「承太郎もスタンド使いなのッ!?」

 何も知らない祖父に孫の好物を教えていた時とは立場逆転。ジョセフによって自分の知らない承太郎の新たな一面を教えてもらった神凪は、これでもかと大きく目を見開き「やっぱり神凪ちゃんはいい反応するの〜」と朗らかに笑うジョセフを凝視する。

「ほ、ほんとなの? ほんとのほんとに承太郎にもスタンドがいるの?」
「本当じゃよ。わしとアヴドゥルが日本に来た真の目的も、承太郎にスタンドが発現したことが大きな根っこの部分になっておる」
「えっ!? 仕事じゃなかったの!?」
「いや〜すまんのぅ。ありゃわしの嘘じゃよ」
「な、なんてこっただヨ……!」

 承太郎の話しどころか次から次へと出てくる新事実に、神凪は思わずふらりとい草の香りが落ち着く畳へと倒れ込んだ。その際に神凪の自慢のひとつである長く綺麗なサーモンピンク色の髪が畳の上に広がり、白と黒のうさぎの小さな手足によって踏まれてしまうが、彼女はそんなこと気にも留めることなくクスンと鼻を鳴らすだけだった。

「ジョセフおじいちゃんに弄ばれた……」
「ちょ、ちょっと神凪ちゃん?」
「私はジョセフおじいちゃんのことすごい信じてたのに……でもおじいちゃんは私のこと単純で騙しやすい女としか思ってなか――」
「Oh Noォォッ! やめてくれ神凪ちゃん! なんかものすごくイケナイことをしてる気分になってくるッ!!」

 大きな目を潤ませ上目遣いでじっと見つめてくる神凪は、ジョセフの胸をドキッと高鳴らせるくらいに妖艶だった。更には横になったせいで畳の上に散らばった髪と、チャイナドレスのスリットから大きく覗く柔らかそうな白い太ももがよりイケナイ色気を醸し出していて、何だかとても恥ずかしくなったジョセフは赤くなった顔を隠すように両手で覆ってしまった。

「わし……承太郎にぶん殴られるかもしれん」
「なんでここで承太郎?」

 歳が50近くも下の、それも孫が大事にしてる女の子にうっかりときめいてしまったことで、罪悪感に駆られるジョセフ。まさか大人になった神凪ちゃんの破壊力がこれ程までとは思わなかったんだと、ここには居ない承太郎へ謎の言い訳をブツブツと呟くジョセフの姿は傍から見ると不思議でしょうがなかった。

「どうしたんだろう?」
「まあ、ジョースターさんも色々と思うことがあるのでしょうな……」

 承太郎が神凪に抱く幼馴染み以上の感情を本人ではなくジョセフから楽しげに聞かされていたアヴドゥルは、ジョセフが今現在駆られている男ならではの複雑な思いを察して苦笑を零す。

「それよりも神凪さん」

 今はそっとしておくのがベストだろうと、それ以上ジョセフに触れることを早々にやめたアヴドゥルは、目のやり場に少々困っていた体勢から居住まいを正した神凪へと向き直った。

「先程のジョースターさんのことですが……」
「ジョセフおじいちゃん?」
「ええ。その、ジョースターさんはあなたに嘘をついたと、そう仰られていましたが……実はあれには訳がありまして」

 一体何の話だろうと疑問符を浮かべる神凪に、アヴドゥルは真剣に説いていく。ジョセフが嘘をついたのには、ジョースター家に纏わるいざこざに神凪を巻き込まないための理由があったのだと。

「大丈夫ですよアヴドゥルさん」

 きっとJOJOだって何も話さなかったのは余計な心配を掛けたくないためで……とフォローを入れるアヴドゥルに、初めのうちは目を丸くさせていた神凪。しかし、一拍置いてアヴドゥルの言わんとすることを理解した彼女は、ふふっと静かに笑った。

「ジョセフおじいちゃんの気持ちも、承太郎の気持ちも分かってます。二人とも昔からとっても優しいからあえて私に嘘をついたり、話さなかったんだな……って」
「……神凪さん」
「たしかに話を聞いてびっくりはしたけど……だからってジョセフおじいちゃんと承太郎のこと怒ったりはしてませんよ!」

 でも実はジョセフおじいちゃんにはちょっとだけ仕返しさせてもらいました! と、いたずら好きの子供のように無邪気に笑う神凪。あまりにも屈託のないその笑みに少し面食らっていたアヴドゥルだったが、神凪のことを見る限り自分が抱いていた心配は杞憂だったことが分かったため、余計なお世話をしてしまったと彼女につられるようにして笑った。

「あとは承太郎が帰ってきたらどんなスタンドなのか問い詰めるだけです!」
「スピード、パワー共に規格外でしたよ」
「うわぁ、さすが承太郎……」

 精神力の強い承太郎のことだからスタンドも強力なものだろうと予想づけていたが、一戦交えたことがあるアヴドゥルから承太郎のスタンドを『規格外』と教えられた神凪は、得意げにフンッと鼻を鳴らす幼馴染みの姿を思い浮かべては感嘆の息を吐いた。

「そう言えば、神凪さんのスタンドはどんな能力をお持ちなんですか?」

 これは彼が帰宅したら絶対に話を聞かなければと密かに神凪が意気込んでいると、不意にアヴドゥルが部屋中をトコトコ歩き回っている小さなスタンドを見ながら抱いた疑問を口にした。

 スタンドを持つ者であれば自分以外のスタンド使いがどんな能力を持っているのか、そう気になってしまうのは必然的なこと。そして、アヴドゥルもまた純粋に知りたいという気持ちから神凪へと尋ねてみたのだが、残念ながら彼女は白と黒のうさぎを今の今まで『幽霊』だと思っていたのだ。だから、どんな能力なのかと聞かれても答えられるはずがなかった。

「……すみません」
「ああいえ謝らないでください! スタンドの概念がなかったんですから、神凪さんが知らないのも無理はないです……!」

 期待に応えることができなかったとシュンと肩を落とす神凪に、アヴドゥルは慌てて愚問でしたと先程して見せたようにフォローを入れる。

「お? なんじゃ?」

 初めから分かりきっていたと言うのに何て意地の悪い質問をしてしまったんだと、心なしかアヴドゥルまでもが肩を落としていると、今まで己の中の何かと葛藤していたジョセフから数分ぶりに声が上がった。

「ジョースターさん?」

 不思議そうな、少し上擦った声にアヴドゥルがどうかしたのかと目線を神凪からジョセフの方へと移す。すると、ジョセフの目の前にあったお菓子やお茶が乗った座卓の上に、ちょこんと座っている黒いうさぎが見えた。

「あ、こら。ダメだよ」

 アヴドゥルと同じようにジョセフの声に釣られ顔を向けた神凪は、目に映った黒うさぎへ咄嗟に両手を伸ばす。実態がなく、毛も抜け落ちないため心配する必要など何もないのだが、自身のスタンドとは本物の動物と同じように接してきた神凪からすれば、今の黒うさぎの行動はあまりお行儀的にはよろしくなかったらしい。

 そのため、座卓の上に乗ってなぜだかジョセフのことをじっと見つめている自身のスタンドを下ろそうと、神凪が小さな体を両手で包み込んだのだが――。

「Oh my Goooodッ!!」
「むぐ――っ!?」

 黒うさぎが神凪によって抱き上げられるよりも先に、大声を上げたジョセフが神凪のことをそれはもう強い力で抱きしめたのだ。

「ぐっ……じょ、せふ、おじいちゃ……!」
「天使じゃッ! 天使がここにおるぞッ!」

 他人に年齢を言うと驚かれる程に逞しい肉体。それも太い腕と分厚い胸板に挟まれた神凪は、余程苦しいのか息も絶え絶えな様子でジョセフに離してほしいと訴える。

「ジョースターさんっ、一体何を……!」
「見ろアヴドゥルッ! お人形みたいに可愛いこの小さな神凪ちゃんの姿をッ!」

 だが、悲しいかな神凪の声はジョセフの耳には届かなかったようで、彼は突然のことに狼狽えるアヴドゥルに向かって興奮気味に「小さい神凪ちゃんが超可愛い」と話すだけだった。

「は、……小さい神凪さん、ですか?」

 見てみろ、とジョセフに言われたアヴドゥルはここではてと首を傾げる。何やらジョセフは何度も神凪のことを「小さい」と言っているが、アヴドゥルの目に映る神凪はどこからどう見ても小さくなどなかった。

「まさかもう一度小さい神凪ちゃんをこの腕に抱けるとはの〜!!」
「お……おじ、ちゃ……」
「ん〜? どうしたんじゃ神凪ちゃん〜?」

 砂糖菓子のように甘ったるい声で神凪に話しかけるジョセフは、どういう訳か己の腕の中で苦しむ神凪の姿が見えていないようだった。

「もしかするとこれは――」

 苦しげに上がる声が聞こえていない。苦しげにもがく姿も見えていない。神凪のことを大事に大事にしてるジョセフからしたら些か不可思議な行動と、『神凪が小さくなった』というこれまた不可思議な発言に、アヴドゥルの脳裏には一つの仮説が浮かび上がる。

 もしかすると、ジョセフには違う光景が見えているのではないか……と。

「だとするとこれは、神凪さんの……?」

 年齢と様々な経験を積み、強靭な精神力を得たジョセフへいわゆる『幻覚』を一瞬で掛けることなど並大抵のことではない。こんな芸当ができてしまうのはスタンド能力しかないと、そう考えたアヴドゥルは今この場に出ている唯一のスタンド、黒うさぎへと視線を向ける。

「神凪さんのスタンド能力なのか?」

 神凪本人すら未知である『白と黒のうさぎ』の能力を確かめるべく、アヴドゥルが未だにジョセフをじっと見つめている黒うさぎへ声を掛けてみると、不気味なほど赤く光り輝いている両の目がアヴドゥルへと向いた。そして、今度はその目でじっとアヴドゥルを見つめた黒うさぎはしばらくして肯定するように頷き、パチリと瞬きをひとつ。すると――。

「あれ? わしの可愛い神凪ちゃんは?」
「う、っ……ぐ……」
「Noォォォッ!! 神凪ちゃん!?」

 ようやく腕の中で苦しむ神凪の姿を認識したらしいジョセフの絶叫が茶室に響き渡った。

「なっ、何があったんじゃ!? 何で神凪ちゃんがこんなことにッ! というか小さい神凪ちゃんはどこに行ったんじゃ……ッ!?」
「ああ。やはりそうでしたか」

 強い圧迫感のせいで酸欠状態の神凪をオロオロと心配するジョセフは、彼女がこのような状態になっているのは自分のせいだと露ほども思っていないようだった。だがそれも無理のない話である。何だってジョセフは黒うさぎに能力を使われた初めての相手だったのだから。

「ジョースターさん。あなたは神凪さんのスタンドによって幼い頃の神凪さんの姿……つまり『幻覚』を見せられてたんですよ」
「なにィッ!?」

 一連の出来事を俯瞰して見られたおかげでいち早く真相にたどり着くことができたアヴドゥルは、必死に状況を把握しようとしているジョセフへと説明していく。全てはスタンド能力が視せた束の間の夢、幻なのだと。

「きっと私が神凪さんにスタンド能力を尋ねたから気を遣って実演してくれたんでしょう」
「なるほどのぅ。それで能力を掛けられたわしは小さい神凪ちゃんの姿が見えていた、と」
「ええ。しかし、神凪さんのスタンド能力が人の感覚を操られるとは……驚きです」

 種明かしをされるまで微塵も違和感を覚えていなかったジョセフを見るに、黒うさぎが掛ける『幻覚』は相当精度が高いと言える。見破ることが難しい程の高い能力で五感を意のままに操られでもしたら、一体どうなってしまうのか。

 使い手が違っていれば大変な脅威となっていたであろうスタンド能力に、本体が悪意を全く持たない善良な人間で良かったとアヴドゥルは安堵の色が浮かぶ目を、ジョセフと肩を並べて自分のスタンドに「そんなすごい能力持ってたんだネ……」と少しだけやつれた様子で話す神凪へと向けた。

「さすが神凪ちゃんのスタンドじゃのぅ〜! これは承太郎の奴にも負けとらんなぁ!」
「……ほんとに思ってる?」
「もうこの黒うさぎで神凪ちゃんの超絶可愛い姿を視せれば承太郎なんて再起不能じゃよ! なんせ承太郎の奴は神凪ちゃんのことが――」
「随分楽しそうな話してんじゃあねーか」
「ッ!?」

 またしても神凪に大変甘いジョセフが誇らしげに胸を張り、すごいすごいと彼女のことを持ち上げ始めたその時。ちょうど障子に背を向けて座っていたジョセフの体に、低い声と共に大きな影が覆い被さった。

「お、おい……JOJO……ッ」

 この場に居ないのを良いことに好き放題話していた本人のまさかの登場と、ジョセフとは違い正面を向いているため承太郎の姿が目に見えているであろうアヴドゥルの強ばった声に、ジョセフは後ろを振り返ることができなかった。きっと今背後に立っている孫は昨日留置所で見た時よりも険しく、恐ろしい表情を浮かべてるに違いない。

「承太郎?」

 今更ながらに承太郎が昔から神凪絡みになるとムキになることを思い出し、一人顔を青ざめさせるジョセフ。そんな彼に代わって聞き慣れた声とあだ名に反応した神凪が、学校に行ってるはずなのにどうしてと疑問を抱きながら後ろを振り返る。

「えっ!?」

 だが、その疑問は目に入ってきた異様な光景のおかげで一瞬にして思考回路から消え去ってしまった。

「じょ、承太郎っ、何があったの!?」

 神凪の目に入ってきたもの。それは頬や足から赤黒い血を流す承太郎と、その承太郎に抱えられている深緑色の制服を血に染めた見知らぬ少年の姿だった。見るからに只事ではない何かが二人の身にあったと思わせる姿に、神凪は思わずその場を立ち上がり承太郎へと駆け寄った。

「二人ともすごい怪我だよッ!?」
「触るんじゃあねえぞ神凪。血が付くぜ」
「そんなこと言ってる場合じゃ……!」
「承太郎。一体何があったんじゃ」

 早く手当をしなければと手を伸ばしてくる神凪を気遣い、承太郎がさり気なく自分から遠ざけていると、ジョセフの真剣みを帯びた声が彼の鼓膜を揺さぶった。どうやらジョセフは神凪の反応で全てを察したようで、先程までの人物とは全くの別人と思わせる鋭い視線を承太郎が抱えている少年へと向けていた。

 有無を言わさないようなその鋭い目をちらりと一瞥した承太郎は、茶室の畳に気を失っている少年を下ろすと、ジョセフとアヴドゥルにとってはとんでもない衝撃となる一言を発した。

「こいつはDIOの刺客だ」
「なにッ!?」
「DIO、だとッ!?」
「でぃお……?」

「やれやれ。面倒くさいことになったぜ」

 三者三様。それぞれが思い思いのを反応を見せる中で、ジョースター一族の運命に関わる歯車が回り出したことに、承太郎は深い深い溜息を吐き出したのだった。


* * *


 空条邸の立派な庭園にカコンッ、と鹿おどしの音が響く。その風情ある音は障子が大きく開け放たれた茶室にまで届いており、それがきっかけとなって今まで静寂を保っていた茶室にジョセフの硬い声が上がった。

「手遅れじゃ。こいつはもう助からん」
「っ、うそ……!」

 承太郎によって運び込まれたDIOの刺客だという少年――花京院典明を見下ろし、あと数日のうちに彼は死んでしまうと重々しく告げたジョセフに、神凪は息を呑み隣に立つ承太郎の上着をキュッと握った。そして承太郎もまた、突きつけられた人の死に眉を顰める。

 たとえ先に殺意を向けて手を出してきたのは刺客である花京院典明の方だったとしても、自分が負わせた怪我のせいでその彼が命を落としてしまうと考えると気分のいいものではない。

「…………」
「承太郎、お前のせいではない」

 そのことから段々と険しくなる承太郎の表情。だが、そんな彼の心情を察してか「見ろ」と促すように声を掛けたジョセフは、徐ろに気を失っている花京院の額に己の手をかざした。

「この男がなぜDIOに忠誠を誓いお前を殺しに来たのか……その理由が、ここにあるッ!」

 そして、そのかざした手でジョセフが花京院の垂れた長い前髪をかき上げると――。

「なんだッ、このクモのような形をした肉片は……!」

 本来人間の額には存在しないはずの、まるで生き物のようにウネウネと動く一つの肉片が姿を現したのだった。

「うぅっ、」
「こいつがDIOに忠誠を誓った理由だと?」

 気持ち悪いとしか形容しがたい肉片を目にした神凪は即座に花京院から視線を外す。かく言う承太郎も視線を逸らしはしなかったが、初めて目にする未知なる物体に顔色を曇らせた。

「それはDIOの細胞からなる『肉の芽』」
「……にくのめ?」
「ええ。このちっぽけな『肉の芽』は少年の精神に影響を与えるよう脳に打ち込まれている」
「つまりこの肉の芽はある気持ちをよび起こすコントローラーなのじゃ!!」

 ジョセフの言う『肉の芽』が人の精神によび起こすある気持ち。それはある種の洗脳に近い、とてつもなく恐ろしいものだった。

「カリスマ! 独裁者に従う兵隊のような気持ち! 邪教の教祖に憧れる信者の気持ち! この少年はDIOに憧れ忠誠を誓ったのじゃ!」
「っ、そんな……!」

 DIOという男が人を惹きつける強い個性……つまりは『カリスマ』によって花京院を支配し、承太郎の命を奪ってくるように命令したという衝撃的な話をジョセフから聞いた神凪は、悲痛に顔を歪めた。

「操られて、やりたくもないことやらされて、その上命まで奪われるなんて……そんなの絶対ダメだよ……っ!」
「神凪ちゃん、」
「この肉の芽は病院で取れないのっ?」
「神凪の言う通りだぜ。手術で摘出しろ」

 肉の芽の恐ろしい秘密を知った神凪は、何とかして花京院典明という少年の悲しい運命の末路を絶とうと案を提案する。そして、承太郎も彼女の案に賛同するようにジョセフへと声を掛けるが――。

「脳はデリケートだ……取り出すときこいつが動いたらキズをつけてしまう」

 返ってきたのは肉の芽を脳に打ち込まれてしまった以上、現状では花京院典明を救う方法はないという無情な答えだけだった。

「……っ、」

 全くの知らない相手だとしても人の、それも歳の近い少年の死をただ待つことしかできないという今の状況は、幼い頃に両親の死という辛い経験を味わったことのある神凪の心を痛いほど締めつけた。

「……神凪」

 泣くのを堪えているのかギュッと強く腕に顔を埋めてくる神凪に、苦しそうに呻き声を上げる花京院を見て舌を打っていた承太郎は、腕から伝わってくる震えに眉を寄せた。

「――JOJO」

 幼い頃から何よりも苦手で、できればお目に掛かりたくない神凪の悲しむ姿に、承太郎が彼女をこんな目に遭わせている肉の芽を再び睨みつけていた時。

「4か月ほど前……私は……」

 静かにジョセフの話を聞き、眠る花京院をじっと見つめていたアヴドゥルが不意に承太郎のことを呼び『こんなことがあった』と、とある体験談を話し始めた。

「エジプトのカイロでDIOに出会ったのだ」

 満月の夜に現れた、美しくも恐ろしい吸血鬼の話を。

「私の職業は占い師。ハン・ハリーリという市場に店を出している」

 ある晩。アヴドゥルが自分自身が出している店に向かうと、店に続く階段に一人の男が佇んでいた。その男は心の中心に忍び込んでくるような凍りつく眼差しを。黄金色の頭髪を。透き通るような白い肌を。男とは思えないような妖しい色気を持っており、他の人間とは違う異彩を放っていた。

「既にジョースターさんから話を聞いていた私はすぐに分かった。こいつが大西洋から蘇った
DIOだと!」

 何の前触れもなく突然目の前に現れたDIOという、人間を超えた恐ろしい存在。そんな彼はアヴドゥルを見るなりまるで誘うように妖しく舌なめずりをしては、口角を楽しげに上げて話しかけてきたのだ。

 ――君は、普通の人間にはない特別な能力を持っているそうだね? ひとつ……それを私に見せてくれると嬉しいのだが。

 DIOが発した言葉は信仰している神のお導きが如く、とても心が安らぐものだった。

「だからこそ恐ろしい!」

 すっと心の奥深くに入り込んでくる危険な甘さを孕んだDIOの言葉に、幸いにも『恐怖』を真っ先に感じることができたアヴドゥルは、土地勘にも恵まれ命からがら逃げだすことができた。闘おうなど、そんな無謀な考えは微塵も浮かばなかったと言う。

「……でなければ私もこの少年のように肉の芽で仲間に引き込まれていただろう」

 時間が経った今でも思い出すだけであの時の恐怖が鮮明に蘇るのか、顔色を悪くさせ冷たい汗を流すアヴドゥル。そして、ジョセフもまたアヴドゥルの言葉に同調するように『脳を食いつくされ死んでいただろう』と、今最悪の状況に陥っている花京院を悲しく見下ろしながら小さく言葉を紡いだ。

「死んでいた?」

 だが、ここでジョセフの『花京院のように死んでいた』発言に疑問を持つ者が一人。

「ちょいと待ちな! この花京院はまだ死んじゃあいねーぜッ!!」

 悲愴感漂う部屋の空気を切り裂くように鋭い声で異議を唱えたのは、瀕死の花京院を連れてきた張本人――空条承太郎だった。

「承太郎……?」

 力強い声に続いてふわりと何かが頭の上を掠めたような感触に襲われた神凪は、アヴドゥルの話の最中もずっと埋めていた逞しい腕から恐る恐る顔を上げてみる。

「――あ、」

 すると、承太郎の背後にあるもう一つの人影が神凪の目に映り込んできた。

「もしかして……承太郎の……」
『…………』

 薄らと透けて見える青い肌と、重力を無視してふわふわと宙に浮く姿から彼が人間でないことは一目で分かった。だからこそ神凪が小さな声で『スタンド』とそう呟けば、承太郎とそっくりな翡翠の綺麗な瞳が神凪の方を向いた。

『…………』
「え、えっと……」

 目を逸らすということを知らないのかどこまでも真っ直ぐな目で見つめてくる彼に、何だかとても気恥ずかしくなってきた神凪はモゴモゴと口をまごつかせながら咄嗟に目を逸らした。

 するとどうだろう。そんな神凪を見て一体何を思ったのか彼は徐ろに片腕を伸ばすと、黒いフィンガーレスのグローブから覗く太い指で神凪の柔い頬をそっと撫でたのだ。

「えっ?」

 まさかスタンドから触れてくると思ってもみなかった神凪は、驚きから大きく開かれた目をもう一度彼に向ける。が、残念なことに翠と蒼の瞳が二度も重なり合うことはなかった。

「俺のスタンドで引っこ抜いてやるッ!」

 既に神凪の側から離れていたスタンドは、花京院の顔を固定するように両手でガッチリと押さえている承太郎の隣に立ち、先程神凪の頬に優しく触れた指を今度は花京院の額で蠢く肉の芽へと近づけていた。

「待てッ! 承太郎ッ!」
「じじい! 俺に触るなよ。こいつの脳にキズをつけず引っこ抜くからな……!」

 一瞬のうちに弾丸を掴めるほどの正確な動きができると、止めに入ろうとするジョセフを承太郎は湧き上がる自信から制止する。

 しかし、ジョセフも『触るな』と言われて『相分かった』と潔く引く訳にはいかなかった。

「やめろッ! その肉の芽は生きているのだ! なぜ奴の肉の芽の一部が外に出ているのか分からんのか!」

 優れた外科医でも摘出できない理由が額から少し飛び出ている肉の芽の一部にあると、ジョセフは必死に声を張り上げて承太郎を止めようと試みる。が、それよりも先に承太郎のスタンドの親指と人差し指が肉の芽を摘んでしまった。するとその瞬間――。

「ひっ!?」

 スタンドに摘まれた瞬間、なんと肉の芽は己から長い触手を一本生やしたのだった。

「Shit!!」
「肉の芽が触手を出し刺したッ!」

 そして更に、あろうことか肉の芽はその生やした長い触手をウネウネと蠢かせたかと思うと、承太郎の手にブスリと突き刺してしまった。

「なっ、なんで承太郎も刺されるの!?」
「この肉の芽は摘出しようとする者の脳にまで侵入しようとするのじゃ!!」
「えっ……」

 何の知識もなかった者にはあまりにもショッキングすぎる出来事に神凪は絶句し、さすがの承太郎からも刺された痛みも相俟って「ぬうっ」と呻き声のような息が漏れる。

「き、さま……」

 薄い皮膚の下を通って徐々に這い上がってくる触手にこの場にいる誰もが顔を歪めていると、不意に掠れたような小さな声が発せられた。

 丁度真下から聞こえてきた声に承太郎が顔の位置はそのままに目線を下へと下げてみれば、そこには今まで固く閉じられていた目をカッと見開いた花京院の姿があった。彼は自分の両頬を押さえ付ける無骨な手に刺さる触手を目で捉えるや否や、一体お前は何をしているんだと言いたげな表情で承太郎を見上げてくる。

「動くなよ花京院」

 動揺を映す薄紫色の目とかち合った承太郎は、変に動けば脳が傷つきお陀仏になると花京院に強く釘を刺した。

「うっ……」

 あまりにも口調が淡々としているため何処か現実味を帯びないが視界の隅の方で動く触手と、正面に見える真剣そのものな承太郎の凛々しい表情が花京院に今の状況を教えてくれていた。

 動いたら死ぬ。そんな非情な現実を前に突きつけられた花京院は、湧き上がる死への恐怖から石のように身体を硬直させる。

 死を突きつけられた彼の心情を思えば何とも気の毒ではあるが、承太郎にとってはこの上ないほどの好都合であった。

「顔まで這い上がってきたぞッ!」
「承太郎!!」

 今この瞬間が好機と踏んだ承太郎は、少しずつ正確に花京院の額から肉の芽を抜いていく。だが生きている肉の芽も黙って抜き取られるのをただ待っている訳もなく、元々承太郎の手に突き刺していた触手を更に奥へ奥へと侵入させ必死に抵抗していた。そして遂には脳が近い顔にまで這い上がって来てしまい、ぷくりと不自然に膨らんだ顔の皮膚を目にした神凪は慌てて承太郎に駆け寄ろうとする。

「待つんじゃ神凪ちゃんッ!」
「っ、ジョセフおじいちゃん……!」

 しかし、その行動は隣にいたジョセフにより止められてしまった。

「落ち着くんじゃ」
「でも承太郎がっ、」
「承太郎をよく見るんじゃよ。体内に侵入されているのに震えひとつ起こしておらん。スタンドも、機械以上に正確に力強く動いていく」

 全く、わしの孫はなんて孫じゃ。

 もう土産はやらんなど美味いものは食わせんなど散々なことを好きに言ってはいたが、やはりジョセフの中で承太郎は自慢の孫に変わりないのだろう。ここに居る誰もがどうすることもできないと投げ打った肉の芽とひとり戦う承太郎を見るジョセフの表情は、とても誇らしげで必ずやり遂げるだろうと信じているものだった。

「……承太郎」

 見ている側が思うよりも体内を異物が這う痛みもあるだろうに、ジョセフの言う通り震えひとつ起こさない。それどころかその場を微動だにしない承太郎に、神凪は切なげに眉を寄せる。

 だがそれでも彼女は先程のように承太郎のそばに駆け寄ろうとはしなかった。

「がんばって」

 心配は勿論しているし、承太郎に何かあったらを考えると今すぐにでも足が動きそうになる。ただそれでも神凪はジョセフ同様に承太郎を信じたのだ。一度やると口にしたら最後までやり通す。淡々としているように見えて結構頑固な性格をしていることは、神凪が一番よく知っていることだった。

 そして承太郎を見守ると決めて数秒後――。

『うおおお!』

 小さな声援に答えるかのようにして花京院の額から肉の芽を。承太郎の体内から触手を無事に引き抜いて見せたスタンドは、短く雄叫びを上げるとまるで親の仇だとでも言うようにブチブチと物凄い力で触手を引きちぎった。

「……なぜ」

 最終的に吸血鬼の細胞から作られた肉の芽は、ジョセフが扱える太陽のエネルギー『波紋』によって見事に塵と化された。

 さらさらと宙に消えていく、今の今まで自分の脳を支配していた異物を眺めていた花京院は、何事も無かったように澄ました顔で部屋を去ろうとする承太郎の背中に問いかける。

「なぜお前は自分の命の危険を冒してまで私を助けた……?」

 心の底からの疑問だった。いくら操られていたとは言え、こっちは本気で空条承太郎という男の命を取ろうと襲撃した。一般人に……それも女性にスタンドを使ってまで攻撃を仕掛けた。助ける義理なんて何ひとつ無いのに、なぜ?

 教えてくれないかと強く訴えている薄紫色の瞳を見下ろす承太郎。しばし二人の間には沈黙が訪れた。ジョセフもアヴドゥルも音を鳴らしてはならないと無意識下で思っているのか、身動ぎひとつ取らなかった。皆、承太郎から発せられるであろう言葉を待っている。

「……さあな。そこんとこだが、俺にもよう分からん」

 目を逸らし気怠そうに部屋を出ていく承太郎から返ってきた答えは、もしかしたら納得のいくものではなかったのかもしれない。命が掛かっているのによう分からんとは何だ。普段だったらそう突っかかっていたかもしれないが、今の花京院には十分過ぎる言葉だった。

(やっぱり、承太郎は優しいなぁ)

 滲んだ涙を隠すように深く俯く花京院。

 その姿を見ていた神凪は承太郎なりの不器用な優しさに、嬉しそうな笑みを零した。

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