邪魔をするように声を掛けられたオラウータンは勢いよく背後を振り返る。その瞬間、固い何かで強く殴られたようで頭から血を噴き出させた。

「っ、承太郎ぉ…ッ!!」

もはや半泣き状態の名前を見た承太郎は、自分の横を通って逃げようとするオラウータンをギロリと睨み付けると手に持っていた物を振りかぶった。

「てめーの錠前だぜ、これは!」

投げつけたのは檻に掛かっていた錠前だった。
再び承太郎によって頭に錠前をぶつけられたオラウータンは血を流しながら吹き飛んでいく。しかし吹き飛びつつも空中で体勢を変えると、承太郎の制服の襟を掴み上げた。

「このエテ公……ただのエテ公じゃあねえ。ひょっとするとこいつが!」

承太郎の中にスタンド使いはこのオラウータンなのではという考えが浮かび上がった時、今度は大きな太い脚が承太郎を蹴ろうと振り上げられた。
『星の白金』を出して自身に当たる前に脚を受け止めるが、その瞬間どこから飛んできたのかシャワー室に取り付けられた扇風機の羽が承太郎の肩に刺さってしまった。
痛みに歪む承太郎の顔を見たオラウータンは嬉しそうにひと鳴きする。

「こ…こいつが外したのか扇風機を! 」

普通では有り得ない現象にオラウータンがスタンド使いだという事はほぼ決まりだが、肝心のスタンドの姿が見えない。見えなければ対処の仕様がない状況に承太郎が少し焦りを見せると、突然承太郎の肩に刺さったままの扇風機の羽がぐにゃりと曲がった。

「なに…! 鋼のプロペラがッ……ひとりでに曲がって動いている…!」

扇風機の羽はそのまま承太郎を殴りつける。
殴られた勢いで承太郎はシャワー室の扉と共に廊下へと吹き飛ばされてしまい、姿が見えなくなってしまった。
オラウータンも承太郎に殴られた事が相当頭にきているのか、彼を追い掛けるように廊下へ向かっていった。

「っ、解けた!」

承太郎に熱を上げているおかげで解かれた名前の拘束。
動けるようになった体を名前は迷わず隣の個室へと向かわせ、一言声を掛けるとその個室のパーテーションを開けた。

「アンちゃん!」
「…名前お姉さん…何が起こってるの?」

あの騒ぎだったので当然アンにも聞こえていただろう。体にタオルを巻き付けて不安そうに名前を見てくるアンを安心させるように笑うと、名前は「あのオラウータンが脱走したの」とアンの目を見て言った。

「ええ!? あのサルが…ッ!?」
「でも大丈夫! 今承太郎が相手にしてるからすぐ捕まっちゃうって!」
「…JOJOが?」
「うん! さ、早く服着てジョセフおじいちゃ達の所へ行こう?」

にっこりと笑う名前に頷いたアンは服に手を伸ばした。

「手、繋いでいこう」

着替え終わったアンを連れてシャワー室の入口から廊下を覗く。異様にしんとした廊下にはなぜかオラウータンの姿はなく、承太郎だけが佇んでいた。

「承太郎…?」
「! 名前か」

承太郎は名前とアンの姿を認識すると「俺の側へ来な」と二人を呼び寄せた。
名前は素直にその声に従うと、気になっていたこの静けさに「オラウータンは?」と承太郎を見上げた。

「…あのエテ公なら壁にめり込んで消えた」
「消えた…?」
「ああ。あいつがスタンド使いなのは間違いねーが、肝心のスタンドがまだ見当たらねェ」
「…スタンド、」

苦々しく告げられた言葉に名前は思考を働かせる。
突然現れた貨物船。勝手に動く機械や部品。歪んだりする壁や床。そんな船に一体だけ乗っていたオラウータン。

「……ねえ承太郎。もし、スタンドが見当たらないんじゃなくてもう既に見えてるとしたら…?」
「っ、…まさか…!」

名前の言いたい事が承太郎に伝わったのだろう。承太郎は辺りをぐるりと見渡すと『星の白金』を出した。

「スタンドはこの貨物船かッ!」

どこからかオラウータンの鳴き声が聞こえて来たと思えば、承太郎の背後にあったホースやパイプ等が伸びてきて承太郎ごと『星の白金』を拘束してしまった。更に追い討ちとばかりに腕や脚を壁にめり込ませれば、パワーのある『星の白金』もさすがに動けない。

「ぐっ…!」
「承太郎ッ!」
「名前お姉さんあれ!!」

アンに手を引かれた名前は彼女が指差す方へと視線を向ければ、船長の帽子を被り上着を羽織ったオラウータンが壁からぬっと姿を現しているところだった。
ふてぶてしくも口にパイプを咥えたオラウータンは徐に辞書を開くと、とある一つの単語を指差した。

「ストレングス?」

力や元気と単語が持つ意味がずらっと並んでいる中、九番目に書かれた文字を見た瞬間に名前と承太郎の目が見開かれた。

「タロットで、八番目のカード…!」
「チッ!」

オラウータンは勝ち誇った笑みを浮かべながら大きな手でルービックキューブを弄ると、それを片手で握り潰してしまった。
拘束される承太郎を見て「お前は俺に勝てない」とでも言うようにニヤリと笑うと、オラウータンの目は背後にアンを隠す名前に向いた。

「っ、なに…?」

上から舐めまわすように名前の体を見たオラウータンは、またしてもスタンドである貨物船を操り名前の腕と脚をパイプで拘束し始めた。

「名前ッ!」
「名前お姉さんッ!」

承太郎とアンが名前を呼ぶ中、拘束され動けない名前の前にやって来たオラウータンは鼻息を荒くさせて性懲りもなく胸を触り始めた。
痛いくらいの力で胸を触る手に嫌悪感でぴくりと体を震わせた名前だったが、オラウータンは何を勘違いしたのか一際大きな声で鳴いたかと思うと、力任せに名前のチャイナドレスの胸元を破り捨てた。
淡い色の下着に包まれた胸が露になり、名前の無防備な姿を目の当たりにした承太郎の額には青筋が浮かび上がる。もう少しで彼の怒りが爆発する……より早くに、ブチッと何かが切れる音がこの場に響いた。

「……いい加減にしなよ………」
「?」
「このエロ猿がッ!!」
「っ!?」

ぽつりと聞き取れない程小さな声で呟かれた言葉に首を傾げるオラウータン。そんな彼の顔に突如拳がめり込んだ。
すごい勢いで吹っ飛んだオラウータンは壁に打ち付けられ、鼻から大量の血を垂れ流していた。

「お、お姉さん…?」
「……やれやれ。こりゃあマジにキレてるぜ」

強度のない紐で拘束されていると錯覚してしまう程いとも簡単にパイプを引き千切った名前は、ゆらりと倒れ伏すオラウータンへと近付いて行った。
彼女のあまりの変わりように驚くアンとオラウータンに同情の視線を送る承太郎を余所に、名前はジロリと瞳孔の開いた目でオラウータンを見下ろした。

「……何それ」

突然着ていた上着のボタンを外して腹を見せるように大きく前を広げたオラウータンに、名前は静かに呟いた。

「…恐怖した動物は降伏の印として自分の腹を見せるって聞いたことあるぜ」
「ふーん?」

いつの間にか拘束の解かれた承太郎が名前の隣に立ち、自分が聞いた事のある動物の知識を名前に教えた。
興味があるのかないのかは別として、気のない返事をした名前がオラウータンに視線を戻すと「その通り!」と言うように首を縦に振っていた。

「でもキミ……色々とやらかしてくれたよね?」
「ああ。既に動物としてのルールの領域をはみ出した……」
「「だめだね」」

綺麗に言葉が揃った名前と承太郎の拳がオラウータンへと叩き込まれた。


* * *


スタンド使いであるオラウータンを倒した事により当然スタンドの貨物船は消えてしまうわけで、名前達は再び小さな救命ボートに乗り込みながら海を漂っていた。
みるみる形を変えて小さくなる船を見て不思議そうにしているアンに、とんでもないスタンドパワーだと慄くジョセフとアヴドゥル。乱れた髪を直す花京院に、ガムを食べるかと皆に聞いて回るポルナレフ。
皆が思い思いに小さなボートの上で過ごしている中、名前は大きな溜息を吐いて立てている自分の両膝へと顔を埋めていた。

「……せっかく承太郎がプレゼントしてくれたチャイナドレスだったのに」

承太郎が貸してくれた上着によって見えないが、今名前の着ているチャイナドレスは前がビリビリに破れているのだ。
あのエロ猿め…と名前が静かな怒りをオラウータンに向かって燃やしていると、ぽんっと頭に大きな手の感触がした。

「……承太郎?」

手の感触だけで承太郎だと分かった名前は顔を埋めたまま承太郎の名前を呼ぶ。
承太郎は煙草を吸っているのかふうっと息を吐き出すと「てめーが気にしているようだから言うが…」と前置いた。

「?」
「その服はもう名前のもんだ。だから破れようが何しようが俺を気にする必要なんてねえ」
「! でも…初めて承太郎がくれた服だし、」
「……そんなに気に入ったんならまた買ってやるよ」
「!!」

思わぬ承太郎の発言に名前は勢いよく顔を上げる。
今まで服なんてプレゼントしてもらった事などなくて、初めて大好きなチャイナドレスを彼から貰った時は飛び跳ねる程嬉しかった。一生大事にする、そんな事を承太郎に伝えた。それなのに不可抗力とは言え破いてしまったのだ。怒られても仕方がないのに彼は怒るどころか気にするなと言い、終いにはまた買ってやると言ってくれた。
名前は心の底から湧き上がってくる幼馴染みへの愛しさを抑える事なく体全体で表現した。

「〜〜っ、ありがとう承太郎!!」
「っ、危ねえ!」

思い切り承太郎に抱き着いたせいで大きくボートが揺れ、危うく転覆しそうになる。
急に動くなとポルナレフに批難される中、承太郎が見た名前の顔は今まで見てきた中で一番可愛らしかった。

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