お腹にぽっかりと開いた、本来そこにあってはならない大きな穴からどくどくと流れる血が純白のチャイナドレスを赤に色濃く染めていく。

(わたし、死ぬのかな……)

止まることを知らない血は地面にまで染み渡っていて、身体を強烈な寒気と眠気に襲われていた名前はその様を見るなり”死”が目前まで訪れていることを感じ取った。いや、この場合感じ取らざるを得ないと言った方が正しいだろう。目を開けていることさえ億劫なこの体は、意識を失うのも時間の問題なのかもしれない。
遠くではまだ終わる気配のない戦いの轟音が鳴り響いている。きっと今頃江戸や、江戸に住む人々を守るために命懸けで彼らは戦に挑んでいることだろう。私はそんなみんなの役に立てただろうかーー。

「名前姉ッ!!」

ほの暗い世界で不意に聞こた可愛い妹の声。

「……か、ぐら……?」

何だか酷く泣きそうなその声が気に掛かった名前は、重たい瞼をゆっくりと持ち上げる。
すると目の前には名前とよく似た蒼い瞳に涙をいっぱい滲ませ、可愛らしい顔をくしゃくしゃに歪ませている神楽の姿があった。

「し、死んじゃいやアル! マミーだけじゃなく名前姉までいなくなったら、私……ッ!」

イヤイヤと小さな子がするように首を横に振りながら、何とか血を止めようと神楽は名前の腹部にできた傷を圧迫する。グッと伝わってくる神楽の力強さに、名前は思わず小さく笑った。

「……ねえ神楽」
「名前姉!」
「神楽、強くなったね」
「っ、そうヨ! 歌舞伎町に来てから私強くなったアル! だから待ってて、名前姉のことも今すぐ助けるヨ!」

必ず助ける。そう決意するように浮かんだ涙をグイッと乱暴に腕で拭った神楽は、再度名前の止血を試みる。そんな神楽の姿や凛々しい顔つきを見た名前は場違いだなと思いながらも笑みを浮かべた。
母親が死んで、泣いてばかりいた小さな兎はもうどこにもいない。

「ふふっ、本当に頼もしくなったね」
「デショ!」
「少し寂しいような気もするけど、でも……これならお姉ちゃん安心、だなぁ」
「……名前姉?」
「お父さんと神威のことよろしくね。あの二人すぐ喧嘩するから神楽が止めてあげてネ?」
「な、なに言ってるアルか? そんな最後みたいなこと……! それに神威は名前姉の言うことしか聞かないヨ!」

だから一緒に馬鹿二人の所へ戻ろう?
そう言って下手くそな笑顔を浮かべた神楽は、姉の手に自分の手をそっと伸ばす。

「——ッ!!」

その瞬間、神楽は絶句した。
触れた名前の手は血が通っていないことを示すように、氷のように冷たくなっていたのだ。

「……う、うそヨ……名前姉……!」

嘘だ、嫌だと泣きわめく神楽の大きな目から止まったはずの涙が溢れ出す。ぽたりぽたりと雨のように降り落ちてくるその滴を、叶うのであれば拭ってあげたかった。

「……ごめんね」

しかしもう腕を動かすことすらできなくなっていた名前は、最後の最後に家族の無事を祈って先に死にゆくことを謝ることしかできなかったのだ。

「……名前!」
「名前ちゃんッ!?」

「……ふふっ」

少し離れた場所で驚愕に満ちた表情でこちらを見る父親と弟の姿が見て捉えられた。その顔はさすが親子と感心するぐらいには似ていて、最後に彼らのそんな顔を見られて良かったと名前は嬉しそうに破顔した。

(でも似てるって言うと怒るから、これは私だけの秘密にしておくね?)

慌てて駆け寄ってくる星海坊主と神威に内心ひっそりと問い掛けた名前は、いよいよ己の死を素直に受け入れるかのようにゆっくりと瞳を閉じる。

 ——名前、俺はお前を愛している。

(……だれ?)

完全に意識を手放す直前に聞こえてきた声。
それは聞き覚えのないものであったが、何故だか酷く甘く——酷く惹かれるような声だった。


2022.2.27. 加筆修正

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