くちべた

COCO MEMO TEXT

叫べよ、青き恋よ



もしかしたら、迷惑に思われるかも。相談所のドアノブを握ろうとする手が不自然に開閉を繰り返す。中にいるはずの人物を想って、家を出るときに何度も心に決めたわたしの決意はずいぶんと萎んでしまったようだった。

霊幻さん。誰にも言えない、周りからすればちっぽけだと思われる悩みを真剣に聞いてくれた唯一の大人の人。街中で偶然見つけた「霊とか相談所」という看板に何を思ったか、自分の悩みを聞いてもらうことにしたわたしは、きっとこの人に会えなければ今頃どうしていたかわからない。自分を全く知らない、本当の意味で客観的に話を聞いてくれる人を探していた。仕事として請け負ってもらえるなら同情されることもないと思った。二度と会わない人になら心の底に溜まった思いを全て打ち明けられるとも。そうして、看板に書かれた霊とか、という文字よりも相談所の方に比重が傾いていたわたしは、それなら霊のせいだということにして相談してみようとこの怪しげなビルの中に足を運んだのだった。

結果から言えば、霊幻新隆と名乗るこの男は詐欺師であった。心当たりなんて微塵もない霊のせいにして悩みを打ち明けたわたしに彼は大袈裟なほどウンウンと頷き、とても真剣な表情で「それは悪霊の仕業ですね」とのたまった。看板から読み取れる胡散臭さは間違いではなかったらしい。けれどその事実がわたしにとっては有難かかった。とにかく話を聞いてもらってこの重たくのしかかる気持ちを軽くしたいと、その思いでいっぱいだったから。

そんなことを考えながら心の内を零していくわたしは、目の前の詐欺師の答えに心底驚くこととなる。目から鱗、こんなことならもっと早く、誰かに打ち明けていればよかったと、その時強く思った。不敵な笑みを浮かべて言葉を並べる霊幻さんは、同情も嘘も全く感じさせない話し方で、なのにまるで貴方のことは全て分かっているといわんばかりに寄り添ったアドバイスをくれた。現状の問題、解決策。現実的でいてかつ気持ちを上げてくれる、そんな話術にすっかり心を掴まれてしまったわたしは、その後、学生のわたしに嫌な顔一つせず話を聞いてくれる霊幻さんに甘えて何かと理由をつけ学校帰りにこの相談所へ来るようになっていたのだった。

手からぶら下がるケーキの箱が揺れた音で現実へもどされる。何度もここへ通ううちに霊幻さんとその弟子であるモブくんとご飯を食べるくらいにまで仲良くなったわたしに、いつしかモブくんが教えてくれた。「カレンダーのとこ、丸がついてるじゃないですか。この日は師匠のお誕生日なんですよ」そういったモブくんの目線はとても優しげで、何となく彼がわたしの想いに気づいてしまっているんじゃないかと頬が熱くなったのを思い出す。そうだ、わたしは霊幻さんへ感謝を伝えにきたんだ。別に告白をしようとかそういうわけじゃないんだから、大丈夫、だいじょうぶ…。何度も深呼吸をして、わたしは意を決しドアノブを回す。


「こ、こんにちは!」
「おう、名前じゃねーか。珍しいなこんな時間に」


緊張で一人どもるわたしに中にいた霊幻さんは笑顔で返してくれた。どんな気持ちも笑いかけてくれる彼の声が何てことないものにしてしまうから、恋というのは不思議だと思う。霊幻さんをみて何だか気が抜けたわたしは無意識に笑顔になった。霊幻さんの座る作業机の側まで近寄って、手に提げていたケーキを差し出す。


「えっと、お誕生日おめでとうございます。霊幻さんに出会えて、わたし本当に感謝してて…こ、これはその気持ちです」


思っていたよりもすんなり行動に移した自分へ全力で拍手を送りたいと思った。若干声が震えてしまった気はしたけれど、気のせいだと言い聞かせて冷静になろうと努める。だけどやっぱり、突然やってきて挨拶もそこそこにこんなことをして、大人な彼は迷惑に思ったかもしれない。ずっと考えていたことが今更こみ上げてきて、わたしは自分の子供っぽさに不安がゆれながら大きくなっていくのを感じた。そのとき、話しながら霊幻さんの顔が見れなくなって視線を床に落としたままだったわたしは、ふと耳に衣服の擦れる音を聞いて顔を上げる。目に入った光景に思わず自分の頬が赤くなるのが、わかった。


「あー、まじか。いや、うん…そうか、俺の誕生日……」


口元を手で覆って視線を鈍い動作であちこちにやる霊幻さんの、その大きな手に覆いきれていない頬が赤らんでいて、小さな声でもごもごと何やらごちている。軽い調子でありがとうなと笑ってくれる、そんな想像をしていたわたしは、予想外な上に今まで見たことがない彼のその反応に言葉を失っていた。ちらりとこちらをみた霊幻さんが、顔を覆っていた手をそのまま拳に変えて小さく咳払いをする。ケーキを慎重な動作で受け取った彼はそれを机の上に置いて、わたしに視線を合わせた。


「ありがとうな。流石は女子高生!サプライズ大成功だ」


そう茶化しながらスーツのズボンのポケットに両手を突っ込んで笑う霊幻さんは照れくさそうにしているけれど、わたしにも分かるくらい嬉しそうにしていて、そんな大人の男の人をかわいいと思ってしまったことが何だかいけないことのように思えて、胸がきゅっとしまって一瞬呼吸が難しくなる。身体がかあっと一気に熱くなって、冷静になろうとしていた努力なんて最初からなかったみたいになくなってしまった。どっと霊幻さんに向ける好きが溢れて、このままじゃなんだか不味い気がすると、わたしは慌てて声を上げる。


「そっそそそれじゃあわたしはこれで!本当におめでとうございます霊幻さん!後でモブくんと食べて下さいね!」
「はっ?ちょっおい!」


肩からずり落ちかけていた鞄をしっかり握りしめ、それではと片手を上げる。突然のことに素っ頓狂な声を上げた霊幻さんの顔なんて見れず、体を180度ぐるりとまわしてパニックになる頭をそのまま急いで相談所の玄関まで向かおうと足を踏み出した。けれど進行方向へ傾いた体はわたしの手首を掴んだ大きな力に、身も心も動くことは叶わなくなってしまう。「待て名前」手首を掴んだままのそう言う霊幻さんの声に身体が揺れて、彼の顔が見れない。まさか引き止められると思っていなくて、おめでとうと感謝を伝えてもう何も残っていないわたしには、霊幻さんが何を思ってこんな行動を取っているのか全くわからなかった。ごくりと鳴らした喉が二人だけの相談所に大きく響いてしまった気がして、心臓が口から出てしまう気さえしてしまう。

ゆっくりと、今持てるだけのなけなしの勇気を振り絞って、わたしは霊幻さんを振り返る。そして、口から出そうだと思っていた心臓が今度は止まったのではないかと思ってしまった。真剣な面持ちで、だけど額に汗を浮かせた霊幻さんが、振り返ったわたしにほっと息をついたのが見えたから。大人の男の人の力ならわたしを引き止めるくらい、物理的に何てことないはずなのにその力強さは感じられなくて、だけど彼の大きな手に包まれた手首は振り払うことが許されないと言われてるみたいに動かなくて、その優しさと強引さが合わさったみたいな力加減に心がどうしようもなく乱されてしまう。

ばくばくと鳴り止まない心臓は間違いなく霊幻さんのせいなのに、そんな彼をみれば真剣なその表情はそのまま、ふと小さな息を漏らして笑った霊幻さんが「もうちょっとここにいろよ」なんて、目を細めて言うから。ほとんど無意識に溢れたわたしの、とても小さな返事が全てだ。そんな言葉だってしっかり拾う霊幻さんは本当にずるいと思う。満足げに口角を上げた彼に引っ張られるようにして、わたしは鞄を床に落とした。きっと、時計の針があと何周かすれば弟子の彼がやってくる。それまでにこのゆるみきったどうしようもない愛おしさを、どうにか抑えないといけないと思った。


わたしはご機嫌にケーキの箱を開ける霊幻さんをみて、彼の為にならいくらでも上がっていってしまう身体の熱に、幸福を感じて口を開く。あなたに出会えてよかったです。あなたの今までに感謝をします。あなたのこれからに、幸せを願います。これからもそばにいたいと思うことを、許してほしいと思います。こんな風に人を好きになるなんて、今までなかったことだから。

一方的な子供の恋が、相手の幸せを願う愛に変わっていることを、名前は知らない。いろんな気持ちをぎゅっと込めて、何度だって言いたいと思う。「おめでとうございます。霊幻さん」そう言って唇をほんのすこし横に広げて微笑む名前に、霊幻は目を若干丸くさせて動きを止める。真摯に慕ってくれる少女の直向きな言葉は、大の大人だって参るというやつだ。頭の後ろをわざと大袈裟にかくのは彼が何かを耐え忍ぼうとする証拠でもあった。彼女が何度も言うのなら、こちらもそれに応えたいと思う幸福が、ここにはある。ありがとうと返事をしつつ名前の頭を撫でようと手を伸ばした霊幻は、この陽だまりのような少女の想いに鼻の奥がツンとするのがわかって、ごまかすようにぐしゃぐしゃと撫で回した。

慌てて叫び出す名前の声に、霊幻は声を上げて笑った。



師匠、お誕生日おめでとう!





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