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七月七日


「ナマエ?」
 急に名前を呼ばれて、考え事をしていた思考を止めた。考えたってどうしようもない事に思考を支配されていたのは、どうもこうもこの子の父親のせいである。
「おかえり、らんちゃん」
 もう見上げてしまう程に背が伸びた息子が、私の目の前まで来て止まった。駅の天井から照らす蛍光灯の光が僅かに遮られたのは一瞬。彼は私が肘にぶら下げていたエコバッグを勝手に持って行っちゃう。
 先に歩き出した息子の後を追いかけて行けば、ちょうど階段のところで彼は歩く速度を落として私を見た。
「夕飯の買い物?」
 持ってくれたエコバッグを些か持ち上げて尋ねる息子に頷き返して、彼の隣を歩む。
「うん。らんちゃん待ってる間にね、半額シールがついたお惣菜ゲットしちゃった」
「やるね〜」
「白いご飯はあるから、チンして食べよー」
「ん」
 短く頷いた息子の向こうに七夕飾りのが目についた。通勤の為に毎日のように通っている道なのに、知らなかった。時間に追われて忙しなく通り過ぎることばかりだったから、全くそれに気づかなかったのだ。
 そうか、今日は七夕だ。そうだ七月七日だったんだ。
「ね。ねーぇ、らんちゃんほら見て見て?」
 すぐそこにある彼の肩に触れてから、見て見てと、私たちの真上の真っ黒な空を指さしてみせた。素直な我が息子は、私の指さす先へとまっすぐに視線を送る。
 そこには雲一つかかってなどいないのに、瞬く星の輝きなんて全然無くて、私達の故郷と繋がっているだなんて到底思えないような空。
「なんだよ、なんもねーじゃん。UFOでも通った?」
「な、ワケ無いじゃーん」
 やっぱり七夕でも、東京の空じゃ、天の川なんて見つけられない。
「はぁあ?」
 気の抜けた様な声を発しながら、あの人達とおんなじ薄紫色した垂れ目を細めて笑う息子は、眉尻さえもさらに下に向けた。
「UFOなんて飛んでるワケないでしょ?七夕だよ?」
「七夕関係あンの?それ」
「どーかなー?らんちゃんはどう思う?」
「どうって?」
「UFOは存在するか?」
「するんじゃね?実際ロケットが地球から宇宙に行って帰って来てんだし。どこかの星にもおんなじような文化や技術あったっておかしくねーと思うよ」
「へぇ……そう言われてみればそうね」
「ナマエは?」
「うん?」
「ナマエはUFOいると思う?」
「いて欲しいかなー」
「はは……なに?願望系?」
「サンタさんも白馬の王子様もワタシだけに優しいイケメン生徒会長も居ないんだってもう解ったから、UFO位はまだ取っておいたって良いでしょー?」
「意味わかんねーし」
「もー、らんちゃんにはワカンナイですよー!」
 息子には解らないであろう私の発言にも、呆れたりせず、茶化した様に笑う姿は竜胆くんにそっくりだ。背格好も竜胆くんと変わらぬ程まで、急に背が伸びた息子を横目に、成長期ってすごいなと密かに感心してしまったのだ。

 ◆

 息子の高校進学について上京してきてからすぐに、繋ぎの仕事を見つけたくて派遣会社に登録した。高校生の息子に生活を合わせやすい土日休みのオフィスワークを希望したのだけど、派遣会社の営業が私へと持って来た案件は飲食店のホールの仕事ばかりだった。
 登録時に飲食店のアルバイトの経験なんて記入しなければ良かったと思いながら、担当営業に私の希望を重ね重ね伝えてみたところ、この年でたいした資格も専門的な知識も無い子持ちのシングルでは、なかなか難しいという回答を得た。
「子供ももう高校生だから、残業とかも問題なくできますし……」
「ミョウジさんが優秀なのはわかるんですけど……ほら、ここなんて経験者なら時給が……」
 私の希望を聞くだけ聞いてメモしていく営業担当が、「オフィスワークの案件出たらすぐお知らせしますからまずは一ヶ月、お試しで!」と言ってゴリ押ししてきた飲食店チェーンでホールの仕事を続けてもう2ヶ月が経つというのに、派遣会社からオフィスワークの案件に関する連絡がないまま過ごしている。
 息子に合わせて土日に休みたかったのに、土日どちらかが休みならラッキーなシフト制の仕事である。それを竜胆くんに愚痴れば「だから俺を頼れば良かったのに」と言うが、竜胆くんを頼ってしまえば、いいとこ反社会組織のフロント企業あたりへの紹介だろう。知らぬ間に蘭と竜胆くんの喉に彫られてたお揃いのタトゥーは、そういう事であると理解している。
 竜胆くんへ愚痴る内容と同じ事を蘭に言ってしまう事は、私の弱みを握られる事に直接繋がるから、蘭には口が裂けても絶対に言えない。私は蘭の前では自ら望んで飲食店で働いているフリをし続けている。
 
 そんな私へ、七月七日に休みの希望を出すように持ちかけてきたのは蘭だった。
 息子が学校に行っている平日の真っ昼間に、私を呼び出した蘭。これから仕事だというスーツ姿の彼と西新宿で待ち合わせ。少し早めのランチとデザートをご馳走になり、カフェでコーヒーをテイクアウトした蘭に腰を抱かれて、外資系ホテルのロビーへと足を踏み入れたのはお昼過ぎの事。
 さっきまでべらべらと竜胆くんの事や彼の運転手を勤める若い子の話を取り留めなく喋っていた蘭が、急に無口になるから不安になった。


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