救難信号を送っていたおかげで無事に砂漠の真ん中から救助された名前達は、花京院に人知れずキツイお仕置きをされたスタンド使いの赤ん坊を母親の元へと送り返した。
そしてサウジアラビアの港でモーターボートを一隻購入すると、船舶免許を持っているジョセフの運転で海を渡ってエジプトへの入国を目指すことに。

「…きれい…!」

太陽の光を浴びてキラキラと輝く青い『紅海』に名前は子供のようにボートから身を乗り出して見惚れていた。
この紅海は周りに海を汚すような都市やそそぎ込む河がないため、どこまでも穢れの知らない澄み渡る青が広がっているのだ。それゆえ海に潜るダイバー達は口を揃えて「世界で最も澄み切った美しい海」と絶賛している。
そんな話を承太郎から教えてもらった名前は「私も潜ってみたい!」と海と同じような澄んだ蒼い目を承太郎に向けた。

「…お前泳げんのか?」
「泳げない!」

露出の多い水着になれない名前は海でも学校の授業で使うプールでも泳いだことがない。簡単な泳ぎ方も知らない名前に初心者には難しいダイビングなど出来るはずもないのだが、彼女は「でも承太郎と一緒なら大丈夫!」とにっこり笑った。

「あ?」
「だって承太郎海に詳しいでしょ?」
「…お前、…海に詳しい奴が全員ダイビングできるとか思ってるんじゃあねえよな?」
「違うの?」
「…やれやれ」

呆れたように溜息を吐く承太郎に「…ありゃ、違ったか〜」と恥ずかしそうに名前は頬を掻いた。

「じゃあ今度一緒にダイビング習いに行こう! そしたら紅海にも潜れるようになるよね?」
「…今度な」

どうやら名前の中では承太郎と潜ることは決定事項らしい。それは承太郎が海に詳しいからなのか、それともーー。
まあどちらにせよ名前に誘われて嬉しいという感情を表に出した承太郎は、潮風に靡く彼女の色素の薄い髪の毛をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。

「うわっ!」
「ふは、アホ毛立ってるぜ」
「だ、誰のせいだと…!」

ぴょこんと一本だけ立ちゆらゆらと揺れるアホ毛に、それを作り出した元凶の承太郎は可笑しそうに笑う。
普段見ることのない年相応の笑顔に花京院とポルナレフは目を剥いた。

「…じ、承太郎が…」
「…わ、笑ってやがる…!」

不満そうに頬を膨らませてせっせと乱れた髪を直す名前は気付いていないが、自分達に向けられる視線に気付いた承太郎はいつもの仏頂面に戻ると、花京院とポルナレフを睨み付けた。

「見てんじゃあねーぜ」
「見せつけるようにイチャつかれちゃ嫌でも目に入ってくるんだよッ!」
「…君もあんな風に笑えるんだな」

怒りを表すポルナレフに複雑そうな顔をする花京院をいつもの如く鼻で笑った承太郎は「…それより」と静かに前だけを見ているジョセフに目を向けた。

「おい、じじい…エジプトに行くには方角が違ってるぜ」
「「!」」
「違う?」
「…なんじゃ、気付いとったんか」

つい先程までは幼馴染みの女の子と仲良さ気に戯れていたというのに、エジプトの方向とは別の場所に行こうとしていることに気付いていたなんて。我が孫ながら鋭い観察眼にジョセフは苦笑いを浮かべるが、すぐに表情を引き締めると「その通りだ」と見えてきた一つの島を見据えた。

「理由あって今まで黙っていたがエジプトへ入る前に『ある』人物に会うためにほんの少し寄り道をする……」
「!」
「ある人物って、」
「この旅にとってもの凄く大切な男なんだ…」
「『大切な男』…あのちっぽけな島に住んでいるのか?」

不思議そうに近付いていく小さな島を見るポルナレフの横で名前と承太郎、花京院の三人は「まさか…」と顔を見合わせた。


* * *


ニャアニャアと鳴くウミネコが頭上に多く飛んでいる小さな島に上陸した名前達は、とても人が住んでいるようには見えない自然身溢れる島に視線をきょろきょろと彷徨わせる。

「なんか小さな島だし、無人島のように思えますが…」
「たった一人で住んでいる。インドで『彼』は私にそう教えてくれた」
「なに? インドでカレー?」
「…ポルナレフ、」

素っ頓狂な聞き間違いをするポルナレフに、名前は食い意地が張っている自分でもさすがにそれはないぞと冷ややかな視線を送る。
そんな名前の横に立っていた承太郎は、鬱蒼と生い茂る植物の陰からこちらを睨み付ける二つの目があることに気付いた。

「おいおい。そこの草陰から誰かが俺たちを見てるぜ」
「え?」

承太郎に気付かれ名前達の視線が草陰に集まると、今まで陰に潜むように隠れていた人物は勢いよく草むらを飛び出す。
そのままガサガサと草木を掻き分けてこの場を去ろうとする男の後ろ姿を見た花京院は「はっ!」と息を飲んだ。

「あ…あの後ろ姿は……見たことがある!」

一度見たら忘れることのないであろう特徴的な髪型にがっしりとした逞しい後ろ姿。その姿に目を見開いたのは花京院だけではなかった。

「っ、待って…!」

どんどん遠ざかっていく男の背を名前達は追い掛ける。見失わないように必死に草木の中を走っていると、やがて彼女達の前に一軒の小屋が現れた。
その小屋の前にある庭のような小さなスペースに男は立ち、何事もなかったように鶏にエサをあげていた。

「何者なんだッ!」
「あの後ろ姿はッ! まさかあの男はッ!」
「待て! わしが話をする、みんなここにいてくれ…」

身を乗り出し今にも男に接触しようとするポルナレフと花京院を制したジョセフは一度息を吐くと、一歩また一歩と男との距離を詰める。

「私の名はジョセフ・ジョースター。この四人と共にエジプトへの旅をしている者です」
「帰れッ! 話は聞かんぞッ!」
「!」
「そ、その声…!」

ジョセフの話を遮るように叫んだ男の声にも聞き覚えがあり、承太郎と名前は目を見開く。

「わ…わしに話しかけるのはやめろッ! このわしに誰かが会いに来るのは決まって悪い話だッ! 悪いことが起こった時だけだッ! 聞きたくない!」
「あっ!」

ずっと背を向けていた男がくるりと振り返る。
険しい表情で「帰れッ!」と睨み付ける男は、少し老けてはいるが名前達の旅の仲間だった男と酷く似ていた。

「アヴドゥルさんッ!」
「…ほ、ほんとに…アヴドゥルさんなの?」
「アヴドゥル……」
「まさかっ!」

呆然とする名前達を後目に小屋の中へと姿を消してしまったアヴドゥルにそっくりな男。
男の頑なに拒む態度にジョセフは暗い表情で「彼はアヴドゥルの父親だ」と呟いた。

「世を捨てて孤独にこの島に住んでいる…」

なぜこの島に寄ることを話さなかったのか。それはこの島に立ち寄ることがDIOにバレてしまったら、アヴドゥルの父親の平和が乱される可能性があるだろうと考えた結果だとジョセフは静かに話した。

「だが…息子のアヴドゥルの死を報告するのは……つらいことだ」
「………」
「アヴドゥルの死は君のせいじゃあない、ポルナレフ」

あの時のことを後悔しているのか悲しそうに、悔しそうに目を閉じるポルナレフの肩にジョセフはそっと手を置く。
しかしポルナレフは「いいや、」とその手から逃れるように足を踏み出した。

「俺の責任…俺はそれを背負ってるんだ……」
「…ポルナレフ…」
「彼の父親もスタンド使いなのですか?」
「ああ。だがどんなスタンドか、その正体は知らない」
「あの父親の今の態度じゃあ協力は期待できそうもないですが……」
「わし一人に任せてくれ、父親と話をしてみる」
「……」

もう一度アヴドゥルの父親と話をしようとジョセフが小屋に向かい名前達が外で待機する中、ポルナレフだけは一人この場を離れるように海岸の方へと向かって行ってしまった。


* * *


「おい、ポルナレフのやつはどこに行ってるんだ……?」
「もうかなり薄暗いぞ」

一人海岸に向かったポルナレフはとっぷりと日が暮れ、空には太陽の代わりに月が浮かび出しても名前達の元に戻ってくることはなかった。
さすがに遅すぎやしないかと心配になり名前達は固まって辺りを探してみるが、ポルナレフの姿は見つからない。

「どうしよう…! ポルナレフいないよ!?」
「…まさか、敵と出会ってるんじゃああるまいな」
「「「!」」」

中々見つからないポルナレフに承太郎は一つの可能性を声に出す。
DIOやその刺客達にこの島に訪れることをバレないようにしっかりと配慮したつもりだ。しかし、ジョセフと同様念写できるDIOに絶対バレていないという自信もない。
まさか本当に敵に襲われて…と名前達の背に冷たい汗が流れたその瞬間――。

「おい!! みんな驚くなよッ! 誰に会ったと思うッ!」

ガサガサと勢いよく近くの草むらが揺れたと思えば、そこから流血したポルナレフがなぜか嬉しそうに飛び出してきた。

「ポルナレフ! 心配したぞッ!」
「どうしたそのキズは!?」
「早く手当てしないとッ!」
「敵に襲われたのか?」

ポルナレフの顔や肩から流れる血にやはり何かあったのかと名前達は身構えたのだが、当の怪我をしている本人は「キズのことはどうでもいいんだよッ!」と一蹴した。

「いいか! たまげるなよ承太郎ッ!」
「?」
「驚いて腰抜かすんじゃあねーぞ花京院ッ!」
「?」
「見ても大泣きするなよ名前ッ!」
「?」
「誰に会ったと思う!? ジョースターさんッ!」
「?」
「なんとッ喜べ!」

満面の笑みを浮かべた顔をズイッと近付けて一人ひとりの目を見るポルナレフに、名前達の頭には疑問符が浮かぶ。
一体何のことを言っているのかとポルナレフを見ていると、彼は両手を広げて「パンパカパーン!」と自分の背後に顔を向けた。

「アヴドゥルの野郎が生きてやがったんだよォ! オロロ〜〜ン!」

草陰から現れたのは炎のような真っ赤な上着を靡かせたアヴドゥルだった。
彼の姿を目に映した名前達は何度か瞬きを繰り返すと、その後何事も無かったかのように一斉に身支度を整え始めた。

「さ! 出発するぞ」
「みんな、荷物を運ぶの手伝うよ」
「ようアヴドゥル」
「アヴドゥル久しぶり。元気?」
「久しぶりアヴドゥルさん!」
「アヴドゥル体の調子はどうだ?」
「名前さんのおかげですこぶる調子いいですよ」
「えへへ!」
「……」

驚くどころか平然と感動の再会をしたアヴドゥルと話をしている名前達に、ポルナレフは「…おい、ちょいと待てお前ら…!」と震えた声を出す。

「二週間ぶりか。お互いここまで無事で何よりだったぜ」
「承太郎、相変わらずこんな服着て暑くないのか?」
「こら! 待てと言っとるんだよッてめーらッ!」

呆然とするポルナレフなど眼中にないようで、談笑しながらどんどん先に進んでいく名前達の背中を怒声で呼び止める。

「どういうことだその態度は!? 死んだヤツが生きていたというのになんなんだ!? その平然とした日常の会話は?!」
「お…ポルナレフ、すまなかった。インドでわしがアヴドゥルを埋葬したというのは…ありゃ嘘だ」
「なっな、なにィーーッ!?」

悪気が微塵も感じらない軽さで衝撃の事実を告げられたポルナレルは地面から飛び上がる程驚き、そのままドサリと地に伏した。そんな彼を見下ろしたアヴドゥルが自分の頭をとんとんっと指で軽く叩く。

「インドで私の頭と背中のキズを名前さんが治してくれたのだ。そして病院に運んでくれたのがジョースターさんと承太郎ってわけさ」
「……」
「黙っててごめんネ?」
「て…てめーらインドから既にアヴドゥルが生きていること知ってやがって俺に黙ってやがったのか?! 花京院ッ! てめーもかッ!」
「僕が知ったのはあの翌日だ。ただ…敵に知られるとまずい。ポルナレフは口が軽いから……失礼、嘘を吐けないから君に内緒にしようという提案に賛成したんだ」
「……」
「うっかり喋られでもしたらアヴドゥルは安心して療養できねーからな」

あの時共に行動していた花京院には知らされていたと言うのに、口が軽そうという理由で自分だけずっと秘密にされていたなんて。
寂しさでシュンと肩を落としたポルナレフだったが「そ、そうだッ!」と何かを思い出したようで、小屋がある方向へ突然駆け出した。

「アヴドゥル! お前のおやじさんがこの島にいる! お前が来たことを知らせよう!」

アヴドゥルのことを秘密にされていたことは置いといて、この島に住んでいる彼の父親に悪い話ではなく喜ばしい話を届けてあげようとポルナレフは砂浜を駆けて行く。
しかしアヴドゥルから「ありゃ俺の変装だ」と言われてしまい、ポルナレフは再び地に伏せることになってしまった。

「に…にゃにお〜〜んッ!? じゃ、じゃあお前ら…お前らあれ全部…!」

ポルナレフの脳裏には昼間に出会ったアヴドゥルの父親と紹介された男の姿と、その父親を見て驚いていた名前達の姿が浮かび上がる。
そう…何を隠そうポルナレフが考えている通り昼間の出来事は全て演技である。
名前と承太郎と花京院は島に上陸する際ジョセフに「これからアヴドゥルと会うから驚く演技をしろ」と教えられていたのだ。

「そこまでやるか…よくもぬけぬけとテメーら……仲間外れにしやがって…ぐすん、」
「すまんポルナレフ」

とうとう涙を流して洟を啜りだしたポルナレフの肩に腕を回したアヴドゥルは、この島に変装までして来たのは理由があると話した。

「敵にバレないためもあるが、ある買い物をしてもらっていたのだよ」
「とても目立つ買い物でな。アラブの大金持ちを装って買ってきたのよ」
「ある買い物?」
「さあみんな! それに乗って出発するぞーーッ!!」
「乗る?」
「きっと名前ちゃんも気に入るぞ〜!」

買い物の話は聞かされていないため名前はポルナレフと共に首を傾げる。
こてりと揺れる頭を撫でたジョセフは「あれじゃ!」と月が浮かぶ紅海を指差す。その指先に釣られるように視線を海に向けた名前の目は、これでもかと開かれることになったのだった。

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