呪いのデーボに襲われた時の対策を練ろうとジョセフの部屋に集まった名前達だったが、結局ポルナレフが一人で倒してしまっていた。
肩から血を流しながら「疲れた…」と部屋になだれ込んで来た時は驚いたが、もうスタンド使いの脅威はないと知ると承太郎と花京院はさっさと部屋を出て行ってしまった。
名前も部屋に一人残して来てしまったアンの事が気になってすぐに戻ってみると、眠りから覚めたアンに「遅い!」と叱責され、挙句の果てには夜遅くまで承太郎の話をさせられたのだ。
おかげで寝不足気味の名前は、ふあっ…と欠伸をしながらインド行きの列車のチケットを手配しに行くと言っていた承太郎に着いて行くため、彼が来るのを一階ロビーのソファに座って待っていた。
「名前さん」
ぼーっと人の流れを見ながら承太郎を待つ名前の前に人が立った。見慣れた深緑色の学生服を着ている人物は名前の中で一人しか知らない。
「花京院くん」
座ったまま彼を見上げればいつもの笑みを浮かべた花京院が佇んでいた。
眠そうなとろんとした目で自分を見上げてくる名前に口角を上げた花京院は、名前の隣に腰を下ろすと「眠そうですね」と声を掛けた。
「昨日アンちゃんと夜遅くまでお喋りしてたからね〜」
「おや、そうだったんですか」
「寝られる時に寝ないといけないのは分かってるんだけどね、つい……」
へへっと眉を下げて笑う名前に微笑んだ花京院は徐に名前の肩に手を回すと自分の方へと引き寄せた。
「……花京院くん…?」
「僕の肩で良ければ枕代わりにどうぞ」
「えっ、いや…でも、承太郎もう少しで来ると思うし…」
「……それじゃあ眠気覚ましに僕とお喋りでもどうです?」
花京院はそう言うと空いている手を名前の太腿の上に置いた。ビクリと肩を跳ねさせる名前を横目に、花京院はその手をスリットの隙間にするりと入れると直接名前の肌を指で撫でた。
「かっ、花京院くん何して……!」
「典明」
「っ、え…?」
「…典明って呼んでくれないか?」
つつっ…と太腿を撫でながら耳元で囁く花京院に名前は息を飲む。何だかいつもの花京院くんと違う人みたいだと考える中、花京院は更に言葉を続ける。
「ずっと思っていたんですよ? 承太郎だけ名前で呼んでもらっていてずるいなぁ…って」
「そ、れは…幼馴染みだから」
「僕と名前さんも知り合ってから大分仲良くなれましたよね? そろそろ名前で呼んでくれてもいいだろう? なあ、名前」
「!!」
色気の篭った声に耳元で囁かれた名前は顔を真っ赤に染めると、蚊の鳴くような声で「……典明」と彼の名前を呼んだ。
「ありがとう。とっても嬉しいよ」
「〜〜っ!?」
ふうっと耳に息を掛けられた名前はとうとう耐えきれずにソファから立ち上がると花京院から距離を取った。
先程よりも真っ赤に顔を染め、耳を押さえながら潤んだ瞳で見つめてくる名前に気を良くした花京院は見た事のない厭らしい笑みを浮かべていた。
「名前?」
いつもと違う様子の花京院にただただ名前が困惑していると、待ち望んでいた承太郎がアンを連れてロビーへとやって来た。
顔を真っ赤にしつつ花京院から距離を取る名前を訝しげに見ていた承太郎だったが、不意に立ち上がった花京院に「JOJOも来たことだし早速行こうか」と促され渋々その背中を追い掛ける事に。
「名前お姉さん花京院さんと何かあったの?」
「な、なんでもないよッ!」
アンに尋ねられ慌てふためく名前を承太郎はちらりと一瞥していた。
* * *
漸くいつもの調子を取り戻した名前はアンと手を繋ぎ、シンガポールの街を歩いていた。
前日にもポルナレフと一悶着あったが、ゴミの罰則が厳しいこの街は汚れ一つなくとても綺麗な景色が広がっていた。
女の子同士話に花を咲かせながら歩いていると、一つの屋台が視界に入った。アイスが食べたいと強請るアンに連れられて名前も一緒にその屋台へと近付いていく。
「すみません。アイスクリームください」
団扇で扇いでいる屋台の店主に名前が声を掛けると、店主は「アイスもいいけど」と言うと名前達の前に木の実を差し出してきた。
「こいつはうまいよ。ひんやり冷えたヤシの実の果汁だ。どうだい?」
「へえ! ヤシの実ジュースなんて初めて聞いた。アンちゃん飲んでみる?」
アイスが食べたいと言っていたので念のためアンに聞いてみると、彼女は一つ2ドルなら飲んでもいいと店主に値切り始めた。
「アンちゃん……中々やるなぁ」
「何か買うのか?」
「あ、承太郎」
いつの間にかすぐ背後に来ていた承太郎に、名前はおすすめされたヤシの実を指差す。
「承太郎達も飲んでみる?」
「ああ」
「せっかくだから頂こうかな」
「じゃあおじさん! ヤシの実ジュース四つで!」
「まいど!」
お金を支払い、人数分のヤシの実ジュースが完成するのを屋台の前で待っていた名前達だったが、ここで事件が起きた。
「てめー俺の財布を盗めると思ったのかッ! このビチグソがァ〜〜〜っ!」
「へ!?」
「え!?」
「……花京院?」
突如名前とアン、そして承太郎の耳に届いて来た花京院の下品な言葉に三人共一斉に声のした方へ顔を向ける。するとそこには一人の男の顔に膝蹴りをお見舞する花京院の姿があった。
「花京院!」
承太郎の呼び止める声も聞こえていないのか花京院はまたしても下品な言葉を並べると、今度は男を抱え上げてプロレス技を決め始めた。
「こいつはめちゃ許さんよなああああ」
遠慮なく花京院によって体を反らされ続ける男の体は悲鳴を上げていた。口から血を吐き出して骨が嫌な音を立て始めた時、承太郎が「やめろ」と声を掛けた。しかし花京院が男を解放する気配はない。
「花京院!! やめろと言ってるのが分からねェのかッ!」
承太郎は花京院を突き飛ばすと男を地面へと下ろした。ゲホゲホと血を吐く男を一瞥すると、睨み付けるようにして承太郎を見る花京院に視線を戻した。
「痛いなあ…何も僕を突き飛ばすことはないでしょォ」
承太郎に突き飛ばされた肩を擦った花京院は、その男は財布を盗んだのだから懲らしめて当然だと言葉を吐いた。
「違いますかねェ? 承太郎くん!」
「(……こいつ)
名前の持っていたヤシの実を奪い取り、音を立てて飲み始めた花京院を見る承太郎の表情はいつになく険しいものだった。
「なに睨んでるんだよ。ずいぶんガンたれてくれるじゃあないか承太郎くん。まさかあんたァーーこんな盗っ人をちょいと痛めつけたってだけで、この僕と仲間割れしようって言うんじゃあないでしょうねぇーー」
敵を前にしているかのようなすごい気迫で睨みあう二人に名前は冷や汗を流していた。
ホテルの時から花京院に対する異変は感じていたが、こんな短時間で人の性格は変わってしまうのだろうか。
見た目は変わらないのに全くの別人を見ているような感覚に名前がぎゅっと番傘の柄を握ったその時、子供たちの賑やかな声がこの場に木霊した。
「わーカブト虫だ!」
「四匹固まってるよ!」
背後にある木に群がってわいわいと騒ぐ子供達の声に反応した花京院は、木の蜜に集まるカブト虫を見ると「フフフ」と笑い出した。
「JOJO そう大げさに考えないでくれよ。今日はちょっとばかりイラついていたんだ…」
機嫌が悪い日だってあるだろうと承太郎に問うた花京院はほんの少しだけ反省の色を見せた。
「『機嫌が悪い?』……良さそうに見えたがな」
「……」
承太郎は一言だけ言うと踵を返してシンガポール駅がある方へと歩き出した。アンはその背中をすぐに追いかけたが、名前は花京院が気になって視線を彼に向けた。
「…え……?」
名前の目に映ったのは木の方を向いて何かを一心不乱に咀嚼している花京院の背中だった。
「か……の、典明…? 承太郎とアンちゃん先に行ってるよ?」
「…ああ。今行くよ」
「ひっ!?」
くるりと振り返った花京院の口元を目にした名前は悲鳴を漏らした。
花京院の口から少しだけ飛び出していたのは茶色い脚と薄い翅だった。虫嫌いの名前だからこそ分かる。あれは間違いなくーー。
「…どうしたんだい? そんなに怯えた顔をして」
何事もなく笑みを浮かべて頬に手を伸ばしてくる花京院の腕を払った名前は勢いよくその場を駆け出すと、先に行ってしまった承太郎の背を目指して抱き着いた。
「っ、おい。急に飛びついたらあぶねえ……どうした?」
多少ふらつきはしたものの、しっかりと背中で名前を受け止めた承太郎は文句を言おうとしたのだが、自分の体に伝わってくる小刻みな振動に名前が震えていると気付いた。
「まさか…お前花京院になにかされたんじゃあ…ッ!」
自分の腹に回された名前の腕を無理やり引き剥がし体を向き合わせた承太郎が見たのは、可哀相なくらい顔を真っ青にして首を横に振る名前の姿だった。
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