空席が多く目立つ機内の後方。その一角には先の闘いで正義の前に敗れ、頭と舌がパックリと割れた老人の遺体がひっそりと置かれていた。苦悶に満ちた表情が暗い機内の中でぼんやりと浮かんでいる様は少し不気味だ。
「これでいいかな……」
肉の芽が埋め込まれていない老人はきっと金で雇われたのだろう。必ずしも送られてくる刺客が全員操られている訳ではないことを再確認しているジョセフや承太郎、アヴドゥルに花京院が居る横で、他の乗客や息絶えた老人を気遣い微動だにしない体に神凪は毛布を掛けていた。やはり敵とは言えど、ここまで無残にも変わり果てた姿を見ると複雑なものである。
(……でも、花京院くんは正しかった)
端から老人はこちらを殺すために送り込まれ、無関係の乗客まで手に掛けた。悲惨な末路を辿ったのは正直に言って因果応報とも言える。それに、やらなければ自分たちの命が目の前の老人の姿のようになっていたかもしれないのだ。
そのことを踏まえ神凪は神凪で改めてこのエジプトへの旅が遊びではなく、命を懸けた厳しい闘いの旅であるということを認識する。
「おお?」
そして、この命を懸けた厳しい闘いの旅はまだ始まったばかりである、と言うことも。
「……変じゃ」
「ジョセフおじいちゃん?」
ふと訝しげな声を上げるジョセフ。花京院の冷静な判断のおかげで敵スタンドという脅威は去ったはずなのに、辺りをキョロキョロと見渡すジョセフに神凪はどうしたの、と声を掛ける。
するとジョセフからは機体が傾いて飛行していると、飛行機に乗っている者からしたら何ともゾッとする答えが返ってきた。これが冗談であればどれほど良いか。しかしジョセフの足元で勝手に転がる紙コップの存在が、機体の傾きを明確に物語っていた。
「ま、まさか……!」
機内の後方から前方にかけて転がっていくひとつの紙コップ。真っ直ぐに飛んでいたらまず有り得ない軌道を描くそれにカッと目を見開いたジョセフは、慌ただしくその場を駆け出した。
嫌な予感がジョセフの脳内を駆け巡る。ただの思い過ごしで終わればいいのだが、今まで数々の旅客機を狙い墜落させてきた男だ。もしかすると今回も、と色々な思考が頭を過ぎって行く中でジョセフが足早に目指した場所とは――。
「お客様どちらへ? この先はコックピットで立ち入り禁止です」
「知っている!」
その場所とはパイロットのみが入ることのできる飛行機の操縦室だった。傍に控えていたキャビンアテンダントの女性二人が規則であるためジョセフを止めようとするが、ジョセフは彼女たちを押し退けて奥へと進んで行ってしまう。
「おっ、お客様!」
突然のことに戸惑うCAの二人。操縦室に一般客を通すことは大問題であるが、如何せん相手は約二メートル程ある大柄な外国人男性だ。とてもじゃないが力では適わないし、と顔を合わせて二人が考え込んでいると、彼女たちの背後に再び影が掛かった。
(まあ、素敵なかた……)
背後の影の正体はジョセフを追ってきた承太郎だった。先に通った外国人男性に負けず劣らずの高身長に、端正な顔立ちの男らしい彼を前にして二人の心の声が重なる。
「どけ、アマ」
しかし承太郎はジョセフよりも荒々しく進路に立ち塞がるCA二人を押し払うと、小さな悲鳴を上げショックを受ける彼女たちなど気にせずジョセフに引き続くよう先へ進んでいく。
「こら、承太郎」
そんな承太郎の傍らには大きな手に手首を掴まれた神凪の姿があったのだが、悲しいかな彼女の姿は承太郎に見とれていたCA二人には認識されていなかった。
「今のは良くないヨ」
後ろでは花京院が彼女たちの体を優しく支え、フォローをしてくれている。全く対称的なその様子を振り向きざまに目にした神凪は、手首を強く掴んで離さない承太郎へとジトリとした視線を向けた。
「もう少し優しくしなきゃダメだよ」
「こっちは緊急事態なんだよ。いちいち面倒くせえのに構ってられるか」
「面倒くさいって、失礼でしょ?」
「存在を認識されてねえ奴がよく言うぜ」
「承太郎が無駄に大きいのが悪いの!」
「俺は悪くねえ」
「もうっ」
ああ言えばこう言う。こう言う場合だけ普段より饒舌に話す承太郎にいつも勝てない神凪は、掴まれた腕をブンブンと大きく振るう。表情を見なくても神凪が不貞腐れていると分かる子供みたいなその行動に、承太郎の口角は少しだけ機嫌が良さそうに上がった。
「いま笑ったデショ?」
「笑ってねえ」
ずっと殺伐した空気が流れていたところに訪れた一瞬の日常。いつも通りの、仲が良いからこその軽快なやり取りを繰り広げる承太郎と神凪の二人。だが、彼らの微笑ましい日常はまたしても目の前に広がってきた凄惨な光景に打ち壊されてしまった。
「なんてこった! してやられたッ!」
「舌を抜かれている……あのクワガタ野郎、既にパイロットたちを殺していたのか!」
「っ、こんな、酷い……!」
操縦室の中に広がっていたのは、舌を抜かれて絶命している三人のパイロットの姿だった。
べったりと操縦室のあちこちに付着する血液。中には少しだけ乾いている血痕もあり、そこから『灰の塔』の最初の犠牲者は彼らパイロットであることが判明した。
「降下しているな……自動操縦装置も破壊されている……この機は墜落するぞッ!」
余程苦しかったのだろう。白目を剥き喉には掻きむしったような赤い痕を残し息絶えたパイロットたちの横を通り、ジョセフは今の高度を確認しようと計測器を見る。そこに映し出されていた高度を示す数字は現在進行形で下がりつつあった。嫌なものほど良く当たるとはまさにこのこと。ジョセフが覚えた嫌な予感は、見事に的中してしまった訳である。
「ぶわばばばあははは――ッ!!」
自動操縦装置も周到に壊され作動しない。このままではあと数十分もしないうちに海面に向かって真っ逆さまだと、緊急事態もいいとこな酷い状況に焦る承太郎一行。そんな彼らの耳に、言語と呼ぶには無理がある奇声にも近い男の声が大きく響いてきた。
「なにッ!」
背後から聞こえてきた男の声。そしてその声に混ざってべちゃり、べちゃりと何かが滴る音に何か嫌な空気を感じた承太郎が勢いよく後ろを振り返ってみると、そこには息絶えたはずの老人が夥しい血を溢れさせながら佇んでいた。
真っ二つに裂かれた舌をくねらせ、こちらを睨みながら何とか話そうとするその老人の姿に、承太郎は咄嗟に神凪を自分の背後に隠した。
「わしは事故と旅の中止を暗示する『塔』のカードを持つスタンド! お前らはDIO様の所へは行けん!」
老人は物凄い鬼迫で承太郎一行へと語った。
例えこの飛行機の墜落から助かることができたとしても、目的の地エジプトまでその距離一万キロ。その間にもDIOに忠誠を誓った他のスタンド使いたちが四六時中、休む暇もなく承太郎一行をつけ狙うぞと。
「世界中にはお前らの知らん想像を超えたスタンドが存在するッ! DIO様はスタンドを極めるお方! DIO様はそれらに君臨できる力を持ったお方なのだァ!」
いかにDIOがすごい存在なのか。それを雄弁に語る老人はあまりの鬼迫に気圧される花京院やアヴドゥルを後目に、お前らは絶対にエジプトに辿り着けることはないと最後に遺して、今度こそ本当に息絶えてしまった。
「……ひっ」
「さすがプロ中のプロ……悲鳴を上げないのはうっとーしくなくて良いぜ」
事の成り行きを操縦室の外で見守っていたCAの女性二人。まさかフライト中にここまで惨たらしい人の死に様を見るなんて思いもしてなかった彼女たちからは、引き攣ったような息が漏れる。ただそれでも悲鳴を上げなかったことに好感を持った承太郎は、頼みがあると彼女たちに告げた。
「ここに居るじじいがこの機をこれから海上に不時着させる。他の乗客に救命具つけて座席ベルト締めさせな」
一般のお客様が何を、なんて考えは今の彼女たちには微塵もなかった。承太郎の真剣味を帯びた表情と、客室乗務員として乗客の命を救わなければという使命からCAの二人は大きく返事をすると、客室の方へ慌ただしく駆けて行く。
「……ねえジョセフおじいちゃん」
遠ざかっていく足音を聞きながら、神凪は機長席に座って難しい顔で顎髭を撫でているジョセフを心配そうに見つめる。
「おじいちゃんって飛行機操縦できるの?」
「うーん……プロペラ機なら経験あるんじゃがのう……」
「プロペラ……」
「それって大丈夫ってこと?」
「いや、ライセンスが違うのでジョースターさんの場合飛行機を操縦できるかどうかは……」
飛行機やプロペラ機の違いにあまり詳しくない神凪は、隣に居た花京院にこっそりと耳打ちする。うんうんと唸ってはいるが、そこまで慌てている素振りをジョセフが見せないため神凪はきっと大丈夫なのだろうと思ったようだが、実際のところ飛行機とプロペラ機では操縦の仕方も必要なライセンスも異なるのだ。
「しかし承太郎に神凪ちゃん……これでわしゃ三度目だぞ」
ポリポリと頬を掻きながら不思議そうに操縦桿を見つめるジョセフに、神凪と承太郎は目を合わせる。一体何が三度目なのだろうか。
「えっと、ジョセフおじいちゃ――」
どこか昔を懐かしむような空気を醸し出すジョセフに、神凪が記念すべき三度目が何であるかを聞こうと声を掛けたようとした時。彼女の声に被せるようにして、ジョセフがとんでもないカミングアウトを告げた。
「人生で三回も飛行機で墜落するなんて、そんなヤツあるかなぁ?」
ジョセフのカミングアウトに一瞬にして訪れた静寂。飛行機が風を切って降下していく音がやけに大きく操縦室に響いてくる。
「二度とてめえとは一緒に乗らねえ」
珍しいこともあるもんじゃ、と感慨深げに腕を組み目を閉じるジョセフ。そんな彼を余所に承太郎が心の底から発した宣言とも言える気持ちに神凪と花京院、アヴドゥルの三人が大いに同意していたことは承太郎しか知らない。
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