「ねぇ、やっぱりさっきのってうちのニフラーだったよね?」
「手に負えないうちのニフラーだった」
「よりにもよって銀行前で抜け出しちゃうなんて……」
階段を駆け上り銀行内に入ると、上質そうなスーツに身を包んだ銀行員に「何かお探しですか?」と声をかけられた。見慣れない格好の日本人とイギリス人が銀行内を見回す様はさぞ不審だったことだろう。
「ああ、いやちょっと……待っているだけです」
「ええ、そう。人と待ち合わせをしているんですけど、見当たらなくて……あっ、でももう、見つかったみたい」
ジェイコブの隣にニュートが座ったことを確認し「お声がけくださってありがとうございます」とにこやかな笑みを浮かべて立ち去った。
「すっごくドキドキした。嘘だってバレたら怒られちゃうかも」
「大丈夫だよ」
視線を下に向けてニフラーを探すニュートに「本当?」と返しながら、空いている真ん中のスペースに座る。隣に座るジェイコブは、この銀行の融資担当であるビングリーとの面談に緊張しているのか、まだ私に気づいていない。ちょん、と肩を叩いて「こんにちは」と挨拶をすると「やあ」と明るい返事が返された。
「あれ?さっき会ったよな?」
「ええ。道を塞いでしまってごめんなさい」
「いいって、別に気にしてない」
「ありがとう」
ジェイコブは「一緒?」と私とニュートを交互に指した。
「そう。一緒に来たの」
「2人は……あー、恋人?夫婦?」
「どちらでもなくて、友達」
「今はね」
「え?今は、って何?」
「さっき、君も言ってただろう。今は、って」
「どういう意味?今後、友達じゃなくなるってこと?」
「ごめん、俺が聞いたのが悪かったよ。2人は今日は何の用?」
「あなたと同じ……」
「パン屋を開く資金の相談に?」
「そうなの。私たちもパン屋を開こうと思ってその相談に」
「……すごい偶然だ。まぁ、お互いにベストを尽くすしかないな」
「ええ。そうね。お互いベストを尽くして頑張りましょう」
ニフラーを見つけたらしいニュートは、急に立ち上がると足早にそちらへ向かっていった。
「ところで、お店の名前は決まってるの?」
「俺の名前から取って、コワルスキーベーカリーにしようと思ってるんだ」
「いい名前ね!」
「そっちは?」
「あー、私たちのお店は……パン屋、かな」
「パン屋って名前のパン屋?分かりやすくていいな」
「まぁ、そうね。ありがとう、そう言ってくれて」
名前のセンスが無さすぎて私たちのパン屋には恐らく誰も来ないだろう。ジェイコブの手を取ると、ニュートの代わりに握手を交わした。
「あなたが上手くいくことを祈っているわ。コワルスキーさん」
今からの面談では納得のいく返事をもらえないかもしれないが、必ず上手くいくので気を落とさないでほしい。ベンチに残された銀の卵と、背後から私を呼ぶ大きな声には気づかないフリをして、ニュートの姿を探した。
「あ!ニュート!ニフラーを見つけたの?」
「ああ、うん。ほら、あそこに……」
「ほんとだ。でも、捕まえるにはちょっと大変そう」
カバンからカバンへと飛び移るニフラーは素早く、捕まえるのは難しそうだ。ニフラーが飛び込んだカバンから目を離さないよう、窓口に並ぶ。その持ち主である女性は、順番が来るとカバンを大きく開き何かを探しているようだった。何か大事なものをニフラーに盗られたに違いない。あと1人で私たちの順番がくるという時に、背後でコインの落ちる音が聞こえた。
「こっちだ」
同様にコインの音を聞きつけたニュートは、私の手を引いて列から外れた。顧客対応に追われる銀行員たちも列に並ぶ人々も、突然棚の下に潜り込んだニュートには幸い誰も気づいていないようだった。
「ニフラーいた!?」
「……ごめん、失敗した」
飛び出してきたニフラーは、そのまま銀行窓口の格子の上に飛び移り、私たちの手の届かない向こう側に降りた。困った状況になってしまったことに、2人で顔を見合わせた。流石にあそこには捕まえに行くことができない。映画を観て知っての通り正規の方法ではという話だが。ニフラーはそのままカートの上に移動し、何も知らない警備員がエレベーターへ向かって押していく。
「おい!そこの2人!イギリスの旦那!卵が孵りそうだぞ!」
ジェイコブの声に、揃って後ろを振り向く。彼は手にした卵を持ち上げて「ほら!」とこちらに見せた。
「オカミーの卵!私、受け取ってこようか?」
「いや……」
思案するようにジェイコブとニフラーを交互に見たニュートは、力強く私を抱き寄せてジェイコブに杖を向けた。姿くらましは強力な魔法であり、許可を得た17才以上でないと使用ができない。うっかりばらけてしまわぬよう、しっかりとニュートに捕まった。
「わっ」
姿現しで移動した衝撃でよろけ、後ろの壁に軽く頭をぶつけた。ジェイコブからニュートの手に渡ったオカミーの卵には、ヒビが入っている。パキパキと小さな音を立て、青い蛇のような姿のオカミーが、割れた殻の隙間から顔を出した。たった今生まれたばかりでまだ本当に小さいひなだ。命が生まれる瞬間に立ち会うのは今回が初めてではないが、いつだって初めて見るような感動を受ける。神秘的でとても美しい。「可愛いでしょう?」とジェイコブを見ると、何が何だか分からないと顔に書いてあり笑ってしまった。ニュートからオカミーのひなを手渡され、彼に続いて階段を降りていく。
「何なんだ……?」
「コワルスキーさん。早く来ないと見つかっちゃいますよ」
階下でトランクを開いたニュートにひなを手渡していると、慌てた様子のジェイコブが降りてきた。
「ほら、お入り……みんなじっとしてて」
「気になるのは分かるけど、もう少しだけ大人しくしててね」
「こら、ドゥーガル、だめだってば。お仕置きされたいか?」
こら、と好奇心旺盛な動物たちを叱るニュートにオタク心がざわつく。何その怒り方可愛すぎるんですけど、とオタク特有の早口で今にも言葉が飛び出してしまいそうだった。自分が言われているわけではないというのに、ドキッとしてしまう。
「ピケットも興味津々だね」
ポケットから顔を覗かせていたピケットに話しかけると、片手を挙げて私の言葉に応えてくれた。
「僕が下に降りなくてもいいように、いい子にしてて」
「私が降りてもいいのよ」
「それは、やめて。名前が降りたら、みんな大喜びで更に落ち着きがなくなる」
「え?そう?……あっ!見てあそこ!!」
施錠された扉の下から、金庫の中に入りこもうとしているニフラーの姿が目に入った。ニュートの肩を揺らし「ほら!あれ!」とそちらを指す。ほんの僅かな隙間でさえ、ああして潜り込んでしまうなんて。ニュートが「アロホモラ」と呪文を唱えると、大きな音を立てて金庫の歯車が回りはじめた。
「おまえたち、金庫の金を盗もうっていうのか?」
背後に突然現れたビングリーが、私たちを見て非常ベルを押した。鳴り響く警報に驚き、コートから杖を取り出すとニュートよりも先に彼へ呪文を放った。
「ペトフィカス・トタルス!」
「ビングリーさん!」
呪文を受けたビングリーは、直立した姿勢のまま後ろに倒れ込んだ。
「待って、ごめんなさい。そんなつもりじゃなかったの。非常ボタンを押されるなんて経験そうないから驚いちゃって……つい」
聞かれてもいない言い訳を口にしながらジェイコブを見ると、顔を青くして固まっていた。確かニュートが放つはずだった呪文を自分がやってしまったということに、私自身が一番驚いている。非常ボタンを押されるようなことをしている自分たちが悪いのだが。
「ニュート、そっちはどう?」
「うーん……あと、もう少し。こら!だめだよ」
叱ってはいるものの、我が子の可愛さに彼の顔がニヤけているのが分かる。逆さになったニフラーから出てきたコインやネックレスなどの金品で、ニュートの足元には宝の山ができていた。彼がニフラーの腹をくすぐるたび、また1つ、2つとその山の上に積まれてく。
「可愛いのは分かるけど早くして!」
「ご、ごめん名前」
階段からぞろぞろと降りてきた警備員たちが、一斉にこちらへ銃を向けた。
「違うんだ……待って……撃たないで!」
「名前!」
「ニュート!」
2人でジェイコブを掴むと、姿くらましでその場を去った。