命知らず、なんていう言葉があるが、新世界はそんな奴らを一個の鍋に適当に放り込んだような場所だ。右を見ても左を見ても命知らず。心配してくれる家族もいない、失うもんなど何もない。そんな連中の掃き溜め。
その日も、鍛えられたおれの見聞色に命知らずの来訪が知らされた。とっくに察知しているであろう男達の輪の中で、剣を取り真っ先に立ち上がる。
「行ってくる」
「お前が行くまでもねェだろ、ケイレブ」
ヤソップさんが欠伸をしつつ、横目でおれを見た。傍には大量の空き樽。昨晩も遅くまで大騒ぎしていたからか、ルウさんなんかは完全に
眠りこけている。
「下っ端連中も昨日は飲みまくって疲れてるだろ?おれは平気だから」
「はは、相変わらず真面目なこって。頭ァ、いいのか?」
ヤソップさんが楽し気に呼び掛けたのにぴくりと指が跳ねる。それに気づいて、ベックマンさんが俯いて笑いを漏らした。
ああもう、ここ最近ずっとこうだ。完全に面白がられてる。いや、原因を作ったのは間違いなくおれなんだが。
「…ケイレブ、早く戻れよ?」
低い声が、すぐ隣から語り掛ける。それを拾った右耳が一気に熱くなった。
「わ、かってる。大丈夫。知ってるだろこんくらい——」
「いや、あんまり離れられると寂しいからなァ」
「うっ、へ!?さび…!?」
思いもよらない言葉だった。一歩踏み出しつまづいたおれを指さし、いつの間にか起きたルウさんが爆笑する。ああ、もう!
すぐに逃げだしたかったが、大きな手に手首が捉えられ勢いよく引き寄せられる。間近に迫った燃えるような赤髪にいよいよ心臓が暴れ始めた。
「あァ。お前がいないと、寂しい」
大海賊赤髪のシャンクスが、三本傷の走るその獣のような瞳をゆっくりと細める。
おれが恋焦がれ、捨てようともがき、そして捨てられなかったもの。心に巣食うこの男への欲望が大いに叫ぶ。
好きだ、好きだ、好きだ。
「…うわあ!あああ駄目だまじで!おかっお頭、手ェ離してくれ!」
「っははは!お前のそれ本当に面白ェなあ」
一年近く船を降り、そして紆余曲折を経て戻ってからというもの、この悪党の先輩方はおれをからかうことにすっかり味を占めてしまった。
「今まで冷静に澄ましてたお前に、こんな弱点があったとはな……よく今まで隠し通してたな」
ベックマンさんが未だ驚いたような顔でこちらを見てきて、いたたまれない。船に戻り、そして久方ぶりに顔を合わせた仲間たちに謝罪をして。隣に立ったお頭にいたずらに耳元に息を吹きかけられ、おれは腰を抜かして尻もちをついた。
以前までだったら耐えられただろうが、お頭にすべてがバレてしまったからそのブレーキも壊れてしまったようだった。赤面しながらお頭を呆然と見上げるおれを見て、周りの仲間が揃いも揃ってぽかんと口を開けていたのがついこの前のことだ。
「いやー、今まで不能とか言ってごめんなァケイレブ。まさか、対象が頭限定だとは…ぶふっ」
「ルウ、笑ってやるな。おれは嬉しいぜケイレブ。お前のそのデカいナニが、まさかおれ限定で元気になるなんて…はは、最高だなこりゃ!おーい、酒もう一杯!」
畜生、勝手に言ってろ。剣を腰に差し足早に輪を抜けた。
全てが図星だから言い返せないのが余計に悔しいし、これも全部一年もの間音信不通だったおれへの罰と思えば仕方のないことだとも思う。
脚に力を入れて飛び上がり、森を眼下に見ながら考える。
そもそもおれのナニがお頭限定でしか元気にならないとして、お頭は別におれ相手では元気にならないだろう。
想いが伝わったところで、相手から同じだけ返ってくるわけじゃないし、それを望んでもいない。ただ受け止めてくれただけでも、おれにとっては夢のような状況なんだから。
海岸には、船が三隻来ていた。崖に着地すれば先に来ていた見張り番が慌ててこちらを振り返る。
「ケイレブさん!?わざわざすんません!」
「こんな連中おれ達だけで…」
「いいよ。お前らも昨日飲んでたろ?おれが行くから休んどけ」
微笑んで、背中を押してやる。見張り番は感銘を受けたように涙目になり、頭を下げた。
「勿体ないお言葉です!!せめてここから、お背中学ばせていただきやす!」
「参考にならねェと思うけど…」
ま、いいや。このくらいの相手なら一人の方がやりやすくていい。剣の柄に手をかけ、海岸の淵で立ち止まる。船の甲板からはギラつく笑みを浮かべた連中が大勢こちらを見上げていた。新世界にまで到達し、そしてこの島まで来たのだ。その表情には確かな自信と矜持が見える。
「…やあ、ここが赤髪のシマだと知ってのご訪問か?死ぬ覚悟がねェなら帰ってもらおうか!」
問えば威勢のいい雄叫びが返ってきた。命知らずは、声がでかい。
「当たり前だろ!幹部一人でおれ達を相手しようってのかァ!?」
「しかも一番ひょろっちいのが出てきたぜ!なァケイレブさんよお!」
「宙を翔ける特攻隊長だかなんだか……だが数じゃこっちが上だ!」
返答を聞いて、剣を抜いた。やはりこいつらも、新世界に五万といる命知らずだ。
「そうか。じゃあ今からお前らを殺す。恨みっこは無しだ…海賊だからな!」
久しぶりの喧嘩だ。しかも命がけの。全く胸が高鳴って仕方ない。勢いよく飛び上がり、船のマストのてっぺんに着地する。
驚いた目玉がいくつも見上げてくる、見慣れた光景。
鉄砲玉も、何かよくわからん悪魔の実の能力も、
全てが全て些事でしかない。目の前のものを、蹴りあげて、斬る。おれはただそれだけを磨いてこの海を生き抜いてきた。
そうだ。おれは弱い人間だが、殺し合いで負けたことはない。この大航海時代のど真ん中で、殺さなきゃ殺される海で生きてきた。それが、おれがお頭に誇れる唯一の美点。そうだ…それだけしかない。
お頭から与えられた剣を、血だまりから引き抜く。伸びてくる訳の分からん植物や、岩や、
氷や、鉄を斬る。さすがここまでたどり着いた連中だ、技のバリエーションが多い。別の船から飛ばされる大砲を剣で受け流してもう一隻にぶつける。
返り血が滴り落ちる瞼を服で拭えば、目の前の男が「化け物」と叫んで頭から食らおうとしてきたのでその喉奥に切っ先を突き刺す。
数分も経たない内に、船が二隻新世界の海に沈んだ。海の青と血の赤が混じる。
最後の一隻に降り立てば、そこにはもう男が一人しか残っていなかった。刃についた血を袖で拭いながら、屍の山の中立ち尽くす長身の男と対峙する。
「お、おれ、おれの仲間が。さっきまであんなにいたのに…ああ、おれは無力な船長だ…!」
「ああ、そうか船長なのか。ごめんなあ。でもこうなることを覚悟してここに来たんだろ?」
「う、うっせェこの、化けもんが!呪ってやる!!!」
新世界まで来た海賊の船長だけあって、男は妙な能力を持っていた。その太い腕から細い針が大量に出るのを冷静に観察する。どうということはないな。腕を振り上げ襲い掛かってきた男の頭上まで飛びあがる。
その首を確かに斬った。そのはずだった。
針が消え、男の身体から生気が失われる。巨体がよろめき倒れてくるのを受け止めて、すぐに甲板に振り落とそうとして気が付いた。
おれの首の後ろに一本、針が刺さっている。斬られてなお最期の力を振り絞り刺したんだ。急ぎそれを引き抜けば、とんでも無い痛みに襲われうずくまった。
「ケイレブさーん!?」
「どうかしましたか!」
「ん、ああ!大丈夫!」
見張り番の声がした崖の上へ、笑顔を取り繕って手を上げた。
「船は全部沈めたって、お頭に伝えといてくれ!」
「くー!さすがっすケイレブさん!」
「了解でーす!!」
彼らが去ったのを見送ってから、男の死体を引き離す。「呪ってやる」って、言ってたっけ。
……なあ、おれ赤髪のシャンクスに惚れちまってるんだが、これも呪いだと思うか?物言わぬ死体はもちろん答えをくれることは無かった。
血を拭うこともせず皆の元へ戻った。おれの姿を見るなり、ヤソップさんが申し訳なさそうに水の入った樽を差し出してきた。
「悪かったな。予想以上に数が多いのが聞こえたから手助けに行こうと思ったんだが。お前があんまり早く片付けるから出番なかったよ」
「いい。気にしないでくれ。あー…船に戻って風呂入ってくるよ」
この痛みでは樽を受け取れないと判断し、やんわりと断った。とにかくホンゴウさんに会って診断してもらわないと。あの訳のわからん針には絶対毒がある。
「おい、どこか痛むのか?」
奥の方から鋭い声が飛んでくる。ベックマンさんか…相変わらずめざとい人だ。これ以上迷惑をかける訳にはいかないなあ、とぼんやり思い、曖昧な笑みを返した。
反対に、その横でハンモックに腰かけるお頭の顔には笑みが一切ない。朗らかでいることの方が多い人だから、細められた切れ長の瞳がやけに底冷えする空気を放っていた。
「いや、最後に油断したおれが悪ィ。大した事ないから大丈夫」
こんな血だらけの風貌で言っても説得力ないだろうな。急ぎホンゴウさんの元へ行くことにして、手を振ってその場を後にした。
適当に血を流し船医室の扉を開ければ、中にいたホンゴウさんはおれの顔を見るなりベッドに引きずり倒してきた。
「いだ、いだだ!ちょ、急にそんな」
「あの海岸に来てた連中か。何された?」
「妙な針で刺された…首の後ろ」
「うつ伏せに」
大人しく転がって枕を抱え込めば、ホンゴウさんはうーんとかあちゃーとか不穏な声を漏らしながらその箇所を診察しだした。特徴的なちょんまげの影が船医室の壁で揺らめくのを眺めていれば、突然すっくと立ち上がったホンゴウさんが何やら図鑑を持って戻ってきた。
「よし分かった。ケイレブ、覚悟して聞け」
「あんまり聞きたくないな……命に関わるか?」
「それは無い、と言いたいがお前と頭次第だ」
「……え、お頭?」
予想外の人物が登場したので思わず身体を起こす。首の痛みは酷くなる一方だ。
「なんでお頭が出てくる?」
「その能力者は、この蚊の持つ毒と同じ作用を持つ針を武器に使用していたらしい。その形の腫れ具合、痛み、間違いない。悪魔の実図鑑も確認したが特徴も一致してる」
「で、その毒の作用とは…?」
図鑑を閉じたホンゴウさんが、酷く真剣な顔でこちらに向き直る。
「ずばり、意中の相手とキスしないと一日で死ぬ」
「なっ………」
なんだってー!?
ふらりとベッドに舞い戻ったおれを、ホンゴウさんが真面目な顔のまま見下ろしてきた。ああ、嘘じゃないんだ。そんな、そんな阿呆みたいな話あるのか?あるのか。
「場合によっちゃ恐ろしい毒だ。例えば相手がいたとしても離れた距離にいたら必ず死んでしまう」
「ほんとだ、こえー……」
「その点お前は安心だな?なんせ頭は同じ船にいる…言えば必ず応じてくれるだろう。まァお前が言い出せればの話だが」
ホンゴウさんは全てを見抜き、そしてにっこりと笑みを浮かべた。
「あんな理由で船を一時的にでも降りたお前には厳しい条件だが……頑張れよ?命がかかってりゃあ、勇気だって出せるよな?キスしてくださいって言ってこい」
ああ、ホンゴウさんはきっとおれが勝手に拗らせて消えたあの一年に怒ってる。端正な男の笑顔は怖い。
ごめん、ごめんよ。謝るから、こんな仕打ちは勘弁してくれ。
「む、無理だ!無理無理!ホンゴウさん、頼むからお頭に言ってくれえ」
「ははは、無様だな特攻隊長ケイレブ。……本当にお前、おれ達に全部隠してたんだなあ……全く薄情な野郎だ」
「も、申し訳ないと思ってる!」
「情けねえ…お前、戻ったあと暫く頭の部屋から出てこなかったろ?キスのひとつやふたつしたんじゃねェのか」
した。した、けど。薄い唇の感触を思い出して耳が火照る。それを見て察したらしいホンゴウさんが、ますます首を傾げてデスクに頬杖をついた。
「じゃあいいじゃねぇか。ほら、とっとと行ってこい」
「いや、でも、おれからお頭に頼むなんて無理だ。この船に置いてもらえるだけでも夢みたいなのに…」
「……ああ、そういう奴だよなァお前は……ん、」
何かに気づいたようにホンゴウさんが扉を振り返る。同時におれの身体も跳ねて、思わず掛け布団を頭まで被って隠れた。この足音、考えなくたって誰か分かる。
すぐに扉の開く音がして、ホンゴウさんが「よお」と脳天気に声をかけた。
「よおホンゴウ。そん中にいるのはケイレブだな?」
「ご明察」
「そうか、やっぱり何かされたんだな。重いのか?」
「状況次第だな。後は本人に聞いてくれ。…おいケイレブ、医者としては面目ないがそれに痛み止めは効かん。とっとと吐き出すのが身のためだぜ」
そう言ってホンゴウさんは出ていってしまい、船医室には未だ布団に隠れるおれとお頭だけが残された。近寄ってきたお頭がベッドに腰掛ける気配が伝わって身体がこわばった。
「…大したことないってのは嘘だったのか?」
「いや、あん時は本当にそう思って」
「ヘェ……なぁ、もうおれを怒らせん方がいいぞケイレブ」
勢いよく掛け布団が引き剥がされる。お頭の右腕がダン、と音を立てて顔の横を掠めた。
恐る恐る上を見上げれば、ギラギラと瞳を煌めかせた大海賊が眉間に皺を寄せておれを見下ろしている。獣のようだ、とか。そんな生易しい形容では収まらない程に、この人は恐ろしい。
「顔が赤ェな…痛むのか」
「いや、これは……お頭が近すぎて……」
「え?……っはは!あーそりゃあ結構だがな、とっとと何があったか言え」
固く骨ばった指が優しく額を撫でた。いつの間にか本当に熱が出ていたらしい。
ああ、お頭、お頭。鮮やかな赤い髪が電球に照らされて光る。こんな幸せな状況の中死ねるなら、それはそれでいいんじゃないか。そう思ってしまう程に、魅惑的な空間だった。
「おい、聞いてんのか?」
「ごめん……おれ、もう、これ以上迷惑かけられないから……」
「……何?」
「このまま天国にいけたら、最高だ」
言い終えた瞬間傷の走るその瞳が大きく見開かれる。そして、す、と息を吸い込んだお頭から怒涛のように覇気が漏れた。美しさすら感じる、赤色の覇王色。
それを真正面から浴びて、自分がこの人の心を酷く傷つけてしまったことに気付く。
「あ……ご、ごめ、」
「二度と…二度と言うな」
顔の横につかれた右手が固く敷布団の布を握りしめ、おれから目を離さないまま顔が近づいた。赤い髪がぱらぱらと額に触れる。
首の痛みと熱と、そしてお頭への淀む欲望でどうにかなりそうだった。
未だ漏れ出る覇気をそのままに、身体を乗り上げたお頭と鼻先が触れ合う。その圧に押されて揺れる意識と身体を回る毒が、この唇を奪ってしまえと暴れていた。
鼻からたらりと血が流れた。至近距離でこんなの受けてりゃ、そりゃそうなる。
「さァ、言え。どこが悪い?どうすりゃ治る」
「待って、しょ、その覇気やばひ、お頭っ」
「止めて欲しけりゃ言え」
「き、キス……!」
「………は?何?」
きょとん、と大きな目が丸くなる。ああ、そうやって不意に少年みたいな顔になるとこもだいすきだ。
「毒針刺されて、そっそれが…好きな人とキスすりゃ治るって、ん、んんんん!」
言い切る間も無く、肉厚な舌が口内に勢いよく入ってきた。腰に乗りあげてきたお頭が、その分厚い胸板で押さえつけるようにおれを拘束する。右手で頬を痛いほど掴まれてかぶりつくようなキスが絶え間なく続いた。
唾液が顎を伝って落ちる。息ができなくて涙が零れた。目を閉じていたお頭が瞼を上げて、滲んだ視界越しに目が合う。
とんでもなく深いキスをしているのに、その瞳が優しく細められたもんだからまた涙が溢れた。
赤い髪に指を通してその首に手を回した。身体を襲っていた痛みが引いていくのが分かる。本当に、これが解毒になるんだ。原理がまるで分からんが、もう何も考えられない。
「ん、んん……!」
「………は……」
最後にじゅっと水音を立てて、お頭の唇が離れていく。口を半開きで涎を垂らしたまんま放心状態のおれを見下ろしながら、お頭はてらてらと光る唇を舐めて、額をこつんと擦り合わせた。
「……どうだ?治ったか」
「ん、うん……なおった……」
「はは、そりゃあ良かった。おれァ毒も認めるお前の想い人ってわけだ」
甘く低い声が心底楽しそうに笑った。
なおも流れる鼻血が、赤い舌に舐め取られる。おれの血を口につけたままお頭はにやりと悪どい笑みを浮かべた。
ああ、そうだ。おれはこの大海賊に捕らえられた。絶対に、それこそ死んだって、もう逃げられないんだ。
揃いの赤い血を顔を張り付けたまんま、おれも思わず笑みを返し、目を閉じた。