シンガポール駅に行くには丘を越えなければならないため、名前達はケーブルカー乗り場にやって来ていた。
観光客に交じってケーブルカーが来るのを待っていると、景色を見ていた名前の目の前にさくらんぼが乗ったソフトクリームが差し出される。

「…これ、」
「やるよ」

ソフトクリームを差し出してきたのは承太郎で、アンや花京院の手にも同じものがある事から名前にも買って来てくれたようだ。
名前は承太郎に「ありがとう」とお礼を言うと彼の手から一つ受け取った。

「よお承太郎。そのチェリー食うのかい? 食わないならくれよ」

腹がすいて仕方がないと言う花京院に承太郎は自分のソフトクリームを差し出した。花京院はそのてっぺんに飾られたさくらんぼを手に取ると、何を思ったのか突然承太郎の背中を突き飛ばした。

「ううっ」
「きゃあーっ!!」
「承太郎ッ!!」

バランスを崩した承太郎は柵を乗り越えてしまい、落下しそうになっていた。慌てて承太郎の腕を掴んだ名前はありったけの力を込めて引き上げる。

「承太郎大丈夫!?」
「…助かった」
「冗談ですよ〜〜〜っ承太郎くん」

承太郎を突き飛ばした本人は冗談でした事だと笑いながらさくらんぼを舌で転がし始めた。
その言葉に名前はキッと前に立つ花京院を睨み付ける。一歩間違えれば承太郎は車が走る道路へと真っ逆さまに落ちていくところだったのだ。命を落とす可能性がある冗談なんてあって良いわけがない。

「典明!」
「あっ」
「名前?」

レロレロと舌を動かす花京院の胸ぐらを名前が掴むと、その反動で花京院の舌の上に乗っていたさくらんぼがぽとりと地面に落ちた。

「やって良いことと悪いことの区別もつかないの!?」
「はあ?」
「典明そんな分別のない人じゃなかったでしょ? どうしちゃったの? 今日の典明なんかおかしいよ!」
「……うるせーなァ」
「え、」

胸ぐらを掴みながら高い位置にある顔を睨み上げる名前だったが、花京院は舌を打つと強い力で名前の腕を掴んだ。ギリギリと音がするほど強く握られた腕の痛みに名前の顔が歪む。

「っ、いた…!」
「ピーピー説教垂れてんじゃあねえよ。なに年上ぶってんだァ?」
「べ、別に年上ぶってるわけじゃ…」
「てめーは黙って俺に股開いておきゃいーんだよ!」
「な!?」

とても花京院の口から出た言葉だとは思えない程下品な物言いに名前が驚愕していると、花京院は名前の体を力任せに突き飛ばした。
踏ん張りが利かない足は縺れてしまい、このままでは地面に体を打ち付けてしまう。名前はこの後襲って来る痛みに備えて目をぎゅっと瞑るが、痛みは一向にやって来なかった。

「乗れや花京院」
「…承太郎?」

頭上から聞こえてきた声に名前は目を丸くする。
承太郎は名前の腰に手を回しながらくいっと顎をケーブルカーの方へしゃくった。

「乗れと言っているんだ、この俺の切符でな」
「……」
「何かに憑りつかれているてめーは、この拳でブッ飛んで乗りなということだ」
「!」

目を見開く花京院を後目に承太郎は思い切り自分の拳を花京院の顎に叩き込む。
硬い骨と骨がぶつかる鈍い音が響くが、あり得ない事に拳を叩き込まれた花京院の顎がパカッと大きく裂けたのだ。

「! なにッ!?」
「きゃああああ〜〜ッ!!」
「…あ…う、うそ…っ」

顎が裂けた花京院はそのままケーブルカーの中に倒れ込むと「ヒヒヒ」と気味の悪い笑い声を零した。

「憑りつかれているのとはちょっと違うなあ〜」
「(これは!? 花京院じゃあねえ!)」

顎が大きく裂けて血を流しても尚普通に会話をする花京院に、目の前にいるのは花京院の姿をした別の何かだと気が付いた承太郎は更に警戒の色を濃くする。

「気が付かなかったのかい? 俺の体格が段々大きくなっていることに、まだ気付かなかったのかい?」
「何者だ!?」
「俺は食らった肉と同化しているから一般の人間の目にも見えるし触れもするスタンドだ。『節制』のカード『黄色の節制』!」

花京院の姿に形を変えていたスタンド使いの男は正体を現すと、自分のスタンド『黄色の節制』を承太郎に絡みつけてケーブルカーの中に引きずり込んでしまった。
みるみる遠くなってしまう承太郎と男に、ハッと我に返った名前は震えるアンを連れて公衆電話へと向かった。

『もしもし?』
「ジョセフおじいちゃん! そっちに典明……花京院くんいる!?」
『花京院? 花京院なら今わしらの部屋にいるが…』
「よかった…っ!」
『……何かあったのか?』
「スタンド使いの襲撃にあったの!」
『なに!? 大丈夫なのか!?』
「私とアンちゃんは大丈夫! 今承太郎が相手にしてるから……とりあえずアンちゃんだけホテルに帰すからよろしくね!」
『お、おい名前ちゃん…!』

一方的に電話を切った名前は困惑してるアンの顔を覗き込む。

「今ジョセフおじいちゃんに電話したから、アンちゃん先にホテルに帰っててくれる?」
「…名前お姉さんは? そ、それにJOJOは!?」
「私が承太郎の様子見てくるから…ね?」
「それなら私も!」
「だめ。アンちゃんも見たでしょ? 危ないことが起きてるの」

着いてくると言うアンの目を名前は真っ直ぐ見つめる。スタンド使い同士の闘いに一般人、ましてや子供を巻き込むわけにはいかない。名前はどうにか危険なことが起きているのだと分かってほしくて、アンに優しく説いた。

「……分かったよ。名前お姉さんがそこまで言うならホテルに帰るわ」
「! …ありがとう」

渋々といった風ではあったがホテルに帰ることを了承してくれたアンに名前がほっと息を吐くと、遠くの方でガシャンと何かが割れる音が聞こえてきた。
音の方へ視線を向ければケーブルカーから承太郎が飛び出す姿が見え、このままじゃ間に合わないと踏んだ名前は、承太郎が飛び出した事に驚いているアンの体をひょいっと肩に担いだ。

「っ、ちょ、名前お姉さんッ!?」
「ごめんねアンちゃん。階段をゆっくり下りてる時間なさそうだから…ちょっと怖いかもしれないけど、」
「え、な…何する気なの…?」

意味深な言葉にゴクリと生唾を飲み込んだアンに名前はニッと笑って「手離しちゃだめだよ!」と忠告すると柵に足を掛けた。

「う、うそでしょ……きゃああああっ―!!」

もしやとアンの頭に過ぎった考えは正しく、名前は柵を思い切り蹴るとケーブルカー乗り場から地上へと飛び降りた。急激に体を襲う浮遊感にアンが涙を浮かべながら名前の体にしがみつく。
その場に居合わせた観光客達は女性が子供を抱えて飛び降りたと半ばパニック状態になっていて、救急車を呼ぼうとする人まで出始めていたが、そんな彼らを余所に名前はアンを抱えたまま何事もなく地面へと着地をしていた。

「さすがに脚にくるねこれ」
「…し、死ぬかと思った…」

もはや名前のせいで満身創痍になったアンを下ろす。両手と両膝をついて込み上げてくる吐き気に耐えるアンを見て名前は苦笑いを浮かべた。

「ありゃ…ちょっとやり過ぎちゃった?」
「…ううっ、」
「本当はホテルまで運んであげればいいんだけど…」
「い、いいよ。名前お姉さんは早くJOJOの所に…うっ!」

顔を青くしながらも承太郎の元へ行けと言うアンに罪悪感に苛まされた名前は「あとで欲しいもの買ってあげるね!」と言い残すと海の方へと駆けて行った。

「……名前お姉さんって、何者なの?」

どんどん小さくなる背中を見ながらぽつりと呟かれた言葉は、誰に聞かれるわけでもなく風に乗って流されて行った。


* * *


「おめーを殺せばDIOに一億ドル貰うことになってる……ヒヒ」

一方名前が目指している海では、承太郎を自分の『黄色の節制』で石壁に張り付けにした男が勝ち誇った笑みを浮かべていた。

「ついでにあの女をDIOに渡せば俺は一生遊んで暮らせるんだ」
「…名前?」
「なんだ知らねーのか? DIOって奴はあの女に相当惚れ込んでいるようだぜ」
「……なぜDIOが名前を」

男の話に眉を顰めた承太郎は名前の姿を思い浮かべる。ジョースターの血などもちろん入っていない名前になぜDIOが莫大な金まで支払って手に入れたがっているのか。もしや名前の体質に興味を示しているのかと承太郎が思考を巡らせていると、男が再び笑いだした。

「さすがDIOが惚れ込んでいる女だぜ。お前の幼馴染み…すげー上玉だよなァ?」
「……」
「知ってるか承太郎先輩ぃ? 名前はよ、太腿と耳が弱いんだぜ。ちょーっと撫でたり、囁いたりするだけでビクビクしながら顔を真っ赤にしてよォ」

その時の光景を思い出しているのか恍惚の表情を浮かべる男に承太郎の眉間には更に深い皺が刻まれる。

「いいこと思いついたぜ! おめーを殺す前に目の前であの女を犯すって言うのはどうだあ? DIOには手を出すなって言われてるけどよぉ、少しくらい俺にもご褒美があってもいいと思わねーか!?」
「……てめーはどこまでもクズらしいな」

これ程までに外道な考えがよく浮かぶものだなと承太郎が怒りを通り越して呆れたその時、男の背後に人が一人現れた。
その人物は持っていた番傘を野球のバットの如く振り被ると、綺麗なフォームで豪快にスイングした。

「死に晒せぇぇッ!!」
「!? ぶへぇっ!!!」

大きく振られた番傘は名前の声を聞いて振り返った男の顔に見事にヒットした。名前の怪力と番傘の遠心力で殴り付けられた男は思い切り吹き飛ぶと、そのまま海の中へと落ちていった。

「じ、承太郎になに教えてくれてるの!?」
「……やれやれだぜ」

男の話はどうやら本当らしい。
顔を真っ赤にしながら海に沈む男に向かってプリプリと怒る名前に、承太郎は自身が望んでいない形で彼女の弱点を知る事になってしまったのだ。
大きな溜息を吐いた承太郎は動けるようになった体で男がいる場所まで行くと男の髪を掴み上げた。

「じょ…冗談! 冗談だってばさあ承太郎さんッ!」

先程までの威勢はなりを潜め、今まで言っていた事は全て冗談だと笑いながら話す男は、自分がしてきた事を棚に上げて「これ以上殴らないよね?」と承太郎に縋り付き始めた。

「………もうてめーには何も言うことはねえ……とてもアワれすぎて…何も言えねえ」

承太郎に髪を掴まれたまま動けない男の顔に『星の白金』のラッシュ攻撃が叩き込まれた。

back
top