香港の港に停泊している一隻の船。
その大きくて立派な船はジョセフがチャーターしたものらしく、どうやらそれに乗ってシンガポールへと向かうようだ。

「ムッシュ ジョースター。ものすごく奇妙な質問をさせていただきたい」

名前達が船に乗り込もうと港を歩き出した時、承太郎によって肉の芽を引き抜かれ正気に戻ったポルナレフがジョセフを引き止めた。

「……詮索するようだが、あなたは食事中も手袋を外さない…まさかあなたの『左』腕は『右』腕ではあるまいな?」

左腕が右腕と実に奇妙な質問を投げ掛けられたジョセフと、話を聞いていた名前達は疑問符を浮かべる。

「一体どういうことかな?」
「…妹を殺した男を探している。顔は分からない、だがそいつの腕は両腕とも右腕なのだ」

その奇妙な質問に隠された背景を知った名前は息を飲んだ。
ジョセフはただじっと自分を鋭い眼差しで射抜いてくるポルナレフを一瞥すると、すっと左手の手袋を外した。

「50年前の闘いによる名誉の負傷じゃ」

ポルナレフの目の前に差し出されたジョセフの左手は、右手ではなく太陽の下に曝され鈍く光輝く義手であった。
ジョセフの義手を目にしたポルナレフは一言詫びを入れると名前達に背を向けて青々とした海へと視線を向けた。

「もう三年になる」

ポルナレフは背を向けたまま話し始めた。
雨の日の学校帰りに妹とその友人がある男に出会った事。男の周りを雨が避けるようにして降っていた事。友人は突然胸を切り裂かれ、妹は男に辱めを受けた挙句殺されてしまった事。九死に一生を得た友人に事の顛末を聞いて自分自身に誓いを立てた事。

「我が妹の魂の尊厳と安らぎはそいつの死で持って償わなければ取り戻せんッ! 俺のスタンドが然るべき報いを与えてやるッ!」

改めて誓うように声を張り上げたポルナレフは一度息を吐くと、今度は一年前にDIOに出会った話を始めた。
DIOは水晶にポルナレフが探し求めている両腕とも右手の男を映し出すと、ポルナレフが望む言葉を並べて心の隙間に入り込んで来たという。
そしてポルナレフはジョセフや承太郎達を殺して来いと命令され、それが正しいと信じて行動してしまったと後悔に苛まされていた。

「肉の芽のせいもあるが、なんて人の心の隙間に入り込むのがうまいヤツなんだ」
「うむ…しかし話から推理すると、どうやらDIOはその両腕とも右腕の男を探し出して仲間にしているな」
「俺はあんた達と共にエジプトに行くことに決めたぜ。DIOを目指していけばきっと妹の仇に出会えるッ!」

絶対曲がることのない芯の通った目でジョセフを見るポルナレフ。
その彼の目を見ながらジョセフは何かを思案しているのか黙ったままだった。

「すみませーん!」

妙な沈黙が流れるこの場に、場違いな甲高い声が木霊した。
名前が声のした方にちらりと目を向ければ、そこには二人組の若い女が頬を朱に染めて承太郎へと歩み寄って来ていた。
二人組の女はどうやら承太郎にカメラのシャッターを押してもらいたいようで、執拗に話し掛けている。

「(ああ、やばい!)」

ただでさえ自分の周りで喧しくされる事を嫌う承太郎。更に加えれば先程までものすごく真面目な話をしていたのだ。
どんどん険しくなる承太郎の表情に「これはキレる」と感づいた名前は、承太郎が声を上げるよりも先に二人組の女へと声を掛けた。

「あの! 写真なら私が撮りますよ!」
「ここを押してもらうだけでいいんで〜!」
「っ、わぁ…ッ!」

最初から承太郎しか目に入っていないようで、名前を押し退けてグイグイと承太郎に迫り行く二人組の女。
自身の視界の中でふらつく名前の小さな体を捉えた承太郎。彼の元々低い沸点がとうとう超えてしまった。

「やかましいッ! 他のヤツに言えッ!」

名前の体を支えながらものすごい剣幕で怒鳴り上げる承太郎に、二人組の女はまさか怒鳴られるとは思っていなかったのだろう。ポカンと口を開けたまま承太郎を見上げていた。

「まあまあ、写真なら私が撮ってあげよう」

固まる二人組の女に優しく声を掛けたのは紳士的な花京院でもアヴドゥルでもジョセフでもなく、先程まで自分の誓いや覚悟を語っていたポルナレフだった。
彼はデレデレと顔を歪ませながらナンパをするかのように二人組の女へ話し掛けていた。
これにはさすがの承太郎も戸惑いを隠せていないようだ。

「なんか分からぬ性格のようだな」
「ずいぶん気分の転換が早いな」
「というより頭と下半身がハッキリ分離しているというか」
「…そういうこと」
「…やれやれだぜ」

ジョセフの言う通り、ミニスカートから覗く脚を鼻の下を伸ばしながら凝視するポルナレフに、名前と承太郎は呆れの視線を投げ付けた。


* * *


熱心に口説こうとしていたが結果は見事に惨敗し、落ち込むポルナレフを引きずるようにして乗り込んだ船は香港の港を離れた。
シンガポールまでは丸三日かかるため、到着する間に英気を養っておくといいとジョセフに言われた名前達は思い思いに過ごしていた。

「しかしお前らな〜。その学生服なんとかならんのか〜! その恰好で旅を続けるのか?」

上着を脱いでシャツの袖を捲ったジョセフは、甲板に置かれたデッキチェアに寝そべる承太郎と花京院の姿を見て暑苦しそうに顔を顰める。
太陽が煌々と照り、暑い日差しが降り注ぐ中を高校生二人は制服をきっちり着込んでいたのだ。

「クソ暑くないの?」
「僕らは学生でして。学生は学生らしくですよ」
「…ふん」

何ともこじつけのような理由に呆れたような顔をしたジョセフは、「それに比べて名前ちゃんは、」と楽しそうに甲板の上を見て回る名前に目を向けた。

「…可愛いのう」

心の底から呟かれた言葉に承太郎と花京院の視線もジョセフと同じ方向を見る。
三人どころか船員からの視線も集めている名前は、香港のチャイナドレス専門店で試着をしたあのミニ丈のチャイナドレスを着ていた。紺地の布は大胆に曝け出された名前の腕と脚の白さを際立たせており、やはり彼女にとても似合っていた。
しかしあの時承太郎と花京院に反対されたものをなぜ名前は着ているのか。
――実はこの服、承太郎がプレゼントしたものである。

「…やっぱり僕はJOJOの方がむっつり助平だと思うよ」

いつの間に購入していたのか。試着した時には恥じらいを持てと言っていた承太郎がまさか名前にプレゼントするなんて。
抜け駆けされた気持ちになった花京院はたっぷり皮肉を込めて隣に寝そべる男に向かって言葉を吐いた。

「……あいつが欲しそうにしてたから買ってやっただけだ」
「素直じゃあないのう。本当は名前ちゃんに超似合ってたから買ったんじゃあないの〜?」
「どうなんだい、JOJO」

揶揄うように問い詰めてくるジョセフと花京院に、承太郎は帽子を目深に被ると寝る体勢を取り「テメーら話し掛けてくるんじゃあねェ」とドスの効いた声で言い放った。

「あれ、承太郎寝ちゃったの?」

ジョセフと花京院がにやにやと楽しそうに承太郎を見ていると、何やら一生懸命話しているポルナレフを完全に無視した名前がジョセフ達の元へやって来た。
帽子で顔を隠して頭の下で腕を組む承太郎を名前は上から覗き込む。どことなく不機嫌なオーラを放っているような気がしてジョセフや花京院を見るも、彼等は面白そうに笑うだけだった。

「寝ているヤツなんかほっといてさ、俺と一緒に綺麗な海でも眺めながらお喋りしようぜ? 仲間になったんだから親睦を深めるのも大事だと思うんだよ俺は!」
「……ポルナレフ、さっきからどこ見て喋ってるの?」
「どこってそりゃあ勿論その綺麗な御御足……っぐふぉッ!?」

デレッと鼻の下が伸びたポルナレフの腹に名前の拳が決まった。
多少手加減されてはいるがそれでも痛かったのだろう。ポルナレフは目尻に涙を滲ませて自分の腹を押さえながら床に蹲ってしまった。

「今のはポルナレフが悪い」
「親睦を深めたいのなら目を見て話せ」
「名前ちゃん、ポルナレフから離れなさい」

花京院とアヴドゥルが懲りもしないポルナレフに冷めた視線を送る。ジョセフは名前の腕を引いて自分の横に立たせ、承太郎はちらりとポルナレフを見ると蔑むように鼻で笑っていた。

「離せ! 離しやがれ、このボンクラが〜〜ッ!」

何やかんやと船の旅を楽しんでいる名前達の耳に大きな声が届いてきた。
パッと全員が声のした方を見ると、一人の船員に首根っこを掴まれて暴れる子供の姿があった。どうやら先程の声もこの子供のようだ。

「おいどうした? わしらの他には乗客は乗せない約束だぞ」
「すみません密航です。このガキ下の船倉に隠れてやがったんです!」
「密航?」

海上警察に突き出してやると船員に言われた子供は、シンガポールにいる父親に会いに行きたくて乗ってしまったと話した。仕事でも何でもするからこのまま乗せてほしいと懇願する子供を揶揄うように弄ぶと、船員は一言「やーだよ!」と子供の被る帽子のツバを指で弾いた。
余程悔しかったのだろう。子供はガブリと船員の腕を噛むと緩んだその隙をついて腕から抜け出し、そのまま海へと飛び込んでしまった。

「飛び込んだぞ。元気いーっ」
「陸まで泳ぐ気だ」
「どうする…?」
「助けてあげたほうが…!」
「ほっときな。泳ぎに自信があったから飛び込んだんだろーよ」

我関せずと言った承太郎に船員は顔を青くさせて、この海域はサメが出没するんだと震える声で呟いた。
その声に名前が目を凝らして子供の周辺を見ていると、大きな魚影がぬっと海面に現れたのが見えた。

「っ、サメだよ!」
「おい小僧! 戻れーッ!」
「危険だッ!」

名前やジョセフ、ポルナレフの声も虚しく子供のすぐ近くに背鰭を出したサメは、真っ直ぐと子供に向かって泳いでいく。
もうダメだ、食われると皆が思った瞬間――大きなサメの体が宙へ舞い上がった。

「承太郎…ッ!」

サメの体を吹き飛ばしたのは承太郎の『星の白金』だった。
先程まではデッキチェアに寝そべったまま動く気配のなかった彼は、名前達が気付かないうちに海に飛び込んでいたようだ。
承太郎の不器用な優しさに名前は笑顔を浮かべて海の中にいる彼らを見ていたが、突然承太郎によって飛ばされた帽子から広がった長い髪に名前は目を見張った。

「…お、女の子…?」

ずっと少年だと思っていた子供はどうやら少女だったらしい。
密航したり海に飛び込んだり随分とアグレッシブな少女に名前達が呆気に取られている中、『星の白金』に殴られて海に浮かぶサメの体が鋭利なもので真っ二つに切り裂かれていた。

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