霧の向こうから現れた老婆は名前達にぺこりとお辞儀をすると「旅のお方のようじゃな…」と口を開いた。

「この霧ですじゃ、もう町を車で出るのは危険ですじゃよ。崖が多よってのォ…」

老婆は民宿を営んでいるらしく、名前達の身を案じて泊まっていったらどうだと、名前達の元までわざわざ言いに来てくれたようだ。

「おお〜っ! やっと普通の人間に会えたぜ!」

老婆のおかげで泊まる宿は確保することは出来たが、この不気味な町に一泊するのは何だか気が引ける。いつ誰が襲ってくるか分からないため今夜は油断禁物だと話す花京院は、やっと来た警察に運ばれていく穴だらけの男の死体を見つめていた。

「あの警官共も、あんな変奇な死体の殺人事件だと言うのに大騒ぎもしてねーぜ」
「…なんか怖いよね、この町…」
「大丈夫ですじゃよ名前様」
「っ、え…?」

担架に乗せられて運ばれていく死体を見ても無関心な町人達に、寒気を覚えた名前は自分の腕を摩る。そんな彼女に声を掛けたのは承太郎達ではなく先程会ったばかりの老婆だった。

「ホテルの部屋は防犯設備はばっちりですじゃ。安心してお休みくだされ」
「あ、ありがとうございます…」
「ささ! ジョースター様、あれが私のホテルですじゃ」

ぽかんとする名前から視線を外すと、老婆は少し離れた場所にある立派なホテルを指差す。
案内するから着いてこいと老婆は杖を突きながらトコトコと先を歩いて行くが、その曲がった小さな背中を承太郎は呼び止めた。

「待ちな。婆さんあんた…今名前とジョースターという名を呼んだが、なぜその名が分かった?」

鋭い眼孔で老婆の背中を睨み付ける承太郎。彼の低い声にピクリと体を跳ねさせた老婆は、少しの間を開けて振り返るとポルナレフをちらりと見た。

「いやですねェお客さん。今さっきそちらの方がお二人の名前を呼んだんじゃありませんか」
「え! おれ!? そういやあ呼んだような…」
「…呼ばれたっけ?」
「わしも呼ばれた記憶ないんじゃがのう…」
「言いましたよォ」

長年客商売していると名前を覚えるのが得意になると大きく笑う老婆を、承太郎はじっと見つめていた。


* * *


老婆に案内されたホテルは思っていたよりも綺麗なもので、不気味な町には少々似つかわしくないものだった。しかしこれなら少しは疲れた体も癒えるだろうと全員宿帳に名前を記入するとそれぞれ宛てがわれた部屋へと入っていった。
その後荷物を置いた承太郎と花京院はジョセフの部屋へと集合し、部屋に付属してあるテレビを付けようとしていたのだが、叩いてみてもテレビはうんともすんとも言わなかった。

「…壊れているようですね」
「うーむ…では『隠者の紫』で敵の情報を探ることはできんなぁ」
「おーい。ジョースターさーん?」

これでは念写ができないと困ったように顎髭を触るジョセフとテレビを弄る花京院、そして窓際で腕を組んでじっと点かないテレビを見ている承太郎の耳に、ドアをノックする音とポルナレフの声が聞こえてきた。

「どうした?」
「この部屋トイレある? 俺の所ないみたいなんだよォ〜」
「…このホテルでは共用なんじゃあないか?」
「あっ! なるほど!」

どうやらいつものトイレを気にする癖だったようで、花京院に共用なのではと言われたポルナレフはそれだけを聞くとジョセフの部屋をさっさと後にしてしまった。

「…はぁ、」
「…やれやれ、呑気なやつめ…いつ正体不明のスタンド使いが襲ってくるかも分からんのに」
「……」

溜息を吐く花京院とジョセフを余所に、承太郎は何か思うことがあるのだろう。一言も離さずただ静かに窓の外を見つめていた。


* * *


「おばあちゃんいますか?」

ジョセフ達が念写を試みようとしている時、名前は一人ホテルのロビーに来ていた。

「! 名前様っ、どうなされたんじゃ?」

ロビーにある奥の部屋からひょこりと顔を覗かせた老婆は名前の姿を見るとニコニコと笑みを浮かべて近付いてきた。何か作業をしていたのか手に大きな鋏を持って自分の元へ来る老婆に、名前は「お忙しいところごめんなさい」と謝ると困ったように笑った。

「…あの、お部屋のシャワーが出ないみたいで、」
「おやまあ! それは女の子に取っては一大事ですじゃな! 今やってる作業が終わり次第すぐにお部屋に行かせてもらいますじゃ」
「なんか…急かしてるみたいでごめんなさい」
「いいえ! これが私の仕事ゆえ…遠慮なく申してくだされ」

にっこりと笑みを浮かべる老婆に名前は申し訳なさそうに眉を下げた。

「…じゃあお願いします」
「はい! 任されましたじゃ!」
「でも、急がないでいいですよ! 左手の怪我に障ったら大変ですしね」
「…ありがとうございますじゃ……本当に名前様はお優しい」

恭しく頭を下げた老婆はうっとりした顔で名前を見上げると「やはりあの方と名前様はとってもお似合いじゃ」と呟いた。

「あの方?」
「! な、なんでもないですじゃ! ささっ、後程お部屋に行かせてもらいますゆえ…名前様はお部屋でお待ちくだされッ!」

小さな老婆から出されているとは思えない力でぐいぐいと背中を押された名前は、あっという間にロビーの奥の部屋へと消えていった老婆に疑問符を浮かべていた。

「おおっ、名前じゃねーの!」

老婆に言われた通り部屋に戻ろうと二階の客室に繋がるロビーの大階段を上っていると、上からポルナレフが下りてきていた。

「どこか行くの?」
「トイレの場所を探してんのよ、俺は」
「…ああ、いつものね」

ホテルに来るとまずはトイレを確認するポルナレフ。またいつものやつかと苦笑いを浮かべる名前に「トイレの場所知ってるか?」とポルナレフが尋ねる。

「私は場所知らないけど、ロビーの奥の部屋におばあちゃんいたから聞いてみたら?」
「お、あの婆さんいんのか」

確かに老婆に聞いた方が確実だよなと頷いたポルナレフは「ありがとよ」と一言お礼を言うとそのままロビーの奥の部屋へと向かって行った。
名前はその背中を見送ると自分もそろそろ部屋に戻ろうと階段を上っていく。

「…あれ?」

長い廊下を歩いてもうすぐ自分の部屋という所まで来た時、承太郎が部屋の前に立っているのが見えた。
承太郎は名前を視界に入れると眉間に深い皺を寄せて大股で近付いて来る。

「…どこ行ってた?」
「どこって、ロビーだけど」
「……あの老婆に会ったか?」
「う、うん」

どんどん険しくなっていく承太郎の表情に名前は身体を強張らせる。何か無意識のうちに気に障ることをしてしまったのだろうか。

「…あの、じょうた…むぐっ!?」

何かしたのかと心配になった名前は承太郎の名を呼ぼうとしたが、それは大きな手によって遮られてしまった。
自分の手で名前の口を覆った承太郎は、そのまま名前に宛てられた部屋の中へ入ると勢いよくドアを閉めた。

「っ、ぷは…! 急に何するの!」

息苦しさから解放された名前は高い位置にある承太郎の顔を首を後ろに仰け反らして睨み付ける。

「…このホテルでは俺の名を呼ぶんじゃあねえぜ」
「へ?」

唐突に釘を刺された名前はぽかんと口を開ける。その間抜けな顔を真上から見た承太郎はふっと一瞬笑うも、すぐに真剣な表情に戻ると「あの老婆がスタンド使いかもしれねえ」と話した。

「えッ!? あのおばあちゃんが!?」
「…声がでけーよ」
「ご、ごめん」

承太郎に睨み付けられた名前は慌てて声を抑える。

「…なんでそう思ったの?」
「ホテルに着く前、あの老婆が名前とじじいの名を呼んでたの覚えてるか?」
「うん」
「あの時ポルナレフが名を呼んでいたから覚えた…なんて言ってやがったが、あいつはこの町についてから名前とじじいの名を呼んじゃあいねえ」
「!」

承太郎の記憶力の良さにも驚きだが、名前はその事実に目を見張った。
ポルナレフが名前とジョセフの名を呼んでいないとすると、あの老婆は最初から名を知っていたという事になる。そうなってくればDIOの刺客の可能性が一気に高くなる訳で。

「…だから宿帳には俺と花京院は偽名を書いた。あの老婆がその偽名じゃなく本名を呼んだら間違いなく黒だぜ」
「なるほど。だから名前を呼ぶなってことだね」
「ああ」

相変わらず頭が切れるなと名前が感心していると、ふとあることを思い出した。

「っ、どうしよう! ポルナレフ今一人でおばあちゃんの所に行ってるよッ!」
「…なに?」

名前は先程トイレを探していたポルナレフに老婆がいるから聞いてみたらと提案してしまったことを話した。
承太郎は「…やれやれ」と溜息を吐くと、少し様子を見てくると言って部屋を颯爽と出て行ってしまった。

「…ポルナレフ、無事だといいけど」

まだ老婆がスタンド使いだとは決まっていないが、なぜかポルナレフが悲惨な目に合っている姿が脳裏に浮かび、名前はその考えを消すように静かに目を閉じた。


* * *


結局承太郎の読み通り追っ手のスタンド使いはあの老婆で間違いなかったようで、承太郎がポルナレフの様子を見に行った時は既にトイレで襲われていたそうだ。
人の体に穴を開けて霧で操るというスタンド能力だったらしく、危うく承太郎も操られそうになったが『星の白金』で霧のスタンド『正義』を吸い込んで見事に勝利を収めたらしい。
ちなみにポルナレフは舌に穴を開けられてしまい、少しだけ便器を舐めてしまったようでジョセフに思い切り揶揄われていた。

「みんな、外に出てみろ」

ドンドンと床を叩いて笑うジョセフに恥ずかしがるポルナレフ。そんな二人の姿を見て苦笑していた名前と花京院に、承太郎はホテルの外の景色を見ながら声を掛けた。

「な、なにこれ…っ!」

承太郎に言われてホテルの外へ出た名前達の目に入ってきたのは、小さな町の景色ではなく等間隔に並んだ墓石の数々だった。地面にはカラカラに乾いて白骨化した死体が幾つも転がっていて、生きている人間などどこにもいない。

「むりむりむり!」

虫に続いて名前が苦手なのは怪談、またはホラーと呼ばれるものだった。
今まで町だと思っていたのは墓場で、生きていると思っていた町民は死体だったという事実を突き付けられた名前は可哀想なくらい顔面蒼白になっていた。

「やだやだ! 早くここから出ようよ!?」
「名前の言う通りだぜ! こんな不気味な所さっさとおさらばしようや」
「それには大いに賛成ですが、この老婆はどうします? 意識を失っていますが、このままここへ置いていくのは我々にとって危険です」

再び復讐をしてくるだろうと言う花京院に、ポルナレフもそれが一番心配だと話した。
何でもポルナレフの話だとこの老婆はポルナレフの妹を殺害したJ・ガイルの母親らしく、カルカッタでポルナレフに息子が殺されたと知ってとても恨んでいるらしい。逆恨みではあるがポルナレフは相当老婆から恨みを買ってしまったようだ。

「うむ…承太郎とも相談したが、このバアさんなら一緒に連れて行く」
「つっ…連れていくのかァ〜!?」

驚きに大きな声を上げるポルナレフに、承太郎は老婆には聞きたい事が山ほどあると言った。

「例えば…これから襲って来るスタンド使いは何人いて、どんな能力なのか。エジプトのどこにDIOのやつは隠れているのか……そしてDIOのスタンド能力は、」
「どんな正体なのか? このバアさんからそれを聞き出せれば、我々は圧倒的に有利になる」
「私も!」
「名前さん?」
「…私も聞きたいことがあるの……なんでDIOが私に目を付けたのか、それが知りたい」

眠っている老婆を見下ろす名前の目は、いつになく真剣なものだった。

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