈んでいくのが分かる。こういう奴の心情が、まじで理解できねェ。
筋肉質な体に、人に好かれそうな整った顔。引く手数多だろうに、こんな隅のおれんとこ来るなんて。

「なんか用?身体目当て的な?」

俯き言えば、男が少し息を飲む気配がした。これも、慣れた反応。

「……ごめん。入ってきた瞬間から、なんて綺麗なんだろうって…」
「あっそ。じゃ」
「えっちょ、ちょっと待って!」

低気圧のせいか頭まで痛くなってきた。もう、とっととポーラータングに帰って寝よう。万一にもローが女と出てくとことか絶対見たくねえし。
頭を抱えて立ち上がると、横から伸びてきた手に手首を掴まれた。振り返らないまま腕を捻ってそれを振りほどく。

「君、待って——」
「……」
「あ、諦められないよ」

出口にたどり着くためには一番人の多いフロアを通らなければならなかった。立ち上がった金髪男は思いのほか背が高く、目立つことこの上ない。周囲の奴らがざわめきながら振り向いてくるのを無視して歩を進めた。

「せめて名前教えてよ」
「……」
「一目惚れしたんだ、ねぇこっち向いてくれよ」
「っああ?おい……」

人混みのど真ん中で思い切り腕を引かれた。怠さを訴えていた身体は容易く引き止められる。面倒くせェな。殴っちまおうか?いや、騒ぎを起こすのはローの好む展開ではない。

「一晩……いや、一時間でも良い。君の時間をぼくにくれないか」

一晩、一時間。何の価値だ、それは。おれの顔?身体?…なんの意味も無い、そんなもの……あいつがくれた温かさに比べれば。

痛む脳裏に、さっき見えたローの姿がフラッシュバックした。あの大きな身体にまとわりつく、柔らかい女の身体。

どんなに足掻いたって、おれには与えてやることの出来ないもの。別に羨ましくなんか無いが、どうにもやるせないのは事実だ。

「っあー……めんどくせェなあ、おれ…」

苛立ちに任せ掴まれたままの腕を引っ張って、男を引き寄せた。目を丸くして倒れ込んできたその身体を受け止めて、耳に口を寄せる。

「気ィ変わった。おれをどうしたいの」
「っえ!?な、なんで急に、」
「欲しいっつったのはお前だろ……女じゃなくて、おれが良いんだよな?」

男の両手を掴んで、腰に回させた。ひくりと震えた手のひらが遠慮がちにくびれを掴む。耳元で感極まったように熱い息を吐いて、男は顔を真っ赤にしておれを見つめてきた。

「うん…き、君が良い……」
「ふうん趣味わりーな」
「そんな、人を見る目には自信あるよ」
「へえ?」
「本当に、綺麗だ…」
「あ、そ……まァ時間はやらねーけど、出口までならちょっと触らしてやろうか」
「ええ!?良いの!」

柔らかくも何ともない、こんな骨と筋肉だけの身体で興奮しちまうんだからこいつも気の毒だ。しかも、こんな馬鹿らしい思いに囚われる奴に利用されて。

酔いしれるような男の顔を見てたら、クソったれな優越感が満たされていくのも事実だった。おれにだって女に勝る魅力があるにはある、なんて。そんなこと考えたことも無かったのに。

やっぱりあんたはおれをおかしくさせる天才だな。

「…なら出ようぜ。ほら、出口までな」
「オーマイガー、まじか?信じられないよ…」

天を仰いだ男に近づいて、腰を抱かせたまま店の出口を目指す。胸元から尻のあたりまで身体の線をなぞるように動く手に辟易したが、ずきずきと痛み続ける頭の方が気になった。

「凄い。やっぱり細いよね、君…」
「あー、ちょっと黙って。畜生頭ガンガンする……」
「だ、大丈夫?」
「さっさと出てェ…」
「うん……君の髪さ、一目見た時から本当に綺麗な黒髪だと思っ、」

男の指先が髪に触れて、ロー以外に触らせたくねェなと振り払おうとした瞬間、足先に人間の手が降ってきた。

は?

ぼとりと落ちたそれを立ち止まって見つめる。手首で綺麗に切れた、人間の手。暫くそれと対峙し、次に男の叫びで我に返った。

「ッ手、手が!おれの手が落ちた!!え!?でも痛くない!なんで!?」
「……っ、」

ばっと振り返れば、ギラつくライトに照らされて店の中央に立つ長身。帽子の鍔で目元は見えないが、とんでもなく口を固く結んだローがいた。なんで、さっきまであんな遠くにいたのに。鬼哭はもう鞘に戻って抱えられているが、こんな芸当できる奴なんて、あんたしか。

「……あまり騒ぐんじゃねェ。もうくっつけられるはずだ」
「え、え!?……あ、ほんとだ」
「………リバー、頭痛がするならここを出るぞ」
「っロー?」
「ちょ…っお、お前なんなんだよ!?」

ローに力強く手首を掴まれてよろめいたおれの腰を、手をくっつけ終えた男が慌てて抱き寄せた。それを視界に収め、まだ足りねェのか、と呟き一歩踏み込んできたローの顔が赤いライトに照らされた。ようやく見えたその冷えきった表情に思わず唾を飲む。

男の腕を振り払わないおれを、凍えそうな瞳が睨む。

「おい……なんなんだこいつは?」
「え……こ、声掛けてきたから、」
「お前はそういう誘いに乗るようなタチだったか」
「いや……」
「なら行くぞ」

店内はすっかり静まり返って、人だかりがおれ達を中心に輪のようになっていた。「トラファルガー・ローじゃねえか」とか「じゃああの黒髪は一角天馬だ」とかポツポツとした声がやけに大きく響く。

それに気付かないらしい男は、ローに引かれるがままになろうとしたおれのもう片方の腕にしがみついた。絡む男の腕を、隈をこさえた瞳が静かに見下ろす。その冷たさに肝が冷えたが、同時に疑問も湧いてくる。

「……怒ってる?」
「そう見えるか」
「ああ…でもさっきまで、あんた良い雰囲気だったじゃねェか」
「お前にはそう映ったのか?」

硬い声が淡々と返ってくる。そう言われても、女達は明らかに乗り気だったのは事実だし、ローがこれまでの人生で女を抱いてきてるってのは確かだ。とんでもなく器用なキスやらなんやらのやり方がそれを物語ってる。

おれはあんたとじゃないともう何も出来ないけど、あんたは違うだろう。

「…映った。そりゃあんたに見合うような女はいねェけど、でも」

ぎり、と手首を掴む手に力が籠った。少し痛いと思ったけど、ローの方がしかめっ面をしていた。

「見当違いだ、馬鹿」

張り詰めた声。息をのみ、未だ腕に絡む男の手を急いで振り払った。ローと向き合ったまま背後の男に向かって口を開く。

「出口までとか言ったけど全部忘れろ。じゃ」
「え、ええ!?そんなあ」
「ロー、行こう」
「忘れられないよ、君のその身体──」

叫び続ける男を、勢いよく伸ばした翼で遮った。薄暗い店内に黒い羽根が舞い散る。ローの腕を掴み、おれは半ば飛ぶようにして出口を目指した。

「…どこ触らせた?」
「腰とか、そのへん」
「そうか」

外へ出た瞬間思いきり腰を引き寄せられた。ローの長い脚がドアを蹴るように閉める。翼ごと覆うようにしてローを引き寄せたまま、ポーラータングを目指して石畳の上を歩き出した。

結構、人の心の機微とかには気づく方だと思ってたけど。やっぱあんたのことになると分かんないことだらけだ。なあ、さっきなんで、傷ついた顔したの?

ざわざわと震える翼でローの肩を撫でて、繭のように包み込んだ。不安で心臓が重くなる。

「おれのこと…気持ちわりーって思ったり、した?」
「思うわけねェだろ」

間髪入れず返ってきた声に胸が熱くなった。ああ、良かった。自分を包む翼をローが優しく撫でてくれて、いつの間にか頭の痛みは引いていた。

「……なんか、あんたが女といたの見てから頭ぐるぐるしちまって」
「…お前、この島に着いた時から気分悪そうだっただろ。体調が悪ィと思考も落ち込みやすい。シャチとペンギンに連れ出されたんだろうが…とっとと寝とくべきだったな」
「ん…」
「頭痛は?」
「治った。あんたのおかげ」
「…何もしてねェが」

不服そうなローに思わず笑ってしまった。いるだけでいいんだ、なんて言葉にするのは流石に恥ずかしい。

ふと、腰に回された手に力が籠った。見上げれば、月明かりに照らされた端正な横顔が黙って前を向いている。

「……別にあいつと、寝ようとかは思って無かった」
「知ってる」
「だよな。つか、勃たねーし」
「おれは逆に、勃たねーお前を見たことねェがな」
「ぐ……」
「……リバー」

海風が吹く、町の片隅。引き寄せられた身体が長い腕に包み込まれる。上を見れば、静かに煌めく薄灰色の瞳がおれを見下ろしていた。

「頼むから…望んでもねえことは、してくれるな」



──ああ、こんなにも優しい男に、おれはこれ以上何を望んでたんだろう。



「……ん、分かった」

出しっぱなしだった翼と角を引っ込めて、踵を地面から離した。キスして良い?の意を込めて目を見つめれば、答えの代わりに唇が押し付けられた。

向こう側から歩いてきていた酔っぱらいの集団がギョッとして腰を抜かしたけど、知ったこっちゃねー。腰と、それから腕と。触られていた部分を上書きするようにきつく抱きしめられて、背中が反る。

女じゃなくて、おれを選んでくれた。最初っからおれを見ててくれた。ああ、なんて馬鹿みてぇな感傷。いつからこんなに弱くなったんだろう。多分あんたに出会ったあの日からだ。


「ちょ、なんかやたらとスタイル良い奴らがちゅーしてる!」
「ひっく、いやでも両方男じゃねえかァ?」
「つうかあの帽子どっかで……」


唇を合わせながら、ローが「バレちまいそうだな」と言って笑った。背後で右手が掲げられて、酔っぱらい達が道路の向こうに瞬間移動する。

「はは、悪ィの。流石海賊」
「お前もな。べたべた触らせやがって…今夜のあいつの頭ん中はお前一色だろうな」
「ん~?」
「誤魔化してんじゃねェ、この悪党」

2人して夜の港で笑い合う。曇り空の下だというのに幸せで、嬉しい。頭の痛みもどこかに消えた。

あんたが、いてくれるから。情けないが、それが今のおれの全てだ。



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なぎ様/独占欲と嫉妬、ナンパ、イチャつく2人



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