久しぶりの揺れない地面を踏みしめるように歩く名前の耳に、ピーッと笛の鳴る音が聞こえて来た。
何だろうと後ろを振り返ると、一人の警官が警笛を鳴らしながらポルナレフを指差して「ゴミを捨てるな」と注意していた。

「ゴミ……なんのことだ?」

意味が分からないと言ったように首を傾げるポルナレフは自分の足元へと視線を向ける。そこにあるのは今しがた地面に置いた自分の荷物だけしかない。…まさかこれの事を言っているのではとポルナレフの頬がヒクリと痙攣した。

「俺には! 自分の荷物の他には! なぁーんにも見えねーけどーーっ」
「え!?」

これは自分の荷物だと、どこにゴミが落ちているのか教えてくれと言うポルナレフに、早とちりをしてしまった警官は汗をだらだらと流して目を泳がしていた。

「どこにゴミが落ちてんのよォ! あんた!」
「し、失礼しました…」

ポルナレフと警官のやり取りを見ていた名前達は、荷物をゴミ扱いされたポルナレフが可笑しくて隠す事なく笑っていた。「笑ってんじゃあねー!」と吠えるポルナレフの耳に名前達とは別の第三者の笑い声が響いた。

「なんだ? あのガキまだくっついてくるぜ」

名前達の数歩後ろにいたのはアンだった。
シンガポールに用があると言っていたので到着した今、名前達と同行する理由がないのだが、なぜだか彼女は後を追ってきたようだ。

「おい、親父さんに会いに行くんじゃあないのか?」
「俺達にくっついていないで早く行けばぁ」
「フン。五日後落ち合うんだよ!」

どこ歩こうが勝手だろと言うアンはちらりと承太郎を見る。偶然承太郎もアンを見ていたようで翠色の目とかち合ってしまい、アンは慌てて目を逸らした。

「あの子我々といると危険だぞ」
「しかしお金がないんじゃあないのかな」
「…ジョセフおじいちゃん」
「しょうがない…ホテル代を面倒見てやるか。名前ちゃん、彼女を連れてきてくれるか?」
「うん!」

何やかんやで面倒見のいいジョセフに嬉しそうに笑った名前は石段に座り込むアンの元まで行くと、目線を合わせるように屈んだ。

「名前お姉さん?」
「アンちゃんも私達と一緒のホテルに泊まろう?」
「え…で、でも」
「承太郎のカッコいい話、聞きたくない?」
「!」

こそりと耳打ちしてきた名前は「どうする?」と、小悪魔のように首を傾げる。
結局アンはその誘惑には勝てず、目の前に差し出された白い手を握った。


* * *


「アンちゃん…?」

ホテルの部屋の広い浴室で潮や汗などの汚れを綺麗に洗い流してサッパリした名前は、ベッドに横になるアンの姿を見て一つ瞬きをした。
テレビを付けてその方へ体を向けているアンはどうやら名前が戻ってくる間に眠ってしまったようで、規則正しい寝息がテレビの音と混じって聞こえてきた。

「髪の毛濡れたまま寝たら風邪引いちゃうよ」

そっと小さく声を掛けてもむにゃっと寝言をいうだけのアンに、名前は微笑ましくなり自然と口元が緩んでしまった。
起こすのは可哀想だと思った名前はせめて体を冷やさないようにとアンの体にシーツを掛けてテレビを消す。「おやすみ」と彼女の頭を一撫でした名前は書き置きを残すと、承太郎の上着と鍵を持って部屋を後にした。


「ふふっ、なるほど…だから僕達の部屋に来たんですね」

部屋を出た名前が承太郎と花京院の部屋に訪れると、快く花京院が部屋へと案内してくれた。
届けにきた上着の持ち主は現在シャワー中のようで、名前は待たせてもらおうとベッドに花京院と向き合うように座って寝てしまったアンの話をしていた。

「そうなの。本当は上着を返したら部屋に戻ろうと思ってたんだけど、アンちゃんぐっすり寝てるから……少しだけいてもいい?」

遠慮がちに尋ねてくる名前にふっと笑みを浮かべた花京院は「もちろん」と頷いた。

「好きなだけいてくれても構いませんよ。僕も名前さんと一緒にいられるのは嬉しいので」
「っ、…か、花京院くんてさ!」
「はい?」
「結構ストレートだよね、」

あまり思っている事を口に出さない男といつもいるせいか、花京院のように本音をさらっと言われる事に慣れていない名前は、少しだけ頬を赤く染めながら「なんだか照れるなぁ」と恥ずかしそうに笑った。
そのへにゃりとした笑みを見た花京院は何かに心臓を鷲掴みされ、カッと身体が熱くなる感覚に襲われた。

「っ、…!」
「えええ花京院くん!? だ、大丈夫!?」

突然胸を押えて蹲った花京院に具合が悪くなったのかと慌てた名前は、ぐるぐると飼い主を心配する犬のように花京院の周りを行ったり来たりしていた。

「じ、承太郎呼ぶ? それともジョセフおじいちゃんに…ッ!」
「…っ、大丈夫です。別に具合が悪いわけじゃあ、」
「と、とりあえず横になったほうが!!」
「ちょっ、名前さ……っ!?」
「わあっ!?」

花京院をベッドへ寝かせようと両肩に手を置いた名前はそのまま後ろにぐっと花京院の体を押そうと力を入れた。しかし余程焦っていたのか思ったよりも力を入れてしまったようで、花京院と名前の体は共にベッドへとなだれ込んでしまった。

「……は、」

背後はベッドなので痛みなどは襲ってこないが、反射的に目を閉じてしまった花京院は目を開けた瞬間に息を飲んだ。
至近距離でかち合う蒼い目。微かに触れ合う鼻先。少しでも身動きしたら触れてしまいそうな唇。
思ったよりも近くに名前の顔があった花京院は金縛りに合ったように動けなくなってしまった。しかしそれは名前も同じのようで、花京院の顔の横に肘をついたままピクリとも動かなかった。

「……」
「……」

まるで時が止まったように動かない二人。何の音も聞こえず目の前にいる人物しか映さない世界で、名前の長いサーモンピンクの髪が重力に従って花京院の顔に掛かったその時――。

「……何してんだてめーら」

地を這うような低い声が二人の鼓膜を揺らす。
浴室から出てきた承太郎は髪の毛からポタポタと水滴を垂らし、上半身裸のままベッドの上にいる花京院と名前を射殺さんばかりに睨み付けていた。
事故とはいえ花京院を押し倒してして馬乗りになる形となった名前は弾かれるように花京院の上から飛び退くと、顔を真っ赤にして状況を説明する。

「…ほー?」

名前から事の顛末を聞いた承太郎は『具合の悪そう』な花京院を見る。ベッドに座って顔を赤くし、ちらちらと名前が気になるのか視線を向ける花京院は承太郎の目からすると通常通りに見えた。

「気にすることはねーぜ。花京院は病気なんかじゃあねーよ」
「ほんと?」
「ああ。ただ…免疫は足りないようだがな」
「免疫?」

疑問符を浮かべる名前の腰に手を回した承太郎は、自分を睨み付ける花京院を鼻で笑った。
この度三度目となるバッチバチの火花を散らし始める承太郎と花京院。そんな二人を止めるように、部屋に備え付けてある電話が鳴り響いた。

「……」
「……はぁ、分かったよ。僕が出ればいいんだろう?」

目は口ほどに物を言う。その諺通り花京院を見る承太郎の目は「電話に出ろ」と言っていた。
テコでも動かない気の承太郎に大きな溜息を吐いた花京院は鳴り続ける電話の受話器を手に取った。

「もしもし? …ええ、承太郎も名前さんも一緒にいますが……なんだって!?」

段々険しくなっていく花京院の表情と声に気が付いた名前と承太郎は顔を見合わせる。
花京院は「今すぐ向かいます」と言うと電話を切った。

「花京院、誰からだ?」
「…ジョースターさんからだ。なんでもポルナレフがDIOの刺客に襲われたらしい」
「ポルナレフが!?」

どうやらジョセフの所にポルナレフから直接電話が掛かってきたようで、スタンド使いは『悪魔』のカードの暗示を持つ呪いのデーボと名乗ったらしい。しかしどんなスタンドで攻撃してくるか分からず、これからジョセフの部屋でその呪いのデーボの対策を話し合う事になっているようだ。

「とにかく、僕達もジョースターさんの部屋へ急ごう」

頷いた名前と承太郎は花京院に続いて部屋を後にした。

back
top