おはようとおやすみと


01


雨が降り続けている。勢いよく地面に落ちた雨粒が跳ね返り、容赦なく足元を濡らした。無人区域とされるこの辺りはきちんと整備されていない場所も多いため、ぬかるんだ水溜りに足を突っ込みかねない。護送車から降りてすぐに、湿気に負けた前髪がぺたりと額に張り付いた。

「もう前髪終わった」
「そんなこと勤務中に気にするだけ無駄よ」

近くで聞いていた六合塚は、呆れたように言葉を返した。勤務中、身嗜みに気を遣っている暇はない。潜在犯認定された対象との追いかけっこなのだ。とはいえ、多少なりとも気にしてしまうのは仕方ない。視界を遮る毛束を指先でちょいと持ち上げ、軽く払いのけた。どうにも上手くいかない煩わしさに、気分は下降していく一方である。

「私も弥生ちゃんみたいにパッツン前髪にしようかな」
「好きにすればいいじゃない」
「似合うと思う?」
「私に聞かないで」

丁度向かいに立つ宜野座が、何か言いたげに視線をこちらに寄越した。私語は慎めとでも言いたいのだろう。お小言を言われる前にサッと逸らした先で、頼りなさげに眉を下げる女性と目が合った。恐らく、先日宜野座から発表のあった成績優秀という新任監視官。同じタイミングで彼女に気づいたらしい滕が上機嫌で声をかけると、困惑した表情を浮かべた。常守朱監視官。万年人手不足である一係の女性監視官として着任した彼女は、この現場の空気からはどこか浮いて見える。
頭を深く下げた彼女に対し、何の反応も示さぬ面々を代表して「こちらこそよろしくお願いします」と返事を返す。少しばかり緊張が和らいだのか、彼女は先ほどまでの硬い表情をわずかに緩ませた。執行官に対してああいった丁寧な挨拶をする監視官は珍しいが、挨拶くらい無視せず返してあげればいいのにと思うのは私だけなんだろうか。

「全員、対象のデータには目を通してあるな?」

宜野座の言葉に頷き返し、確認のため装着したデバイスを起動させた。対象は街頭スキャナーに引っかかった後、人質を連れてこの廃棄区画へと逃げ込んでいる。

「今から二手に分かれて袋の鼠を絞め潰す」
「チーム分けは?」
「六合塚と滕、(白城)は俺と来い。後の2人は常守監視官に同伴しろ」
「えぇ?オレはカワイコチャンと一緒がいいっす!」

騒ぐ滕に宜野座の冷ややかな視線が向けられた。

「今日が初日の常守監視官には3人つけるべきでは?宜野座監視官は3人もいらないでしょ」

初の現場で同伴するのが男2人だけよりも、女がいた方が彼女も安心するのではないだろうか。「あ、それとも私がいないと寂しいですか?」と言った私に、宜野座は目を釣り上げた。

「黙れ!お前たちは決定事項にいちいち口を出すな!」



「え、オレは?」
「滕は宜野座監視官のチームでしょ」
「は?(せな)ちゃんだけズリぃ!てか、ツッコミなしとかマジありえねぇ」
「すべってるのよ」

滕の言葉を完全に無視した宜野座は、ドミネーターを抜いて足早に廃棄区画へと踏み込んでいく。六合塚と滕もドローンからドミネーターを一挺ずつ抜き、その後を追う。

「(せな)ちゃんお先〜」
「はーい。あとでね」

先を歩いていた宜野座は一度だけこちらを振り返り「白城。お前は問題を起こすなよ」と鋭い視線を向けていった。

「あの人、私のこと犬か何かだと思ってる節あるんだよね。まあ、猟犬だからあながち間違いではないんだけど……」

上司であり先輩でもある宜野座が去り、再び不安げな表情を見せる彼女に声をかける。着任早々こんな現場に呼び出された挙句、さっさと先に行ってしまわれては心許ないだろう。「あの」「ええと」「どうすれば」と戸惑いの言葉を口にして狼狽える彼女に「大丈夫だから一旦落ち着いて」と笑いかけた。

「私は(白城せな)。よろしくね、常守さん。そっちは狡噛慎也」
「でもって俺は征陸智巳。よろしく頼むよ、お嬢さん」

遅ればせながら名乗ったこちらに、彼女は軽い会釈を返した。もう1人の捻くれた監視官と違い、素直で真っ直ぐな性格なのだろう。公安局監視官の適性があるとシビュラが判断したとはいえ、ここはそういう人ほど折れてしまいやすい環境だ。今後、耐えられなくなる可能性は大いにある。今なおガチガチに緊張している常守を気遣って征陸が発した軽い冗談を、今まで沈黙を保っていた狡噛がバサリと切り捨てた。

「私たちもそろそろ行こう」

宜野座たちとは別の装備運搬ドローンからドミネーターを抜き起動させる。この指向性音声も慣れるまでは煩わしく感じることだろう。

《ユーザー認証・(白城せな)執行官・公安局刑事課所属・使用許諾確認・適正ユーザーです》

正常に認証が済んだことを確認。ホルスターにさしこむと、同様にドミネーターを手にした常守に向き直った。できればこれを使わずに事を終えたいものだが、そうもいかないのが常である。

「ブリーフィングは……段取りの打ち合わせとか、しないんですか?」
「ああ、そういうのは」
「俺たちが獲物を狩り、あんたが見届ける。それだけのことだ」

やらないの、というあと一言は狡噛によって遮られた。これには常守も「できればもうちょっと具体的に……」と戸惑いを見せている。一係の男たちはいつも大雑把なのだ。特に狡噛は、他者にも分かりやすく言葉にするという癖をつけてほしい。

「分かりづらくてごめんね」
「いえ……そんな」
「でも、心配しなくても大丈夫。私たち現場には慣れてるし、こういう時は段取りの打ち合わせとかしないことの方が多いの」
「まぁ、任せとけってことだ。俺たちもこう見えて専門家だからな」
「うん。まぁ、そんな感じ。だから、気張らなくても大丈夫だよ」

捜査中、対象の犯罪係数が上昇すればその都度対応が変わってくる。相手は生きている人間。細かく作戦を立てたところで上手くいかないものだ。「そうなんですね」と言いながら、常守はあまり納得していないようだったが。

「俺たちには俺たちの流儀がある」

狡噛は「だが、」と話を続けながらドミネーターを抜いた。

「その責任を負うのは監視官であるあんただ。だから俺のやり口が気に入らない時は、そいつで俺を撃て」

小さく声を漏らし、狡噛を見つめたまま固まってしまった常守は、彼の言葉を受けて呆気に取られたようだった。

「そう言われて簡単に撃てると思う?」

ため息混じりに言葉を返す。宜野座なら問答無用で撃ってくるに違いないが、初日からそれはハードすぎやしないだろうか。

「何も間違ってはいないだろ。俺たちも対象と同じ潜在犯だ。ドミネーターは作動する」
「それはそうなんだけど……」

彼の言い分も間違ってはいないのだが、極端だ。()監視官と同僚を置いて1人勝手に廃棄区画へと向かう狡噛に声をかける。

「単独行動は怒られるよ」
「お前が来るなら単独じゃない」
「常守さん置いていくわけにはいかないよ」
「そうか。なら、仕方ないな」
「ちょっと狡噛……!」

狡噛の単独行動は実は今に始まったことではない。その度、宜野座が顔を赤くしたり青くしたりしている。しかし、今の彼は着任したばかりの常守の監視下にあるのだ。狡噛が勝手に単独行動をしたうえ、何か問題があれば必然的に彼女の責任になってしまう。それはよろしくない。徐々にネオンの海へと溶け込んでいく背中と、残された2人に視線を行き来させる。すぐに追いかけて行った方が良さそうだが、2人を残していくわけにもいかない。

「コウについてってやれ」

目が合った征陸は、諦めたようにそう促した。

「心配せずとも後から俺たちも追いつくさ」

でも、と言いかけて、狡噛を1人放っておくよりはいいかと言葉を飲み込んだ。

「もし怒られたら、止めたのに勝手に行っちゃったって言って大丈夫だから」

問題を起こすなと先ほど宜野座に釘を刺されたばかりだが、何も問題を起こさなければいいだけの話だ。征陸が頷いたのを確認して、後を追うべく廃棄区画へと踏み込んだ。


          2


悪天候の日には、屋外の環境ホロは基本的に全てオフになっている。しかし、天候関係なくこの廃棄区画内には元々環境ホロが適用されていない。登録上無人とされる場所に、メンタル保持のための外観装飾など必要ないからだ。実際は浮浪者の巣窟となっていようとも、システムはそれを認めない。認知してしまえば不具合が起きるからだ。その代わり、全時代的なネオン看板がこのエリアを彩っている。目がチカチカするようなカラーリングに、時折聞こえる電気が流れる音。日々メンタルケアのために尽力する一般市民たちが目にしたら、すぐに色相が濁ってしまいそうな光景だ。一見、派手で明るい印象を受ける区域ではあるが、実際はデートにも向かないディープな街である。狡噛、と自身の名前に反応して振り向いた彼の隣に並んだ。

「置いてきたのか?」
「先に置いてったのはそっちでしょ。征さんが狡噛についてってやれって」

常守のことが気がかりではあるものの、征陸が一緒なら大丈夫だろう。

「新しい監視官、狡噛から見てどう思った?」
「まだほんの少し顔を合わせただけだ。どうと聞かれても答えられんな」
「そっか」
「だが、ずっとあの調子なら辞めるのも時間の問題だろう。現場に耐えられるとは思えない」

的確ではあるが、狡噛の言葉には棘があるようにも感じる。自分も昔は新任監視官として配属されてたのに、という言葉が出掛かりそうになったが心中に留めておいた。

「そういうお前はどうなんだ?」

前方に向けられていた視線がこちらへ移された。返事を待つように、彼の長いまつ毛がゆっくりと上下する。

「優しそうないい子だと思ったよ。でも、すぐに折れそうな気もした」

私が受けた印象を聞いた狡噛は「似たようなもんだな」と呟いた。まだ幼さの残る顔立ちに、すぐに壊れてしまいそうな華奢な体。今後どうなるか分からないが、現時点では頼りになるとは言えない。タフな精神、或いは宜野座のような人物でなければ、すぐに色相が濁り犯罪係数が悪化してしまうだろう。

「監視官がどうであれ、俺たちは俺たちのすべき事をやるだけだ」
「うん」

まだ、誰からも対象を発見したという連絡はない。視界の隅にチラリと見えた飲食店の看板に、ぐぅと小さく腹が鳴った。聞き逃さずすぐに気づいた狡噛は「この状況で腹が鳴るのはお前くらいだよ」と笑ったが、生理現象なのだ。仕方ない。

「帰ったら何食べよう。あったかい麺類にしようかな」
「昨日の夜勤後にも食べてただろ」
「だって毎日寒くて、つい」

こう寒いと、どうしても温かい汁物に手を出してしまう。その次が鍋だが、それは滕が食材を仕入れられた時ぐらいだ。前回集まって鍋を囲んだのは随分前の話である。公安局の食堂で手軽に食べられる範囲で考えると、蕎麦、うどん、ラーメンあたりをついつい周回してしまう。あまり良くはないだろうと思いつつも、固形食品のオンパレードより遥かに魅力的なのだ。

「あ。征さんたち」

目下にこちらを見上げる征陸と常守の姿がある。一瞬、立ち止まってハンドサインで()行く先を示すと双方再び歩き出した。

「ねぇ、今日は血を見ずに帰れそうじゃない?」
「どうだかな」
「だって最近、グロテスクな姿を見過ぎて頭おかしくなりそう」

狡噛は、ハッと鼻で笑った。

「それくらいで発狂する女じゃないだろ」

ここ最近、パラライザーでは済まない類の事件が立て込んでおり、流石に脳が疲れてきている。それくらいで発狂する女じゃないとしても、そろそろ夢の中まで赤く染まりそうな気さえしてしまう。安眠のためにも今日ばかりは静かに身柄を確保させてほしい。

『こちらハウンド4、対象を発見』

通信無線に入った滕からの連絡に集中する。
廃棄区画内、KTビルにて対象と人質を発見。人質の女性の身が案じられるため、滕一人でそのまま確保に移るようだ。許可を出す宜野座の声の少し後で、焦る滕の声が耳に響いた。

『パラライザーが効かねぇ!野郎、興奮剤か何かキメてやがる!』
「えぇ……嘘でしょ」

無線越しに女性の悲鳴が届く。その瞬間、対象の脅威判定が更新された。

《執行モード・リーサル・エリミネーター・慎重に照準を定め・対象を排除してください》

今回の対象、ヴァーチャルスポーツジム勤務であった大倉信夫はこの社会には不必要。シビュラにとって用済みとみなされてしまったようだ。機械によって人の生死を簡単に決められるなどおかしな話。しかし、それがシビュラの下した答えならば、私たち執行官はそれに従う義務がある。ただ、やるべきことを、任務を遂行するだけだ。顔を見合わせた狡噛は「残念だったな。血を見ずには終われんらしい」と私の頭に手を乗せた。

         3

ネオンが眩しいのは表側だけ。更に奥へと進んでいくと、薄暗い空間が多々存在している。こういった捜査でもない限り、女が来るような場所ではない。()あちこちから伸びる鉄パイプに躓いて転びそうだ。ひび割れたコンクリート面に、カツンと、ヒールの音が鳴る。そこまで高さはないのだが、静かな分やけに響いてしまう。滕から連絡のあったビル付近、何かに気づいた狡噛に抑止され足を止めた。鉄パイプの影に身を潜め、狡噛の視線を辿る。大倉が人質の女性を担ぎ移動する姿を捉えた(見えた)。

「ビンゴ」

思わず口角が上がった。同時に、丁度鉢合わせた征陸が声をかけ、常守と二人対峙している。

「もう行く?」
「まだだ」

ドミネーターを捨てるよう要求された彼らは、ゆっくりとその場に置き静かに手を挙げた。征陸がわざと大倉の方へ流したドミネーターを手に取る様が見える。あれはあの男には扱えない。登録された者以外が引き金を引いても自動的にロックがかかり、何の動作も起きないようになっている。ようやくそのことに気づいたらしい大倉が、何度も()引き金を引いている。今更、慌てても遅い。隣にいた狡噛が、鉄パイプの陰から顔を出す。

「ご愁傷様」

エリミネーターモードのドミネーターを向けられた大倉は、大きな破裂音とともに上半身が弾け飛んだ。残された腰から下がゆらゆらと揺れ、ベシャリと血溜まりに倒れた。

『──対象を排除。人質の対応に移ります』

宜野座たちに報告を入れ、3人の元へ合流する。(白城)さん。悲痛な面持ちの常守にそう呼ばれ、困ってしまった。常守同様、ドミネーターを人質女性に向ける。犯罪係数はオーバー160。立派な数値に状況を理解した。

「サイコ=ハザードね」

常守と征陸が言い争いを始め、その隙に彼女は階段を転がり奥へと逃げていく。

「追うぞ」
「うん。急がないと」

狡噛と二人、後を追いかける。階段を降りた先は更に薄暗い。積まれたコンテナが壁のように視界を遮る。

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