「我々はもう飛行機でエジプトへ行くのは不可能になった」

所変わり観光の客層も多く訪れる中華料理屋。何でもジョセフの行きつけだと言う店に市街地から移動した承太郎一行は、今後の移動手段や策についてテーブルを囲みながら話し合うこととなった。席に着いて早々メニューも取らず、互いに難しい顔で向き合う彼らは傍から見れば相当異質だろう。だが、エジプトに最速で到着する空路での移動を絶たれた彼らは、周りの目など気にしている暇もなく至極真面目な話し合いに取り組んでいた。

「陸路か、海路をとってエジプトへ入るしかない……」

また飛行機内で『灰の塔』のようなスタンド使いに襲われでもしたら、今度こそは大勢の人を巻き込んでしまうかもしれない。これ以上無関係な犠牲者を増やさないためにも、少人数でも移動できる車や船を使用した方が得策だろうとジョセフが提案する。

「しかし、早くDIOに出会わなければ……」

ジョセフの出した案は尤もだった。正体不明の刺客に狙われる身である分、飛行機に比べて遥かにチャーターしやすい車や船での移動の方が懸命だ。それはこの場に居る誰もが理解をし、賛成だと首を縦に振るだろう。だが、この移動手段では一つだけ気掛かりな部分があった。

「ホリィさんを助けるには50日以内にDIOを倒さなければ、と言いましたが……神凪さんの場合ではそれ以上に急いだ方が良いかと」

それは圧倒的に時間が掛かるという点だった。
ジョースターの血が流れていない神凪に対し、DIOの呪縛がどれ程まで脅威となるかスタンドについて知識が豊富であるアヴドゥルにさえ予測がつかなかった。もしかしたらホリィよりもずっと、神凪には命の猶予がないのかもしれない。その可能性が拭えない以上、承太郎一行はエジプトの入国を急ぐ必要があった。とてもじゃあないが悠長にしている場合ではない。

「……あの飛行機なら今頃はカイロに着いているものを」

悔しげに目を伏せた花京院からポツリと零れたその言葉に、この場の空気がより一段と重たいものに変わる。確かにあの飛行機であれば今この瞬間、中華料理屋ではなくカイロの地に足を踏み入れていただろう。血の運命との決着をつけるのも時間の問題だったかもしれない。

「…………」

あの刺客の、『灰の塔』の邪魔さえなければと誰もが思った。エジプトまでの旅がそう甘くは行かないと出発前から覚悟していたことだが、いざ目の前にその厳しさを叩きつけられると不安や焦りばかりが募っていき、どうにも悪いことばかり考えてしまう。もしかしたら手遅れも有り得てしまうのではないか、と。

「大丈夫だよ!」

負の感情に苛まれる承太郎一行。ただこの時、彼らの不安を余所に呪いを背負う当の本人――神凪だけはひとり前向きな感情を露わにしていた。

「私ね、みんなが思うより結構頑丈なんだヨ。あれから熱だって出てないし、変な体の怠さも全くないの。むしろ元気しかないくらいっ」
「……神凪、」

すごいでしょ、と言わんばかりにふふんと鼻を鳴らし胸を張る神凪。思わぬ神凪の言動に、面食らった承太郎を初めとした男性陣が皆同じように視線を向ける。すると、自分に集まった視線に気づいた神凪は一度見渡すように彼ら一人ずつと目を合わせると、ふわりと笑った。

「だからね、安全で確実なルートで行こう」

家族や友人思いの神凪らしい、何とも心優しい言葉だった。何とかしてくれと、早く助けてくれと不満や恐怖心を大きく露わにしても誰も文句を言わない状況であるのに、彼女は自分のことよりも皆の安全面を優先させたのだ。

「……本当に優しい子じゃのう」

普通の精神では真似できない、神凪の強い思いやりの精神に驚くと同時に感服したジョセフは目尻に深い皺を寄せると、大きな手を伸ばし神凪の頭をくしゃりと撫でた。

「ありがとう神凪ちゃん」
「……うんっ」
「わしらもしっかりせんとな」

愛情が伝わるような優しい手つきでジョセフに撫でられ、嬉しそうに目を細める神凪。スタンドがうさぎということもあってかどことなく小動物を彷彿とさせる彼女の姿に、守らなければと庇護欲を掻き立てられたジョセフは改めて気持ちを引き締める。ここでいつまでも『かもしれない』を考えているのは時間の無駄だ。何故なら飛行機が使えなくても、エジプトへ辿り着く方法はまだ十分に残されているのだから。

「100年前のジュール・ヴェルヌの小説では80日間で世界一周4万キロを旅する話がある」

イギリスのとある紳士と執事の二人が賭け事に勝利するため気球や汽車、蒸気船を使いたった80日間で世界一周を目指す物語を簡単に説明したジョセフ。そして皆がその話を静かに聞き入っているのを確認した彼は、徐に懐から一枚の世界地図を取り出すと回転テーブルの中央に大きく広げた。

「そこでわしは海路を行くのを提案する」

飛行機以外で速やかにエジプトへ向かう方法。それは広大な海を渡る、といったものだった。

「適当な大きさの船をチャーターしマレー半島を回ってインド洋を突っ切る……言わば海のシルクロードを行くのだ」

陸では国境を越えるための手続きや、ヒマラヤ山脈に砂漠といった通るには一筋縄では行かない弊害が存在する。もしそこで何かトラブルに見舞われでもすれば、かなりの足止めを食らってしまうだろう。しかし海であれば多少天候に左右されるものの、面倒な手続きも悪路も全く関係なしに進むことができるのだ。

「私もそれがいいと思う」

リスクの少ない海路での進行は、飛行機に次ぐ早急なエジプト入国方法としては賢明のため、アヴドゥルもまたジョセフの提案に異論は無いと首を縦に振った。

「私はそんな所両方とも行ったことがないので何とも言えない。お二人に従うよ」
「同じ」
「私もっ!」

その結果、アヴドゥルに続き花京院に承太郎、神凪も首を縦に振ったことによって満場一致でジョセフの案は可決されることとなった。

「決まりじゃな。あとは……」

ようやく決まった旅の進路。船を貸切にするとなると大層なことのように思えるが、これは協力を仰いだ心強い味方がきっと手配をしてくれるため何の問題もないだろう。ただ、それよりも新たに腹を括った承太郎一行が気をつけなければならないのは――。

「やはり一番の危険はDIOが差し向けてくるスタンド使いだ」

恐らくこうしている今も送り込まれていることだろうDIOからの刺客たちだ。世界には想像を絶するスタンド使いたちが存在すると、そのスタンド使いたちがエジプト入りを必ず阻止しに来ると、『灰の塔』はそう遺した。あの言葉が彼の強がりでないことは、飛行機の操縦室で彼の声を聞いていた全員が心の底から理解していた。だからこそジョセフはスタンド使いたちの襲撃を何よりも危惧しているのだ。

「如何にして見つからずにエジプトへ潜り込むか……」

一体刺客は何人いるのか、どのような力を持つスタンドなのか。それが何一つ分からないままの状態で襲撃されることは、承太郎一行にとってはとてつもない痛手だ。できることならば成るべく刺客とは闘わずに、時間も体力も気力も大幅に残したままエジプト入りを果たしたいところである。そのためには策を考えなくては。

「ねえねえ花京院くん」
「…………」
「はい?」
「それ何してるの?」

進路が決まりほっと一息、という訳ではなく次は刺客への対策に頭を悩ませ始めたジョセフ。
一方真剣に考え込むジョセフの隣に座る神凪はと言うと、承太郎と一緒に花京院がさり気なく取った不思議な行動に興味を示していた。

「ああ、これはですね……」

如何にも気になります、と語る蒼と翠の四つの瞳に見つめられた花京院は口元に小さな笑みを浮かべると、蓋が少しずらされた茶瓶を見ながらここで一つ香港の豆知識を披露する。

「"お茶のお代わりを欲しい"のサインですよ」
「お代わり?」
「ええ。香港では茶瓶の蓋をずらしておくと、お代わりを持ってきてくれるんです」
「へえっ……!」
「またお茶を注いでもらった時は、人差し指でトントンと二回テーブルを叩きます」

これが『ありがとう』の意味になるんです、と花京院が丁寧に説明しながらその行為を実践してみせれば、お茶のお代わりを注ぎに来てくれたウエイトレスは彼にニコリと笑みを向けた。

「すごい! 花京院くんって物知りだね!」

一礼してから承太郎一行が座る席を去っていくウエイトレスの背を見送った神凪は、花京院へ振り返るなりキラキラと輝く瞳を向け凄い凄いと彼を褒めちぎった。あまりにも純粋で真っ直ぐな言葉と瞳に花京院の頬が微かに赤らむ。

「……そんなことないですよ。以前家族と香港に旅行で来たことがあって、それで偶然知っていただけです」

どうにもストレートに人から褒められることに慣れていない花京院は、しっかり謙遜を挟んだ後に己の動揺を何とか隠そうと注いでもらったばかりのお茶を飲み干す。この時「ふん。んなことだろーとは思ったぜ」と聞こえてきた、承太郎の少し鼻につく台詞は流してやろう。今は彼の台詞よりも蒼い瞳から向けられる熱い眼差しをどうにかしたいのだ。

「それでも実用できるほど知識として覚えてるんだもん、十分すごいと思うヨ!」
「あ、ああ、えっと……ん?」

悪意なき視線程どう対処していいか分からず。それに気恥ずかしいとは言え神凪から好意的な感情を向けられて悪い気はしないため、こっちを見るなとは口が裂けても言えない花京院が今の嬉しいような、困惑するような状況をどうしようかと人知れず悩み出した、その時。

「――すみません」

承太郎一行が座るテーブル席に、髪の毛を逆立てたような特徴のある髪型をした外国人男性が一人、神凪の後ろからふらりと近寄って来るのが花京院には見えた。

「ちょっといいですか?」

男性は近寄って来るなりニコリと人当たりの良さそうな笑みを浮かべると、承太郎一行の前に片手に持っていた店のメニュー表を掲げた。

「私はフランスから来た旅行者なんですが、どうも漢字が難しくてメニューが分かりません」

どうやら観光客であるらしいその男性は、全て広東語で書かれている料理写真無しのメニューにお手上げ状態らしく、今の今まで何も注文できないでいたようだ。飲食店に来たのに自由に飲み食いができない。そんな困り果てた状況下で偶然にも目に入ったのが、日本人が混じったグループ――承太郎一行だった訳である。

「助けてほしいのです」
「えっ、あ、私……?」

代わりに注文をしてほしいと、なかなかに食い気味なお願いと共にメニュー表を差し出してくる男性に神凪は思わずたじろぐ。確かにフランスからの旅行者に比べ漢字に親しみはあるが、広東語となれば話は別。似たような字でも日本とは意味が異なるものもあるため、自分の注文ですらちゃんとできるか心配な神凪が他に助けを求めようと隣の承太郎を見てみると、眉間に皺を寄せた承太郎から彼らしくも褒められたものではない言葉が飛び出した。

「やかましい。向こうへ行け」

安全を考えて他人との接触を極力避けたいと言えば聞こえはいいのだが、恐らく承太郎は面倒事に関わるのが余程嫌なのだろう。その証拠に承太郎は驚く男性など気にも留めず、それどころか一刻も早くこの場から立ち去るようにと男性を鋭く睨みつける。

「おいおい承太郎……」

承太郎の気持ちも分からなくはないが、慣れない異国の地で困っている者を突き放すのはさすがに可哀相である。それに今のがきっかけとなりトラブルに発展しても困るので、角が立たぬよう「まあいいじゃあないか」とジョセフが承太郎を宥める。

「わしゃ何度も香港に来とるからメニューくらいの漢字は大体分かる」

任せてくれとでも言うように朗らかに笑ったジョセフは、せっかくなら一緒に食事をしようと同じ席に男性を座らせた。そして、ほっと安堵の息を吐く男性から食べたい料理を聞き出した彼はウエイターを呼びつけると、悩む素振りを一切見せずあれこれと手際よく料理を注文していく。

「フカヒレなんて食べたことないヨ!」

エビにアヒル、フカヒレにキノコの料理を食べたいとリクエストした男性と一緒に食事をするのだから、必然的に承太郎一行も男性と同じ料理を口にする訳で。これから生まれて初めて食べることになる高級料理に、神凪は空腹を訴えてくるお腹を擦りながらとても楽しみだと心を踊らせる。

「……あんま期待すんなよ」

早く食べたいね、なんて可愛らしい笑顔で話す神凪。本当ならその笑顔に伴いそうだなと同意したいところだが、承太郎はこの時嫌な予感を覚えていた。調子の良い祖父のことだ、これはきっと何かやらかすかもしれん。そんな一抹の不安が承太郎の脳を過ぎる。

「なに、これ……?」

そして、何とその嫌な予感と不安は注文から数十分経って運ばれてきた料理を見た途端、見事に的中することになる。

「……これは、」

もう一度言うが男性が注文してほしいと頼んだのはエビとアヒル、フカヒレとキノコを使った料理だ。それはジョセフが男性に確認を取っていたため、ここに居る全員が耳にしてること。だからこそ神凪は楽しみにしていたのだが、ニコニコ顔のウエイターからテーブル席に運ばれて来たのは――。

「牛肉と魚と貝とカエルの料理、ですな」
「確かに全然違いますね」
「こうなるって思ってたぜ」
「か、かえる……ッ」

どこからどう見ても魚の鰭ではない、カエルの丸焼きを目の前にした神凪は、そのビジュアルのインパクトに思わず口元を手で覆う。まさか良く空条邸の庭で見掛ける両生類が、ここまでこんがり焼かれて来るとは。これには男性も唖然としていた。

「うう、むりっ……」

今にも鳴き出しそうな程口を大きく開いている一匹のカエルと目が合ってしまった神凪は、さすがにこれは食べられないと回転テーブルをそっと反時計回りに回す。そうなると神凪をじっと見ていたカエルはジョセフの前にやって来るのだが、自分の間違いを誤魔化すように大きく笑うジョセフはそのことに全く気づいていなかった。

「まっ、いいじゃあないか! わしの奢りだ! 何を注文しても結構美味いものよ!」

一人率先して取り皿を手に取ったジョセフは、神凪のこれでもかと引いた様子などお構いなしにカエルの肉を解すと、パクリと一口頬張る。

「ほら神凪。こっちなら食えんだろ」
「……ありがとう」

見た目はともかく味はやはり保証されているようで、美味い美味いと満足気に食べ進むていくジョセフ。痩せ我慢をしているようにも思えないそのジョセフの姿に、神凪たちもようやく皿と箸を手に取った。

「これは手間暇かけてこさえてありますなあ」
「うん?」
「ほら、このニンジンの形……」
「あ、星形だっ」

承太郎が取り分けてくれた牛肉のお粥に神凪が舌鼓を打っていると、ふと男性が料理の見栄えを一段と華やかにする飾り切りの人参を箸でつまみ上げた。その人参は綺麗な星の形に象られていて、見慣れた形でも好きな形でもある星を目にした神凪が思わず反応する。すると、男性の口角がニヤリと少し意地の悪そうに吊り上がった。

スターの形……なんか見覚えあるなあ〜〜」
「えっ?」
「そうそう。私の知り合いが首筋にこれと同じ痣を、持っていたな……」

実に芝居が掛かったわざとらしい話し方と、そんな男性の口から紡がれた聞き捨てならない言葉に、食事を楽しんでいた全員の手が止まる。
首筋にある星形の痣。そのような珍しい痣を持つ人間は、この世に多くは存在しないはずだ。珍しいからこそ男性はその痣を持つ知人の話をしたのだろうか。否、答えはNoだ。

「貴様ッ、新手の……!」

男性の正体に気づいた花京院が悠々と同じテーブル席に座る"敵"に向い声を荒らげると、鼻で笑った男性は自身の首筋に星形の人参を見せつけるように貼り付ける。すると――。

「ジョースターさん危ないッ!!」

それが合図となったのかジョセフの前に置かれたお粥の入った皿から、銀色に光り輝く一本のレイピアと鎧に包まれた手が突き出してきた。
十中八九男性のスタンドだろうそれは、目の前に居るジョセフという名の標的を切りつけようと勢い良くレイピアを振り下ろす。

「なにッ!?」

だが、ここで男性にとって予想だにしていなかったことが起こる。

「――ッ!」
「神凪ッ!!」
「神凪ちゃんッ!?」

レイピアが切りつけたのは狙いを定めたジョセフではなく、彼を助けるために咄嗟に回転テーブルを回して皿を自分の前へと移動させた神凪の真っ白な腕だった。

「おい神凪っ」
「っ、大丈夫! ちょっと掠っただけ!」

ピッと神凪の腕に走る赤い線。そこから少し血は滲んでいるようだが、神凪の反応を見るに深い傷ではないらしい。どうやら彼女は寸でのところで身を捩り、上手く攻撃を躱せたようだ。

「マジシャンズレッド!」

ジョセフにも神凪にも大きな怪我がなくて一安心ではあるが、まだ落ち着ける状況ではない。次の攻撃を相手が仕掛けて来る前にこちらも動かなければと、アヴドゥルは乱雑にテーブルを引っくり返す。そして、そのテーブルのおかげでできた死角を上手く利用し、男性に向かって『魔術師の赤』の炎を飛ばした。

「……炎が、」
「な、なんという剣さばき……!」

しかし、こちらも驚くことに高火力を誇る『魔術師の赤』の炎は、男性のスタンドの巧みな剣さばきによって全て往なされてしまった。

「おれのスタンドは『戦車』のカードを持つ『銀の戦車』シルバーチャリオッツ!」

男性はタロットの暗示と自身のスタンド名を声高らかに名乗ると、対面しているアヴドゥルを鋭い目で睨みつける。始末してほしいのは貴様からのようだな……と。

「そのテーブルに火時計を作った!」

そして、男性は占い師であるアヴドゥルを前にしてこうハッキリと予言したのだった。

 ――火が12時を燃やすまでに貴様を殺す!

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