お名前変換

運動会の夜に






今週もしっかり働いた金曜日の夜、家族で夕食を囲んでいる時に、ふと思い出した様に息子がとても重大な事を言い出した。
「そういえばナマエ。明日、りんどーも来るから駅まで迎えに行ってやって」
「え?明日?」
そんなの初耳な私が聞き返すと、息子は大きく頷いてから確認してくる。
「りんどーも運動会見たいって。だめ?」
そんなの今更ダメなんて、言えないじゃないか。
「だめじゃないけど、竜胆くんだけだよね?」
「りんどーっていうのはらんちゃんのお友達?」
私の確認と、ともにテーブルを囲む私の母からの確認が重なった。
「りんどーは、東京の親父の弟」
「へぇ、叔父さんも居たの」
何か言いたげな目をして私を見てくる母に、息子が竜胆くんについて話し始める。それはそうだ。息子は竜胆くんが大好きだし、私は自分の両親に蘭ちゃん達の事はあまり話した事がない。
身重の体で学校辞めて実家に戻った時に、父親について散々尋ねられたけれど、詳しくは話さずに彼氏とは別れて来た事だけを説明したのだ。
「明日、りんどーもウチ連れて来ていい?ばーちゃんも会いたいだろ?」
「そうだねぇ……どうしようねぇ?」
息子の言葉にを曖昧に濁して、どうしよう?と父に話を振る母。和やかだった家族の食卓の雲行きが怪しくなる。
「俺は関係ねぇ。らんの良いようにしろ」
食事をかっこんで箸を置き席を立つ父は、きっと今でも昔の事がおもしろくない。そりゃそうだ。東京の学校にやった娘が卒業もせずに妊娠して帰って来て、子の父親とは別れたが子供は産みたいなんてアホな事をやり遂げたんだ。孫可愛さでらんちゃんには甘い私の両親も、彼の父親の関係となれば話は別であろう。
「ねぇ、らんちゃん。来るのは竜胆くんだけよね?オトーサンには運動会の事話してないよね?」
「俺はりんどーにしか言ってないけど、親父なんか言ってた?最近よく電話してんだろ?」
そう息子に言われてハッとする。息子の前では電話に出ない様にしているのだけど、確かに最近は毎日の様に蘭から電話がかかってくる。
東京で会った時に約束した通り、息子が生まれた頃の写真を送ったら今度は歩き始める前の写真とか、蘭はさまざまな息子の写真を欲しがった。
要件は息子の昔の写真の催促だったり、今日の仕事の事だったり様々でたいていたわいの無い事なんだけど、大昔の付き合い始めですら毎日連絡なんてよこさなかった蘭らしくない頻度に正直驚いている。
蘭が竜胆くんの事を話題にあげる事はあっても、息子の運動会について言及した事は無い。竜胆くんと共に来るつもりであるのなら、何か言って来そうなのに何も蘭からは聞いていなかった。
「私、明日が運動会って事はオトーサンに言ってないし何にも言われてもいないよ」
「じゃあ、りんどーだけ来るんじゃね?」
私と息子の持つ情報を照らし合わせても埒があかない状況に、私の母が重たい口を開いた。
「ナマエもらんもお世話になってるんだから、こちらに来たのなら遠慮なくココに寄ってもらいなさい」
母にそう言われてしまえば、私も息子もそうせざるを得なくて、なんだか厄介な事になりつつあると自覚し憂鬱になってしまう。
夕飯の片付けをして洗い物を終えた頃、タイミング良く蘭から着信があった。
すぐに着信ボタンを押してスマホを耳元に添えると、スマホの向こうから穏やかな笑い声がする。
「今日は出るの早ぇじゃん。もしかして俺から電話来るの待ってた?」
なんだか誤解していそうな彼の声のトーンに、この人はどこまでプラス思考なんだろうと少し呆れてしまう。
「うん。蘭ちゃんに聞きたい事があって」
「なに?」
「明日、竜胆くんがこっちに息子の運動会見に来るって聞いたんだけど、蘭ちゃん何か知ってる?」
「そうだな。今から楽しみらしくてすげーはしゃいでてウザイ。隣に居るけど、喋る?」
「ううん。代わらなくて大丈夫」
「ふぅん。で?」
なんだか含んだ様な蘭の言い方に、ピンときた。
「え、なに?」
「蘭ちゃんは来ないの?って聞きたいんじゃないの?」
やっぱりそう来るか。と、内心思いながらとりあえず我が家の夕飯時の事実と私の要望だけ伝える。
未だに孫の父親を良く思っていない父と、お世話になってるんだから連れて来なさいと含んでくる母の事。
そんな面倒くさい所に、あの蘭が来るわけなんて無いだろうし、父親の蘭を差し置いて叔父の竜胆くんに顔を出されてしまうとややこしくなる。
だから竜胆くんにも今回は遠慮してもらえる様、蘭から言って欲しい。
私の話を黙って聞いていた蘭は、少し間を置いてから柔らかい声で言った。
「じゃあ、俺も行くワ」
「うそでしょ?」
「竜胆朝から行かせて、俺も仕事なんとか片付けて行くから良い子に待ってろ。それでナマエのご両親にちゃんと挨拶させて?」
「だからそれムリだって」
「良いから。大丈夫。ナマエはなんの心配もするな〜?」
そう不安になる事だけを告げて、蘭が通話を切った。
明日の息子の運動会は中学最後だし、私が見られる息子の活躍も最後になるかもしれないと、少しだけソワソワして居たんだけど、私の胸にはもう心配しかない。

 ◆

竜胆くんが最寄駅に着く時間を言い残して、息子は登校して行ってしまった。
とりあえず息子から聞いていた時間に最寄駅へと向かい、駅のロータリー沿いに車を停めてしばし待つ。駅から出てくる人の中に、竜胆くんはすぐに見つけられた。
「竜胆くん!」
窓を開けて声を張ると、彼はすぐに気づいてこちらへと足を進める。
「ナマエちゃんありがとう」
明らかにオフですといったようなラフな格好の竜胆くんは、助手席のドアを開けて爽やかな笑顔を見せて車に乗り込んだ。
「こちらこそ、こないだは息子がお世話になりました」
「いーよ、そんな畏まんなくたって。俺も楽しかったし」
竜胆くんを拾って車を発進させた私へ、竜胆くんが問う。
「兄貴とはどう?」
「別にどうも」
「でも来年らんがこっち来たら、ナマエちゃんも来るんだろ?」
「それは無いかな。仕事あるし、親もいい歳だし」
「え?ご両親どっか悪いの?」
「全然」
「ならいーじゃん。俺も兄貴もガキの面倒なんか見てらんねーよ?らんに真っ当に育ってほしけりゃ、着いてきた方がいいと思うけど」
竜胆くんの言い方にピンと来た私は、隣に座る彼をチラリとだけ見やる。そしてすぐに進行方向へと視線を戻した。
「蘭ちゃんになんか言われて来たんでしょ?」
「バレた?はは。流石、ナマエちゃん」
はははっと乾いた笑いを溢した竜胆くんは開き直った様に鼻を鳴らしてから、言葉を続ける。
「脅さねーと好きな子口説けない兄貴を見習ってみた」
「はいはい、冗談はもういーよ」
「じゃあ冗談ついでに、油断しまくって寄りかかってた本命の女の子に夜逃げされちゃって、必死に探しても見つけられねー俺の兄貴の話聞いて。ずっと何年も表参道を探し歩いて、挙げ句の果てに街路樹の下で読書するフリなんかしちゃってんの。マジ笑えっから。あの兄貴に、恋愛小説の登場人物の心情なんか理解できるわけないと思わねぇ?」
「全然笑えないから」
「マジだ?キャバクラだと、このネタ超ウケるんだけど」
「それはどうでもいいけど、息子の前ではそういう話しないで」
「大丈夫だって、らんもこっち来たらキャバくらい連れてってやるから」
「竜胆くん!」
「だから、俺も兄貴もガキの面倒なんか見れないって言ってんじゃん。心配なら大人しく付いて来いよ。ナマエちゃん仕事なんかしなくたって、兄貴ならナマエちゃんも纏めて養えるし、そんな働きてぇんなら俺がどっか見繕ってやるよ」
「それは、昼間のまともな仕事……」
「昼間だけど、そんなまともな仕事を俺たちが扱ってると思う?」
喉元を隠していた襟を下げて、姿を見ない間に喉に増えた蘭とのお揃いを見せてくる竜胆くん。テレビのニュースとかでも見た事のあるその形が、現在の彼らが何者なのかを示している。
あえて見ないようにしてはいるが、知らないわけでは無いその形を目にした私は再び視線をフロントガラスの向こうへと移して、息子の通う中学校の校門が見えるところで車を停めた。
「ついたよ。校門から入って大丈夫だから」
「ナマエちゃんは一緒に行かないの?」
「車置いて来ないといけないし、竜胆くん目立つから一緒に居たくない」
「なんだよそれ。男連れなの見られたらマズイ奴でも居んの?」
「別に居ないよ」
「ならいーじゃん。その辺で待ってるから、車置いて来て」
そう言って車から降りて行った竜胆くんは、私が車を置いて中学校へ向かうまで、本当にそこに居た。
仕方なく竜胆くんを連れて校門を抜けると、彼は物珍し気に辺りを見回す。
「ガッコの運動会とか、超久々。すげー」
「子供居ないとこんなとこ来ないもんね」
「確かに全然縁ないわ」
「らんちゃん、今年なに出るんだろ」
「ナマエちゃん知らねーの?」
「竜胆くん知ってるの?」
「らんがプログラム撮って送ってくれたよ。プログラム持ってねーの?」
「それ、ウチのおかーさんが持ってるよ。きっと」
「うわ。ばーちゃん強ぇな。らんの言う通り」
「やだ。あの子、竜胆くんになんか変なこと言ってない?」
「そんな事ないと思うけど、ほら、らんの競技始まるよ」
そう言った竜胆くんはビデオカメラまで取り出す。
「ビデオまで持って来たの?」
「そう。今日のために買った位気合い入ってんの、俺!兄貴も、夜中から寝ないで仕事してこっち向かうって言ってるから、だいぶ気合い入ってると思うよ。新幹線で寝過ごさねーか超心配」
「蘭ちゃんが?嘘でしょ?」
「大マジ。好感度上がった?」
「全然」
「マジだ。ナマエちゃん手厳しくなったね。兄貴の言いなりだった頃のが可愛かった」
「それはどーも」
私達の無駄話まで録られてしまったら困るので、竜胆くんがビデオカメラを構えて撮影を始めたのをきっかけに黙る私を、竜胆くんは横目で見てくるけれど気にしないフリして校庭に居る息子の姿を探す事に専念した。

運動会のプログラムも終盤にさしかかった頃、私のスマホに蘭から着信があった。
通話に出ると、「らんのガッコ着いたんだけどこれ勝手に入っていーの?」と尋ねられたので「そのまま校門で待ってて」とだけ告げて、通話を切る。
「竜胆くん、蘭ちゃん来ちゃったんだけど。どうしよう」
「それ、俺に聞くなよ」
心底呆れたような顔した竜胆くんに言われるけれど、昨晩から抱えている不安の種がやって来てしまったんだもの仕方ないじゃない。
「だって……」
「とりあえず来ちゃったんだから早く兄貴回収して。勝手に何か仕込まれたら困るのナマエちゃんでしょ?」
竜胆くんの言葉にさああっと血の気が引く。やりそう。あの男なら、ここにいる誰もが蘭を知らない事を良い事に、その位さらっとする。
やっぱりずっと蘭と一緒に居るだけあって、蘭の事なんてなんでもお見通しの様な竜胆くんの助言には絶大な信頼がおける。
「私、行ってくる」
それだけ言い残して校門へと急いだ私が見た蘭は信じられない姿をしていた。

「蘭ちゃん、どうしたの?それ……」
「ふふ♡似合う?」
そう言って蘭が掻き上げた髪の毛は、黒かった。髪色だけでなく、その身に纏っているスーツも普通の、私の職場でもよく見かけるような色と形をしている。上質な生地の素材感はあるものの、表参道で再会してから会う蘭が着ていたどれとも違う。
蘭っぽくないその姿に呆然としてしまった私へと、彼は近づいて来て首を傾げてみせた。
「どうした〜?ナマエ、調子悪ぃの?」
「ううん。ちょっと、びっくりしちゃって」
「久しぶりに見た俺がイイ男過ぎてー?」
「違うよ、もう」
「んふ♡らんの運動会、まだやってんの?」
「一応。蘭ちゃん、ギリギリ間に合った感じかも」
蘭を連れて校門を潜り、竜胆くんの所へ戻る。運動会の閉会式が行われる様を蘭と竜胆くんに挟まれて見守った。
外見だけが急に別人のように変わってしまった蘭に、竜胆くんは何も言わない。竜胆くんにとってはこの蘭の姿は見慣れたものなのか、それとも蘭の変わりように竜胆くんは心当たりがあるのか、気になったけど流石に蘭を目の前にして尋ねられるわけもなくて、このもやもやはぐんぐんと広がった。

 ◆


息子の運動会が終了し校舎の中へと入ってゆく生徒たち。帰りを促される保護者の列に混ざって校門へと向かう中、竜胆くんは息子が出てくるまでこの辺で待つと言い出した。きっとそれは、竜胆くんなりの気遣いなのだろう。私と蘭と私の両親で話をしないとならない事、なんとなくの雰囲気で誰もが気付いてる。だからこその蘭のこの出立ちであるのなら、それは蘭の気持ちかはたまた策略か、私はまだ判断できずにいた。
「らんに連絡したから、そのうちスマホ見るでしょ」
そう言った竜胆くんとは校門のところで別れて、蘭と二人。
肩を並べて歩く最中、重たい沈黙がしばし続く。
蘭と話さなきゃならない事があるはずなのに、何をどう話すべきかを考えあぐねていた。
何を考えているのか読めない蘭をチラリと見上げると、彼と視線が合う。
全く気付かないうちに、蘭に見られていた?
不信感を抱えて蘭を見上げる私へと、彼が口を開いた。
「ナマエ、ちょっと寄らねぇ?昨日の午後から固形物なんも食ってなくて流石にキツいわ」
そうして蘭が指差した先には蕎麦処の文字。それを目にして思わず眉を顰めてしまったのだけど、なんともまぁマイペースな蘭らしくて、小さな溜息だけ密かに溢して彼の提案に頷いた。
暖簾を潜るとお客さんも疎な店内の隅のテーブル席に案内され、二人向かい合って座る。オーダーを済ませて一息ついたところで、蘭が言った。
「認識合わせをしようか」
思わず首を傾げてしまった私に、蘭が続けて話し出す。
「ナマエがご両親に話している、俺の事を教えて欲しい」
「え、と……二人とも、なにも知らないよ。蘭ちゃんの事は何も話してない」
蘭の言葉に素直に答えた私の回答に、彼は一度目を瞬いてから問いを重ねた。
「そう。じゃあ、らんの父親についてナマエの両親から尋ねられた事はある?」
「あるよ」
「いつ?」
「実家に戻って妊娠してるって話した時に」
「それにはなんて答えたの?」
「別れた彼氏の子だって」
「ふぅん……で。その、別れた彼氏ってのが俺でいい?」
「……うん」
別れたと言うのはきっと語弊がある。私は蘭と別れ話をせず、妊娠したことも告げずに、勝手に学校を辞めて住んでる部屋も引き払い、地元へ帰ってきた訳だもの。
「ナマエは東京で付き合っていた彼氏と別れたけど腹の中にはその元カレのガキが居て、元カレには妊娠は告げずに地元の両親のところへ戻ってきてその子を産み育てました。という態で行けばいい?」
蘭に尋ねられて頷くものの、やはり蘭にウチに来て欲しくないのが正直なところ。今更、この男は私の両親に何を言うつもりなんだろう。
「こんなとこまで来てもらって悪いんだけど、やっぱりやめよう。ほら、私達の件はもう終わってるし、ほら養育費も慰謝料ももう……」
「言っただろ?償いたいって」
「そんな事しなくていいよ。私は、別に…」
「らんの父親として、アイツを育ててもらったナマエのご両親に頭下げるのは当たり前の事だろ?」
父親としてだなんて言われてしまえば、私が断りづらくなるのを蘭はわかっていてこう振る舞うのだろうか?今、目の前に居る見慣れぬ姿の蘭も、彼の策略のうちなのだろうか?
「ナマエが送ってくれたらんの小せぇころの写真に一緒に写ってるのお前の親だろ?らんの事を大事に育ててくれたんだなって」
私に息子が小さい頃の事を尋ねたのも、写真を求めたのもその策略の一環として?
彼の言葉一つ一つを疑ってしまうような私と蘭の間に、愛想の良い店員が料理を運んできて、蘭はやっと口を噤む。
「わかったよ。とりあえず、母に蘭ちゃんが来る事を伝えるね」
スマホだけ持って席を立ち、一旦店の外に出てから母に電話し息子の父親が来ている事と後で家に連れてゆく事を伝える。昨晩、蘭を連れてくる事を求めていた母は二つ返事で蘭が訪ねてくる事を承諾した。

電話で母に予告した通りに蘭を連れて私も息子も育った我が家に帰ると、私の両親が揃って待ち構えていた。昨晩は自分は関係ないと言っていた父でさえ、よそ行きの格好と面構えでそこに居た。
今朝は息子と並んで両親の向かい合った食卓で、蘭と並んで両親と向かい合う。
「私が学生の時に東京でお世話になった人で、らんちゃんの父親の灰谷さん」
今更、何の話をどう切り出すべきか思案ながら彼を紹介した私の傍で、蘭が「ご挨拶が遅くなり大変申し訳ありませんでした」と言って深々と頭を下げた。
蘭が謝罪し頭を下げる姿だなんて初めて見る光景に驚愕してしまう私の前で、蘭は遅くなった事への謝罪を述べた後に、15年前のあの時に私を受け入れてくれた上に息子を共に育ててくれた事への感謝を述べた。
蘭らしさのかけらもないその姿に違和感を拭えない私 
呆気に取られたまま、空気を読んだ私の父が「もういい加減頭を上げないか」と言い出すまで、蘭は頭を下げたのだ。
そこで気づいたのは、蘭がその一言を言わせるためだけに息子と竜胆くんを使い、自らの髪を染めて服も選んでここに来たであろうこと。
これがいつから蘭が仕込んでいた事か、私には到底わからない。

 ◆


息子が竜胆くんを連れて帰ってきたのは外が暗くなりはじめてからだった。
「らんちゃん、遅かったね」
「悪い。りんどーも一緒に遊んでた」
別に咎めるつもりなどなく声をかけた私。息子は悪びれる事もなく、思ってもいないであろう謝罪を口にする。
ヤだな。そんなところが蘭にそっくりだなんて、今まで気にしたことのない息子の良くないところに蘭を重ねてしまう。
でもそんなのは今更だ。息子が口先だけの謝罪の言葉を口にするなんて、10年以上も前からよくある事。子供なんてそんなもので別にウチの子に限ったことではない。分かっているけれど、鼻につくのは全て蘭のせいだ。
悔しいけれど私は今もあの頃と変わらず、まだ蘭にかき乱されている。

蘭と竜胆くんも交えて、私の家族と過ごす時間。
らしくない程に口数少なく穏やかにそこに存在している蘭と、持ち前の明るさと素直な反応ですぐに私の両親にも受けいられてしまったような竜胆くん。
「夕飯を食べていきなさい」と二人を引き留めた私の母が普段とは違うご馳走を沢山並べた食卓を囲む事となり、息子を中心にして集う三世代。
私と蘭の間に発生する様なぎこちない雰囲気はそこには現れず、家族の形が見えた。
これは私の息子の家族。他でもない彼の家族の形だ。

普段よりだいぶ多い洗い物進めてゆく私に、息子が近づく。
「ナマエ、駅までりんどー達の事送ってく?」
「うん。そのつもりだけど」
息子からの質問に答えると彼はその場から蘭と竜胆くんに向かって声を張る。
「ナマエが送ってくれるからやっぱタクシー呼ばなくてへーきだった!」
言いながら息子は布巾を手に取り、私が濯いで水切りカゴに並べてゆく食器を手に取り拭いてゆく。
「乾くまで放置でいいよ?」
普段はあらまし乾くまでここに放置しているのに、珍しく拭き始めた息子に伝える。すると、彼は首を傾げてみせた。
「でも。これ、置ききらねーだろ?」
「確かに」
実際のところ息子の言う通りで、食器を拭いて片付けてもらわないと洗い終わったものを置ききれない。
「さすが、らんちゃん」
「だろ〜?」
誇らしげに鼻を鳴らしてみせた彼は、慣れた手つきで食器を拭いては片付けてを繰り返していった。
「らんちゃんそれしまったら、竜胆くん達に帰り支度進めてもらって?」
「んー」
蘭にそっくりな適当すぎるお返事を返した息子は、手にしていた皿を食器棚にしまい、布巾をそこに置きっぱなしにしたまま竜胆くんの方へと足を進めてゆく。
私も洗い物を終えてから、スマホと車の鍵だけ持って玄関へと向かった。
靴を履いて外に出て車を出す準備をしているとすぐに連れ立ってやって来たのは息子と竜胆くん。なんだかイキイキとして楽しそうな息子は竜胆くんに続いて車の後部座席へと乗り込み、またゲームの話をしているようだ。
「らんちゃん、オトーサンは?」
「なんか、ばーちゃん達と喋ってる。声はかけて来てるから、すぐ来るんじゃね?」
「え……?」
息子がばーちゃん達と言うのなら、蘭は私の両親と話してる。余計な事は口にせず、珍しく静かにしていた彼が、今になって私の両親と何を話しているのだろう。穏やかな世間話なんてものをしている様には思えない。
車のエンジンはかけたまま、スマホも車の鍵もそこに置いたまま、運転席から降りる私の名を竜胆くんが呼んだけれど、それは無視して運転席のドアを閉めた。
玄関の扉を開き、左右揃って置かれた蘭の革靴の脇に自分のスニーカーを脱ぎ置き、蘭を探して行くと彼は息子の言う通り私の両親と話をしているよう。
蘭の声と、母の声がした方へと向かうとやはり蘭がそこに居た。
「悪い、待たせちゃったな」
私に気付いたらしい蘭がそう言って、こちらに歩み寄る。玄関まで歩いてゆく間、蘭と両親が社交辞令を重ねてゆくのを耳にしていた。
和やかな別れを経てから車へと向かう。後部座席の息子はやはり竜胆くんと楽しそうに話をしていた。蘭も私も車に乗り込み最寄駅へと向かう間、特に話す事も無く無言のまま。息子と竜胆くんの楽しげな会話だけ、車内に響く。
「ナマエちゃん。悪いんだけどコンビニ寄れる?」
「うん」
不意に竜胆くんに話しかけられて、すぐそこに見えるコンビニに寄るべくウインカーを出す。コンビニの駐車場に車を停めると、竜胆くんが息子を連れて車を降りて行った。
蘭は降りるつもりが無いのか、狭い車内で長い足を組み替えただけ。
「なんかあった?」
こちらへと顔を向けた蘭に尋ねられたけれど、蘭からの問いに心当たりは無く何の事を聞かれているのか解らない私は首を傾げてしまう。
視線を合わせてくる蘭は、傾いた私の頬へと手を伸ばしそっと親指の腹を滑らながら再び口を開いた。
「さっきからずっと、寂しそうな目ぇしてっから」
「そんなことないよ」
「帰らないで欲しい?」
「まさか」
「心配しなくても、俺だけは今でもお前のこと一番愛してるよ」
「も、蘭ちゃん……冗談ばっか、やめて」
頬に触れてくる蘭の手の手首を掴んで離させようとしたけれど、私の力では蘭の手はびくともしなかった。
「明日さ。朝から商談あって行かないとなんねーんだけど、朝までは一緒に居られるから一緒に東京来る?」
「行くワケないでしょ!」
「じゃあ、そんな目ぇしてこっち見んな〜?」
「見てないから、放してよ」
ふわっと微笑んだ蘭が、私の頬からその手を離して小首を傾げてみせてから、言った。
「ナマエは、放してくんねーの?」
蘭に言われて、すぐにパッと放した彼の手首。俯き口元に手元をそわせた蘭が、肩を震わせてクスクスと笑ったその表情は影になり読めない。

コンビニで買い物を済ませて来た竜胆くんと息子も乗せて駅まで進む道のりもあと僅か。
「な。やっぱり冬休み遊び来いよ」
「行きたいけど、さすがに遊んでる時間ないっしょ。入試直前じゃん」
竜胆くんは息子と離れるのが名残惜しいようで、さっきからずっとこの調子で誘っている。
「じゃ、勉強しに来いよ。塾で受験対策とかやってんじゃね?カテキョとか呼ぶ?な。兄貴、いーだろ?」
「竜胆は兎も角、らんが来たいなら来ればいいし、行きたい塾あるなら教えとけ。特にないなら、こっちでピックアップして申し込むでいいか?ナマエもそれで問題ないだろ?」
「問題無いけど、塾のお金とかは蘭ちゃんが預けてくれてるあの子の口座から出すでもいい?」
「あぁ。その為の金だし。ナマエも来れんの?」
「私は無理だよ。冬休みも仕事あるし」
「え。ナマエ。俺、行っていーの?」
「らんちゃんが竜胆くんとゲームばっかしてないで、ちゃんとお勉強するなら行っていーよ」
「マジで?やった!」
「俺も兄ちゃんも帰れねー日もあるけど、らんもガキじゃないからへーきだろ?」
「へーき!やったな、りんどー!」
あっという間に息子の冬休みのスケジュールが決まってしまい、呆気に取られている間に私の運転する車は駅のロータリーに入る。適当な所に車を停めて、降車を促す私の左手の甲へ、こっそりと掌を重ねた蘭。
「ありがとう。また電話する」
柔らかく穏やかな声で囁いた蘭は私からの返答を待つ事なく、緩い手つきで私の手の甲を撫でてから車を降りていった。

その日の遅く。おそらく蘭と竜胆くんが向こうに着いたであろう頃に、蘭から着信があった。
何か忘れ物でもしたのだろうか?と不安になりすぐに出てみると、すぐに穏やかな笑い声が聞こえて拍子抜けしてしまう。
「やっぱり俺の事待ってんだろ」
「待ってない。なんか、忘れ物でもしたのかと思って」
「ふうん♡心配してくれてんだ」
「別に」
「なら、ナマエも一緒に来ればよかったじゃん」
「私も明日仕事だから」
「じゃあさ。次の休み教えて?いつ?」
「無い!」
焦ってでまかせを口にする私の耳にまた蘭のクスクス笑いが届いた。
「掛け持ちしてんだっけ?仕事減らせよ。金には余裕出来ただろ」
「働かないと生きていけないの。蘭ちゃんの口座には手をつけてないし、手をつけるつもりもないよ」
「いや、手ぇつけろよ」
「必要になる事があれば崩すかもしれないけど、私が働けるウチは働くよ」
「必要になる事ってなんだよ」
「そりゃ、らんちゃんに何かあった時とか……ウチの親だって、まだ元気だけどいつどうなるかわかんないし」
「……そういう事。オマエ、ほんとそういうトコ堅実だよなぁ。偉いじゃん」
「蘭ちゃんそれ褒めてんの?ちゃかしてんの?」
「褒めてんの」
「そ、なんだ……」
褒めてると即答されてしまうと、照れ臭さが顔を覗かす。電話越しだから、緩んで間しまう頬もなんだかほんのりと温かくなる胸の内も、彼には伝わらない安心感を噛み締めていた。
「毎日褒めたい。真っ当に生きてて偉い、らんの母親やってて偉いって褒めてやりたいから、仕事の量減らして俺との時間作って」
「なによそれ、意味わかんない」
「まだわかってくんねーの?まぁ、いいワ。明日は泊まりで接待だから、夜電話繋がんねーかも」
「うん。そんな忙しいのに、私の事連れてこうとしたの?」
「朝まで一緒に居られるって言ったろ?」
「まぁ……」
「なに?ナマエと長く一緒に居られる時間作ったら、来てくれんの?」
「行かないよ!」
「そっか……らんは?もう寝た?」
「わかんない。らんちゃんのお部屋篭ってるし、明日は学校休みだから朝起きられなくても困らないもん」
「そっか」
「ね。冬休みのやつ、本当にいいの?らんちゃん、塾調べたりしてるよ」
「俺は構わないよ。竜胆も楽しみにしてるし。毎日家に帰れないかもしれないけど、ハウスキーパー入るし、マンションの下にスーパーも飲食店もあるから、ナマエが心配する事ないと思うけど。不安なら一緒に来いよ。ナマエが来るなら近所にホテル取るけど」
「蘭ちゃんがそう言うと思ったから行かない。あんまり息子の事甘やかさないで」
「まだ、こないだのホテルの部屋の話根に持ってんの?らんだけならウチ泊めるけどナマエも一緒ならそうも行かないだろ。オマエ、俺のベッドでらんと添い寝すんの?さすがにそれはヤベーだろ」
「しないよ!」
「俺、ナマエはとことん甘やかしたいけど、らんは甘やかさねーから安心して」
「蘭ちゃんっ……」
「明日も早いんだろ?おやすみ」
言いたいことだけ言った蘭に切られてしまい、途切れた通話。なんだか妙にソワソワしてしまうような自分には今日も気づかないふりをした。



アイコンはハマーちゃん提供。いつもありがとう♡


NEXT

TOP