――6月24日。午前9時05分。

初めて顔を合わせた時。そして、二度目に顔を合わせた時。そのどちらの時も名前は吉良吉影という男に対して、『落ち着きのある紳士的な大人の男性』という好印象を抱いていた。
故意ではなかったとはいえ、危うく事故に巻き込んでしまいそうになったのにもかかわらず、吉良は「何をしてたんだ!」と怒鳴るでもなく何よりも優先的に名前の心配をした。それは偶然グリーンロードで再会した時も同じだった。

(いい人……だと思ったけど……)

吉良吉影を自分の中にある『いい人』というカテゴリーに当てはめていた名前。しかし、図らずも昨夜から今朝にかけて吉良と同じ時間を、吉良の家で過ごしたことによって名前は自分の判断が間違っていたと感づくことになる。

(あの人は"ヤバい匂い"がする……)

戦闘に特化した種族だからこそ感じ取ることができる、相手の身の内に隠された危険な香り。初めて会った時には感じ得られなかったその匂いは、今では吉良自身からどんどんと強く放たれてくるようになってきていた。

(それに吉良さんの言動、絶対おかしい)

ベルガモットの爽やかな香水ですら隠しきれていない危険な香りだけでも十分だが、時折顔を覗かせる吉良の不可解な言葉や行動は、名前に更なる不信感とただならぬ不安を与えていた。

(私が"理想そのもの"ってどういこと……?)

名前の脳裏に思い浮かぶのは、つい先程吉良の口から紡がれた言葉。

 ――君は私が求める理想そのものなんだ。

(理想だからわざわざ"睡眠薬"を飲ませてまで私を『吉良家この場所』に置いておきたいってこと?)

一見穏やかに見えた朝食の時間。だが、あの時吉良は穏やかとは到底似つかないような強い睡眠作用のある薬を名前の飲み物に盛っていた。心苦しいとは思いながらも、これは仕方のないことなのだとでも言うように。
しかし、ここで一つ吉良に誤算が生じる。彼は名前のことを華奢で繊細な女性だと思い込んでいるようだが、それは大きな間違いだった。

(どんな理由があったとしても、吉良さんが普通じゃない何かを隠してるのは確か……)

並大抵の毒や薬じゃそう簡単には侵されない、頑丈な体と精神の持ち主。それが名前だった。
夜兎特有の転んでもただでは起きない逞しさがあったからこそ、名前は吉良の異様な言動に気づくことができたのだ。

「探せば何か見つかるかもしれない!」

気づいてしまったからには黙って見過ごすわけにはいかない。そう誰もいない部屋で意気込んだ名前は、吉良の家をすぐに抜け出すことよりも吉良の『隠された秘密』を探すことを優先したようで、彼女は一人で真実に辿り着くための一歩を踏み出した。


* * *


――6月24日。午前11時30分。

「絶対何かあると思ったんだけどなぁ」

吉良の秘密を探り出そうと名前が意気込んでから早二時間が経過した。人の家を無断で漁る行為に少し罪悪感を覚えながらも静まり返った広い家屋を丁寧に探し回っていた名前だったが、何一つ怪しい物を見つけられていないのが今の状況だった。

(あとは吉良さんの部屋だけ……)

探りを入れていないのは残すところ吉良吉影の部屋のみ。ただ、吉良の部屋は朝食ができたと呼びに行った時に名前は一度確認しており、独身男性にしては綺麗に整頓されたそこにはこれと言った怪しい物は見受けられなかったのだ。

(他人に見られたくない物は自分の部屋の押し入れか箪笥の中。もしくは本棚の奥と、大胆にも机の中に隠すって銀さん言ってたっけ)

しかし、隠しておきたい物を誰が見ても分かる場所に置いておく人間はほとんどと言っていい程いないだろう。男の子なら誰しもとっておきの場所に秘密を隠すものなのだ。そう永遠に少年の心を忘れない坂田銀時に教えてもらったことを思い出した名前は、もう一度「よしっ!」と気合を入れ直して吉良の部屋へと向かった。

「お邪魔します」

誰も聞いていないと分かっていながらも断りを入れて、名前は吉良の部屋に足を踏み入れた。目にするのは二度目となるその部屋はやはり綺麗に片付いており、物も少ないせいかどこか殺風景な印象を抱かせる。果たして本当にこの部屋に吉良の秘密が隠れているのだろうか。

「えっと、まずは……」

少し不安に思いながらも、名前は自分の直感を信じて吉良の部屋を見て回る。広い和室の端に置かれた低めの机に、全て三位入賞のトロフィーなどが幾つか上に乗せられた箪笥。そしてピッチリと襖が閉められた押し入れと、坂田銀時曰く『隠し場所有力候補』がある中で、名前が一番最初に目をつけたのは――。

「あっ、机……」

レオナルド・ダ・ヴィンチ全集や、健康の基本といった本が並べられている机だった。
何の変哲もない、どこにでも売っているような普通の机。なのに何故名前がいの一番にそこに目をつけたのか。

(あいてる)

それはその机に一つだけある引き出しが、少しだけ開いていたのが要因であった。ピッタリと閉まっているドアよりも少し開いているドアの方が気になるように、机と引き出しの間に存在する隙間は何とも名前の好奇心を刺激した。

(ここから見てみようかな)

蝶が花に惹かれるように名前は自然と机の方に一歩、また一歩と近づいていく。そして――。

「なに、これ……?」

彼女の白い手がついにパンドラの箱を開けた。

(瓶がいっぱいある、)

瓶がいっぱいある。そんな名前の言葉通り何の変哲もない机の引き出しの中には、複数個の瓶が綺麗に並べて収納されていた。それも中身がギッチリと詰まった瓶がである。

(この四桁の数字は西暦……? そうだとすると吉良さんは1983年から今年にかけて何かをコレクションしてるってことかなぁ……)

瓶の蓋にラベルされた四桁の数字の下一桁が、『3』『4』『5』と段々上がっていっていることに気づいた名前は、吉良が何かを几帳面にも一年ごとに集めているのだと推測する。ただ、どうにも瓶の中に入っている物が何なのか全く検討もつかず、名前はたくさんある内の一つを手に取ってしげしげと見つめた。

「何かの欠片っぽいけど、なんだろう」

振ってみるとカラカラと軽い音を立てる瓶の中のそれは近くで見ると一つ一つが小さい欠片になっていて、どうやらその欠片が瓶に詰められているようだった。

「開けるのはちょっとなぁ……ん?」

中身が一体何なのかは気になるが、さすがに他人がコレクションしている物。更に言えば得体のしれない物が入っている瓶の蓋を開ける勇気はなかなかに出ず。仕方なしに中身を追求するのは諦めて、他に何か吉良に関する情報はないかと名前が引き出しの中を更に探ろうとしていると、不意にとある感覚に襲われた。

「あれ、うさぎが出てる」

それは、スタンドが自身の中から外に出ている感覚だった。

(どうしたんだろう……)

自分の意思とは関係なくスタンドが同じ敷地内ではあるが、少し離れた場所に出てしまったことに名前は少しの不安を抱く。
色んなスタンドがいる中で比較的少しの自我がある『白うさぎと黒うさぎ』は、時折勝手に外に出てはよく二羽で遊ぶことがある。だが、それは全て名前がリラックスしている状況下でのみ起きることだった。今現在のように気を張り詰めているような場では、名前の誰かを守りたいという意思が働いた時にしか外に出ることはなかったのだ。

(何かあったのかな)

だからこそ一抹の不安に駆られた名前は一度吉良の部屋の詮索を諦めると、スタンドが出現している場所へと感覚を頼りに進んでいく。
しんと静まり返る廊下は先程よりも不気味に感じたが、そこを進む名前の足取りは軽かった。それは幸いにも名前自身の体に痛みなどが走らなかったからだ。つまるところ何らかのスタンド攻撃を受けている訳ではないため、不安に思うことはあってもまだ名前はスタンドが勝手に出た事態をそこまで重大に思っていなかった。

「――うそっ!」

そう。平和な杜王町の、それも閑静な別荘地帯にあってはならぬ『弓と矢』を見つけてしまうまでは。


* * *


――6月24日。午後12時35分。

午前の授業を終え、ようやく訪れたお昼休みにぶどうヶ丘学校中等部の敷地内では、息抜きをする大勢の生徒で賑わっていた。
憧れの芸能人の話や恋の話に花を咲かせながらお弁当を食べる女子生徒。既に昼食を済ませ、校舎の外に設置してある小さなバスケコートで食後の運動をする男子生徒。それぞれが楽しく友人たちと学校生活を送っている中で、人気の全くない体育準備室に鍵の開いた窓からこっそりと忍び込む一人の男子生徒がいた。

「しししししっ!」

随分と慣れた様子で体育準備室に侵入した男子生徒は、部屋の隅っこに置いてある体操マットに腰を下ろすと、嬉しそうに手に持っていたパン屋『サンジェルマン』の袋を開封しようとする。どうやら彼は他の生徒で賑わう校舎内ではなく、誰も寄り付かない静かな場所で一人優雅に昼食を取ろうとしているらしい。

「さてと! ここならゆっくりと寛ぎながらランチが食べられるど!」

ペリッ、ペリッ、と袋に貼ってあるシールを剥がす音が室内に響く。几帳面にも破れないように丁寧に開封していく男子生徒の顔はそれは楽しそうなもので、ゆっくりとした手付きとは裏腹に彼の表情は一刻も早く売り切れる前に奇跡的に買えた『サンジェルマン』のサンドイッチを食べたいと物語っていた。だが――。

「おっとそーだったどッ! サンドイッチ食べる前にコーヒーをわかすんだったどッ!」

あともう少しで人気のサンドイッチとご対面、というところで男子生徒はハッと思い出したように声を上げると、体育準備室に併設されているキッチンへと向かって行った。目的は勿論、体育教師がストックしているインスタント飲料のうちの一つ、コーヒーを頂くためである。
これまた窓から入ってきた時同様慣れた様子で戸棚からコーヒーやカップを取り出し、ポットでお湯を沸かす男子生徒。そこから察するに、彼の体育準備室への忍び込みはかなりの常習と言える。きっと彼はどこかで昼休みには生徒どころか、体育教師ですらこの部屋に寄り付かないことを知ったのだろう。

「ししししっ!」

そうでないと、ここまで我が物顔で生徒立ち入り禁止の部屋で教師の私物を勝手に拝借することなどできないはず。誰も見ていないと知っているからこそ、彼は上機嫌で優雅なランチを少し埃っぽい部屋でいつも楽しむのだ。

「運が良かったな『重ちー』くん……」

だが、今回はいつもと様子が違っていた。
今回はキッチンに立ってコーヒーを淹れようとしている男子生徒――重ちーの背中をじっと見つめるブランドスーツを身に纏った男の姿が体育準備室にあったのだった。

「…………」

物音を一切立てずして体育準備室に忍び込んだ男は、自分が部屋に入ったのにもかかわらず全く気づく気配のない重ちーを確認すると、先程からマットの上に放置されたパン屋の紙袋に視線を移す。

「中身を見ていたら『始末』しなくてはいけないところだった」

男子中学生の昼食であるサンドイッチが入った袋を見ながら『始末』という、何とも物騒な言葉を紡ぐ男は、どことなく安堵した表情を浮かべながらその袋へと手を伸ばしていく。
なぜ学校の敷地内に部外者であるサラリーマンがいるのか。なぜ重ちーの昼食を男が盗もうとしているのかと疑問に思う点は多々あるが、男本人からしたらこの一連の行動はとても重要なものであるらしい。その証拠に衣擦れの音一つ立てないよう慎重に体を動かす男は真剣そのもので、それが彼の異質さを際立たせていた。
だが、今この体育準備室にいるのは幸か不幸か男と重ちーの二人だけ。そのため、どれだけ男の存在が異様であってもそれを指摘する者や、邪魔する者は誰もいない。

(もう少し……)

好都合でしかない状況の中で、男の伸ばされた手が目標の紙袋までその距離10cmを切った。あとひと息でこの手にと、男がより一層身を乗り出したその時――。

「おい仗助! ここだぜッ!」

(!!)

突如として体育準備室に響いてきた第三者の声によって、男の動きがピタリと止まった。

「うぐっ、予想以上に狭ェ!」

(なっ、なにィ!?)

どこかで聞いた覚えのある声と、語尾を伸ばすような話し方。更にはその声が呼んだ今日覚えたばかりの人物の名前に、男はハッとして背後を振り返る。

「おい仗助ッ……押すな押すな!」

すると、男の目には何とか窓から体育準備室に入り込もうと奮闘する、少し緩めのズボンを履いた下半身が映り込んできた。じたばたと暴れるその二本の脚を見た瞬間、男の頬に冷や汗が流れる。

(こいつら! 『ここには来ない』と言ってたはずなのに……!)

事前に確認を行い、しっかりと算段を立てて学校に忍び込んだ男にとってこいつら――もとい東方仗助と虹村億泰の登場はとんでもない大誤算だった。

(どうするッ!?)

好都合な状況から逆転。一気に圧倒的不都合な状況に陥ってしまった男は、重ちーから袋を奪うことよりも鉢合わせないよう真っ先に身を隠すことを優先しなくてはならなくなった。
入って来た窓から出ることは言わずもがな不可能だ。正式な出入り口であるドアも、重ちーがいるキッチンを通らなくてはいけないため見つかるリスクが高い。そうなってくると、誰にも見つかりたくない男が取る行動は、実質一つしか残されていなかった。

「重ちーッ!」
「億泰さんに仗助さんじゃあないかど!」
「やっぱりよー。俺たちもここのコーヒー頂くことにしたぜ」
「500円の幕の内弁当にしたもんでよ!」
「フン! 散々人のこと意地汚いだの泥棒だの貶しておいて……調子いいどあんたらッ!」

(くっ……)

一度誘いを断っておきながらも、『人間は時と場合で考えが変わるものだ』という理由でやっぱり体育準備室にやって来たと話す億泰と仗助の高校生二人に、なんて奴らだと憤慨する中学生の重ちー。何とも言えない不思議な関係性であるが、「堅ぇこと言うなよー」と仲良さそうに和気あいあいと話す仗助たちは知らない。
彼らのそばにある跳び箱の中では、悔しそうに顔を歪めた男が身を潜めながら外の様子を窺っていることを。

(ひとり程度なら始末することもできるが……『三人』は厄介だ……くそっ! 『彼女』があと数十cmの所にいるというのに!)

忍び込んだ当初にも言っていた通り、重ちーひとりだけならなんとでも打開策があった男は、想定外の出来事に酷く焦る一方だった。どうにか跳び箱の木枠と木枠の間に生まれた微かな隙間から見える紙袋を手に入れ、尚且つこの窮地を脱しなければと、男が少しだけ冷静さを欠いた頭で新たな打開策を思考していると――。

 ――ガタンッ。

不意に男の頭上から大きな物音がこだました。

(!?)

ほんの少しの揺れと共に聞こえてきた物音に、一体何事だと男は慌てて頭上を見上げる。
一方その頃、まさか跳び箱の中に人が隠れているなんて微塵も思っていない学生三人組の一人である仗助は、お弁当片手に軽々と跳び箱の上に座っては「俺の飲み物もお願いね!」と、重ちーにいい笑顔を向けていた。

「コーヒーより日本茶がいいなッ!」
「紅茶ある? ミルクティー」
「幕の内にミルクティー……気持ち悪いど!」
「オメー甘党なめてんじゃあねェぞ? 名前さんなら幕の内にミルクココア飲むぜェ!」
「いや、さすがの名前さんも飯食ってる時は水か茶ァ飲んでるぜ」
「なにィ!?」
「誰のなんの話だどッ!」

(こいつ……この上で弁当を食う気かッ!)

飲み物の話で盛り上がりをみせる学生たちを余所に、身を潜めている男は跳び箱に座る仗助に対して憤りを感じていた。これでは上から重みが加わっている分、動きが取れなくなってしまうではないかと。

(それにこいつら名前の名を呼んでいたが……どういう関係だ?)

そして、男は思うように動けなくなってしまった事態にだけでなく、仗助と億泰の両名の口から出てきた女性の名前にも反応を見せた。

(随分と彼女のことを知ったような口振りだ。特に『仗助』と呼ばれていたこの上の男……)

それは明らかな嫉妬だった。まるで何度も食事を共にするような関係だと、そう言っているような口振りに激しい嫉妬をした男は無意識に親指の爪を噛んだ。すぐそばにいる『彼女』は取り返せないし、好意を寄せる名前と仗助たちの関係は気になるしと、男の中で苛立ちと焦りがどんどん膨れ上がっていった時――。

(!!)

負の感情から俯きがちだった男に、『彼女』を取り戻すための打開策が浮かぶ。

(……これなら)

なぜこんな所にあるのか理由は分からないが、偶然にも男は跳び箱の中で針金製のハンガーを見つけた。簡易的な作りをしているそれは、少し手を施せばただの長い針金に戻る。男はその一本の長い棒に戻したハンガーを利用して、紙袋を手繰り寄せるという行動に出た。

(な、なに! シールの粘着が……!)

だが、不運というものは重なるもので。当初は想像通り上手くハンガーを紙袋に引っ掛け、自分の元へゆっくりとではあるが手繰り寄せることに成功していた。しかし、剥がしたり貼ったりを何度か繰り返したシールは粘着力が弱くなっていたらしく、持ち上げられたことによって重量に耐えきれず剥がれてしまったのだ。

(しまった!)

「ん?」

ドサッと音を立ててマットの上に落ちてしまった紙袋に、男は冷や汗を流しながら息を呑む。広くはない体育準備室では紙袋の落ちた音は思った以上に大きく響き、その音は『トンカツにはソースか醤油か』という談義に花を咲かせていた仗助と億泰の耳にもしっかり届いていた。

「なんだ?」

物音につられて下を見下ろした仗助の目に、口が開いた状態で乱雑に倒れた紙袋が映る。確かこれは重ちーのと、昼食を買いに行った時に彼が持っていたのを覚えていた仗助は跳び箱からヒョイッと降りると、勝手に倒れた紙袋に手を伸ばしていく。

(……!)

身動きも取れない、声も上げられない。もはや為す術なしと思われるこの絶体絶命な状況。

「何してるんだど!?」

だがしかし、どうやら神はまだ男を完全に見放してなどいなかったらしい。

「仗助さんッ! まさかオラのサンドイッチを盗み食いしよーって魂胆じゃあないかどッ!」
「違うぜッ! バカ言うんじゃあないぜッ! なんか妙な音がしたよーな気がしたからちょっと見ようとしただけだぜ!」
「触るんじゃあないどッ!」

食への執着と言うべきか。ちょうど死角になっているキッチンからでも少しの異変に気づいたらしい重ちーは、仗助に向かって『見るだけで済むはずない』やら『ちょっぴり齧らせてくれと言うに決まってる』など、失礼極まりない言葉を次々と投げ掛けていく。これにはさすがの仗助もカチンと頭にキたようだ。

「ケッ、欲望にうるせー野郎だぜッ! 茶はまだかよ茶はッ!」
「俺ミルクティーね!」
「今淹れるとこだど!」

(今だッ!)

仗助たちの意識が言い争いによって紙袋から逸れたことがまさに好機。上からの重みも消えた今しかないと判断した男は再度ハンガーを袋に引っ掛けると、誰にも見られぬうちに『彼女』を回収することに成功したのだった。

(無事このハードな状況を乗り越えて『彼女』を取り戻したぞ……)

そこからは先程までの不運が嘘だったかのように、男に次々と幸運が舞い降りてきた。
サンドイッチが無くなったと騒いでいた重ちーも、盗んだだろと疑われていた仗助と億泰も、体育準備室に乗り込んできた体育教師によって慌ただしく部屋を出ていった。

(この『吉良吉影』……自分で常に思うんだが強運で守られてるような気がする……)

後に乗り込んできた体育教師も部屋の中をろくに確認もせず、戸締りだけをしてそそくさと出ていったため、男――吉良吉影は難なく体育準備室のドアから外に出ることができたのだ。

(ただ今回は本当に危なかった……私にはもう名前がいることだし、『彼女』とはこれを機に手を切ってしまおうかな)

遠くから聞こえる生徒たちの賑やかな声を背に受けながら正門へ向かう吉良は、ちらりと視線を手元にある紙袋へと移す。その視線は、愛しい『彼女』を見るには冷えきったものだった。

(この指輪だってより白く、より美しい名前の指の方が似合いそうだ。何より……名前は私の元から離れたりなどしないからね)

平穏を望む吉良にとって先程の一連の出来事は相当痛手だったらしく、せっかく苦労して取り戻した『彼女』も今では手を煩わせる邪魔な存在としか認知されていないらしい。
どんな理由であれ一度自分の元を離れていった『彼女』とは、仕事が終業するまでの残り僅かな時間だけを過ごそう。後は家に帰れば名前が居るのだから『彼女』とは綺麗さっぱり手を切ればいい。そうだいぶ自分勝手なことを考えながら早く学校の敷地外に出ようと、吉良は止めていた足を再び動かした。

 ――ミツケタゾッ!

「!!」

だが、不意に背後から聞こえてきた一人の少年の声によって、またしても吉良の足は止まることになる。

「なんで知らない人が、オラのサンドイッチを持っているんだど! なんで知らない大人が、オラの中学校の中でコソコソ動き回っているんだど!!」

特徴ある一人称と語尾は、ついさっきまで耳にしていた重ちーのものだった。

「ひょっとして私に話しかけているのかね?」

人気のない校舎の隅には今、吉良と重ちーの二人しかいない。更に言えば『知らない大人』と重ちーはハッキリと明言しているため、彼が敵意を持って話しかけているのは状況的に吉良しかいない。

「何を言っているのか分からないな……これは私のサンドイッチだよ。さっき『サンジェルマン』で買ったんだ」

しかし、この男吉良吉影。彼はこの場において自分が異質な存在であると理解しながらも、なぜ話しかけられているのか全く分からないと白を切り通そうとしたのである。

「いいや! その袋はオラのだど!」

だが、たとえ吉良の言っていることが正しかったとしても、仗助曰く『欲望に忠実』な重ちーにとって吉良の言い分は通用しなかった。

「取り上げろッ! ハーヴェスト!」

紙袋が自分自身の物だと、吉良には分からないが自分には分かる理由があるのだと声高らかに言い放った重ちーは、小さな虫のような群体型のスタンド『ハーヴェスト』を出現させた。
彼が言う『自分には分かる理由』とは、このスタンド能力のことだったのだ。

「な!? なんだ、いったいこれは……!」

重ちーの指示に従って数体の『ハーヴェスト』が吉良の持っている紙袋を取り上げようと束になって引っ張れば、突然の引力に何が起きているのか分からない様子の吉良から驚愕した声が上がる。

「ふ、袋が引っ張られる……!」

ただ、それでも尚袋を離すまいと吉良も負けじと突然の引力に抗うために腕に力を込める。
すると、紙製で強度のあまりない袋には両側から強い引力が加わる訳で。

「なっ! なっ、な、なん……オラのサンドイッチがっ、これは!? ほっ、ほっ、本物の人間の手か!?」

案の定両方からの力に耐え切れる訳もなく紙袋はバリィッと盛大な音を立てて半分に破れ、その中に入っていた『彼女』を晒してしまった。

「なんということだ……見てしまったか」

中身が入れ替わっていたなど露ほども思っていなかった重ちーは、サンドイッチの代わりに出てきた本物の『人間の手』に背筋を凍らせる。
その一方で、ずっと他人にひた隠しにしてきた己の趣味嗜好を見られ、あまつさえ特殊な『能力』を見せつけられた吉良は、今度こそ明確な殺意を震える少年に向けた。そして――。

「誰かに喋られる前に始末させてもらおう」

凶悪な殺意と共に、吉良の後ろでもう一つの影がゆらりと蠢いた。


* * *


――6月24日。午後12時。

「間違いない、吉良さんはスタンド使いだ!」

音石明から回収した物と全く同じ『弓と矢』を吉良家で見つけてしまった名前は、優れた嗅覚ゆえに『弓と矢』がしまわれている場所を発掘してしまった自身のスタンドをぎゅっと抱きながら、隠されていた吉良の大きな秘密に息を呑んだ。

「っ、承太郎たちに教えなきゃ……!」

初めて間近で目にする、人にスタンド能力を与えたり簡単に人の命を奪ってしまう『弓と矢』に気圧されていた名前。しかし、この由々しき事態にハッと我に返った名前は、一刻も早く長年『弓と矢』の調査をしてきた承太郎を含めた財団の人間にこのことを知らせなければと、その場を立ち上がった。

「えっと、確か電話は……吉良さんの部屋!」

直接『弓と矢』を持って向かうよりも、住所を伝えて来てもらった方が早いと踏んだ名前は、記憶を辿り先程までいた吉良の部屋へ駆ける。

「あった!」

そして、記憶通り吉良の部屋で電話を見つけた名前は、早速承太郎が宿泊するグランドホテルへ連絡するため受話器を取ろうと手を伸ばす。だが――。

 ――そうはさせるか小娘。

「!!」

突如耳についた恨みが募ったようなしわがれた声とカメラのシャッター音によって、名前の手は電話の受話器を取ることはなかった。

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