少しだけ"名前"という、幼いながら数奇な体験をした一人の女性について話をしよう。


とある一組のとても優しい夫婦の間に生まれた名前は、自身の父親と母親。そして、幼馴染みである"空条承太郎"の両親――空条貞夫と空条ホリィからもたくさんの愛情を注がれ、それはそれはとても幸せに暮らしていた。

「ママ! わたしねっ、大きくなったらじょーたろーと結婚する!」
「あらっ、承太郎くんと?」
「うん! さっきじょーたろーと聖子ママと約束してきた! あと誓い? のちゅーもじょーたろーとしてきたよ!」
「まあ! 名前も承太郎くんもやるわねえ!」
「……名前が……結婚……」
「パパどうしたの?」
「フフッ。名前が大人になったからびっくりしてるのよ」

本当に誰が見ても幸せで、暖かい家族だった。
しかし、名前のこの幸せな生活はたったの十年という短さで、一度幕を閉じることになる。

「お父さんッ!! お母さんッ!!」

それはあまりにも突然なことで、まだ十歳だった名前にとって最も酷なことだった。
小学校から帰宅早々涙ぐむホリィに連れられ病院へとやって来た名前は、スーツを着た大人達に"霊安室"と書かれた部屋に通された。難しい漢字が読めない名前は、きょとんとした顔で部屋の中央にある二つの白い膨らみを見つめていたのだが、「ご確認を」と言われ外された白い布の下にあった大好きな両親の顔を見た途端、彼女は両親の"死"を理解してしまった。

「いやだ――ッ!!」

愛する父親と母親の死は、居眠り運転をしていた大型トラックが名前の両親が乗る自家用車に正面から衝突した、何とも痛ましい事故のせいだった。


両親が亡くなってからというもの、名前の生活は激動した。父親と母親の代わりに自分が名前の面倒を見ると、名前と家族同然だった空条家を差し置いて名乗り出た母親の妹――叔母の存在によって。

「――よろしくね、名前ちゃん」

久しぶりに会った叔母は母親によく似た柔和な笑みを浮かべ、名前の手を優しく握った。そのことが少なからず不安でいっぱいだった名前に安心感を与えたがため、彼女は叔母の手を握り返してしまったのだ。それが長い長い地獄のような日々の始まりだとも知らずに。

「あんた気持ち悪いのよッ!!」

叔母が優しかったのは「一緒に暮らそう」と、名前の手を取った最初の一日だけだった。それ以降、叔母が大好きな母親によく似た優しい笑顔を浮かべることはなかった。その代わり名前が叔母から向けられていたのは、耳を塞ぎたくなる暴言と、容赦のない暴力だけ。

「あんたは姉さん達の子供なんかじゃあないわ!」

なぜ姪っ子である名前に対して叔母が非道な言動を取るのか。それは本当に理不尽な理由であるが、名前自身に"二つ"あったのだ。
日本どころか世界中でも稀な髪色に、ハッキリとした目鼻立ち。キラキラと輝く蒼い瞳を持つ名前は、見た目だけだと外国人と間違えられることが多かった。だが、両親はどちらも生粋の日本人であり、容姿も日本人らしい素朴なものだった。街を歩いていたって目立つことはない至って平凡な容姿。それなのに、名前は父親にも母親にも、どちらにも似ることはなかった。
これが叔母が名前を嫌う一つの理不尽な理由。そして、もう一つが――。

「っ、なんなのよその肌! 日光は当てられない、傷もすぐに治るなんて気味が悪い!」

もう一つは、名前の誰の目にもよく留まる透き通るほどに白い肌と、凄まじいほどの怪我の治癒力にあった。

「普通じゃあないわよ!」

陽の光を長く浴びられない繊細な肌と、一日も経てば何事も無かったように傷を完治させてしまう驚きの治癒力。その特殊な体質が二つ合わさってしまった結果、叔母が名前を嫌うもう一つの理由が出来上がってしまったのだ。

「――あんたは化け物なんだわ」

傷がすぐ治る不思議な体質と、心配させたくないと空条家に何も言わない名前の優しい性格を利用し、叔母は彼女を『化け物』と罵り、虐待を繰り返していた。殴る蹴るは当たり前。もっと酷い時は刃物で顔や体に切り傷を付けられることもあった。
その時の叔母の心理は、並の人間であれば理解することは到底出来ないだろう。

「あんたなんか……っ!」

叔母は名前を気味悪がると同時に、彼女が持つ可愛らしい容姿や美しい肌に対し激しく嫉妬をしていたのだ。名前のような顔や瑞々しい肌があれば男にちやほやされたのにと、己の汚い心は改めようともせずに。
叔母はただただ憂さ晴らしをするかのように、名前が身も心も傷つけばいいと、それだけを思い理不尽で非道な暴力を奮っていた。

「もういいわ」

だが、そんな身勝手な叔母からの名前に対する虐待行為は、彼女が高校生に上がる頃に唐突に終わりを告げた。付き合いだした男の元に行くため、元々見る気もなかった名前の面倒を放棄した叔母が家を出て行ったからだった。
何ともまた勝手な理由ではあったが、これで名前は長い長い地獄のような日々からようやく解放されたのだ。


両親との幸せで楽しい思い出が詰まった家で、本当に一人きりになった名前。でも、不思議と寂しいという感情が湧き上がってくることはなかった。

「名前。もう一人で抱え込むなよ」
「うん……ありがとう、承太郎」

なぜなら名前のすぐ側には優しくて、頼りになるほど心身共に大きく成長した幼馴染みの承太郎が。そして――。

「これからもよろしくね」

両親が亡くなった日。その運命の日から誰にも見えることのない"白と黒の二羽のうさぎ"が、まるで両親の代わりだとでも言うように名前の側に寄り添っていたのだから。


* * *


「あっ! また金魚が大きくなってる〜!」

日本家屋と日本庭園の景観に良く似合う番傘を差し、鮮やかな錦鯉が優雅に泳ぐ大きな池を眺めていた名前は、数匹の錦鯉に混じって泳ぐ一匹の真っ赤な金魚の姿を見つけるや否や、破顔しながら歓喜の声を上げた。

「金魚の成長ってすごいなぁ」

自分より遥かに大きい体の錦鯉と仲良さそうにのびのびと泳ぐその金魚は、三ヶ月前に開催された町内夏祭りの金魚すくいの屋台で、名前が狭い水槽の中からすくい上げた金魚だった。
一緒に水槽にいた他の個体より体が小さかった金魚は、当初の名前の心配をよそに空条家にある広々とした池と、承太郎の甲斐甲斐しい世話のおかげですくすくと成長していたのだ。

「これも承太郎様々だね!」

小さくひ弱だった金魚の目まぐるしい成長の裏にある承太郎の優しさに、名前は嬉しそうに笑みを深める。最初は面倒くさいと言っていた承太郎も、何やかんやで弱っている生き物を放っておける程薄情な男ではないのだ。
これは承太郎が帰ってきたら改めてお礼を言わなければと、名前が今頃真面目に勉強をしている……、かもしれない承太郎の姿を思い浮かべて、ふふっと息を漏らした。その時――。

「名前ちゃんじゃあないかッ!」
「!!」

彼女の耳に自分の名を呼ぶ、どこか嬉しそうな声が届いてきた。

「この声……!」

聞き覚えがあり、尚且つ久しぶりに聞いたその声に、名前が弾かれるように声が聞こえてきた方へ顔を向けてみる。するとそこには彼女が想像した通り、立派な髭を蓄えた長身の老紳士が立っていたのだ。

「ジョセフおじいちゃんっ!」

長身の老紳士――ジョセフ・ジョースターの姿を視界に捉えた名前は、アメリカにいるはずのジョセフの思わぬ登場に、これでもかと目を輝かせると勢いよくその場を駆け出し、年齢の割には逞しい体に思いきり抱きついた。

「本物のジョセフおじいちゃんだ〜!」
「ひっさしぶりじゃの〜〜ッ! 超絶美人に成長しおって〜〜!」

数年ぶりの再会を果たした二人の喜びようはそれはそれは凄いもので。名前が甘えるようにスリスリと可愛らしくジョセフの胸元に額を擦り合わせれば、これでもかと顔を緩ませたジョセフが名前を抱きかかえくるくるとその場で回ってみせた。

「きゃーッ!」
「ほんとに名前ちゃんは可愛いの〜!」

大人の女性へと美しく変身を遂げた名前の、幼い頃から変わることのない愛らしい笑顔と純粋な心に、ジョセフは「グレた承太郎とは大違いじゃな!」と、実の孫であり不良の道を歩んでしまった承太郎を皮肉った。きっと本人がこの場にいれば「やかましい」と、凄味を利かせながら一刀両断されるに違いないだろう。
だが生憎、今この場にいるのはきゃあきゃあと黄色い悲鳴を上げる名前と、そんな彼女を抱き上げるジョセフ自身だけ。そのためジョセフは可愛い可愛いと、鼻の下を伸ばして好きなだけ名前の笑顔を堪能する……、つもりだった。

「――ジョースターさん」

年甲斐もなくはしゃぐジョセフをまるで窘めるかのように、二人しかいないはずの庭に落ち着いた男性の声が一つ木霊した。

「ムッ!」

自身のファーストネームを敬称付きで呼ばれたジョセフは、ふと我に返ったようにくるくると回っていた体の動きを止めると、代わりに今度は「アヴドゥル」と小さく口を動かす。

「……アヴ、ドゥル……?」

日本では聞き馴染みのない人名にたどたどしくその名を反芻した名前は、そっと地面に足を付けるとジョセフが向いている方向と同じ所へ顔を向ける。そうすれば彼女の目に褐色の肌と真っ赤な上着、そして大きな首飾りが特徴的な外国人男性が佇んでいるのが映った。

「いきなり茶室を飛び出して行かれたので何事かと思いましたが……どうやら私の心配は杞憂だったようですね」

十中八九ジョセフの言う"アヴドゥル"で間違いない彼は、「そりゃすまんかった」と軽く謝るジョセフに少し呆れが混じった表情を見せる。

「可愛く笑ってる名前ちゃんを見つけたらついつい体が動いちまってのォ〜」
「"名前ちゃん"とは、そちらの?」
「ああ、そうじゃ! こちらの可愛いお嬢さんが承太郎の幼馴染みで、わしの孫みたいな存在の名前ちゃんじゃよ」
「なるほど。JOJOにこんなに素敵な幼馴染みのお嬢さんがいたとは」

羨ましい限りですねと、ぽかぽかと暖かな空気を纏いながら笑うアヴドゥルの言葉に、照れたようにはにかんだ名前。
その横では自分が褒められたみたいに「そうじゃろ!」と得意気に胸を張るジョセフと、名前の新たな出会いを祝福するように水面を揺らしながら跳ねる金魚の姿が見られた。


2021.2.8. 加筆修正

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