すっかりと太陽は沈み、ベナレスの街を暗闇に包む夜空には煌々と輝く満月と星が浮かんでいた。
本来であればホテルの柔らかいベッドで疲れた体を癒しているはずの時間帯に、名前達はガンジス川が流れる川沿いの道に佇んでいた。

「…久しぶりにベッドで寝られると思ったんだがね」
「じじいがドジをやって警察に追われさえしなきゃな」

昼間に街中で鳴り響いていたサイレンの原因はジョセフにあったらしい。もっと的確に言えばジョセフの腕にできた虫刺されは実はスタンドだったようで、それを知らずに腕から切り離そうとしたところ執刀する医者をスタンドに殺されてしまったのだ。病院の看護師に医者殺しと勘違いされたジョセフは指名手配犯となってしまい、そのおかげで名前達は急遽ベナレスを後にしなくてはならなくなったのだ。

「話を付けてきた。この車で行けるぞ」

くいっと指を差すジョセフの横には四輪駆動車が存在を主張していた。
ジョセフは車の鍵をポルナレフに投げると「運転してくれ」と頼んだ。しかし頼まれた当の本人は自分の髪の毛に鍵が刺さっていることも気にせずに膝を抱えて座っていた。

「…ポルナレフ、まだ落ち込んでるの?」
「……当たり前だろ。あいつ結構俺のタイプだったんだぜ、」

ジョセフの腕に取りついたスタンド『女帝』の使い手はポルナレフが口説こうとしていたネーナだった。彼女は自分の体に人面疽をくっつけて肉人形と化することで美人にカモフラージュしていたらしい。ジョセフとポルナレフ曰く、素顔はお世辞にも美人とは言えないそうだ。

「おい、いつまでショックを受けてるつもりだ。スタンド使いに襲われたのはわしじゃぞ?」
「……むしろそっちの方がよかったぜ」

深い深い溜息を吐くポルナレフが少しだけ可哀相になった名前は、大きな体を丸める彼の背中を優しく撫でた。

「ポルナレフかっこいいからすぐに好い人見つかるって!」
「……Magnifiqueうつくしい

にっこりと笑う名前は夜ということもあっていつもの番傘は差しておらず、月明かりを直接浴びてきらきらと輝いていた。

「…灯台下暗しとはよく言ったものだぜ」
「え?」
「名前! 俺の美しい女神よ!」
「「「は…?」」」
「め、女神?」

先程までの落ち込みようはどこへやら。
ポルナレフは名前の手を取ると、その白い手の甲に小さなキスを落とした。

「なっ!」
「俺は今までなんて馬鹿なことをしていたんだ。脚ばかりに気を取られていた自分が恥ずかしくなるぜ」
「ぽ、ポルナレフ…? どうしちゃったの?」
「なあ名前…こんな俺をどうか許してくれ。その代わりと言っては何だが、俺の愛を君にたっぷりあげ……ぐえっ!?」

まるで王子が姫にするように跪いて名前に愛の告白をするポルナレフの首に、ジョセフの太い腕が回される。

「なーにが女神じゃ! なにが俺の愛じゃ! 名前ちゃんに手を出しよって!」
「っく、くるし…!」
「わしの目が黒いうちはお前のような軽薄そうな男には絶対やらんぞ!!」

頑固な父親のような台詞を吐きながらギリギリと首を絞めつけてくるジョセフに、ポルナレフは承太郎と花京院に助けを求めるも彼等の目は氷のように冷え切っていた。


* * *


出発までに一悶着あったが名前達はパキスタンを目指してポルナレフが運転する四輪駆動車でひたすら道を走っていた。
インド北部に近付いてくると山道が多くなり、段々と道幅が狭くなってくる。今通っている山道も対向車とすれ違うのがギリギリで、少しの運転操作ミスで事故に繋がりそうな程だった。

「前の車チンタラ走ってんじゃねーぜ、邪魔だ」

慎重に走っているのか名前達の乗るランクルの前をゆっくりと走っている一台の赤い車があった。車間が近いせいもあり前の車のタイヤが巻き上げる砂埃が窓を開けたままの車内に入り込んできて少々煙たい。
スピードを出さない車に煙たい砂埃と重なって少しの苛立ちを顕にしたポルナレフは「追い抜くぜ」と言ってアクセルを踏み込むと同時にハンドルを切った。

「おいポルナレフッ! 運転が荒っぽいぞッ!」
「へへへへ! さすが四輪駆動よのォーっ。荒地でもへっちゃらさっ!」
「ポルナレフ…今の車へ小石をはね飛ばしてブツけたんじゃあないのか!?」

後ろを振り返り離れていく赤い車を見たジョセフは事故やトラブルは困るぞと冷や汗をかいていた。それはそうだ、彼は今インドでは指名手配犯となっていて、もしトラブルが起きて警察を呼ばれてしまえば国境を超えるどころか警察署行きになってしまう。
無事に国境を超えたいと話すジョセフに、助手席に座っている花京院が窓の外を見ながら「しかし…インドとももうお別れですね」としみじみ呟いた。

「うむ。インドに着いた時は『なんじゃーっ、このガラクタぶちまけたよーな国は!』と思ったんじゃが、国境が近付いてくるとあのカルカッタの雑踏やガンガーの水の流れが早くも懐かしいのォ」
「…ご飯も美味しかったしなぁ」
「そうじゃなぁ」
「俺はもう一度インドへ戻って来るぜ……アヴドゥルの墓をきっちりと作りにな」
「……」
「…ポルナレフ、」

ポルナレフだけはアヴドゥルが生きているということを知らない。花京院ならまだしもポルナレフの性格ゆえ隠し事が苦手だろうと判断したジョセフは、名前と承太郎に話すなと伝えていたのだ。
DIOや刺客達にアヴドゥルが生きていると知られては一人別行動している彼の命が危ない。騙すようで心苦しさはあるがジョセフの言うことはもっともなため、名前は真剣に話すポルナレフに「…ごめんね」と心の中で謝った。

「ゲッ!」

車内にしんみりとした空気が流れ出したその時、ポルナレフによって急ブレーキが踏まれた。前方に強烈なGが掛かったことにより後部座席から前へ吹き飛ばされそうになった名前の体を承太郎が咄嗟に抱き抱える。
結構なスピードが出ていたランクルは急には止まれず、地面にくっきりとしたタイヤ痕を残しながら数メートル進んで漸く止まった。

「なっ、なに!?」
「なんだいきなり急ブレーキを!?」
「ううっ……言ったばかりじゃろッ! 事故は困るってッ! よそ見してたのかッ!?」

名前は承太郎のおかげで体を打ち付けずに済んだが、花京院やジョセフはどこかに打ち付けたのか痛む体を押さえながらポルナレフを批難し始めた。

「ち、違うぜ…見ろよ、あそこに立ってやがるッ! し…信じらんねえッ!」

震える指先で前方を指差すポルナレフに、承太郎はまさかスタンド使いが出たのかと鋭い視線を向ける。

「………」

しかしそこに立っている者の姿を見た途端苦々しい表情を浮かべた承太郎は、くいっと帽子を下げると「やれやれだぜ」と己の口癖を言ってしまった。

「よっ! また会っちゃったねッ! 乗っけてってくれるーーッ!」

ヒッチハイクをするように親指を立てていた人物は深く被った帽子を脱ぐと、長い黒髪を靡かせて名前達にピースサインを向けた。

「あっ! 確かシンガポールで別れたはずのッ!」
「アンちゃん!!」
「やっほー! 名前お姉さん!」

驚いて目を見開く花京院とは別に、また会えるとは思ってなかったのか嬉しそうに声を上げる名前。
アンは名前に手を振りながらランクルへ近付いてくると、了承も得ずに車内へと乗り込んだ。

「君はシンガポールでお父さんに会うはずじゃあなかったのか?」
「ウソに決まってんじゃねーのそんなもん…! ただの家出少女よあたしは!」
「おい待て! 誰が乗せると言った!? なぜインドにいる…? どうやって入国してここまで来た!?」

わあわあとアンを質問攻めにするジョセフに「まあーいいじゃあないの!」と気楽に笑ったアンは、インドの土産物屋から盗んできたと言うポルノ写真をバックから取り出すと車内に広げた。

「あ、アンちゃん…! なんてものを盗んできたの!?」
「みんなが好きだと思って!」
「だめだめ! これは子供の教育上良くないから全部没収!」
「ええ!?」

せっかく盗ってきたのにと文句を垂れるアンを無視して名前はバラ撒かれた写真を回収する。

「しかしよく一人で…すごい生活力のある子だな」
「ただのカッパライだよ。こいつひょっとしたらスタンド使いなんじゃあねーか? カッパライのよォー」

感心する花京院と嫌味を言うポルナレフを余所に、アンとジョセフはとても激しい言い合いを始めてしまった。

「連れってって 連れってって 連れってってーーッ!」
「ダメじゃ ダメじゃ ダメじゃーーッ!」
「ちょ、二人とも…!」

狭い車内で何度も繰り返される大声での言い合いにそろそろ止めないと…と焦る名前の背後で、とうとうあの男がキレた。

「やかましいッ! うっとおしいぜッ!! おまえらッ!」

いつもより凄まじい剣幕で怒鳴る承太郎に名前の肩がぴゃっと跳ねる。
水を打ったように大人しくなったジョセフとアンを一瞥した承太郎は「国境までだ」と一言言い放った。

「そこで飛行機代渡してその子の国まで乗せてやればいいだろう」

承太郎の迫力に気まずそうにするジョセフと花京院、そしてポルナレフを彼は「それでいいな」と睨み付けた。

「(い、いつもより怖い…ッ!)」
「(カッコイイ……しびれる〜)」

承太郎に怯えている名前の横で、アンは一人恋する乙女のように頬を赤く染めていた。

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