ジョセフに窘められてしまった花京院は一人ぼーっと自分の腕を見つめていた。

「…ベイビー…スタンド…、」

左腕には自分の筆跡で『BABY STAND』とナイフで彫られた傷があり、それはあの赤ん坊がスタンド使いということを示しているようだった。

「…あの赤ん坊が、スタンド使い…?」

花京院自身も生まれながらにスタンドの力を持っていたが、さすがに一歳にも満たないうちから自我を持ってコントロール出来ていた訳ではない。
だからこそ赤ん坊がDIOの刺客だなんてそんなはずないだろうと一度は否定しようとしたが、赤ん坊は花京院と目が合うと不自然なまでに視線を逸らしたのだ。
その姿にこの赤ん坊は普通ではないと感じた花京院はついあの行動に出てしまったのだが、傍から見れば赤ん坊に当たる頭のおかしい奴だ。それゆえ先程からポルナレフの視線が痛いほど突き刺さっていた。

「僕は一体なにを忘れているんだっ!」

とても重要な情報を得られたはずなのに、それが全く思い出せない花京院はもどかしさに頭を抱えた。
眠れば眠るほど疲れていく体に、身に覚えのない文字のような傷、赤ん坊の不自然なまでの態度。そして手の中に残る何かを強く握った感触。

「……首、…」

花京院は頭を抱えていた両手を下ろして己の掌を見る。
何を掴んだのか、それを思い出そうとするとなぜか浮かんでくるのは名前の顔だった。
ジョセフに「首を絞めるように抱くなんて」と言われた時も、真っ先に目が行ったのは自分が手を出した赤ん坊ではなく、側に立っていた名前の細い首だった。

「…名前さんの首に、なにかあるのか…?」

疑問符を浮かべた花京院はちらりと視線を承太郎と話をしている名前に向ける。
彼女の様子は至って普段と変わらないが、時折自分の首を無意識に気にする素振りを見せるのだ。名前の癖と言われればそれまでなのだが、彼女にそんな癖はなかったはずだ。それはずっと名前を見てきた花京院だからこそ分かることだった。
癖ではないとなると名前も何か思うことがあるのだろうと推測した花京院は、一人で悩むより話し合った方が早く解決出来るかもしれないと彼女の元へ行こうと立ち上がった。

「……」

名前の元へ行くにはあの赤ん坊が寝ている籠の横を通らなければならない。あまり近くに行きたくはないが構う訳ではないためさっさと通ってしまおうと、花京院が籠の近くへと距離を詰めたその時ーー。

「なっ!?」

赤ん坊が自分のおしめから安全ピンを器用に外して迫り来るサソリを刺し殺したのだ。
眼前で行われた一般の赤ん坊を超越えするあり得ない行動に花京院は愕然とした。

「サソリを殺した……こっ、この赤ん坊やはりッ!」
「!」

目を見開く花京院と目がかち合った赤ん坊はサッと花京院の視線から逃れようと籠の中に身を縮込めた。
その行動にやはりこの赤ん坊は普通ではないと感じ取った花京院は、近くにいたジョセフとポルナレフの名を叫ぶように呼ぶ。

「今のを見ましたかッ! やはりこの赤ん坊普通じゃあないッ!」
「「え?」」
「今サソリを殺したんですッ! あっという間にピンを使ってサソリを串刺しにしたんですッ!」

ビシッと赤ん坊を指差す花京院だが、ジョセフとポルナレフは赤ん坊がサソリを刺す瞬間を見てはおらず、二人で顔を見合わせていた。
そして花京院の剣幕に赤ん坊から少し離れていた名前と承太郎も何事だと顔を見合わせる。

「花京院ちょっと待て!」
「なにを言っとるんだ?」
「この赤ん坊はただの赤ん坊じゃあないッ!」

一歳にも満たない赤ん坊がサソリの危険性を理解していて自分の身を守るように殺したんだとジョセフ達に必死に伝える花京院に、ジョセフは「サソリ…! どこに!?」と話に食いつく。

「その籠の中ですッ! この中にピンで刺したサソリの死骸があるはずだッ!」

ジョセフが赤ん坊を抱え上げたことで枕とシーツだけになった籠の中を漁るが、花京院が見たはずのサソリの姿はどこにも見当たらなかった。
確かに見たのになぜ死骸が無いんだと呆然とする彼の後ろ姿を、ジョセフは静かに見下ろす。
その視線に気が付いた花京院は「ほ、本当に見たんですッ!」とジョセフに訴えると、彼の腕に抱かれている赤ん坊の服に掴みかかった。

「どこに隠したんだ! 服のどこかかッ!」
「わかった! 花京院! もういいやめなさい!」
「っ、ジョースターさんッ!」
「やめるんだ花京院! さっきも言ったが君は疲れているッ! ゆっくり休んで明日の朝また落ち着いてから話をしようじゃないか…」
「………」

ジョセフに腕を振り解かれあしらわれてしまった花京院は、ただ呆然と遠くなるジョセフの広い背中を見ることしか出来なかった。
どうしたら皆にあの赤ん坊が普通ではないと、スタンド使いなんだと分かってもらえるんだと花京院は思考を巡らせる。

「っ、そうだ…!」

彼らにあの赤ん坊がスタンド使いだと示せる証拠が自分の腕にはあるじゃないか。
花京院は自分の左腕をぐっと掴むと、赤ん坊に無理やり離乳食を食べさせようとしているジョセフの手を払った。

「どこにサソリの死体を隠したかは知らないが、そいつはスタンド使いなんですッ! 見てくださいこの腕の傷をッ!」

袖を捲りジョセフに見せつけるように『BABY STAND』と刻まれた腕を差し出す。これならジョセフを始め名前達もこの赤ん坊がスタンド使いだと信じざるを得ないだろう。

「花京院……その腕の傷は自分で…切ったのか?」
「え?」
「Oh…my…god…!」

しかし花京院の思いとは裏腹に、承太郎やジョセフから向けられる目は信じられないようなモノを見る目だった。
ポルナレフはその傷を見て息を飲み、名前も困惑した表情を浮かべていた。

「はっ!」

ここで初めて花京院は自分自身で更に状況を悪化させてしまったことに気付いてしまった。
赤ん坊がスタンド使いだなど信じ難いことを言う男の腕に、こんな文字のような傷があれば疑われるに決まっているじゃないか。
花京院はスッと袖を直すと気まずそうに視線を逸らした。

「!」

視線を逸らしたその先。花京院の目に映ったのは憎たらしく笑う赤ん坊の姿だった。
やはり自分の考えは間違っていない。しかし誰もそのことに気付いていない。

「やむをえんッ! 強行手段だッ!」

攻撃をしようとすれば自分の身を守るためにスタンドを出すだろうと考えた花京院は『法皇の緑』を出現させると、籠の中に寝ている赤ん坊へと向かわせた。
驚き焦る赤ん坊の表情を見ながら直に現れるであろうスタンドに身構えていると、自分の首に重い衝撃が走る。

「! ううっ」
「もうだめだ……こいつ完全にイカれちまってるぜ…」

背後から聞こえて来たポルナレフの声に、花京院は自分が彼に当て身をされたことに気付く。
しかしそれと同時に今まで思い出せなかった全てのことを思い出した。
赤ん坊のスタンドが夢の中で攻撃してくる『死神13』ということを。
確信したんだよ承太郎。そいつのスタンドは夢の中のスタンドなんだポルナレフ。眠っちゃあいけないんだジョースターさん。信じてくれ――。

「……名前、さ…ん、」
「! 典明…っ!」

叫ぶような名前の声を最後に、花京院は暗闇に意識を飲み込まれていった。


* * *


気を失った花京院が寝かされたシュラフの横にしゃがみ込みんだ名前は「…ねえ」と承太郎達に声を掛ける。

「…典明が言った通り赤ちゃんがスタンド使いだったらどうする?」
「! 名前ちゃん…」

眉を下げて花京院を見つめる名前にジョセフは何を言おうか口をまごつかせるが、結局そのまま噤んでしまった。

「…あり得なくは、ないよね…? オラウータンがスタンド使いだったこともあるし…」
「お前はあの赤ん坊がDIOの刺客だとでも言いたいのか?」
「っ、…それは、」
「それこそあり得ねーぜ! こんな一人じゃあトイレもできない奴をDIOが仲間にすると思うか!?」
「でも…! なんかこの赤ちゃんを預かってから違和感を感じるの!」
「違和感?」
「そう! なんか記憶が抜けてるような…上手くは言えないけど大事なことを忘れてるような気がして…!」
「名前」
「っ、承太郎…」

鋭く細められた翠色の目に見つめられ名前はそれ以上何も言えずに言葉を止めた。

「花京院のやつを庇いたい気持ちも分からなくはねえ」
「……」
「だがな『気がする』『感じる』だけであまり話を進めるんじゃあねえ。余計場が混乱するだけだぜ」
「っ、……ごめん、」
「…名前ちゃん、今日はもう寝よう」
「…ジョセフおじいちゃん」
「今日は早く休んで、明日花京院を交えてみんなで話し合おう……な?」
「…うん、」

未だ少し不満そうにはしていたが小さく頷いた名前にジョセフは微笑むと、彼女をシュラフが置いてある焚火の近くへと連れていった。

「おやすみ名前ちゃん、いい夢を」
「…おやすみ」

ちゅっと名前の額にキスを落としたジョセフも寝支度を整える。
ごそごそと向きを変えた名前は花京院をじっと見ると、彼に聞こえないと分かっていても「典明も…いい夢を」と小さく告げた。


* * *


ジュージューとフライパンの上で肉が焼けるいい音が砂漠の一部に響く。
そして数分もしないうちにちょうどいい焦げ目がついたソーセージは、既に皿に盛られた綺麗な黄金色をしたスクランブルエッグの隣に添えられていく。
他の皿には美味しそうなきつね色に焼かれたパンケーキが数枚重なっていて、テーブルの上はちょっとしたいいホテルの朝食が出来上がっていた。

「よしっ、いい出来だ!」

一人誰よりも早く起床した花京院は人数分の朝ご飯を作ると、朝日が眩しいくらいに昇っているのに未だ眠っている名前達の元へと向かう。

「さあみんな! 起きて起きて! ポルナレフ起きろ! 朝食の用意が出来たぞ」
「…う……」
「……んん……」
「うう…うう〜ん」
「あああ…頭いてーっ」

花京院の大きな声に承太郎と名前、ジョセフとポルナレフの四人は唸り声を上げながらのそのそと起き上がる。

「もう朝か…なんか、すごく酷い夢を見たような気がするが…」
「わしもじゃ。忘れてしまったが…すごく恐ろしい目に合ったような気がするッ」
「…眠ったのに眠い」
「それ俺もだわ〜…」

眠そうにごしごしと目を擦る名前とポルナレフを見た花京院はくすりと笑うと、火にかけていた鍋の様子を見に焚火の方へと戻っていく。

「はっ、花京院! お…お前大丈夫か!?」
「なにが?」
「な…なにがって、お前昨晩はすごく錯乱していた! 自分の腕に『BABY』『STAND』という傷を!」

ちらりとポルナレフが腕捲りされている花京院の左腕に視線を向けると、そこには昨日あったはずの文字のような傷は綺麗さっぱり無くなっていたのだ。まるで最初から傷なんて無かったように痕も残らず消えていることから「…あれ? 傷がない、」とポルナレフは首を傾げた。

「赤ちゃんのおしめを取り替えてあげよう」
「あれ〜〜?」

器に装った離乳食を片手に赤ん坊のおむつを替えようとする花京院には、昨日の乱暴な面影が見えないことからポルナレフは夢でも見ていたのかと深く考えることをやめた。

「みんな忘れている…いたということさえ覚えていないスタンド……変わったスタンドだ」
「……」
「だが僕は覚えているぞ。夢の中にスタンドを持ち込んだのは僕だけのようだな」
「…ク…っ」

昨夜全員眠りについたところを狙って名前以外を殺そうと企んでいた赤ん坊だったが、ポルナレフに気絶させらた時『法皇の緑』を出したままだった花京院は死神の夢世界にスタンドを持ち込むことに成功していた。
そのおかげで唯一夢世界で有利に立てるはずの赤ん坊のスタンド『死神13』は、昨夜花京院の『法皇の緑』にお仕置きをされたのである。
ダラダラと冷や汗を流す赤ん坊を冷めた目で見下ろした花京院は「お前は赤ん坊だから再起不能にしない」と少しの慈悲を見せた。

「しかし二度と我々の側に近付くな。そして……名前さんに手を出すな」
「!」

極寒の地よりも冷え切った目に赤ん坊はぶるりと体を震わせる。

「本当なら名前さんの首を絞めた時点でお前の首をへし折ってやりたいところだが…さっきも言った通り赤ん坊だから痛めつけたりはしない。だが…今後名前さんや僕たちに近付いてみろ、その時は罰を与えてやる」

スッと目を細めた花京院は徐にスプーンを取り出すと、赤ん坊のおむつの中で存在を主張していた排泄物を掬った。

「こんな風な罰をな」

そしてあろうことかその掬った排泄物を花京院は離乳食の中に入れてかき混ぜたのだ。
花京院の信じられない行動に驚愕する赤ん坊。そんな彼に更に不幸は重なるもので。

「おっ、花京院! ベビーフードまで作ってくれとったのか!」

背後から近付いてくるジョセフはもちろん離乳食の中に何が入っているかを知らない。
昨日赤ん坊はご飯を食べていないから腹が空いているだろうと花京院から器を受け取ると、笑顔を浮かべながら赤ん坊に食べさせようとしていた。
絶対食べるものかと抵抗する赤ん坊を見て笑った花京院はその場を立ち去ると、自分が作ったパンケーキを美味しそうに頬張る名前の隣に腰を下ろした。

「…名前さん」
「む?」
「…昨日は、信じようとしてくれてありがとうございます…おかげでとてもいい夢が見れました」
「んん? 昨日…?」

パンケーキを飲み込んだ名前は「なにかあったっけ?」と不思議そうに花京院を見つめる。
リップのように唇にシロップをつけながら首を傾げる名前を愛おしそうに見た花京院は「ついてますよ」と親指で彼女の唇を拭うと、見せつけるように自分の親指をペロッと舐めた。

「っ〜〜!!」
「ウッガーーッ!!」

名前の顔が真っ赤になると同時に、赤ん坊の絶叫が響き渡った。

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