理性はなくても意識はあった。
骨が折れる感触に砕ける音。痛みで上がる悲鳴に恐怖に歪む顔。男と自分の体から流れる真っ赤な血。それら全てがあの時は楽しくて楽しくて仕方がなかった。
もっと感じたい。もっと聞きたい。もっと見たい。そして最後には自分の手で目の前の男を殺したいと思っていた。
あまりにも行き過ぎた行動と感情に名前は自分に恐怖を抱いていた。まるで自分の中にもう一人の猟奇的な自分が棲んでいるみたいで気持ちが悪い。
しかも敵であるスタンド使いの男だけに止まらず、家族のように慕っているジョセフにも手を出そうとした。見境なく衝動のまま自分が敵と判断した者を攻撃するなんて、これでは獣となんら変わらない。いや、獣と言うよりーー。

「…化け物と変わらない……」

自分の腕にガラス片で出来たはずの傷が消えているのを目にした名前はぽつりと呟いた。
怪我の度合いによるが小さな傷であればある程治りは早い。傷が肌に残らないので便利ではあるが、それが人間じゃないと言われているようで名前は好きではなかった。

「…私は、一体何なんだろう…」

昔から思ってはいたが今日の出来事で一層自分が分からなくなってしまった。

 −−お前が望むもの全てを教えてやろう。

「! ……誰が言ってたんだっけ、」

脳内に響いた言葉に首を傾げる。つい最近聞いたような気がするが思い出せない。しかしそれは今の名前にとってはとても魅力的な言葉だった。
その人に会えれば自分のことが全て分かるかもしれない。

「…会えればいいな」
「名前」
「!」

顔も名前も思い出せない頭の中に響く声の人物に思いを馳せていると、岩の陰からタンクトップ姿の承太郎が姿を現した。

「…承太郎」
「いつまでここにいる気だ。もう出発するぜ」
「……うん、」

承太郎はどうやら一人になりたいと言って自分達と離れた場所にいた名前を迎えに来てくれたようだ。
行くぞと顎をしゃくる承太郎に名前は頷くも、中々腰を上げなかった。

「……まだ気にしてんのか」
「っ、気にしないはずないじゃん…だってあんな…」

ジョセフ達の前で見せた自分の狂気に名前は顔を覆った。
理性が飛んでいたってあれは間違いなく自分なのだ。きっとジョセフ達は自分の事を気味悪がっているかもしれない。軽蔑しているかもしれない。…嫌われたかもしれない。
後ろ向きな考えしか浮かばない名前はジョセフ達の元に戻るのを無意識に拒否していたのだ。

「行くぞ」
「! ちょ、承太郎…っ!」

顔を覆って俯いたまま動こうとしない名前の腕を掴んだ承太郎は無理やり立たせると、そのまま引っ張るように歩き出した。名前は踏ん張ろうとするも砂利道のせいで足が滑るためずるずると承太郎に引っ張られていた。

「っ、離してよ!」
「嫌だね。どうせくだらねえこと考えてんだろ」
「く、くだらねえって…ッ!?」

人が真剣に悩んでると言うのにそんな言い草はないだろうと名前が承太郎に言い返そうとした時、両頬を承太郎の片手で掴まれてしまった。指が頬に食い込んで少々痛みを感じる。

「…い、いひゃい」
「お前のことだからじじいや花京院達に嫌われたら…とかくだらねえこと考えてたんだろ」
「!」

頭の中を覗いたかのように的確に当てる承太郎に名前の目が開かれる。

「言っとくがお前が思っている程じじい達は繊細じゃあねえぞ」
「…で、でも…」
「……もう面倒くせえから自分の目で確かめな」
「わあっ!」

それでも渋る名前に心底面倒くさそうな視線を向けた承太郎は徐に名前を肩に担ぐと「降ろして!」と叫ぶ声を無視してジョセフ達が待つ場所へと大股で歩いていった。

「承太郎、遅いじゃあないか」
「…こいつが駄々捏ねたもんでな」
「名前ちゃんが…?」

自分に向けられている視線に気付いた名前は承太郎の肩の上でピクリと体を震わせた。それはもちろん承太郎にも伝わっているため、彼は「…やれやれ」と言うと名前を担いだままジョセフ達に背を向けた。
そうなると名前の顔はジョセフ達の方を見ることになるため、名前は慌てて顔を下げた。

「…っ、」
「名前お姉さん」
「! …あ、アンちゃん…」

頭を下げたまま承太郎の服をきつく握りしめる名前の手に小さな手が重なった。背が小さいことを利用してアンが下から名前の顔を覗き込む。

「またお姉さんの膝の上に乗ってもいい?」
「っ!」
「あっ、お前またどさくさに紛れて名前に甘えるなよな!」
「名前さんも君の相手をずっとしていたら疲れてしまうだろう?」
「膝に乗りたいならわしでもいいじゃろう」
「ハッ! 自分達が名前お姉さんに相手にされないからって子供のあたしに嫉妬して恥ずかしくないの?」
「「なにィーーッ!」」
「…随分言ってくれるじゃあないか」

アンを筆頭にわあわあと騒ぎだしたジョセフ達に名前は戸惑いながら「なんで…」と小さく呟いた。それは騒いでいたジョセフ達の耳に届いたようで、彼らは騒ぐのを止めて視線を名前に向ける。

「…なんで、そんなに普通なの…?」
「なんでって言われてもなァ、」
「だって私っ、みんなの前であんな…ッ! …それにジョセフおじいちゃんにも…」
「名前ちゃん」

名前の頭の上にジョセフの右手が乗せられた。その小さな重みに言葉を止めて恐る恐る見上げてくる名前と目を合わせたジョセフは、相も変わらず孫を見る優しい目をしていた。

「名前ちゃんは仲間思いの優しい子じゃ。それをみんな分かっておる」
「!」
「承太郎の仇を取ろうとしたんじゃろ?」
「…ちがう…わたしは、」
「本当に違うのか?」
「っ、承太郎がっ…目の前で死んじゃったって思って…! そしたらわたし…ッ!」
「……やっぱり承太郎は愛されてるの〜」
「…ええ、本当に」
「ったく、羨ましいったらねーぜ!」

花京院とポルナレフの羨望の眼差しを背に受けた承太郎はふんっと鼻で笑った。彼らから承太郎の顔は見えていないが恐らく得意気な表情をしているだろう。

「……怖くないの?」
「怖いなんて思うわけないじゃろう」
「そうだよ! 名前お姉さんあたしのことを助けてくれる優しいお姉さんだよ!」
「…っ、嫌いにならない…?」
「嫌うなんてとんでもないですよ」
「むしろギャップ萌えってやつだな。ちょっとSっぽくてなんかエロい……ってえ!?」
「名前ちゃん!?」

一人だけずれた思いを口に出すポルナレフがちらりと名前に視線を向けると、大きな目からはらはらと涙を流していた。

「ポルナレフが名前お姉さんにセクハラした!」
「なに泣かせてるんですか!」
「…てめー何してんだ」
「お、俺のせいなのか!?」
「早く謝るんじゃ! 今すぐ謝れ!」
「ご、ごめーーんッ!」

再びわあわあと騒ぎだしたジョセフ達に名前は泣き笑いを浮かべると「ありがとう」と感謝の言葉を告げた。


* * *


思わぬ名前の一面を知ったスタンド使いとの戦いになったが、名前の心配事を余所に更に絆が深まった一行は無事に国境を越えてパキスタンへと辿り着いた。
そして同時に別れの時間も近付いて来ていた。

「離せっ、離せよ〜ッ! 変なトコ触るんじゃあねえ!」
「っるせえ! 人聞きの悪い!」

パキスタンの空港に来ていた名前は、ポルナレフに羽交い絞めされるアンを見て困ったように笑っていた。
嫌だ嫌だと駄々を捏ねるアンは目の前に止まっている小型飛行機に乗って香港へと帰る事になっているのだ。
確かにアンと別れるのは寂しいが彼女をDIOとその刺客達の戦いに巻き込むわけにはいかない。名前は心を鬼にして花京院と共に添乗員へとアンの香港行きのチケットを渡していた。

「…本当に最後だね」
「ええ。いざ彼女がいなくなると思うと少々寂しいですね」
「……うん」

ジョセフと何かを話しているアンに視線を向ける。恐らくジョセフに説得でもされたのだろう、急に大人しくなったアンは飛行機に乗って香港に帰ることに決めたようだ。

「…この旅が終わったら一緒に香港へ行きませんか?」
「え?」
「二人で彼女に会いに行って驚かせてやりましょう」

ふふっと悪戯っ子のように笑った花京院に名前は目を見開くと、次の瞬間には嬉しそうに「そうだね!」と頷いた。

「名前お姉さん!」
「わっ!」

ドスッと音がしそうなくらい勢いよく抱き着いてきたアンを受け止める。

「アンちゃん?」
「……名前お姉さんと離れるのすごく寂しい」
「…そうだね。私もアンちゃんがいなくなるのは寂しいよ」
「承太郎のちっちゃい時の話もう聞けなくなっちゃうし、お姉さんと恋バナ出来なくなるし…」
「…うん」
「でも…名前お姉さんが苦しむのはもっと嫌なの! だから頑張ってね!」
「!」

きっとジョセフからこの旅のことを聞いたのだろう。
アンはニカッと眩しいくらいに笑って一度ぎゅっと名前を抱きしめると、軽い足取りでタラップを上がっていった。

「みんなまたね!」

バイバイと大きく手を振ったアンは飛行機内へと姿を消して行く。
暫くすると飛行機は離陸の体勢を取り始め、遂にタイヤは滑走路を離れていった。

「…さて我々も出発の準備を始めよう」

ジョセフの一言で名前達は空港内へと戻って行く。そんな彼女達の後ろから新品の上着を翻しながら承太郎が歩いてきた。

「あ、承太郎」
「随分遅かったじゃあないか。もうあの少女は行ってしまったぞ」
「…知ってる」

今来たばかりだと言うのにさも見ていたかのような反応をする承太郎に花京院は疑問符を浮かべる。

「最後に会えた?」
「…ああ。応援された」

ふっと笑った承太郎は飛行機が飛んで行った青々とした空を優しい目で見上げていた。

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