花ひらく
「やめろ、触んな!」
吐かれた花に触れる事で【花吐き病】は伝染する。
いつもなら多少怒鳴ればビビって身を小さくする彼女が、俺の静止を無視して俺が吐いた花びらへと手を伸ばした。
触れるな。オマエはこんな苦しい病になどなるな。
俺から竜胆には移らない風邪もインフルエンザも、何故かナマエには毎回移る程に脆弱なくせに、軽はずみな行動をするな馬鹿。
「サプライズの準備中だったのかな?こんな可愛いお花がたくさんのベッドなんて、今度の女の子も喜ぶね。薔薇の花ならテレビで見た事あるけど、蘭の花なんてとても蘭らしいじゃない」
この女はまた、なんて的外れな誤解をしているのだろう。この部屋にオマエ以外の女の立ち入りを許した事なんか一度もない。
適当にナンパして雪崩れ込んだ先の女を目の前にして、急に吐き気をもよおして逃げ帰ってきたら、この花を吐いてしまったというのに。それでもなお俺の気持ちに気付こうともしないのか。こんの、くそアマ。
しかも俺が吐き出したのはよりにもよってピンク色の蘭。これが【 あなたを愛しています 】の花言葉を持つ蘭だって、長年俺の隣にいるくせに知らないなんて言わせねぇぞ、おい。
モンブランだフロランタンだって、昔から何かとランがつくものばかり食わせてくるナマエなら、蘭の花の意味だって特性だって、ランについては俺よりももっとなんでも知り尽くしているものだと思っていた。
いや、もしかして、だからこその勘違いなのか?なんて、気付いてナマエの表情を窺うと、普段はボヤッとしているコイツが珍しく思い詰めている様にも見えた。
「もー、邪魔しちゃ悪いから帰るね。竜胆に、酔っぱらってイタズラで呼び出すのヤメテって……っう、……ぷぅ、ぇええっ」
「っ、……おいっ!」
竜胆への恨み言を口にしている途中で、今度は彼女が吐き気をもよおし苦しんでいる。吐き疲れてだるい身体を起こして、慌ててベッドから降り立ち、彼女の元へと駆け寄った。
酷く苦しそうに眉を顰めたナマエの手元には、二色の胡蝶蘭。ピンク色したのが俺のものであるならば、赤い花びらの方はナマエが吐き出したもの。
彼女の吐いた赤い花が蘭である事から優越感を得る一方で、【 純粋な愛 】だなんていう彼女らしい気持ちを向ける男の存在にイライラが高く積み重なってゆく。そんな気持ちがバレぬ様に、深く眉間に皺を寄せて吐き気を耐えた。
二色の胡蝶蘭をいやに大事そうに抱えて嘔吐く彼女の弱々しく震える背中に、吐き気など素知らぬ顔をしてそっと掌をそわせた。
「触んなって言ったろー?」
いつも通りの声音を装ってそう嗜めながら、彼女の背中を撫でてやる。すると真っ赤な花を吐き出すナマエは苦しそうに呻いて、また赤い蘭の花を吐き出した。
煙草なんか吸えない彼女に、俺たちが吸ってた煙草を面白半分で吸わせてみて吐かれた時も、酒なんか飲めない彼女に、酔って調子づいた竜胆がノリで酒を飲ませちまった時も、嘔吐する彼女の背中を摩り続けていたっけな。なんて、少しだけ懐かしい記憶がはらりと甦える。
「……っぐ、……ぅえええっ」
赤の次は白。その次は紫、黄色にまた赤と、様々な種類の色とりどりな蘭の花を吐き出すナマエに目を見張る。
どうしてコイツはこんなにも沢山の色鮮やかな蘭の花ばかり。
「ぅえっ……っふ、うぐっ……」
「蘭、ばかり……」
蘭ばかりだ。ナマエは、昔から本当に俺ばかりで。だから竜胆には移らない風邪もインフルエンザも、俺からナマエには移る。
「……ぅ、ぷ……ぅぅ」
蘭の花ばかりを吐き続ける彼女の震える肩を抱き寄せて、彼女の表情がよく見える様に顔を近づけた。
「ナマエ」
苦しげに伏せられていた瞼がゆっくりと持ち上がる。襲い来る吐き気が辛いのか、今にもこぼれ落ちそうな涙を湛えている瞳が見えた。
「愛してる」
一か八かの言葉を告げてみた途端に、大きく目を瞬いて涙を溢れさせた彼女の唇に、そっと触れるだけのキスをした。
俺にとってはこんな優しいキスは生まれて初めてで、勝手が解らぬ中でも、ナマエに嫌がられなかった事に安堵する。こんな時に限って急にまた込み上がる強い吐き気。今このタイミングで、マジ最悪な吐き気を飲み込もうとする俺の前で、ナマエが盛大に吐いた。
「……っ……ぅぐっ」
やっぱり俺のキスがよくなかったのかと不安になりつつも、なんとか彼女の背中を摩るポーズを取る。盛大かつ、苦しげにナマエが吐き出した花をそっと覗き込むと、それは蘭ではなく白く大きな百合の花。そんなものを目の当たりにして唖然としてしまう俺の、鋭い勘と過剰すぎる自意識は、やはり正しかったようだ。
彼女が吐き出した白銀の百合は【 花吐き病 】を完治させた証。って、まさかのナマエの片思いの相手っていうのは、やっぱり俺だった。
という事は。
さっき俺が吐きそうになって無理矢理飲み込んだ花も?
彼女の背中を片腕で抱きしめたまま、もう片方の手を自らの口の中に突っ込んで吐き気を促す。
「っゔ、おえぇ……」
俺が無理矢理吐き出してやっと取り出したその花も、ナマエの手の中にある花と同じ。白銀の百合。
「蘭、大丈夫?」
吐き気がおさまりすっきりしたような彼女が、心配そうな声をあげる。
「大丈夫。治った。俺も、オマエも」
「え……」
なにがなんだか分かっていなさそうな彼女は、困った様に眉尻を下に向けてこちらを見る。
「オマエも竜胆と一緒に騒いでた事あるだろ〜。あのゲロ花吐いちゃう病気は、片思いが両思いになると白銀の百合の花を吐いて完治すんの。覚えてねーのかよ。ばーか。」
「ほんと⁉︎じゃあ、蘭の病気は治ったの?よかった!よかったよー!!」
よかったよかったと繰り返すものの、まるで意味がわかっていなさそうな彼女は、心底安心した様にふにゃりとした笑顔を見せた。
「だから。おいで」
「うん?」
傍にしゃがみ込むナマエのパジャマの膝の下に腕を差し込み、そのまま彼女を横抱きに抱き上げると、素直に俺の肩に掴まってくる。具合が悪い時や怪我した時に、今まで幾度となくしてやってきたように、そっと彼女の体をベッドまで運んでゆく。その行き先は、今日に限ってピンク色の蘭の花びらだらけの、俺のベッド。ゆっくりそっと、ベッドの真ん中へ彼女を下ろした。
「蘭が治ったんなら、私、帰るよ」
「だーめ」
そのまま彼女の隣に横になると、ナマエが体を起こしてベッドから降りて行こうとするから、彼女の腰に抱きついてそれを阻止する。絶対に帰してなんかやるものか。
「蘭、でも……」
「愛してる。なー、ナマエは?」
そう尋ねてみても返事は返って来ないけど、顔を向こうに向けている彼女の耳の裏も首の後ろも真っ赤に染まっているから、俺からしてみればこの上なくわかりやすい。それを答えと受け取った俺は再びナマエの体をこちらに引き寄せ、彼女の好きな色をした俺の花びらで埋もれるベッドに、真っ赤なナマエを組み敷いた。
さて、そろそろ俺たちも、真剣にこの気持ちと向き合う頃合いなのかもしれない。
で。俺たちがゲロった沢山の蘭の花と二輪の白銀の百合の花をナマエが大事にしてたのに、酒に飲まれて変なテンションになった竜胆が白銀の百合を二輪鷲掴みしてぶん回し、ナマエの宝物を台無しにするのはまた別の話。
大事な花を竜胆にボロボロにされたナマエが大泣きしたのは言うまでもなく、ナマエを泣かした竜胆を俺がボコボコにするのは当たり前の事で。でも、俺らのゲロ花に触れたくせに、竜胆がそれから何年も花吐いてる姿なんか見た事ねーって事は、俺の弟には俺たちの様な繊細な心なんか無かったってコトだと思う。俺の弟って、ソウイウトコ幸せモンだよなー。マジで。