いぬのしつけ@ アイコンタクト
ゆっくりとした動作で私の頬を指先で擽るのは私の飼い主。当たり前だけど飼い主はきちんと服を身につけているし、アクセサリーだってしているし、ふわりとハイブランドの香水の匂いまで纏ってる。
そんな飼い主とは対照的に、私は服を身につける事はもちろんソファに座る事すら許されず、身につけられる事が許されたのは、飼い主の弟が買ってきた首輪だけ。
そんな私の顎下まで、飼い主はその長い指を滑らせてゆき、人差し指の先で私の顎先を掬い上げた。飼い主の指先によって顔の向きも高さも固定されてしまった私は、飼い主の顔を見上げる事を許されたらしい。何の苦しみも無さそうな、飼い主の顔は嫌味なほどに整っていて美しい。その美しい飼い主の澄んだ瞳と見つめ合ってしまうのは、無性に恥ずかしく思えて、私は視線を伏せた。
「ナマエ」
穏やかな声音で飼い主に名を呼ばれ、伏せた視線も飼い主へと向ける。すると、私を見てくる飼い主と視線が交わる。
床に膝を抱えて座り込む私と、ソファに座る飼い主とでは目線の高さが合わない。私が飼い主の手によって上を向かされて、飼い主が前屈みに背を丸め私を見下ろして、初めて私たちの視線が重なるのだ。
「オマエの飼い主は俺だって、理解してる?」
「はい……」
もしも再び視線を逸らせば、また気絶するまで殴られてしまうかもしれない。そんな気がした。
人間の常識が通用しなさそうな飼い主を見上げて、目線はそのままで僅かに頷く。
「それじゃあ、ちゃんと俺を見てて」
「……はい…?」
どうしてそんな事を強要されるのかが理解できない私と、そんな私をまっすぐに見つめる飼い主。
「見てて」
そう繰り返した飼い主は、私の顎先から静かにその手を離した。わけもわからずただ飼い主の目を見上げる私と視線を合わせながら、飼い主の手が私の頭の上をぽんっと軽く撫でる。視界に入る飼い主の手が気になるが、言いつけ通りにまっすぐと飼い主の目を見る私へと飼い主は微笑みを向けた。
ゆっくりとした動作で飼い主はソファから立ち上がって、私のすぐ前に腰を下ろす。飼い主が床に胡座をかくから、私達の距離は先ほどよりもずっとずっと近づいた。ふわりと空気が揺れて、飼い主が纏う重厚感の溢れる上品な香りが辺りを舞う。
ケージ越しではない近しい距離に身構えつつも、言われた通りに飼い主の目を見続ける私の目をじっと見返してくる飼い主。
背を丸めてガタイの割には細い肩を傾け、飼い主の顔が少しづつ少しづつ近づいてくる。体の前に二つ揃えて立てたわたしの膝の上に、飼い主の左の掌が乗った。
緊張から僅かに震える奥歯を噛み締める私の顔を覗き込むように飼い主が首を傾げるから、私と飼い主との距離がさらに詰まる。
飼い主の右の掌がそっと撫でるように左の耳朶の輪郭を辿った。
「……っ…」
息を詰める私の耳から頬へとゆっくりと滑ってきた飼い主の右手。さらに縮まる私達の距離。吐くと息すら当たってしまいそうな距離まで飼い主が近づいてきて、目と鼻の先という表現は今の飼い主より遠いのか近いのかなんて思案する私を飼い主の色を含んだ瞳が覗く。
「見てて……」
先程よりも低く囁くような穏やかさで命じた飼い主の、淡い菫色に溺れる。