一言も発せず静かに貨物船を見る承太郎が気になったジョセフは「何を案じておる?」と話し掛けた。

「まさかこの貨物船にもスタンド使いが乗っいてるかもしれんと考えているのか?」
「いいや……タラップが下りているのになぜ誰も顔を覗かせないのかと考えていたのさ」
「!」

ジョセフは承太郎の言葉に改めて貨物船を見遣る。確かに承太郎の言う通り、貨物船から人が顔を覗かせている気配はない。
助けに来たとしては何とも異様な光景にジョセフは考えるように顎に手を当てた。

「ここまで救助に来てくれたんだ! 誰も乗ってねえわけねえだろーがァッ! 例え全員スタンド使いだとしても俺はこの船に乗るぜッ!」

ポルナレフを筆頭に水平達やアヴドゥル、花京院がタラップを上がっていく。その後ろ姿を承太郎は暫く何かを思案するように見つめていたが、彼らに続くようにして承太郎もタラップへと足を掛けた。

「ほら…手ェ貸しな」
「! ありがと、承太郎」

タラップと救命ボートの間に出来た隙間のせいで少々渡りにくい足場に、先に船へと渡った承太郎は名前に向かって手を差し出す。
突然目の前に差し出された大きな手にぱちりと瞬きをした名前は、承太郎の意図と優しさに気が付いたようで、お礼を言いながらその手を掴んだ。

「…わっ…!」
「!」

自身の手に重なった小さな手を軽く引っ張ってあげた承太郎だったが、思いの外引く力が強かったのか名前の体がぐらりと前によろめいてしまった。
落ちると思ったのか慌てて抱きついてくる名前を、承太郎は驚きに少し目を開きながら咄嗟に受け止める。

「っ、ぶねぇ…」
「…っ…、」
「わりぃ…少し力入れ過ぎた」
「……ふふっ」
「名前?」

海へ落ちなかったことに安堵の息を吐いた承太郎は、自分のせいでよろめいてしまった名前へと素直に謝るが、どこか名前の様子がおかしいことに気づく。
小さな息を漏らして肩を揺らしている名前に承太郎が疑問符を浮かべていると、承太郎の胸板に顔を埋めていた名前がぱっと顔を上げた。

「へへっ、さっき心配させた仕返し!」

どうやらよろめいたのも、承太郎に慌てて抱きついたのも、彼女が意図的に行ったことだったらしい。
にっと悪戯っ子のように白い歯を見せて笑った名前は、するりと承太郎の腕から抜け出すと、軽やかな足取りでタラップを駆け上がって行ってしまった。

「……なんだそれ」

思わぬ名前の行動に呆けた表情でタラップを見上げていた承太郎だったが、よく考えてみればなかなか可愛らしい名前の仕返しに、ふっと口元に小さな笑みを浮かべた。

「掴まりな、手を貸すぜ」

そして救命ボートに残っていたアンにも手を差し出す承太郎だったが、アンはその手を借りる事なく飛び跳ねると、承太郎の隣に立っていたジョセフへと抱きついた。
アンは受け止めてくれたジョセフの腕の中で振り返ると、承太郎に向かってべーっと舌を出す。

「…やれやれ」

性別を確かめるために胸に触れたことを根に持たれているのか、やたらと敵対心を向けてくるアンに、承太郎は小さく溜息を零した。


* * *


「誰もいない…?」

タラップを上った先の甲板には一人の船員の姿もなかった。
そんなずはと操舵室や甲板を全員で探してみるが、やはりこの貨物船の船員は見つからない。それなのに計器や機械類は正常に作動している事から、ジョセフの頬に冷たい汗が流れた。

「おいッ!! 誰かいないのかッ!」
「みんな来てみて。こっちよ! こっちの船室」

ジョセフが声を張り上げる中、アンの高い声が響いた。
何かを発見したのか名前の手を引きながらジョセフ達を船室へと連れて行く。皆で中を覗いてみると船室には大きな檻があり、その檻の中には一匹の猿が入れられていた。

「猿よ。檻の中に猿がいるわ」
「……」
「オラウータンだ」
「……」
「…な、なんかこっち見てない?」

何とも言えない瞳でじっ…と見つめてくるオラウータンに謎の寒気に襲われた名前はさっと花京院の後ろに隠れた。

「猿なんぞどうでもいい! こいつにエサをやってる奴を手分けして探そう」

船員がいたのかと期待していたジョセフは眉を顰めてオラウータンを一瞥すると、船員を探しに行こうと踵を返す。

「!!」

後ろを振り返ったジョセフの目に入ってきたのは、甲板に立っているアヴドゥルや水平達の上でゆらゆらと揺れ動くクレーンのフックだった。
クレーンは一際大きく揺れたと思えば、一人の水平の元へと向かって行く。

「アヴドゥル! その水平が危ないッ!」

ジョセフが咄嗟に叫ぶが間に合わず。クレーンのフックは水平の顔に突き刺さり、そのまま彼を上へと引き上げていってしまった。あまりにも惨い光景にジョセフやポルナレフも声を上げる。
ジョセフ達の叫び声に何があったのかと船室から顔を覗かせたアンの視界は広げられた番傘によって埋まり、ぶら下がる水平の死体を見る事はなかった。

「お姉さん?」
「…アンちゃんは見ないほうが、いいよ…」

アンは番傘の持ち主である名前を見ると、彼女はぐっと唇を噛みながら恐怖によって冷や汗を流していた。その表情にアンは只事ではない何かが起きているのだと理解できた。

「やれやれ。こういう歓迎の挨拶は女の子にゃあきつすぎるぜ」

死体を吊り下げるクレーンを睨み付けた承太郎は、名前とアンを船室の奥へと押し込んだ。


* * *


一人でにクレーンが動いた事からやはりこの貨物船にはスタンド使いが乗っていると判断したジョセフ達は、二手に分かれてこの広い貨物船内を捜索する事になった。
花京院が『法皇の緑』を船に這わせジョセフ達と共に隈なく探している中、名前は万が一の時を考えアンと一緒に船室で彼等が戻って来るのを待っていた。

「……」
「大丈夫だよアンちゃん。承太郎達はすごく頼りになるし、私もこう見えて結構力強いんだ」

力こぶを作るように腕を曲げて「護衛は任せて!」と笑う名前に、少しずつ緊張が解けてきたアンはへにゃりと初めて笑顔を見せた。
この場を和ませるように二人で自己紹介がてらお互いの話をしていると、檻がある方からガタガタと音がしたため名前はその方向を見る。
やはりと言うべきか音を鳴らした正体は先程アンが見つけたオラウータンで、名前とアンの目が自分に向いたと分かるとオラウータンは檻に付けられた錠前をとんとんと指で叩いた。

「錠を開けてくれって言うの?」
「さすがにそれは…鍵のある場所も知らないし、ね?」

開けてほしそうに名前達を見るオラウータンにそれは出来ないという旨を伝えると、今度はリンゴを差し出してくる。
そのリンゴはナイフで綺麗に切られたもので、与えられてからそれ程時間が経っていないのか、変色していなかったのだ。
やはりこの船には人がちゃんと乗っている。名前は人の言葉は話せないが、何かしらの反応はしてくれるのではと微かな希望を抱いてオラウータンに話し掛けた。

「ねえ、そのリンゴをくれた人がどこにいるか分かる?」

身振り手振りで伝わるようにはしたが、オラウータンはリンゴをぽいっと放り投げると、何処から取り出したのか一本の煙草を咥え、マッチで器用に火を点けて吸い始めたのだ。

「あ…あんたずいぶん頭のいいサルなのね」
「…頭いいって言うか、」

オラウータンの行動に名前達が戸惑っているといつの間に雑誌を取り出していたのか、オラウータンは半裸の女性が写ったピンナップをニヤニヤと眺めている。
まるで人間のような行動に名前は得も言われぬ違和感を覚え始めていた。

「おい! 気をつけろ!」
「オラウータンは人間の五倍の力があると言うからな。腕くらい簡単に引き千切られるぞ!」

檻の近くにいた名前達の身を案じた水平が、彼女達の腕を引いて奥の船室へと入っていく。
水平に引っ張れるようにしてこの場を後にする名前の背中を、オラウータンは暫くじっと見つめていたかと思うと、人間のようにニヤリと口角を上げた。


* * *


「名前お姉さん! こっちにシャワー室があるわ!」

アンに手を引かれて入った部屋は、数人が入れるようになっているシャワー室だった。
お湯が出る事を既に確認したアンは、海に入ってベタベタになってしまった髪と体を洗いたいと、名前にお願いする。

「ね、いいでしょ?」
「んー…でもなぁ、」

未だに承太郎達は戻って来ないし、スタンド使いがどうなっているかも分からない。
そんな状況でシャワーを浴びてもいいものかと名前が頭を悩ませていると、一人の水平にとんっと肩を押された。

「俺達が見張っててやるからお嬢さん方はシャワー浴びてきなよ」
「で、でも」
「せっかく綺麗な髪してんだ。潮風でベタついてちゃ勿体ないぜ?」

パチンとウインクをする水平に名前は苦笑いを浮かべる。
確かに潮風に当たったせいで髪が少しベタついている気がするが、嫌悪を抱くほどでもない。
しかし気を使ってくれている水平の厚意を無駄にするのもと悩んだ結果、名前は水平の言葉に甘えてアンと共にシャワーを浴びる事に決めた。

「(ささっと浴びちゃおう)」

アンはまだしも自分はスタンド使いに狙われている身だ。あまり長時間安全が確保されていないこの場で無防備な恰好をしていれば、それこそ承太郎達に怒られてしまう。
手早く済ませるべく名前がチャイナドレスのファスナーに手を掛けた時、突然シャワーホースが意思を持ったように動き出して名前の体を拘束し始めた。

「っ、なに…これッ!?」

腕を上げるようにしてホースに拘束された名前の両手は、動かせられないように壁に飲み込まれていく。
粘土で出来ているみたいに突然柔らかく変形しだした壁に目を見張っていると、両足も同様に床と一体化してしまった。

「うっ、動かな……!?」

何とか拘束から逃れようと体を捩るがビクともしない。
どうしようと名前の中に焦りが生まれたその時、シャワー室のパーテーションが何者かによって開かれた。

「…な、なんで……?」

そこにいたのは檻の中にいるはずのオラウータンだった。
どうやって錠を開けたのだと驚いている名前を余所に、オラウータンはのそのそと拘束されて動けないでいる名前に近付いてくる。

「…っ、…」

どんどん迫ってくる大猿に名前が息を飲む中、オラウータンは毛で覆われた長い腕を伸ばすと、あろう事か名前の胸をつんっと指で押した。

「!? …う、うそ…っ」

この瞬間に名前の脳裏には嫌な考えが過る。
そう言えばこのオラウータンは檻の中で女性のピンナップを見て喜んでいた……と。
顔を青くさせる名前の嫌な考えは残念ながら的中してしまい、柔らかな弾力に興奮を露にしたオラウータンは、両腕を伸ばして名前の胸を揉み始めた。
手の中で形を変えるのが面白いのか、鼻息を荒くさせ一心不乱に胸を揉むオラウータンに、名前は気が遠くなりそうになっていた。
そして――。

「おい」

突如としてシャワー室に響いた低い声に、名前は縋るように男の名前を叫んだ。


2020.6.13 加筆修正

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