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0222

「ねぇ、少し話せない?」
『無理』
「そっか……なんか、忙しいって言ってたもんね。ごめんね」
『フラフラしてねーで、仕事終わったんなら、さっさと帰れよ』
「うん。イザナは?今どこ?」
『まだオマエん家。もう出る』
「うそ。あと10分位で着くからっ……っ……」
 待ってて欲しいと言おうとしたところで、ぶつりと通話は切られた。本当にイザナはせっかちだと思う。
 あともう少しイザナが待ってくれていたら、私がもう一本早い電車に乗れていたら。
 そんな、もしもの話をしたって仕方がない。
 その日、私が家に着いた頃にはもうそこにイザナの姿は無く、ついさっきまでここに居た彼は私の最後の言葉まできちんと聞き取ってくれたのだろう。しっかりもののイザナだから、エアコンのスイッチは切らずに出掛けてくれていた。
 寒がりな私達がいつも取り合ってばかりいるブランケットには、イザナのぬくもりがまだそこにあった。

 これが、私とイザナの最後の時間。

 なにかにつけて、すぐ否定したがる彼が、「無理」と口にしながらも私の話を聞いてくれるところがすきだった。

 私がイザナの死を知ったのは、彼が死んでからしばらく後の事だった。

「ミョウジナマエさんですか?」
 ちょうどマンションの部屋の玄関から出たところ。共有スペースの通路で知らない男の子に声をかけられた。顔に大きな傷がある彼の事は名前も何も知らないけれど、その姿は見た事があった。
 前に、イザナと一緒に居た男の子だ。顔の傷の大きさにびっくりしてしまったから、覚えていた。
 イザナといえば暫く音信不通だけれども、気まぐれなイザナの事だから、ふらりとまたそのうち姿を見せるだろうと思っていた。
「そうですけど……イザナの、お友達ですよね?」
 なんの脈絡もなく家の前で待ち伏せしていた男の子に声をかけられて会話をしてしまう程、私はイザナが今どこで何をしているのかが知りたかった。私はまたイザナに会いたいと思っていた。
「……イザナが死にました」
「……っ……なにを、そんな悪い冗談……」
「イザナが、これを。きっと……あなたに」
 そう言って、顔に大きな傷がある彼が、小さな紙袋を差し出した。それは見覚えのあるデザインをした私が好きなアクセサリーショップの袋で、小さなリボンがかかっている。差し出された紙袋を受け取り、その場でリボンを解いて袋の中を覗くと、剥き出しのメッセージカードがあった。


 
 3倍返し以上だろ?愛してる


 
 宛名も差出人も明記されていないが、雑な走り書きの字体には見覚えがあり、これは彼の言う通りに確かにイザナが書いたものだ。
 バレンタインにイザナへチョコを渡す時に、私がふざけて「3倍返し、期待してるね!」とイザナに伝えた言葉への回答であろうそれに、普段彼がなかなか口にしてくれない言葉まで添えられていた。
 その小さなカードの下にはラッピングされた小さな箱があって、思わず目を瞬く私を、イザナからのプレゼントを運んできた彼が不安気な目で見ていた。

 その時に会った彼は、イザナと同じ施設で育ったと言っていた。私はイザナが施設で育った事は知っていたけれど、同じ施設で育った年下の男の子にイザナがこんなにも慕われていたなんて知らなかった。
 だけど、子供の頃からイザナの背中を追いかけて来たと言う彼は、不思議と私の事をよく知っていた。
 イザナの友人に向けて、イザナの口が、私を語ったなんて信じられない。
 イザナが死んだと言った彼の言葉を信じられない私に、何度も何度も諭しにかかった彼が、ある日を境にもうイザナが死んだのだと口にしなくなる。
 私の腹が膨らんだのだ。
 妊娠している兆候に気付いたのは、イザナがメッセージカードと共に送ってくれたリングがキツくなる程に手がむくみ始めてからだった。
 そういえば遅れていた月のものに気付き、指折り数えて受診した病院で撮影したエコー写真に、イザナの子の姿を見たの。この子がイザナの子である心当たりしか私にはないのだけど、それが紛れもなくイザナの子であるのは、生まれて来た子の肌の色を見れば明らかだった。
 イザナと同じ施設で育ったという彼も、生まれたばかりの子の姿を見て、父親がイザナである事を汲み取ったのだろう。生まれたばかりの赤ん坊を見て、あの年下の男の子が、涙を流した事に私は非常に驚いたのを覚えている。

 ◆

 あれから干支すら一周して、イザナの13回忌の法要に向かう道中は、イザナを通して顔見知りだった班目くんが私たち親子の先頭を歩む。イザナと同じ施設で育ったというあの年下の男の子は、イザナと私の息子が小学校に入る頃から姿を見せなくなった。
 彼はどうしているのか気になって班目くんに尋ねた事があるのだけど、斑目くんは曖昧に首を傾げるだけ。
 イザナと共通の友人なはずなのに、あの年下の男の子の事はあまり知らない様だった。
 
 もう、私と変わらぬほどの背丈となった、イザナ譲りの褐色の肌をした息子と肩を並べて進んで行く。
 二言目には「俺はイザナから9代目黒龍を託された時にイザナの意志も引き継いだ」と口にして、赤の他人である息子とも向き合ってくれる班目君が居るからこそ、私たち親子は助かっているところも多々ある。
 こうして身寄りのないイザナの法要をこれだけの年月も続けてくることができたのだって、班目くんのおかげだ。
「なぁ、シオンくんも一緒に行ける?」
「この後、予定があるかもしれないよ?」
 私たち親子はイザナの13回忌の法要が済んだら、息子の新しいスニーカーを買いに行く約束をしている。そろそろ22センチがきつそうだから、ワンサイズ大きなものを見に行こうと数日前から話していた。
「シオンくんこの後ひま?」
 私たちの一歩前を進む班目くんの所まで、ぱたぱたと足音を立てて小走りに駆け寄った息子が、班目くんに尋ねた。
「なんだよ、遊びの誘いか?」
「ううん。買い物。シオンくんも一緒に行こうよ」
「いーよ。仕方ねーから付き合ってやる」
「なんだよ、ひまなくせに」
「うっせー。ほら、時間より少し早く着いたから、イザナの墓参り先にしちまおうぜ」
 班目くんの言う通り、法要の時間までまだ少し時間が空く。
 イザナが眠るお墓に向かって、細い通路を歩き出した班目くんと息子の後を歩いて行くと、向こうから背の高い男の人の集団が歩いてきた。ぱっと見このような場にそぐわない様な派手なスーツを身に着けた男性が四人も束になって歩いているのは、どうも迫力があるもので、目が行ってしまった。その中に見覚えのある傷が顔にある男がいる事に気づいた瞬間、すぐ前を行く班目くんが大きな舌打ちをこぼして何か言ったようだったけれど、それは強い風に吹かれて聞き取れなかった。
 ぞろぞろと連れ立って歩く四人の男たちは、私たちとすれ違う際に立ち止まり、狭い通路で道を譲ってくれた。
 ありがたく通らせていただくそのタイミングで、あの年下の男の子と同じ傷のある彼を見上げてみるも、ふいっと視線をそらされてしまった。
 これは、きっと、人違い。
 私とイザナの子を見て涙を流してくれたあの男の子が、イザナにそっくりなウチの息子に気づかないなんてわけないもの。
 イザナのお墓の前まで来た班目くんが、長い腕を真横に伸ばして息子を制する。
「ちょっと待ってろ」
 息子より先にイザナの前に立った班目くんは、そこで紫煙をくゆらす紙煙草を取り上げた。
「クソが」
 ぽつりと呟いた班目くんが、ポケットから携帯灰皿を取り出して短くなって白い灰が積もった煙草の火を消した。
 今日、この日に私たちよりも前に、イザナに会いに来るなんて。やっぱりさっきの顔に傷のある男の人は、あの年下の男の子に違いない。
 そう確信して来た道を振り返ったけれど、そこにはもうあの派手なスーツの男達は見えなかった。確かに、そこにいたはずなのに。
 走っていけば追いつくかもしれないと思って、一歩踏み出したところでまた強い風が吹く。強い風に煽られてカランッて響く、あのピアスの音が聞こえた気がした。
 

 
 


























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